ライブハウスは「一生の思い出ができる場所」。 コロナを経て見出した、新しい可能性の形。

下北沢を中心に、都内でライブハウスを7店舗運営するTOOS CORPORATIONで店舗統括マネージャーを務める星野さん。コロナ禍で、ライブハウスは大きな打撃を受けました。その中で今、星野さんが思うライブハウスの魅力、可能性とは。お話を伺いました。

星野 秀彰

ほしの ひであき|TOOS CORPORATION 統括マネージャー
東京都品川区出身。19歳で渋谷のクラブにてアルバイトを始め、音楽業界へ。下北沢BASEMENTBAR、下北沢THREEでアーティストのブッキングなどを行い店長を務め、2015年、都内7店舗を運営するTOOS CORPORATION統括マネージャーに。2020年にローンチした音楽配信プラットフォーム「Qumomee」の開発・システム提供・運営責任者も務める。

お祭り男、音楽の道へ


東京都品川区に生まれました。元宿場町だった地域です。地元の人たちのつながりが強く、毎年町内会の祭りが開かれていました。

祭りの日には神輿が出て、太鼓や囃子とともに町内を練り歩き、みんなで一つになって盛り上がるんです。僕も小学校低学年頃から、友達と一緒に参加するようになりました。目立つのが好きだったので、一人しか叩けない太鼓に立候補。太鼓を叩きながらみんなと盛り上がって、お祭りの空気を共有するのが好きでしたね。

音楽にも興味が出てきて、中学生になると地元の友達とバンドを始めました。元バンドマンの父の影響で、アメリカやイギリスのサイケデリック全盛期の音楽をよく聞いていたこともあって自然な流れでした。友達の親にも、ギターや音楽機材のコレクターの人がいて、楽器が身近にあったことも大きかったですね。

最初は、友達の住むマンションの屋上に集まって、細々と練習していました。音響機材なんてないので、ギターを無理やり繋いで、ラジカセから音を出して。そのうちに、「バンドってスタジオで練習して、ライブハウスでライブをするらしい」と知りました。高校生になって、地元のスタジオを借り、近くのライブハウスへ行くようになったんです。

大学中退、ライブハウスへ


ライブハウスに通ううち、漠然と、自分は音楽で生活していくんだな、と思うようになりました。自分のバンドが売れるとか、音楽で食っていけると思っていた訳ではないですが、この業界に関わっていくだろうと感じたんです。

そんな高校3年生の時、先輩の大学生が集まるイベントサークルに誘われました。そのサークルが開いていた、売れ始めのインディーズのバンドが集まる大きなイベントに行ってみることに。そこでは、でかい会場に満員のお客さんが入っていて、バンドメンバーがステージから客席へダイブしていました。そんな光景をみて、祭りみたいだ!と感じたんです。舞台に立つのもいいけれど、こんな場をつくる側の人間になりたいと思うようになりました。

通っていたのは大学の付属の中高一貫校だったので、推薦で大学に進学。それと同時にそのイベントサークルに入り、渋谷のクラブでもバイトするようになりました。ライブハウスを借りてイベントをする側になると、バンドよりも裏方の仕事の方が楽しくなりましたね。現場の楽しさに取り憑かれてしまい、生活は完全に昼夜逆転しました。

大学は、事件もののドラマや映画がかっこいいと感じて、法学部に進んでいました。弁護士や刑事に憧れがあったんですよね。かっこよさに加えて、毎回違った案件に携われるところが面白そうだなと思っていました。

ただ、そんな興味も、音楽の面白さ、楽しさには及ばなくて。2年生になった時、ライブハウスのアルバイトをメインにして、大学を中退することに決めました。

不安はなかったですね。音楽を生業にしようという思いはずっとありましたし、それさえちゃんと持っていれば大丈夫だと思っていました。楽観主義というか、なんとかなるでしょ、と。

そもそも、与えられたものに仕事として取り組む、という感覚がなかったんです。自分で好きなことをやって、いかに楽しい現場を作るか、面白いことをやるか。その結果が自分に返ってくる。そんな風に、好きなことをやっていきたいと思っていました。

一生の思い出ができる場所


しばらくアルバイトとして働いていましたが、イベントの企画やアーティストのブッキングを一人でもできるようになると、もっとしっかり仕事としてやりたいと思うように。そこでライブハウスを運営していたTOOS CORPORATIONに交渉し、22歳の時、社員になりました。

しばらく働いて26歳になったころ、下北沢に新しくライブハウスを出店することになり、立ち上げの店長を任されました。店舗全体を運営するようになると、一体感を出してみんなが心地よく働けるよう、気を配るようになりましたね。

仕事では、特に企画を練るのが面白かったです。まだ世の中に知られていないバンドのイベントに、どうやってお客さんを呼び込むか。音楽情報にアンテナを張っているお客さんたちが、「この組み合わせ面白いなあ」と思ってくれるように、バンドの組み合わせ、ラインナップを工夫しましたね。チャレンジしたラインナップでお客さんが呼び込めたときは、達成感がありました。

バンドの成長を見られるところにも感動がありましたね。最初は2、3人しか観客がいなかったバンドが、数年後に数百人、さらに数千人を呼び込むようになっていく。そんな成長を間近で見て、段階を一緒に踏んでいけることに喜びを感じました。

それから、ライブハウスは出会いの場でもありました。お客さんとバンドの出会いはもちろん、お客さん同士も、バンド同士でも出会いがあるんです。うちの店で仲良くなった人が結婚して、うちの店で結婚パーティーを開くこともありました。

そのバンドやお客さんにとって、一生の思い出になる瞬間が生まれることが、確かにあるんです。

そんなシーンでは、みんなが笑顔なんですよね。ライブを見ている人も、フロアで踊っている人も、みんな笑顔。賑やかで活気があるその様子は、子どもの頃から好きだった祭りに通じるものもありました。それを裏方として作り上げる喜びは、この仕事でしか体験できないと思いました。

どんなライブやイベントも、僕らにとってはたくさんあるうちの1日かもしれないけれど、ここに来る一人ひとりにとっては一期一会。そのことを大事に、店舗を運営していきました。

コロナ禍、新規事業が誕生


やがて店長から、複数店舗を統括するマネージャーになりました。最初は4店舗ほどを見ていたのですが、2019年にさらに3店舗増えることに。抱える社員やスタッフがいきなり倍近くに増え、キャパオーバーになりました。

それまでは、全部自分でやろうという気持ちが強かったですし、それで大丈夫だと思っていたんですよね。でも流石に、この量は無理だとわかりました。そこで、各店舗の店長やスタッフ達に、素直に「できない」「助けてほしい」を言うようにしたんです。仕事を任せられるようになって、なんとか全体を回せるようになりました。

そんな状態で迎えた2020年、新型コロナウイルス感染症が流行し始めました。出演者のキャンセルが相次ぎ、イベント自体も中止せざるを得ない自体に。しかも、クラブハウスで最初のクラスターが出てしまって、マスメディアから一斉に批判を受けたんです。こんなに「ライブハウス」という単語がメディアに取り上げられたことはなかったんじゃないかと思います。

毎日毎日テレビを見るたびに、やばいんじゃないかと思いました。どうしようかと、店長やスタッフたちとミーティングを重ねました。誰もが、これはまずいなと思っていたと思います。でも幸いなことに、みんなで「乗り越えようぜ」という空気がありました。

私自身、みんな一体となって楽しさを共有することが好きだったので、これまでみんなと騒いだり熱い話をしたりする、多くの機会を作ってきました。社員旅行をしたこともありましたし、プライベートで遊びに行ったことも。もちろんぶつかることもありましたが、その度にちゃんと話をして乗り越えてきたんです。僕らが良い雰囲気でいることが、お客さんやアーティストさんに「また行きたい」と思ってもらえる空間を作る上で大事だと思っていました。

泥臭いし今っぽくないやり方かもしれませんが、そんな風にチームを作り続けてきたことが、このピンチに生きたんです。

加えて、店舗数が多いこともよかったですね。考える人数が多いと、いろいろな方向から現状を打破するための知恵が出てきました。出た案の中から、まずECサイトでグッズの販売を始めることにしました。次に、オンラインで多くの人に音楽を届けようと、ライブ配信を開始。機材も何もわからないところから準備を始め、配信サービスをしている会社に手数料を払う形でライブ配信を始めました。

やってみて、オンラインの可能性を感じましたね。これまではライブハウスに入れる人数に制限がありましたが、オンラインならそれがない。遠方にいるお客さんにも音楽を届けられると。

しかし、問題は配信サービスへの手数料が高いことでした。機材を揃えるだけでも大変なのに、手数料を持っていかれると運営が難しかったんです。するとある日、ECサイトを製作していたスタッフが、「これを掘り下げていったら、サイトに動画も埋め込めますね」と言い始めたんです。「配信サイト、作れるかもしれないです」と。

半信半疑でした。でも、パソコン関係に強い3、4人のスタッフが自主的に集まって、毎日徹夜する勢いで作業をして。10日ほどたったとき、配信サイトが出来上がっていたんです。

びっくりしました。まさかこんなに短い時間で実現できるなんて思いませんでしたから。アーティストもお客さんもびっくりしていましたね。でも、オンラインに可能性を感じていたこともあって、配信サービス事業へ大きく舵を切ることができました。

コロナ後の新しいライブハウスを


今は、TOOS CORPORATIONの店舗統括マネージャーとして、都内で運営する7店舗のライブハウスを統括しています。加えて、スタッフたちが作り上げた 電子チケット制ライブストリーミングサービス、「Qumomee(クモミー)」も運営しています。

これまでクモミーでは、1500組以上のアーティストがライブ配信をしてくれました。2021年には、ライブ配信に特化したITツールとして認定され、経済産業省のIT導入補助金の対象になったんです。

ライブハウスは最初、クラスターが発生した場所というネガティブなイメージばかりが先行し、大きな被害を受けました。でも、それでも走り続けて新しいことに挑戦したら、国がお金を出してくれるようになった。僕らにとってはカウンターですね。どんな状況でも、常に新しいものを作っていく気持ちを持ち続けていたいと思います。

ただ、僕らがやりたいのはあくまでライブハウス。何百年に一度かもしれない世界的にしんどい状況が1年以上続いていますが、うちの会社はアルバイトを含め、スタッフはほとんどやめていないんです。来てくれるお客さん、出てもらっているアーティストを守ろうとして、店長もスタッフも、今まで全くやっていないことに意地で取り組んできました。

その根底にあるのは、また店を開けて、お客さんをいっぱいにしてライブをやったり、面白いイベントをプロデュースしたいという思いです。ライブハウスは、一生の思い出ができる場所。ここにしかない体験ができる場所。それができる状況を1日でも早く取り戻せるよう尽力していきたいです。

ただ、これまでのままでいいとは思っていません。コロナを経験したからこそ生まれたものを生かして、新しいチャレンジをしていきたいですね。例えば今は、オンライン事業部の立ち上げに取り掛かっています。映像作品の制作やメディア事業にも取り組む予定です。アーティストを近くでみてきたライブハウスだからできることを形にしていきたいですね。

加えて、会社を従業員にとって働きやすい場所にしたいです。ライブハウスは夜の仕事になるため、結婚を機にやめてしまう仲間がたくさんいました。良い仕事をする仲間を引き止められなかったんですよね。僕自身は、自分の想いを理解してもらって続けることができています。好きなことを仕事にできるのは幸せだと、僕自身が想うからこそ、それが実現できる環境を整えるチャンスにしたいと思っています。

ライブハウスは、一部の人しか行かない場所、暗くて怖い場所だというイメージを持っている方もいらっしゃいます。野外のライブにしか行ったことのない人にも、ぜひライブハウスを体験してみて欲しいんです。映画をみたり、カラオケに行ったりするのと同じように、気軽に行こうと思ってもらえる、そんな場所にするために、ライブハウスのイメージを変えていきたいですね。

これからも、ライブハウスがよりポジティブなものになるよう、新しいことに取り組んでいきたいです。

2021.04.19

インタビュー・ライティング | 粟村 千愛
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