ところが、迎えた大学受験本番、医学部の入試は全て不合格に終わってしまったんです。
唯一、母が医学部以外にどこか一つ受けてみたらと言われて受けていた早稲田大学の理工学部のみ合格という状況でした。

私にとって、受験失敗のショックは大きなものでした。
「絶対できる」と周りの方から励まされ続けた分、「こんなはずじゃなかった」という思いは大きく、
生まれて初めて、大きな挫折を経験し、
なんだか、人生が崩れ落ちる感覚がありました。

それでも、理工学部でも医療技術を扱う研究ができたため、
医者になれないとしても、技術者や研究者として医療に携わる可能性のある進路でしたし、
浪人をするという選択肢も考えていなかったので、そのまま早稲田大学に進学を決めました。

そんなスタートではありましたが、期待していた日本の大学生活は予想以上に刺激的でした。
サークルの飲み会も講義の方法と出欠のとりかたも、何もかもが新鮮でしたね。
アメリカでは宿題にミニテストと、毎日追われていたので、まったく違う環境にただただ驚くばかりでした。

その後、大学3年生になってからは元々考えていた医療工学の研究室に入りました。
しかし、実際に自分が与えられているテーマの研究を始めてみると、
あまりにも分からないことだらけで、次第に「なんでこんなに自分はできないんだろう?」と悩むようになってしまいました。
もしかしたら、自分は大学を卒業できないかもしれない、という危機感すら抱くようになり、
気づかぬうちに、自分には能力があるのではと思っていたのが、
そうではないことを思い知らされるような日々でした。

それでも、なんとか卒業が決まってからは、
まだ、自分がやりたい研究が出来ていないという感覚から、
大学院に進学することに決めました。
元々目指していた医者になれなかったし、このままだと医療に直接関わる研究もできていないという後悔があったんです。