ギャルマインドを世の中の人から引き出す。 固定概念をポップに壊し、自分軸で生きる人生を

「ギャルが企業の課題解決をアシスト!」をコンセプトに、ギャル式ブレストなどのプロジェクトを展開するCGOドットコム代表のバブリーちゃん。高校時代に不登校になり、大阪で出会ったギャルに大きな影響を受けたと言います。バブリーちゃんが引き出したいと話す「ギャルマインド」とは?お話を伺います。

バブリー

ばぶりー|CGOドットコム総長
山梨県甲府市生まれ。立教大学コミュニティ福祉学部に在籍しながら、ギャル式ブレストを展開するCGOドットコム総長を務める。NPO法人ETIC.にてパーソナルプログラムPLAY!事務局としても活動2022年春には大学を卒業し、就職予定。ギャル式ブレスト等CGOドットコムの活動も継続予定。

完璧主義だった子ども時代


山梨県甲府市で生まれました。両親ともに教員で、親戚も教員が多い家系です。両親が共働きなので、祖父母によく面倒をみてもらいました。性格は基本的に大人しく、幼稚園のときからしっかりしてるねとよく言われていましたね。

小学校に入ると、自主的に猛勉強していました。親から特に勉強しなさいと言われたわけではありませんでしたが、テストはいつも満点、通信簿もいい成績でないと気がすみません。例えば漢字テストがあれば、テスト範囲の漢字をノート一冊分かけて練習。学校から帰って4、5時間は勉強していましたね。親にほめてほしくて、承認欲求があったのだと思います。生徒会の副会長を務めるなど、優等生であることを意識していました。

中学校に入ったらテストで順位が出るようになりました。常に一番を取らないといけないと思い、さらに猛勉強していました。テスト期間は平日8時間、休日は10時間勉強。親には「定期テストでそんなに勉強しなくていい」と言われましたが、完璧主義な性格なので勉強し続けていました。

学校ではグループの中心にいて、よく友だちと話をしていましたね。でも、放課後は特に遊びに行かず、家に帰り勉強。勉強が楽しいというより、自分を追い込んで一位を目指さねばならないという使命感に駆られていました。辛かったです。高校は偏差値で選び、文系で一番良い地元の進学校に入学しました。

何のために勉強しているのだろう?


高校に入学した初日、先生から「皆さんは東大に行きましょう」と言われ、違和感を抱きました。何のために東大に行くのだろう、何のために勉強するのだろうと、初めて考えたのです。

入学した高校は、今まで勉強を頑張ってきた生徒ばかり。大学受験に力を入れていて、朝から晩まで勉強させられました。私は部活にも所属していたので、ハードな日々を過ごしました。

中学校のときから勉強は辛かったですが、少なくとも自分の意思でやっていました。しかし、高校では強制されるようになり、更に勉強が苦しくなったんです。加えて、校則でも化粧禁止、スカートが短いのはダメ、携帯使用も禁止。「何のための規則なんだろう」と疑問を覚えました。

大学に行くまで2、3年しか残されてないのに、こんな生活をずっと続けるのか。何のために勉強していて、自分はどうなりたいんだろう。モヤモヤと考え続け、ある日、学校に行けなくなってしまいました。

ベッドに閉じこもり、何もしない日々。今まで優等生キャラできていたので、休むのはとても勇気が入りましたね。怠けているように見えたのでしょう、普段温厚な親に「なんで学校に行かないんだ」と叱られました。友だちからは毎日心配するメッセージがきました。その子たちと自分を比べて不安になり、学校に行かないといけないと校舎に向かったこともあります。それでも、校舎の周りを自転車で3周して「やっぱり行きたくないな」と家に引き返してしまいました。

そんな中、ベットの中で、たまたまスティーブ・ジョブズのスピーチを見て。「Stay hungry, stay foolish」と語るスピーチの中で、彼も、大学を中退した過去を持つことを知ったんです。学校を中退しても、世界的に大きな会社を立ち上げ活躍できるなら、今の私の人生もオワコンでもないかもしれない、と気がつきました。

最初は否定的だった両親も、不登校について色々調べてくれました。「辛いんだったら通信制の選択肢もあるから」と最終的には言ってくれたので、踏ん切りがつき、高校を中退したんです。

憧れの土地、大阪でギャルと出会う


中退後は通信制の学校に行きました。オンライン学習なので、基本は家で勉強。半年に一週間ぐらいしか学校に通う期間がなかったので、かなり自由な時間が増えました。

その時間を使って、大阪に行ってみることにしました。大阪は前から何となく憧れがあった場所。関西弁がかっこいいから付き合うなら関西の人がいいよねとよく友だちと盛り上がってたんです(笑)。山梨から出たいと思っており、海外まで行く度胸とお金がなかったので、大阪になりました。

大阪では、母方の遠い知人の家に滞在しました。特にバイトもせず、朝方に寝て、夕方に起きて友人と遊ぶ日々。その地域の同年代には、ヤンキーやギャルの子たちも多く、すごく新鮮でしたね。

同時に、ヤンキーやギャルの子たちに魅力を感じていました。今まで接してきた人は、大学進学するのが当たり前だと思っている人ばかりでした。一方で彼ら、彼女らは大学に進学するのか、高校を辞めて働くのか、様々な選択肢から自分が生きていく方法を真剣に考えていたんです。中には苦労して高校に入ったけど家庭の事情で行けなくなり、必死に働いている子もいました。「生きていく力」の強さを感じました。

一方で、同じ年に生まれて育ってきたはずなのに、こんなに違うことに衝撃も受けました。何がきっかけでこんなに違う人生を送っているのか。家庭環境、教育格差などに興味をもち、調べ始めました。

ギャルの子たちには、生き方のヒントももらいました。印象的だったのが、チーム名を賭けたギャル同士の決戦。ギャルの子たちにはチーム名があり、その名前に誇りをもっています。あるギャルのチームが、自分たちのチーム名を隣町のギャルチームが名乗っていると聞いて怒った事件がありました。「なんかマジ許せん」と果たし状を送り、喧嘩をし、見事勝利。チーム名を勝ち取ったんです。チーム名とかどうでもいいように思えますよね(笑)。でも彼女たちの姿はかっこよかったんです。世の中の基準ではなく、彼女たちの基準で、大事にしたいものをしっかり守ったから。ふとそのとき、自分は自分の基準で大切なものを守れてるのだろうか?と考えるようになったのです。

勉強を初めて楽しいと思えた


その後、親が心配していたので18歳の終わりには山梨に戻りました。アルバイトを始めましたが、これでは一生食べていけないなと進路について考えるように。そのとき、教育格差の現実などを見てきた中で、自分には大学進学できるチャンスがあったと認識するようになったのです。

今から勉強したら、大学に行く機会がある。ちゃんと勉強をして、社会的にある程度発言力を持てるようになれば、格差の問題に貢献して、自分を救ってくれたギャルたちに何かを還元できるかもしれないと考えました。

そこから始めた勉強は、すごく楽しかったです。偏差値は30しかなかったけれど、逃げることもなく、初めて自分で学びたいと思って進めた勉強でした。

9月から勉強を開始して2月に大学受験をし、ある大学の商学部に入学しました。友人には恵まれて楽しかったのですが、「何のために大学に入ったのか」と原点に立ち返った時に、学びたいこととのずれに気づきました。もう一度勉強し直し、立教大学のコミュニティ福祉学部に再入学しました。そこでは、生活保護や社会福祉などを勉強できて楽しかったですね。国内だけでなく海外と比較する授業もあり、格差について多角的に学べました。

ビジネスの面白さに触れる機会もありました。大学で企業とタイアップした授業があり、本屋さんに新しい本屋のあり方を提案するという企画に参加したんです。渋谷の本屋さんを担当する中で、ビジネスを作っていく過程がすごく楽しかったんですよね。

せっかく社会系の学部にいるのだから、もっとビジネスについて学んで今のうちに力をつけておきたい。そう思い、インターン先を探し始めました。縁あってスタートアップコンテストを運営するNPO法人にインターンとしてジョインすることになりました。

スタートアップコンテストとは、参加者がさまざまなビジネスモデルを提案し、競い合うコンテストのこと。起業の裾野を拡大するために東京都が主催するコンテストに携わり、私は広報や集客を担当しました。学生でもある程度の予算があり、「バブリーやってみなよ!」と挑戦を後押ししてくれる環境でした。

ギャルと一緒に事業をつくる


コンテストには、アイデアさえあれば誰でもエントリーでき、プログラムを通してビジネスとして形にしていきます。それを見ていくうちに、ビジネスを作ることにも興味を持つようになりました。どんなビジネスを作りたいか考えた時に、頭に浮かんだのがギャルの子たちと過ごした日々。私が感じた彼女たちの良さを、もっと伝えたいと思いました。

ただ、それを文章などで伝えるだけでは伝わらないだろうなとも思って。私自身、何か体験を通した先で学びを得られると感じていたので、彼女たちの良さを実際に体験できるような形で社会実装できたら、面白いだろうと考えました。

サークルを立ち上げ取り組む選択肢もありましたが、ある程度インパクトを出して長期的にやりたかったので、お金が回る仕組みを作る必要がありました。そしてギャルの子たちに、少しは生活の足しになるくらいのお金が渡せたらいいな、と。そこで、大学の中だけではなく社会に対して、事業を作ることにしたんです。

大阪時代のギャルの子たちとはつながりがなくなってしまっていたので、東京で一からギャルを探しました。とはいえ、ギャルといってもさまざまです。ロックンロールの定義が人それぞれあるように、ギャルの定義も人によって違うと思います。

その中で、私が探したのは自分軸をもっていて、かつギャルファッションを纏った子たちでした。大阪で出会ったギャルの子達みたいに、自分が大事なものの基準を持っている、つまり「ギャルマインド」があること。そして、ギャル自体がファッションから始まったこともあり、見た目がギャルであることも重視しました。

渋谷のギャルサーの元幹部やギャル雑誌の編集長などに紹介を頼んだり、ギャルカフェに通ったりしてなんとかつながりを作ろうとしました。最初はなかなか理解されず、「お前はギャルじゃねえのにギャル語るなよ」と怒鳴られたこともありましたね。でもとにかく、ギャルの子たちと一緒に事業を作りたいという気持ちで必死でした。

続けた結果、無事協力してくれるギャルが見つかったんです。今度は事業プランを練りました。その際に、改めてギャルの良さをメンバーと洗い出しました。「自分軸をもっている」、「ファッション性が強い」、「流行に敏感」、「盛り上げ上手」などが挙げられました。

次に彼女たちの特長を活かせるシーンを考えました。キャリア支援、カウンセリングなどなど、様々な意見が集まる中、企業の忖度文化を変えられるのでは、という案が出たのです。企業の中には、忖度をしたり、固定概念があったりして、組織が硬直化している課題があります。そういった硬さはギャルの特長とは真逆。この二つを融合させることで、新しいものが生まれるんじゃないかと思ったのです。

そこで生まれたのが、「ギャル式ブレスト」でした。その名の通り、社員がギャルと一緒にブレストをしていくというものです。ルールは、ギャルになりきること。自分が持っている一番派手な服を着て、敬語は禁止。役職名ではなくみんなあだ名で呼び合います。盛り上げ上手のギャルたちが、参加者が発言しやすい雰囲気を作ります。

ブレストは「質より量」と言われるように、普段の会議と比較して格段に発言量が増えるのです。加えて、他のブレストとは違って、「可愛い」とか「マジそれダサいんだけど」など、​​直感的な意見が飛び交うことも特徴の一つです。
実際に、企業でギャル式ブレストを実施しました。社員の方は、戸惑った様子。「今日はネクタイしなくていいんですよね」と不安そうな方もいました。でも、その人も始まってみるとだんだん楽しむように。最後に集合写真を撮る際には、全員の中で一番大きくダブルピースをして笑顔になっていましたね。「とても楽しかった」という感想もいただきました。

和やかな雰囲気の中で、たくさんのアイデアが生まれました。ブレストを通して、「顧客が大事だったはずなのに、普段上司を気にして物事を進めてしまっていることに気づいた」とか「直感的に意見をいうことの大切さに気づいた」という意見もいただけたんです。ブレストで重要なのは、アイデアを産むための柔らかい脳作り。その脳作りに関して、ギャル式ブレストの効果は高いのです。

成果もそうですが、私にとっては何よりギャルの子たちとビジネスを作るのがすごく楽しかったですね。打ち合わせや何気ない会話の中で彼女たちのパワーワードが炸裂して、爆笑したり。毎回毎回、面白くて笑っていました。

眠っているギャルマインドを引き出す


現在は、CGOドットコムの総長として、ギャルたちとギャル式ブレストなどの事業を運営しています。様々な企業や行政の方々とタイアップし、課題解決や組織文化の変革に取り組んでいます。

関わっているNPO法人では、新規事業でオンラインコーチングの立ち上げに携わり、主に営業セールス・マーケティングを担当しています。CGOドットコムの活動やNPOに注力するため、大学は2年ほど休学していました。しかし復学し、2022年の3月に卒業予定です。卒業後は一般企業に就職します。就職しても引き続き、活動は続ける予定です。

CGOドットコムでミッションとして掲げているのが、「ギャルマインド」を世の中の人から引き出しつづけること。今の世の中には、たくさんの固定概念がありますよね。ギャル式ブレストで企業さんから「この課題は長い間解決されてないんだよね」といった声をよく聞きます。固定概念に縛られたり、忖度をしてしまって動かないような状況を、ギャルマインドを引き出すことでポップに壊して進んでいけると思っています。固定概念の呪縛から解き放ち、自分軸で前に進んでいくきっかけを提供したいですね。もっといろんな人に広めて、そしてギャルの雇用を生み続ける仕組みに繋げたいです。

今後はCGOドットコムの活動と仕事、2軸でやっていきたいですね。「絶対にこれをやりたい」「力をつけたい」と構えすぎず、キャリアドリフトを意識したいと思っています。バブリーとして生きるという一番星を忘れないようにしつつ、任された仕事をしっかりこなし、チャンスが来たら飛びつく姿勢を大事にしたいです。

2021.09.16

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | なんしゅ
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