旅をしたから出会えたチョリパンで生きていく。世界一周後のロールモデルの1人になる。

代々木上原にある「Mi Choripan(ミ チョリパン )」にて、アルゼンチンのソウルフード「チョリパン」の提供を行う中尾さん。「世界一周をした経験を活かしたことを始めたかった」と語る背景には、どんな思いがあるのか。お話を伺いました。

中尾 真也

なかお しんや|アルゼンチンソウルフード「チョリパン」専門店の運営
代々木上原で、アルゼンチンソウルフード「チョリパン」専門店を経営する。

Mi Choripan(ミ チョリパン )

目標のない生活


私は三重県で生まれました。
中学生の頃はテニスに熱中していて、全国大会にも出場して、
勉強もできる方だったので、高校はテニス強豪校の進学クラスに進むことにしました。

しかし、入学してすぐのテストでは下から数えた方が早いほどの結果。
また、テニスも全国に出場した程度では通用しないレベル。

そこで挫折してしまい、部活を辞めてやんちゃな友だちとつるむようになっていきました。
ただ、打ち込むことのない生活を送っていても、楽しくないんですよね。
また、停学などもして親を泣かせてしまうこともあり、さすがにこのままじゃダメだと思い、
大学に行こうと決め、受験勉強に打ち込むようになりました。
目標ができると生活も充実するようになっていきました。

そして、一人暮らしをしたいと考えていたので、東京の大学に進学することにしました。
ただ、大学に入ることが目的になっていたので、入学後は特にやりたいこともなく、
授業には出ずにサークルやバイトに勤しむような日々が始まりました。
将来の目標もなく、だらだら過ごしていたんです。

しかし、旅の本を読むのが好きで、一人旅に憧れを持っていました。
とは言え心配症な性格なので、片道チケットを買って自由な旅に出る勇気はなく、
海外に行っても、ニューヨークやロンドンにパッケージのツアーだったり、家族と旅行に行ったりする程度でした。

そうこうしているうちに、就職活動の時期になりました。
さすがに大学に行かせてもらっているのだから就職はしようと思い、興味のあったアパレル業界を中心に見ていました。
そして1社最終面接まで進むことができ、採用確実と言われていたので、その会社で就職活動を辞めようと思っていました。

旅人になる覚悟


しかし、結果は不採用でした。

そこで、就職活動は辞めて、大学卒業後は一人旅に出ることに決めました。
数年会社で働いてから旅に出る道もありました。
しかし、自分は一度会社に入ったら辞められない性格だと分かっていたので、ここで腹をくくろうと思ったんです。
そして、必死でお金を貯め、卒業してすぐにアジアを回る一人旅に出ることにしました。

旅は、チベット、ガンジス川、アンコールワットなどの通過点と、
高橋歩さんが運営している「ビーチロックハウス」がある沖縄をゴールに決めてスタートし、
船で中国に渡って最初の目的地チベットを目指しました。
ただし、チベットに行く正規の道はないので、現地の人と交渉して連れて行ってもらう必要があります。
そこでどうしたらよいか分からずいきなりつまずき、2週間ほど中国の成都でチベットに行くかどうか悩んでいました。
しかし、旅のスタートから予定を変えてしまったらダメだと自分を奮い立たせ、
出会った旅人と一緒にトラック運転手と交渉し、チベットまで連れて行ってもらうことにしました。

道中は3泊3日、ずっと車で走りっぱなしで、本当に辿り着くのか不安でしたね。
高地なので頭は痛くなるし、食事も水とクッキーしかなくてお腹はすくし、道無き道を進むので居心地も悪く、まさに冒険をしているという感覚でした。
そしてチベットのラサに辿り着いた時は、「ここまで来た」という達成感がありましたね。

ただ、到着してしまうと満足してしまう性分で、ポタラ宮にも入らずすぐに次の場所に移動を始めていました。

その後は歯が痛くなって注射を打たれて気を失ったり、日本に一時帰国したりと色々ありましたが、
無事10ヶ月かけて沖縄にたどり着くことができました。
そこでは「島プロジェクト」のボランティアとしてサトウキビ刈り等をさせてもらい、
その経営者に気に入ってもらえ、その後は東京でその人のつけ麺屋で働かせてもらうことにしました。

帰国後のことはあまり考えていなかったので成り行きでしたね。

世界一周したその後に


そして今度は、大学時代から付き合っていた彼女と一緒に世界一周に行きたいと思い、
つけ麺屋で28歳まで4年程お金を貯めて、旅に出ることにしました。

世界に出る前に彼女の実家の静岡と私の実家の三重によろうと思っていたところ、
知り合いから「普通に行ったら面白くないから、日本は自転車で行けば?」と言われました。
8月の猛暑の中、坂道の多い日本を横断するのは大変で、ゲリラ豪雨にもふられ、世界のどこを旅するよりも大変でしたね。(笑)
そして2人の実家を回った後、1年半の世界一周の旅に出ました。

しかし、帰国後のことはやっぱり何も決まっていませんでした。

ただ、今回の旅はインプットして終わりにするのではなく、
きちんと旅で得た経験をアウトプットして、「線」にしていきたいと考えていました。
前の旅は、インプットするだけ、「点」で終わってしまっていたので。

そう考えていたのも、自分以外にも世界一周した後にやることが見つからなくて、
結局、旅する前よりも給料も安いところに就職して、モヤモヤしている人が周りにいたからでした。
旅はいい経験なだけで、その先に繋がるものがない。
その姿をみたら、世界一周に行きたいと思っている人が、旅に行きづらくなっちゃうと思ったんですよね。

旅は本当に価値があるものだと思っていたので、もっと多くの人に行ってほしいし、
そのためには自分がロールモデルとして、旅で見つけたものでその後の生活を組み立てられることを証明する必要があると考えていました。

しかし、その肝心の「何」をするかが決まらなかったんです。

旅をしたから出会えたもの


そこで、一旦2人共実家に戻り、資金をそれぞれで貯めてから、また東京で会おうと決めました。
しかし、お金は貯まるものの、やりたいことは見つかりませんでした。
彼女の稼ぎは増えていき、「何も始めないなら結婚する必要がないかも」という空気になってしまい、だんだん焦ってきました。

そんな時、友だちからカレーの移動販売を始めようと思っていると相談されました。
それを聞いて、「カレーなんかじゃ他と差別化できないよ」という話をした時に、
じゃあ「何が良いと思う?」と聞かれて、アルゼンチンで食べた「チョリパン」を思い出したんです。

チョリパンは牛肉で作られた「チョリソー」が挟まれたパン料理で、
アルゼンチンではホットドッグとも独立したソウルフードで、日本のおにぎりのような存在でした。
日本だと専門店はないし、食事として一品で勝負できる。
かつ、誰でも作れそうだし、ネーミングも「チョリパン」とみんなに覚えてもらえそう。
チョリソーを本店で作れば、多店舗展開も難しくない。
そんなことを話してる内に、自分でやろうと思ったんです。

チョリパンはバックパッカーとして旅したから出会えたもので、これなら旅をアウトプットして線にしていけると。

そう決めるとすぐに結婚して、2人でアルゼンチンにチョリパンのレシピを学びに行くことにしました。
そして、様々な屋台でチョリパンを食べていく内に、理想のお店に巡り会い、
そのお店に毎日通い、次第に働かせてもらうようになりました。
しかし、肝心の「チョリソー」自体は工場から運ばれてきていたので、今度はその業者の人にレシピを教えて欲しいと頼むようになりました。

すると、チョリソー工場の場所を教えてもらうことができ、朝6時位にその工場に行くように言われました。
しかし、朝のアルゼンチンは怖かったし、工場なんてどんな危険があるか分からず、1日目は途中で引き返してしまいました。
相変わらずビビリだったんです。(笑)

しかし、次の日には自分を奮い立たせて工場に行き、交渉の末レシピを書いてもらうことができました。
そしてソースのレシピも教えてもらい、お店の雰囲気なども決めて、3ヶ月で日本に帰国しました。

旅人のロールモデルになる


その後は東京に越してきて、少しずつ開店準備を始めました。
バイトをしながらレシピの施策をしたり、お店に良い物件を探すために自転車で都内を走り回ったりしていました。
すると、ふとした時に「ここだ」と思える場所を見つけることができたんです。
その場所が借りられるかどうかも分からなかったのに、とりあえず上の階に住んでいる人に聞き、
なんとかオーナーを紹介してもってその場所を貸してもらうことができました。

そして、2013年の1月に代々木上原にオープンしたのが、「Mi Choripan(ミ チョリパン )」で、おそらく日本で唯一のチョリパン専門店です。
初めて食べた人が一言目に「おいしい」と言っている姿を見ると嬉しいし、
アルゼンチン人に「この店を作ってくれてありがとう」と言われた時は感動しましたね。

チョリパンは、料理の知識なんて何もない状態から始めたもので、世界を旅したから始めることができたものです。
旅中は、手に職を持つ人を見て、正直「羨ましい」と思うこともありました。
でも、何にもない自分だったからこそ何でも挑戦できたし、チョリパンを始めることもできたんです。

ただ、私は世界一周後のロールモデルになりたいので、細々とお店をやるだけでなく、
今後はより稼げるような体制をつくり、多店舗展開をしていきたいと考えています。
旅によって知ることができ、旅の延長である「チョリパン」で生きていけると伝えたいんです。

お店経営って、旅と似てるんですよね。
目的地やルートを決めてから動くし、動いて初めて分かることに対応していかなくちゃいけないし、
リスクをマネジメントできないと途中で辞めなきゃいけなくなる。
そう考えると、むしろ今のほうが旅しているとすら感じます。

これからもこの旅を続け、かっこいい背中を見せていきたいです。

2015.01.20

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