社会をアップデートする瞬間をつくりたい。 やりたいことに真っ直ぐ、切り拓いた自分の道。

わずか21歳で企業の最高技術責任者(CTO)となり、現在は株式会社ポストアーバンの代表を務める難波さん。大学に行かない選択をし、社会に出て技術を身につけてきた難波さんが大事にしている自分の軸とは?お話を伺いました。

難波 啓司

なんば けいじ|株式会社ポストアーバン代表取締役CEO
岡山県岡山市生まれ。高校卒業後、株式会社Candle(クルーズ株式会社にバイアウト)でエンジニアとしてウェブ、アプリ、レコメンドエンジン、インフラなど多岐にわたる開発チームを牽引。ブレインマシンインターフェースの基礎技術開発などを行ったのち、2017年から株式会社FIREBUGにジョイン、21歳でCTO(最高技術責任者)となる。2018年10月、POST URBAN.incを創業。

社会をアップデートする瞬間を作りたい


岡山県岡山市で生まれました。父と母、兄の4人家族です。家族の影響で、物心がついた頃からサッカーをしていました。小学生になる頃には、サッカーがあったら何もいらないと感じるくらい、のめり込んでいましたね。フィールド全体を見るのが得意な方だったからか、キャプテンもつとめ、サッカー漬けの毎日でした。

勉強は好きじゃなかったですが、理系科目は一定できました。父母ともに病院勤務で、よく「医者っていいぞ」と言われていたこともあり、将来は医者になるのがいいのかな、と思うように。医学部を目指して進学校の中高一貫校を受験し、合格しました。

ところが、中学校に入ると、大学受験を目指した勉強に違和感を覚えました。つまらなかったですし、本質的でないように感じて。学校の勉強よりも、興味のある分野の本を読むことが多くなりましたね。特に宇宙の成り立ちに関心があって、天文学や物理学を勉強しました。

物事を俯瞰してマクロな視点で見ると、一見カオスに見えるこの世界にも、実は一定の法則、真理がある。それを知ることに喜びがありました。加えて、そんな真理が見つかると、社会が大きくアップデートされるんです。その瞬間に興味をもち、自分もそんな瞬間に貢献できるような何かがしたい、と思うようになりました。

大学に行かないという選択


物事の法則性を見つけるために、物理学をやりたい。そのために東大を目指そうと思いました。しかし調べたり考えたりしているうちに、東大よりも世界の最先端の海外の大学が良いのではと思い始め、目標を変更。

しばらくは海外の大学を目指していましたが、高校に入ると、だんだん大学に行くこと自体に興味がなくなってきたんです。大学の研究室は、分野によってかなり細分化されており、一部の現象を研究し続けることになってしまう。自分のやりたいこととは違うと感じました。

周囲は、大学に行くことが当たり前の環境でした。でも、みんな「どの大学に行くか」は考えるんですけど、「なんで大学に行くか」は考えないんですよね。そのことに違和感を覚えましたし、どこに行くかよりも大事な「なんで」の部分から考えたいと思ったんです。同じ考えを持つクラスメイトもいたので、そんな話をするようになりました。

その頃、工学にも興味が出てきて、プログラミングを学び始めました。それで、大学に行くよりも、エンジニアとして独立してお金を稼ぎながら、好きな研究をすればいいんじゃないかと思ったんです。

僕が一番嫌だったのは、マンネリズムなんですよね。すでに自分が見知っている領域の中で、世界が広がっていかない状況が嫌でした。中学校、高校がすでにそうでしたし、このまま大学に行っても4年間、マンネリ化していくんだろうなと想像できました。だったら、リスクはあるにしても、知らない領域に自分の世界を広げた方が良いと思ったんです。

「大学に行かない」と言うと、親にも教師にも周りの人にも反対されました。でも、自分の中にはこっちの方が良いという確信があって。大学に行かずにいきなりエンジニアになることは、確かにリスクはあるんですけど、自分にとってはリスクがないことよりもマンネリ化しない環境の方が大事だったからです。論理立てて地道に説得を繰り返し、卒業後、東京の会社でエンジニアとしてインターンすることに決めました。

自分の手でつくれる喜び


インターンを始めると、思った以上にエンジニアが向いているとわかってきました。本格的にプログラミングを学んだのは上京してからでしたが、ほとんどの人が半年ほどかかるプログラミング言語を2カ月ほどで学び終え、その後インフラの構築を学んだあと、アプリも作れるようになったんです。

自分から学びたいプロダクトのチームに入れて欲しいとお願いし、受け入れてもらえたこともありがたかったですね。1年間で自分でもびっくりするほど多くのものを吸収することができました。

やりがいがありましたし、これまでアイデアでしかなかったものを、自分で作れるようになることに喜びもありました。高校生の時から、寝る前に風呂に入っている時なんかに、「こんなサービスがあったらいいな」と想像を巡らせていたんです。その時は作ることができなかったものが、プログラミングを学んだことで作れるようになる。成長実感がありましたし、とにかく楽しかったですね。

1年働いたのち、ちょうど会社がバイアウトするタイミングとも重なり、インターンをやめました。そのあとは、企業の開発案件などをお手伝いしながら、独学で研究しましたね。特に、脳波などを利用して脳と機械をつなぐ技術・ブレインマシンインターフェースや、機械学習などに興味を持って学びました。そんな中、クライアント企業から、最高技術責任者(CTO)を探しているとお声かけいただき、参画することに決めました。

CTOはエンジニアというより、ビジネスサイドの役割です。ただ、入ったのが新しいサービスを立ち上げるタイミングだったこともあり、まずは僕もプレイヤーとして開発から携わりました。

初めて経験するポジションでしたが、特に困ることはなかったですね。小学生のときサッカー部のキャプテンをやっていたこともあってか、チームビルディングは得意なほうでした。インターン時の経験も役立って、プロダクトを作りきり、運用に乗せることができました。

支えられてつくる重み


上京して以来、自分のやりたいことをやりたいという気持ちはずっとありました。そんな中、人との出会いや様々なタイミングが重なり、会社を共同創業することにしたんです。株式会社ポストアーバンを立ち上げました。

まずは、社名にもなるマップコミュニティSNS、「Post Urban」の製作に着手しました。名前の通り、都市をハックするようなサービスを作りたいと思ったんです。オンライン化やバーチャル化が進んでいく中で、次世代の都市はどんな意味を持つのか。これまでのように、単純に人口が多いから、商業が発展しているから、そこが都市だという考え方ではなくなるはずです。

次世代の都市は、情報が移動し、最適化していく場所になる。そんな思いからPost Urbanを作っていきました。

今のインターネットは情報過多で、価値のある情報から順番に取得することができません。ツイッターやインスタグラムなどのSNSでは、検索に頼らず、「いいね」などで誰かが価値があると思った情報をレコメンドして広げる仕組みをつくりました。でも、世界規模で見たとき、例えばニューヨークのブルックリンですごく流行っているものがあったとして、「いいね」を押すのは多分ブルックリンの人だけですよね。高い熱量の情報があっても、どうしてもローカルにとどまり、地球の裏側の僕らの所には届きづらい構造になってしまっています。ローカルコミュニティで120点の評価を受けた情報ではなく、グローバルで平均点を取れた情報しか届かないのです。

Post Urbanでは、そんな情報の流通を、位置情報という軸で是正しようと考えました。自分で好きな場所を登録してマップをつくり、グループ内で共有できる仕組みです。オープングループであれば、誰でも見ることが可能。観光ポイントや喫煙所、写真スポット、充電ができる場所、テイクアウトをやっている飲食店の情報などをシェアできます。位置情報に基づいて、ローカルなコミュニティでの熱量の高い情報を取得できるようにしました。

サービスを作るのは、当然僕一人の力では無理でした。ある分野についてはスペシャリストかもしれないけれど、それ以外の分野は素人な所もあるので、チームメンバーの力を借りながら形にしていきましたね。

企業からの受託の案件なども増え、様々なプロダクトを作っていく中で、人に支えられました。今までは、僕がやりたいことをただ僕がやっていただけ。でも、人が支えてくれるようになると、その責任や重みを感じるようになったんです。自分のやりたいこと=ポストアーバンではなくなってきていました。でも、僕はそれが嬉しいというか。会社として成長していると感じられたのです。

掛け算できる最高のチームを


現在も、ポストアーバンの代表を務めています。自社プロダクトとしてPost Urbanの開発を進める一方、他社と連携したプロダクトも生み出しています。

例えば、タレントの直筆入り写真を、限定5枚で売買するサービス。1つの写真につき先着5名なので、入手するのは狭き門です。プレミア感があることで、熱狂的なユーザーが生まれ、リリース後2カ月で1千万PVを達成しました。アクセスが集中するのでサーバーを維持するのが難しいのですが、アップデートを経て安定した状態で運用できるようになっています。他には、ママ向けのECサイトのリニューアルを、一からお手伝いしたこともあります。開発からブランディングまで、一気通貫でできるのが強みですね。

今、コアなメンバーは6人ほど。今後は、日本一のプロダクトクリエイターチームにしたいと思っています。メンバーひとりひとりの力を掛け算して、品質を最大化できるようなチームです。一人ひとりがスペシャリストでも、自分の分野のことだけしか知らないと、なかなか掛け算は生まれないと思うので、チームメンバーが様々な分野の基礎的スキルを持った上で連携できるよう、会社としてもやっていきたいと思っています。

これまで、インターネットが生まれたとき、スマートフォンができたときのように、世界中の人に影響を与えるプラットフォームが切り替わる瞬間がありました。今僕は、そんな瞬間をワクワクして待ち望んでいるんです。プラットフォームが切り替わると、それまでの市場がガラッと変わる。これまでの制約の中ではできなかったことができるようになる可能性があるし、新しい条件の中で何が最適か考えるのは、すごく楽しいんですよね。

今興味のある、ブレインマシンインターフェースなどは、まさに次のプラットフォームになりうる技術だと感じています。様々なプロダクトをつくりながら、自分自身、社会をアップデートするような、新しいプラットフォームを作るプレイヤーになっていきたいです。

2021.03.23

インタビュー | 粟村 千愛
ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?