自分が手掛けたお店の輪を広げていきたい!惚れ込んだ飲食業で実現したい未来。

現在、レストラン&バーのオーナーを務める桑本さん。経済学部卒、そして金融業で勤めるも、大学生のころに出会ったアルバイトで感じた飲食業の魅力を追いかけ、転身されました。その背景にはどんな思いがあったのか、お話を伺いました。

桑本 倫之

くわもと ともゆき|レストラン&バーのオーナー
横浜にあるRestaurant&Bar Magnolia オーナーを務める。

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手に職を付けて、自分で何かをやりたい


高校時代は特に「何かやりたい!」というものがなく、なんとなく憧れがあったバンドを始め、部活中心の生活を送っていました。高1の1学期の成績が悪く、夏休みから親に予備校に通わされていましたね。

その後、学年が上がるにつれて、少しずつ将来のことを意識するようになったのですが、性格的に、かしこまって生きていくのは無理だなぁ、と思っていたため、サラリーマンになる自分のイメージが全くつきませんでした。

また、社会の歯車になるのも嫌だったので、手に職をつけて自分で何かやりたいと思い、なんとなくカッコよさそうだという理由から、鍵師か美容師の専門学校に行きたい、と思うようになりました。ただ、親からは反対されてしまい、「4年間という時間をあげるから、大学に通ってほしい。それでも、やりたいという気持ちがあるならその道にしなさい」と言われたんです。

仕方なく大学に通うことを決断し、志望校を選ぶことになったのですが、『池袋ウエストゲートパーク』というドラマの影響で池袋に憧れを持っていたので、そこにある立教大学なら通ってもいいかも、と思いました。とはいっても、特に勉強がしたい学問はなかったので、幅広く応用が利くと思った経済学部会計ファイナンス学科を受験して入学しました。

「これだ」と思った飲食業との出会い


大学に入学してからは、高校の延長でバンドサークルに入りました。また、バンドサークルの活動費や遊ぶお金を稼ごうと思い、18歳の頃からイタリアンレストランでアルバイトを始めるようになりました。

そこで実際にアルバイトとして働き始めると、「自分が提供した商品が、目の前で消費されている」という様子を魅力的に感じ「自分がやりたいのはこれだな」と思ったんです。自分が提供したものが消費されている場面を見ることができるのって、飲食業だけじゃないかと思ったんですよね。

そのバイトを始めてから、美容師や鍵師という考えはすっかり消え、いずれは飲食業で自分でお店を開業したいなと考えるようになりました。

そこで、就活時には「就活はせずに、飲食の世界に進みたい!」と親に伝えたのですが、「1年でも良いから、会社で働いてほしい」と言われてしまったんです。自分自身、大学に4年間お金と時間をかけて通わせてもらったことや、育ててもらったことに恩義もあったので、とりあえずは1年、会社に勤めて働くことにしました。

ただ、将来は飲食業で独立したいので、いつか自分もお金を借りる立場になることもあり、貸す立場を経験しておこうと思い、就職活動では金融業界を見て、内定をいただいた事業者金融を扱う会社に就職しました。

ところが、やはり自分のやりたいことではなかったので、その仕事を毎日続けることは正直辛かったですね。結局、最初に決めていた1年できっぱり会社を辞めることにしたのですが、1年間と決めていなかったら、3か月ほどで辞めていた気がします。(笑)

ただ、仕事自体は辛かったものの、会社の上司に辞職を伝えた時に、「やりたいことを応援する」と言っていただいたことは嬉しかったし印象的でしたね。

また、それまで、受験も就職活動も親と話をして決めていたのですが、今回の決断もまた親から反対されるだろうし、もう自分も大人だ、と考えていたので、会社を辞めることは親に話しませんでした。実際に退職となると、全く仕事に対して気持ちが持てず辛かった会社員生活からの解放感が大きく、ようやく自分のやりたいことができるという喜びは大きかったですね。

自ら決めた「飲食の世界」へ


金融会社を辞めた後は、以前のバイト先で知り合った友人に紹介されたイタリアンレストランで働きました。改めて飲食の仕事をしてみて、自分が提供したもをお客様が消費しているところを見ることができ、「やっぱり飲食業は楽しいな!」と思いましたね。また、年齢に関係なく様々な仕事を任せてもらえたので、飲食についてかなりの量の知識と経験を身に着けることができました。

3年間働いた際に、その店を辞めることになってしまったのですが、その後は、姉と行ったことのあったベルギービールの専門店のオーナーとのご縁から、とんとん拍子で働くことになったんです。

そのお店は、かつて大道芸をやっていた70歳位のオーナーが、20年前ほど前に「ベルギービールを飲みたい!」と思いつき始めたお店でした。そして、お店の雰囲気は、今まで働いたことのあるお店に比べ、より大衆向けでカジュアルでしたね。

それまで働いたお店のジャンル上、ビールについてはほとんど知識がなかったので、まずは50種類以上のあるビールを、どんな味でどんなストーリーがあるのかを調べながら全て必死に覚えました。

加えて、かなり自由に色々なことをやらせてもらえたので、自分でメニューを考案したりジャズライブの集客に力をいれたりしたところ、収益がどんどんアップしたんです。自分の取り組みが目に見えて結果に表れたことで「俺にもできるかもしれない」と感じ、独立開業ということに対するハードルが一気に下がりましたね。

次第にほぼ1人でお店を任せてもらえるようになっていき、自分で工夫しサービスを提供して、お店が回るということ実感することができました。

そうやって働いて1年経った時に、「1年後には独立のため辞めます」とオーナーに伝え、実際に働き始めてから2年弱というタイミングでお店を辞めました。

それから本格的に独立の準備を進めたのですが、予定通り進まない現実ばかりで、ちゃんと完成するのか、オープンまでお金が持つのか、オープンしても人は集まるのか、と不安だらけでしたね。

そんなこんなで準備もなんとか進み、当初の予定よりも遅れてしまったものの、2012年の12月20日にやっとお店をオープンすることができました。

横浜を「俺の街」に


それまではレストランでもバーテンダーを務めることが多かったので、普通のバーでも良かったのですがお酒を飲めない自分の知り合いにも来店して、楽しんでもらえるようにお店はレストランの形態にしました。

また、実際に働く現場でお酒を飲まない若い人が多いな、という印象を受けたり、宅飲みが流行っているということをテレビで見聞きしたりして、10年後20年後は、お酒を飲む場が少なくなると思い、レストランじゃないと厳しい気がしたんです。

実際にお店を始めると、沢山のお客さんが集まるようになったのですが、自分のお店に時間やお金を費やしてくれることが嬉しかったですね。それまではどうしても「人が作ったお店」という意識が潜在的にあったように思うのですが、「自分のお店」ということを意識すると何十倍も嬉しかったです。

今はこのお店を開いて1年半になるのですが、今後の目標は大きく2つあります。

1つ目は、これまでの自分の経験や集客的な戦略的にも、現在は、瞬発力のあるイタリアンやフレンチ料理を中心として出しているのですが、今後は、欧州料理店としてやっていきたいと考えています。今までの飲食業での経験から、マイナーな料理や、あまり知られていない料理が、まだまだ世界にはたくさんあり、それ知ってもらう場所にしたいとおもったんですよね。いずれは、うちで世界旅行ができるくらい、色んな種類の料理を出していきたいです。

もう1つは、多店舗展開をすることです。でもそれは、自分が経営者として何店舗も持つ、というわけではありません。これまでの飲食店の経営者を見て、1人で経営を見られるのは多くて3店舗だと思っていて、それ以上だと失敗する例を見ていますし、成功している人は同じタイプのお店をやっているイメージがあるんです。

だからこそ、新しくお店をつくり、例えば能力を持ちつつ発揮できていない人などを店長として雇い、ゆくゆくはそのお店をその人に譲るということをしていきたいなと思っています。最終目標としては、横浜の至る所に自分が手掛けたお店の輪を広げていき、いずれは横浜を「俺の街」にしたいですね。(笑)

2014.08.25

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