自分にしか書けない文章で誰かの背中を押す。 時代が変わっても価値が残る文章を紡ぎたい。

旅をしながら綴った文章が反響を呼び、現在はフリーランスライターとして活動の幅を広げている中村さん。ヨーロッパ自転車旅でのエピソードをブログに書くなど、圧倒的な好奇心と行動量から文章を生み出してきた中村さんですが、やりたいことができない自分に葛藤していた日々もあったのだそうです。そんな中村さんが、人生をかけて実現したいこととは。お話を伺いました。

中村 洋太

なかむら ようた|ライター・エッセイスト・コンサルタント
1987年、神奈川県横須賀市で生まれる。早稲田大学在学中、学生ブログ人気ランキングで1位を獲得。15社の企業や300名の個人から協賛を集め、自転車でヨーロッパ12カ国を巡る。大学卒業後は旅行会社で海外添乗員、旅行情報誌の編集者として勤務。2017年、フリーランスライターとして独立。「TABI LABO」「朝日新聞デジタル」など大手メディアでライターとして活動。ソフトバンク社のビジネスメディアにて副編集長を務めたのち、現在は執筆とライター向けのコンサルティングを行う。

「本気を出したらどこまでいくか」


神奈川県横須賀市で生まれました。家族は、地元の地域情報紙でライターをしている母と大学教員だった父、9歳・12歳離れた2人の兄。歳の離れた兄たちとは喧嘩をすることもなく、とても可愛がられました。

幼い頃は社交的で活発な性格。サッカーが好きで、サッカーボールを持って友達の家を訪ねては、遊びに誘っていました。誰も見つからなくても、一人で公園でサッカーをしているような少年でした。
中学ではサッカー部に所属しました。部活に夢中になって一生懸命取り組んでいたものの、正直うまい方ではありませんでした。勉強も真面目にやっていたけれど、特別優等生というわけでもなくて。

サッカーも成績もいまいちぱっとしないけれど、サッカーの名門私立校や学区内で一番偏差値の高い学校には行きたいと思っていました。実力が足りないことはなんとなく分かっていたけれど、上を目指したかったんです。

進路選択の面談で担任の先生に志望校を伝えましたが、やはり今の成績だと厳しいと言われました。うつむいていると、その先生は「でもね」と話し始めたんです。「サッカー部の先生が言ってたよ。『洋太が本気を出したらどこまでいくか分からない』って」。僕の可能性を信じてくれている人がいることが、純粋に嬉しかったですね。

自分の目指す姿に正直に生きていいんだと背中を押され、たとえ自分の実力以上であっても夢や目標は高く持とう、と前向きになれました。

ヨーロッパを自転車で巡りたい


高校受験では第1志望の学校は受からず、地元で2番手の県立高校へ進学。全力は尽くしたけれど、落ちてしまった。すごく悔しかったです。高校では勉強を頑張って、良い大学に入りたいと思いました。

高校1年の夏、テレビで「ツール・ド・フランス」という自転車のロードレース大会が放送されていました。目にしたのは、約3週間かけて3千キロ以上の距離を自転車で颯爽と駆け抜けていく選手たちの姿。それまで自転車は、隣町に行くための交通手段くらいにしか思っていませんでした。こんなに長距離を走れる乗り物なんだということに、衝撃を受けました。また、ぶどう畑が広がるフランスの美しい田園風景にも惹きつけられましたね。いつか自転車に乗って、この風景を自分の目で見てみたい。そう思いました。

自転車への興味が高まり、まずは家から高校までを自転車で通学してみることにしたんです。地図帳を引っ張り出して調べてみると、距離は15キロほど。そんなに長い距離を走ったことがなかったので、2時間くらいかかるかもと思い、その日は早朝に家を出発。遅刻するまいと、平地でも必死にママチャリで立ち漕ぎしながら向かいました。

無事に学校に着いて時計を見ると、家を出てから50分しか経っていませんでした。予想よりずっと早く到着したことに驚きましたね。「電車で行くのとほとんど変わらないじゃん」って。だから、経験のないことに対する人間の想像力なんて、まったく当てにならないんだと思いました。「ものさし」が何もない状態で予想を立てたところで当たらない。それ以来、何事においてもまずは自分の目で確かめ、自分の足で動いてみようと考えるようになりました。

それからも自転車での通学は続きました。高校2年の時には、祖母から買ってもらったロードバイクに乗って、長野県から祖母が住む茨城県まで、兄と3泊4日の自転車旅をしました。ロードバイクで山を登り、壮大な自然を横目に走る時間は本当に楽しかったですね。もっと自転車で色々な風景を見てみたいと思いました。

大学に入ってからは、何か新しいことにチャレンジしたいと考えていました。そんな時、12歳離れた同じ大学出身の兄が、かつて学内のオーケストラサークルに所属してヨーロッパ遠征に行っていたことを思い出したんです。僕はピアノ以外の楽器経験はありませんでしたが、ヨーロッパで演奏することへの憧れもあって、オーボエという楽器を選びそのサークルに入団しました。

大学1年の冬、サークルの全体集会で、和太鼓奏者を募集しているという話を耳にしました。なんでも、一年後に控えたヨーロッパ遠征では、和太鼓とオーケストラの協奏曲も披露するということで。正直経験の差は大きく、このままオーボエを続けていても良いポジションが得られないと思い、立候補。和太鼓奏者に転向し、また基礎からの特訓が始まりました。

1年間の猛練習の末、ヨーロッパ11都市を巡るツアーに出発。和太鼓とオーケストラの掛け合いは海外の聴衆にも非常に好評で、今まで受けたことがないくらいの拍手喝采を浴びました。ツアーの中では、日本とは全く異なるヨーロッパの文化や風習、美しい街並みに心から魅了されて。またいつかこの街に戻ってこよう、と心に誓いました。

いつのまにか誰かの背中を押していた


海外公演を終え帰国した後、オーケストラサークルを退団。残りの学生生活は、自分のやりたいことを思いっきりやろうと決めました。

大学3年の夏、自転車でひとり旅をしようと思い立ちました。高校時代に兄と行った自転車旅の楽しさが忘れられなくて。また、幼い頃から「日本地図って本当に正しいのかな」となんとなく疑問を抱いていたこともあって、確かめてみたくなったんです。

自転車で西日本を一周するという僕の計画を耳にして、両親はとても心配していました。なので、ブログに旅の様子を書いて両親を安心させようと思って。それまで文章なんてほとんど書いたことがありませんでしたが、旅をしながら毎日ブログを更新することにしました。

地元・横須賀市を出発して13日目、ついに福岡県に到着。そこから九州を一周して、四国経由で戻ってきました。その道のりはおよそ2700キロ。初めて見る景色の連続と人の温かさに感動しましたね。帰宅した翌日、ブログに一通のメッセージが届いているのに気がつきました。

差出人は、ブログを読んでくれていたという女性。お名前も年齢も分かりません。そこには、「あなたの挑戦を見ていて、私にも夢があったことを思い出しました。知らずしらずのうちに諦めてしまっていた夢に、もう一度挑戦してみようと思いました」と書かれていたんです。最後に「感動をありがとうございました」と。驚きました。

僕は、日本地図が正しいのか自分の目で確かめてみたい、九州を自転車で一周したい、という自分の欲求に従っていただけでした。家族や友人以外の誰かに読まれることすら意識せずに書いていたブログが、見知らぬ誰かに感動を与え、背中を押していたらしい。初めはただびっくりしていましたが、じわじわと喜びと興奮が押し寄せてきました。

たとえ「人のために」と思っていなくても、自分が心動かされたものを一生懸命発信し続けていれば、誰かの心に届き、感動やエネルギーに変わっていく。その女性からのメッセージを読んで、素朴な疑問や好奇心と向き合うこと、好きなことに本気で取り組むことの大切さを教えてもらった気がしました。そして、もしかしたら文章はすごいパワーを持っているのかもしれないとも感じましたね。

西日本を一周しただけでこれほど影響力があるのだったら、日本を飛び出し海外に行ったらどれだけの人に影響を与えられるだろう。そう感じたことと、オーケストラの海外遠征で訪ねたヨーロッパの街々をもう一度訪れたいという思い、そして高校時代に「ツール・ド・フランス」を観ながら思い描いた夢、そのすべてがぴったりと重なり、大学4年の夏休みに自転車でヨーロッパを旅することに決めたのです。

とはいえ、学生の僕には2カ月間もヨーロッパを旅できるほどの資金がありませんでした。就活も重なり、バイトで貯めるのは現実的ではなかった。でも、お金がないことを理由に夢を諦めたくなかったんです。絶対にヨーロッパを自転車で旅したい。どうしたらその目標を実現できるのか、ただそれだけを必死に考えました。

思いついたのは、企業や個人からスポンサーを募って協賛金を集めるという方法。ただ、無名の大学生のままでは信頼に欠けると思い、ブログを毎日更新し続け、出発の3カ月前に学生ブログの人気ランキングで1位になりました。その実績と企画書をもって企業に飛び込み営業をして、なんとかヨーロッパを一周する資金や物資が集まったのです。

ヨーロッパの自転車旅はドイツのフランクフルトから出発。そこから毎日100キロ前後を走り、観光しながらその日の出来事や思いをブログに綴る生活を続けました。

道路標識もまともに読めない異国の地。旅の初日は、この道を進んだらどこに行き着くのかわからない不安とワクワクが入り混じった感情に包まれ、なんとか目的地に到着した時は本当に感激して。ずっと夢見ていたヨーロッパの街並みや広大な自然を横目に自転車で駆け抜けている時、今まさに夢が叶っているんだと感動が込み上げてきました。ブログの更新を毎日楽しみにしてくれている人がたくさんいたのも嬉しくて、無事に旅をやり遂げることができました。

自発的に生きられているのか


帰国してからは、しばらくやりたいことも見つからず、悶々とする毎日を過ごしていました。僕にとっては、ヨーロッパを自転車で旅するという大きな夢に向かって無我夢中で突き進んでいた時間が本当に楽しかったんです。それが終わってしまって、これから何をしたら良いのかわからなくなりました。

大学を卒業したら、文章を書くことと旅をすること、両方を仕事にしたいと思っていました。就職活動を経て、無事に旅行会社への入社が決まりました。海外添乗員として世界中を飛び回りながら、旅行情報誌の編集者として文章を書く仕事に就くことができたのです。

入社してしばらくは、ミスをしては上司に怒られ、必死に業務をこなす日々。自分らしさもうまく出せず、徐々に萎縮していきました。土日も仕事のことで頭がいっぱいでしたね。

3年ほど経って、ようやく仕事にも慣れてきた頃、自分の人生について考える心の余裕が出てきました。その時ふと学生時代の自分を思い出して。それまで、自分のやりたいことを妥協することなく成し遂げてきた自負がありました。しかし会社の中では違ったんです。文章を書いたり海外に行ったり、自分の好きなことに携わってはいましたが、あくまで決められた範囲の中でしか動けません。

本当はもっとやりたいことがあるのに、全然行動ができていない。「僕は今、自発的に生きられているだろうか」と自問自答し始めました。こんな自分はかっこわるいと感じて、もどかしくなったんです。

そんな時、大学の友人と久しぶりに会う機会がありました。彼は、新卒で勤めた外資系銀行を退職して起業をしていて。近況を聞いてみると、「月5万稼ぐのがこんなに大変だと思わなかった」と言うんです。給料の良い安定した会社にいたのに、独立してそんなに苦労しているんだ、と驚きました。

それと比べて僕はどうだろう。自分の努力にかかわらず、毎月決まった金額が口座に振り込まれる、ある意味安定した生活を送れている。けれど、自分の力でどれだけ会社に貢献できているのか、いくら分の利益を生み出せているのか、まるで実感が湧かないまま、日々を過ごしていたんです。

僕の目には、苦労しながらも自分の力でお金を稼いでいる彼はすごく生き生きしているように見えました。なんだかかっこいいなとも思って、会社に頼らず個人の力で生きてみたいと考え始めました。

いざ、フリーランスに


フリーランスという働き方に興味を持ったものの、今の自分に会社を辞めて一人で食べていけるようなスキルも能力もない。漠然と憧れを抱きながら、多様な人生や働き方に迫ったインタビュー記事を読み漁っていました。世の中には好きなことを仕事にして、楽しそうに生きている人がたくさんいるんだと知り、ワクワクしましたね。

自分の力で夢を叶えている人はなぜその選択をして、どんなことを考えて生きているんだろう。不安や葛藤はなかったのだろうか。自発的に生きている人の話を聞いてみたら、背中を押してくれるヒントや刺激がもらえるかもしれない。そんな思いもあって、起業家やフリーランスとして活躍している方々に連絡をとり、話を聞かせていただくことにしました。

「なぜ安定を捨てて、その道を選んだのか?」「仕事は楽しいか?」率直に、僕の疑問をぶつけました。皆、苦労はあっても、自分の信念や意思に従って行動した結果、後悔のない、充実した人生を手に入れていました。色々な職業の方から、とても素晴らしい話を聞けましたね。そのうちに、こんな良い話を自分の心の中だけにとどめておくのはもったいない、と思うように。ブログやSNSでシェアすることにしました。

100人以上の方と会って、聞いた話をSNSで綴るうちに、「いつも面白い人に会っているね」「生き方のヒントになった」と次第に評判になっていったんです。やがて、投稿を見てくれていたベンチャー企業の経営者の方から、「うちのメディアでインタビュー記事を書いてくれないか」とお声がけをいただいて。そこで提示された原稿料を見て、「遊びでやっていたインタビュー活動が仕事になるんだ」と驚きました。

自分が心の底から面白いと感じたことを書いて、それがお金に変わるのか。もしかしたら会社を辞めても生きていけるかもしれない。いつか実現したいと思っていたフリーランスという生き方が、一気に現実に近づいた気がしました。

2016年の末に、新卒から6年弱勤めた旅行会社を退社。フリーランスになりました。辞めた時は、「今日から好きなことができるんだ!」となんともいえない晴れやかな気持ちになりました。

自分にしか書けない文章を


しかし、フリーランスになったはいいものの、初めはほとんど仕事がありませんでした。ようやく手に入れた自由と引き換えの、不安定な生活。わずかな貯金。想像よりはるかに厳しい現実を前に、不安に押しつぶされそうになっていました。とはいえ、闇雲に営業をかけても、世にいる無数のライターと差別化できないと思って。どうしたら自分らしさを生かしながらライターとして活躍できるか、頭をひねりました。

今までの経験から、「なんかこいつ面白いことやっているな」と思ってもらえたら、いつか仕事に結びつくんじゃないか、と考えました。そこで思いついたのが、「『東海道五十三次』を徒歩で旅する」という企画。学生時代に読んでいた歴史小説の影響で、先人たちのように東京から京都まで歩いてみたいという密かな夢があったのです。

ここでも、東京を出発してからの過酷な旅の模様や、行く先々での奇跡的な出会い、人の親切などをブログに記していました。それが大きな反響を呼んで、投稿を見てわざわざ東海道沿いで僕を待ち構えてくれる人まで現れたんです(笑)。一期一会の出会いの数々に、感動しましたね。そのブログが、あるメディアの編集部の目に留まり、連載の仕事が決まりました。その後も、次々とライターとしての仕事が舞い込んできたのです。翌年には、大手企業のビジネスメディアで副編集長としての仕事もいただけるまでになりました。

仕事は充実していました。ただ、自分が時間をかけて書いた記事が瞬間的に注目を集めても、2〜3日後にはほとんど読まれなくなってしまう現実に虚しさを感じるようになりました。コンテンツが消費されるスピードの速さに違和感を覚えたんです。自分が書きたかった文章はなんだったんだろう。そんなもやもやを抱え始めた頃、まさかの難病にかかっていることが発覚し、治療のため半年間仕事を休まざるをえなくなりました。

目の前の仕事に夢中になっていた日々から一転、突如として生まれた人生の休息時間。それまでの人生を振り返り、これからどうやって生きていくかあらためて考えました。たしかにライターの仕事は順調でした。「書く」ことで食べていくという夢は叶っていた。でも、これでいいのだろうか。僕じゃなくてもいい、他のライターでも書ける文章を生み出していただけなんじゃないか、と。

それからは、流行りや「すぐ役に立つかどうか」に流されず、ずっと価値が残る文章を書きたいと思うようになりました。その方が、自分の仕事に誇りを持って生きられると感じたんです。

そんな思いで書いた、かつて出会ったある外国人観光客との交流エピソードが、テレビ番組に取り上げられました。すると視聴者から、たくさんの嬉しいメッセージが届いたんです。自分の「書きたい」という欲求に従って書いていれば、ちゃんと誰かの心に届く。そして、自分の文章には価値があると認めてもらえた気がしました。これからも自分の心が動かされたものを素直に書いていけばいいんだ、と大きな自信になりましたね。

善く生きる人を増やしたい


現在は、フリーランスのライターとして企業のインタビュー記事やエッセイなどを書きながら、駆け出しのライターの方向けにコンサルティングの活動を行っています。

コンサルティングの仕事は、ライターの方からの相談に1対1でアドバイスしたり、原稿への添削指導をしたりしています。僕一人に書けるインタビュー記事の数には限界があります。だったら、良い文章を書けるライターを一人でも多く増やせた方が、世の中のためになると思っているんです。

生徒の皆さんには繰り返し、「代替不可能な、あなたにしか書けない文章を書いてください」と伝えていて。僕自身ここまで悩みながらやってきたからこそ、自分らしい文章や働き方を見つける大変さは分かっているつもりです。それでも、これまでの経験やスキルを還元することで、ライターという職業に誇りややりがいを持つ人が増えてほしいですね。

僕は人生をかけて、「善く生きる人を増やしたい」と思っています。コンサルティングの仕事もそうですし、ライターとしても、自分の体験とそこから得た気づきを発信して、人に良いインスピレーションを与えたいんです。そしてこの世界の美しさや、人間社会のリアルと本質を描き、多くの人に届けたい。旅は好きですが、あくまで手段の一つだと考えています。ありふれた日常の中にも発見が満ちています。僕の文章を読んでくれた人が何かを感じて、気づきを得たり、新しいことに挑戦するきっかけになったりしたら嬉しいです。

近い将来、本を出版するのが夢なんです。これまで僕は、先人たちのさまざまな紀行文やエッセイを読んで大きな刺激や影響を受けてきました。だから今度は、自分自身が旅を通して見た風景やそこでの出会いなどを文章にしていきたい。旅に限らず、生きるなかでの発見や気づきを上質な文章に乗せて、より多くの人に届けたいと思っています。

目指すのは、100年先、1000年先も色褪せない文章です。長く読み継がれるようなエッセイや物語を紡いでいきたいですね。

2021.09.02

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | 安心院 彩
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