働く選択肢をつくるため、主婦から起業! コミュニケーションで描く未来。

専業主婦からライブコミュニケーションサービス「Lively 」を立ち上げた岡さん。話したい人と聴ける人とのマッチングで、コミュニケーションで元気になる人を増やし、働く選択肢を広げたいと話します。そう考えるようになった理由とは?お話を伺います。

岡 えり

おか えり|株式会社Lively代表
沖縄県出身。神奈川県立保健福祉大学を卒業後、作業療法士として精神科病院や訪問看護ステーションで勤務。子育てと両立できる仕事を求め、在宅でオンラインコーチングの仕事をスタート。コミュニケーションの価値と女性の自立の大切さを実感し、2020年10月に株式会社Livelyを共同創業。

自分を出せない葛藤


沖縄県で生まれました。5人兄弟の4番目です。家の近くには祖父が一人暮らしをしていました。戦争を生き抜いた生命力溢れる人で、「人には優しくしなさい、どんどん与えなさい」というのが口癖。実際に人のために行動する祖父はかっこよく、尊敬していました。

祖父は農業をやっていたので、頻繁に手伝いにいっていました。土いじりが好きになり、将来は農業に関わる仕事をしたいと考えるようになりましたね。

小学校では、仲間と秘密基地を作ったり、いたずらをしたりとやんちゃに遊んでいました。中学校に入ると、勉強もスポーツも得意だったので、学級委員や部長をやるように。すると、周りの目が変わってきたんです。

小学校の頃のように自由にしていると、先生や親や友達から「なんでそんなことするの?」「えりがやったらダメでしょ」と言われるように。立場を考えると、確かにダメなのかもしれないと感じ、大人しく振る舞うようになりました。求められる役割をこなしましたが、本当の自分を出せていない感覚がありましたね。

高校は進学校に進み、大学では農業をしたいと考えました。しかし、親からは反対されてしまって。母は農業をしている家庭で育っているので、大変さを知っていたようです。「女性でも採用されやすいような資格のある、医者や歯医者を目指しなさい」と言われました。反論できず、高校3年生から歯医者を目指して猛勉強を始めました。

親も頑張って塾の送迎をしてくれているし、頑張らなくてはという思いがありました。でも、本当にやりたいことかわからないモヤモヤはずっとあり、3年生になるとストレスからか顔中に吹き出物が。志望校には落ちてしまい、浪人することになりました。親や周囲の期待に応えたい気持ちが強く、優等生キャラから抜け出せなかったのです。

話を聴くことで祖父が元気に


浪人しているころ、祖父が交通事故に遭いました。祖父はその頃92歳。骨折し、入院して手術を受けなければならず、体が弱ってしまうのではないかと心配しました。でも、周りも驚くほどのスピードで回復し、歩けるようになって自宅に戻ってこれたんです。

ところが、戻ってから祖父は「こんなのだったら生きている意味がない」と言い始めました。そんな後ろ向きな言葉を祖父から聞いたのはそれが初めて。ものすごくショックを受けて、「おじいちゃんのために何ができるんだろう」と悩みました。

その結果、「話を聴こう」と思ったんです。私自身、悩んだり落ち込んだりしていても言えずに溜め込んでしまうタイプ。そんなとき、誰かがトントンと肩を叩いて全部引き出してくれたら楽になるんじゃないかと思ったのです。毎日祖父の家まで遊びに行って、「あの戦争の話をもう1回聞かせて」「あのとき、あの人はなんて言ったんだっけ?」などいろんな話を聴いていきました。

話していくと、おじいちゃんの目が輝く瞬間があるんです。そこまで引っ張っていって、祖父が自分で気づいていなくても「これってすごいんじゃない?」と伝えるようにしました。すると話の中で自分が頑張ってきたことを再確認できたのか、祖父がだんだん元気になっていったんです。その姿を見たときに私もすごく嬉しくて、「人の話を聞くことで相手を元気にする仕事ができたらいいな」と感じました。

作業療法士という仕事があることを知り、資格という意味なら良いのではないかと考えました。歯学部は受験せず、作業療法士の学科を受けたいと両親を説得しました。

コミュニケーションは活力になる


解剖学や生物学など、様々な勉強をしなければならないのは大変でしたが、大学は楽しかったです。実習で、老人介護施設、病院2ヶ所、精神障害者施設の計4ヶ所を回ることになりました。作業療法士の立ち位置は施設によって全く違い、刺激を受けましたね。

最初は、祖父のことがあったので老人介護施設に行きたいと思っていました。でも病院の精神科にいったとき、「めちゃくちゃ面白い」と感じたんです。患者さんの中には、生まれ持った気質で精神を病んでしまう人もいますが、生活している中で病んでしまう方も多くいます。私も友達も、誰であってもそうなる可能性があるんですよね。

何があって人間が変わっていくのかに強い関心を持ちました。一方的に治療するという目線で患者さんと向き合うのは嫌だったので、どうしたら社会復帰できるのかを一緒に考え伴走できることにも惹かれましたね。

そこで、都内の精神科病院を就職先に選びました。仕事はやりがいがあり、充実していました。しかし結婚すると、夫の転勤の可能性や産後の復帰の難しさなどを考え、もっと場所を選ばず働きやすい仕事をと考えるように。

病院の中だけではできる支援に限界があるとも感じていたので、訪問ステーションで働くことにしました。地域で暮らす人たちのご自宅に伺い、心身のケアをして一緒にリハビリするお仕事です。元気になる方を目の当たりにして、コミュニケーションが人の生きる気力になることを実感しました。

仕事は楽しかったです。ただ一方で、子育ても好きで、家族をつくることが私の夢の一つでもありました。それなのに毎日いっぱいいっぱいで、3人の子どもたちに向き合って受け止めてあげられない。それがストレスになり、一旦仕事をやめて子育てに専念することに決めたんです。

コミュニケーションを武器に自立


仕事をやめてみると、自分で決めたはずなのに徐々に気持ちが落ち込みました。大好きな子どもたちがいて、子育ても好き。自分の得たいものは目の前にあるはずなのに、虚無感が拭えないんです。夫は仕事が忙しく、コミュニケーションが取れませんでした。

私自身を受け止めてくれる場所が欲しかったです。でもその場所が得られなくて、泣いて泣いて泣き腫らして、この世からいなくなりたいとまで思いました。

でも、そこまで悩んだ末、ある日ふと「死ぬくらいだったら他にいっぱい選択肢が転がっているじゃん」と思ったんです。ここまで辛い中で今の暮らしにこだわることはない。優等生キャラを引きずって「一度決めたら我慢しなきゃいけない」「妻として、母としてこうあらねばならない」と世間の目を気にしてきたけれど、それは子どもを守って生きていくことに比べれば、どうでもいいことでした。

気づくと、世界にはたくさんの選択肢が広がっていて。私が変わっていけばいいんだ、と心が身軽になって、ワクワクしてきたんです。

まずは経済的に自立して、この環境を変えようと仕事を探し始めました。しかし、子どもが家にいながらできる仕事はほとんどありません。子どもの預け先となる保育園も、子どもがいながら働ける融通の利く仕事もなかなか見つからず絶望しました。

そんな中、すがるような思いで人の話を聞くことで収入を得る在宅ワークを見つけ、始めることにしたんです。同じ仕事をしている女性コミュニティを見つけ参加すると、シングルマザーで娘の大学受験のための資金を貯めている方や、精神疾患で長く外で働けないけれど仕事をしたいと思っている方など、みんな様々な理由で頑張っていました。刺激を受け、私も仕事と向き合おうと思えましたね。

お客さんには様々な方がいました。夫婦仲が悪くて悩んでいるけれど、周囲には言えなくて誰かに話したいという方、身近に話し相手がいなくて孤独で、日常の会話をしたい方、普段は経営者として立派に振る舞おうと気をつけているけれど、肩肘はらずに会話できる機会が欲しい方…

身近な人には言えなくて話を聞いて欲しい人が多いんだと知りました。話を聴いて受け止めると、だんだん常連さんが増え、良い絆が生まれる感覚がありました。「あなたと話をすると元気になるよ」と感謝の言葉をいただけるようになり、いつの間にか収入は会社員時代をはるかに超えていました。

専業主婦から起業


自分でお金を稼げるようになると、自信がつき気持ちが安定しました。経済的に自立すると夫の態度も変わり、コミュニケーションを取れるようになったんです。自分の幸福度が高まると、子育てが今まで以上に楽しく感じ、家庭も友人関係もすべてが今までよりも充実したものになりました。
そんなある日、ネットニュースで『沖縄の風俗1500円』という記事を目にしたんです。沖縄出身なので、「こんなに安いの?」と衝撃を受けました。その記事を書いた方の書籍を手に取り読んでみると、働き方に選択肢のない女性が多くいる事実を突き付けられました。

教育を受けられる家庭環境になかった、早めに子どもができて夜の世界で働くしかなかった、暴力を振るわれて、逃げる場所が夜のお仕事しかなかった。

自分と重なる部分もあり、読んで心が痛みました。同時に、もしかして今の私なら、仕事を誰かに提供できるのかもしれない、と感じたんです。スキルや学歴がなくても、人生経験が豊富なら他人のことを理解してあげられる。コミュニケーションは比較的磨きやすいスキルだと思うので、オンライン上でコミュニケーションを生かして働ける仕事があれば、働く選択肢を増やせるのではないか、と。

とはいえ、どうすれば形にできるかわかりません。まずSNSで話を聞きたいと思う事業家の方を見つけ、連絡しました。話してみると、起業支援プログラムに挑戦することを勧められたんです。

右も左もわからない中、プログラムに参加して3カ月間さまざまな勉強をしました。最初に相談した事業家の方やメンターの方に壁打ちしてもらいながら、アイデアを磨いていったんです。選択肢を増やすというゴールは決まっているものの、それをどんな手段で実現するかがなかなか決められませんでした。

お金をどう回していくか、ビジネスモデルを考えるのも初めてですし、サービスやシステムを作ろうと思っても、エンジニアの用語が全くわかりません。大変なことだらけでした。でも、こんな風に人を巻き込んだチャレンジは今しかできないと思ったんです。

挑戦する背中を見せる


いまは、ライブコミュニケーションサービス「Lively」を運営しています。試行錯誤の結果生まれたこのサービスは、話を聞いて欲しい人とコミュニケーションが得意な人とのマッチングサービス。コミュニケーションが得意な方は、オンライン上に自分のストアを持って定価を決めることができます。話したい方は好きなストアに入り話を聴いてもらい、対価を支払う仕組みです。オンライン上のスナックのようなイメージですね。

これまで、祖父の姿や仕事で出会った方々を見て、コミュニケーションは人の活力になることを実感してきました。話を聴いてもらう行為を通して、元気になれる人を一人でも増やしていきたいです。

また、コミュニケーションでお金を稼げるようになれば、自立できる女性も増えるはず。働く選択肢を増やす一助になりたいと思っています。先日、Livelyにストアを開設されたシングルマザーの女性が、「子どもと何年かぶりに旅行に行けたのも、旅先で『好きなものを頼んでいいよ』と言えたのも、このサービスのおかげです」と言ってくれました。「ああ、人の役に立てた」とすごく嬉しかったです。このサービスを通じて元気になったという声をいただけることが、続けていく1番のモチベーションです。

今も私は、子ども3人の子育て中です。ご飯を作ったり送迎をしたりしながらこの仕事をしています。王道ルートではないかもしれませんが、どんな状況でもやりたいと思ったことは実現できる、という一つの例になったらいいなと思っています。

よく、「失敗するのが嫌だ」という娘に、「お母さんもめっちゃ失敗しているよ」と言うんです(笑)。間違えても大丈夫。どんどん挑戦して欲しいと思っているので、私自身が挑戦する姿を見せて、「できなくてもチャレンジしていいんだよ」と伝えていきたいです。

2021.12.29

インタビュー・ライティング | 粟村 千愛
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