アトピーをみんなで治す時代をつくる。 アレルギー持ちの自分だからこそ作れる価値。

アトピーの症状を写真で確認でき、患者同士で悩みを共有できるアプリ、アトピヨを開発・運営するAkoさん。公認会計士となりながらも、ずっと新しいサービスの立ち上げに関心があったというAkoさんが、「自分でやりたい」と思える事業に出会ったきっかけとは?お話を伺いました。

Ryotaro Ako

リョウタロウ アコウ|アトピヨ合同会社 代表 / 公認会計士
1979年生まれ。機械工学や管理工学を学んだのち、2006年に公認会計士の試験に合格し監査法人で働く。2015年からベンチャー企業で働きながらアトピー患者向けのライフログ、症状管理ツールとしてアプリ「アトピヨ」を開発。2018年のリリースから1万6千ダウンロードを記録し、日本最大級のアトピー患者向けアプリ・コミュニティとなった。2021年3月から独立し、アトピヨ合同会社代表を務める。

熱中する何かが見つからない


神奈川県横須賀市で生まれ、横浜市で育ちました。幼少期はアトピーがひどく、喘息にも苦しみました。発作が出ると夜も寝られず、辛かったです。10歳くらいになるとアレルギー性鼻炎も発症し、頻繁に耳鼻科に通っていました。

性格は大人しく、運動は苦手。目立つタイプではなく、ゲームをしている時間が好きでした。両親は公務員で、家でゲームはさせない方針だったので、友達の家に行ってゲームをするのが楽しみでしたね。特に戦国武将になって領土を広げていくゲームが好きで、領土で商売をしたり人員を揃えたりと、目的に向けて様々な策を練るのが面白かったです。

一方で、習い事をたくさんしていたためか、勉強は得意でした。中学校に入ると、テストで良い点を取ることを楽しんでいましたね。勉強している内容というより、ゲームのようにクリアしていく感覚がよかったのかもしれません。

その甲斐あってか、高校は県立の進学校に入りました。しかし入ってみると、周りには自分より頭の良い人が山ほどいたんです。勉強は頑張っても中の上くらい。テニス部にも入りましたが、もともと運動が苦手なので日の目を見ることはありませんでした。

華やかにバンドをやっているわけでも、スポーツに熱中するわけでも、彼女がいるわけでもない。何かに熱中したい気持ちがありましたが、その「何か」が見つからない。ずっと物足りなさがありました。

新しい価値を作りたい


大学は、車が好きだったことから機械科を志望しました。ちょうど小・中学生の時にF1の全盛期で、F1やスーパーカーのプラモデルを作るなど憧れがあったんですよね。受かった大学の中から、これまでの学校生活より楽しい大学生活にしたいと、華やかなイメージがあった都内の私立大学を選びました。

大学に入ると、一気に自由度が上がった感じがしましたね。1年生の時に彼女ができて、好きな人と好きな時に好きな場所に行けることが、ものすごく楽しくて。人生って楽しいんだと初めて思えました。人によっては中学生・高校生の時に感じられていることなのかもしれないですけど、僕は大学生になってようやくわかったんです。

一方で、機械科の勉強には熱が入りませんでした。油まみれになりながらエンジンの分解の実習をしていると、「俺のやりたいことって、これだったのかな」と思う瞬間があって。違和感が大きくなり、機械をつくるよりも機械を管理したりコントロールしたりする、管理工学を学ぶようになりました。

そのまま別の私立大学の大学院を受験し、流通を最適化するサプライチェーンマネジメントを学びました。学校が変わると周りの人の雰囲気も変わって、スケールの大きい人を多く感じましたね。

その中で、特に尊敬できる友人に出会いました。実家が税理士事務所で、話を聞いてみると面白くて。彼の話から間接的に、自分で事業をやっていくことの面白さが伝わってきました。だんだんと、僕も自分でベンチャーを立ち上げて、何か新しいものを作りたいと思うようになりましたね。

ただ、何か作りたいとは思っても、実際にやると考えると自分が絶対にやりたいことがなくて。どうしようかと考えて、まず公認会計士を目指すことにしました。所属していた研究室から会計士になる人が多かったこともありますし、会計士なら監査をする中で経営者とも話せるから、若手のうちから経営に近いところに携われると思ったんです。

勉強を始めてみると、めちゃめちゃ大変でしたね。専門学校に通ったのですが、まず入学金が高いですし、難しい資格なのでなかなか合格できなくて。2回目の挑戦で成績上位に入れたものの、アレルギー性鼻炎が悪化して、本番で1点足りず落ちてしまって。3回目の受験でようやく、資格を手にすることができました。

アレルギーから逃げられない


資格取得後は、監査法人に就職。新人のうちから、経営者とも話すことができ、金庫の中も見ることができました。企業の中枢に監査という立場で入れることはエキサイティングな経験でした。

一方で、監査法人は公認会計士を含め6千人ほどが所属し、大企業のような縦社会でした。加えて、監査というのは数字を後からチェックする立場なんですよね。実際に事業会社に入れば、数字をつくる側に回れる。そっちの方が面白いのではないかと思うようになりました。自分で事業をやりたいという気持ちは持ち続けていたので、8年ほど働いたあと、公認会計士の資格を生かして働けるベンチャー企業に転職しました。

新しい会社にも慣れて、結婚して子どもも生まれました。そんなある日、熱海へ家族旅行に出かけたんです。宿泊先は、昭和の雰囲気の漂う旅館。掃除はされているのですが、絨毯やソファー、畳などに、長年降り積もってぬぐいきれないホコリやダニを感じました。

僕のアレルギーは子どもの頃から変わっていなくて、治療のために通院もしていました。ハウスダストのアレルギーもあるので、部屋に入った瞬間にわかるんですよね。「これは体調悪くなるな」と。とはいえ、予約しているので泊まらないわけにも行きません。

普段行くことのない旅館に子どもははしゃいで、ソファの上でジャンプしたり、床を転がりまわったり。それでもなんとか夕食をとって部屋に戻ったのですが、夜になるにつれどんどん、上半身が赤く腫れてきてしまったんです。顔はパンパンになり、動悸が激しくなってきて。徐々に呼吸も苦しくなり、これ以上いくとやばいと思いました。

自分で運転するのも危ないので、救急車を呼ぶことに。夜のうちに病院に運ばれて、「アレルギー反応ですね」と診断され、注射を打ってもらいました。2時間くらいたつと症状が治ったので旅館に戻り、運転して家族と家に帰れました。

特に大事には至らなかった。ただ、僕は結構ショックを受けたんです。アレルギー疾患を持ってはいても、救急車で運ばれたのは初めてだったんですよ。アレルギーの治療は続けていて、数値が徐々によくなっている感覚はありました。でもそれでも、結局救急車で運ばれてしまう。自分の人生、アレルギーから逃れられないんだなと思ったんです。そこで始めて、アレルギー疾患に向き合わなければと感じました。

調べてみると、国民の2人に1人がなんらかのアレルギーを持っていることがわかりました。花粉症まで含めると、アレルギーは現代病みたいなものなんです。これに対して、医療関係者で無くても、アトピーと喘息と鼻炎の3つのアレルギー疾患の経験をもつ自分だからこそ、できることがあるんじゃないか。明確な課題意識が芽生え、アレルギー疾患に対して何かできないかと考えるようになったんです。

アトピー版インスタという閃き


その後、3人目の子供を授かり、育児休暇を取りました。その間を活用して、患者会に行ったりヒアリングしたりして、アレルギーについても調べていきました。すると、アレルギー疾患の中でも特に深刻度が高いのがアトピーだというのがわかってきました。

まずアトピーは、24時間症状がでます。喘息は発作の時は辛いですが、安定している時間もあります。鼻炎も落ち着く時期がある。でもアトピーは特に症状が長く続くので、生活の質への影響が大きいんです。加えて、見た目に直結するので精神的負担が大きい。ある大学の先生が行った調査では、アトピーが辛くて死にたいと答えた人が13%もいたそうです。アトピー患者本人にとっては、生きるか死ぬかに直結するほど重い問題なのだと知りました。

さらに、早期に肌荒れやアトピーを治療すると、食物アレルギーの発生確率が下がるという研究があります。これを元に考えると、アトピーをなんとかすることで、他のアレルギー疾患も軽減できるかもしれないと仮説を持ちました。これらの理由から、まずアトピーに特化して何か役立つものを作ろうと決めたんです。

ヒアリングする中で、ツイッターで知り合った人たちと話す機会がありました。その中に、アトピー患者であり、患部の写真をブログに公開している、人気インフルエンサーと出会ったんです。その人のブログを見て、アトピー患者は症状の詳細や治癒の過程を、テキストではなく画像で見たいんだと気づいたんですよね。

ただ、アトピーはデリケートな部分も多いので、フォトジェニックなSNSではなくて、匿名で情報交換ができる方が望ましい。もし匿名で情報交換できる、アトピー患者専用のインスタグラムみたいなものがあれば、めちゃめちゃニーズがあるだろうなと思ったんです。その場にいた人たちもそれはいいと盛り上がり、アトピー版インスタグラムを作ろうと決めました。

ずっと何かやりたかったけれど、その何かがわかりませんでした。でもそこでようやく、やりたいことが見つかった気がしたんです。

一からアプリ制作を


アイデアが具体的になってきて、アトピー版インスタをどうやって作ろうか考えました。まず人を探しましたが、プログラマーが見つからなかったんです。

一方で、育児休暇の期間は限られていました。この期間中に、なんとかプロダクトを作ってリリースまでいきたい。悩んだ結果、プログラミングを学んで自分で作ることにしたんです。そっちの方が早いんじゃないかって思ったんですよね。

もちろん、アプリ開発なんてしたことはありません。スクールに申し込み、学んでいきました。何もわからないところから始まり、少しわかったような気がしても、またわからないことがブワッと出てくる。その繰り返しはしんどかったですが、育児休暇中で勉強に専念できたことと、明確に作りたいものがあったことで進むことができました。

学んでいった結果、2018年7月に、日本初のアトピー見える化アプリ、「アトピヨ」をリリースしたんです。

アトピーをみんなで治す時代に


今は、働いていたベンチャー企業を退職し、アトピヨに専念しています。アトピヨでは、ユーザーがアトピーの症状の写真を投稿し、時系列で管理することができます。それによって似た症状の人の治療の過程を知ることができますし、自分が皮膚科に行く際も、経過を写真で見てもらうことができます。

アトピヨは、幸いなことに様々な賞や評価をいただくことができ、2年半ちょっとで1万6千ダウンロードある日本最大級のアトピー患者向けアプリ・コミュニティに成長しました。ただ、アトピー患者は日本に600万人いると言われています。今後は利用者の方をもっと増やし、多くの方に使っていただきたいですね。日本だけではなく、例えばアメリカには2700万人ほどのアトピー患者がいるそうなので、いずれは海外へも展開していきたいです。

加えて、医療や製薬との連携も重要です。例えば患者さんの症状の写真は、皮膚科医の方の診療にも役立つという評価をいただいているところです。医療分野で診療の精度が上がったり、製薬分野で新薬の開発に役立ったりと、連携によってアトピー患者さんの悩みを解消できればと考えています。

最終的には、アトピーを「みんなで治せる病気」にしたいと思っています。アトピーは現状、一人だけで闘病している人が非常に多い病気です。家族や友達がいても、アトピー経験を持っている人でないと、辛さや苦労を本質的にわかることは難しい。だから結果的に一人で戦っていることがほとんどなんです。

でも、アトピヨを使うことで、近くにはいなくても、同じアトピーを経験した人同士で励まし合うことができる。自分の症状を医療や製薬に還元することで、苦しむ人を減らしていける。そんな循環を通して、アトピーをみんなで治せるように変えていきたいです。

ずっとやってみたかった自分の事業なので、不安はありますが不満はありません。アレルギーやアトピーは自分にとってマイナスの経験だったけれど、それが回りまわって人の役に立ったと思うと、辛い経験も無駄ではなかったんだなと感じます。まだまだ足りない部分もありますが、これからも成長していきたいです。

2021.04.01

インタビュー | 粟村 千愛
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