笑顔の日常をつくるため、デザイナーとして。 持続可能な未来へ続く、新しい情熱の形。

【野村不動産株式会社提供】野村不動産パートナーズ株式会社で、オフィスデザインを手掛ける本田さん。建築家の写真集に衝撃を受け、店舗をデザインする仕事に就きますが、仕事と子育ての両立に悩んだと言います。苦悩の末、本田さんが選んだ道とは?お話を伺いました。

本田 広

ほんだ ひろし|野村不動産パートナーズ株式会社 建築事業本部
野村不動産パートナーズ株式会社で、インテリアのデザイン・設計を担当。メインの業務はサテライト型シェアオフィスH¹T(エイチワンティー)のオフィスデザイン。オフィスに加え、グループ会社の店舗デザインの提案、グループ以外のオフィスやビルリニューアルの提案にも携わる。

2021年3月9日(火)、チバテレ《シャキット!》で本田さんのライフストーリーが紹介されました!>>>動画はこちら

建築との出会い


東京都調布市で生まれ育ちました。一人っ子です。大人しくて、両親から言われたことには素直に従う子どもでした。受験して、高校まで一貫の幼稚園に入りました。

小学校を卒業する頃、身長が168センチで体格も良かったので、担任の先生から「ラグビーを始めたらどうだ」とアドバイスをいただきました。その頃、ラグビーはあまり人気がなかったので、レギュラーとして活躍できるのではないかと考え、中学生からラグビーを始めることにしました。

中高一貫の男子校で、ラグビー部は縦社会。それでも中学生からレギュラーとして試合に出場でき、フォワードキャプテンとしてみんなをまとめるようになりました。高校になっても続け、とにかく部活が中心の生活でしたね。学校の勉強は嫌いでしたが、手を動かしてものを作るのが好きだったので、美術の授業だけは楽しみでした。

卒業後の進路を決める頃、たまたま書店でルイス・バラガンという建築家の写真集を見つけました。

それまで、建築物と言えば、四角く箱型で硬いビルなどが思い浮かび、楽しいイメージが湧いてくることはありませんでした。しかし、バラガンの作品は、一見して建築物の写真とわからないぐらい色鮮やかなのです。水が流れる中に佇む住宅の写真は、一見すると建物があることもわからない、芸術作品みたいで。こんなすごいことができるんだ、と信じられませんでした。これまで抱いていた建築のイメージが覆されましたね。大きな衝撃を受け、こんなことができるならやってみたいと思いました。そこから、建築の道を志したんです。

最初は理工系大学の建築学科へ進学しようとしましたが、勉強が嫌いで成績もよくなかったので、ハードルが高くて。そんな中、美術の先生から「美術大学にも建築はあるぞ」と教えてもらい、大好きな美術の勉強を始めたのです。一年浪人しましたが、美術大学へ進学することができました。

トップを目指して


大学は課題が楽しくて、真面目に勉強に取り組むことができました。その甲斐あって、就職難の状況ながら、希望していた商業施設の企画、設計、施工・監理などを行う会社に就職できたんです。

建築物のデザインができると、期待に胸を膨らませて社会人の第一歩を踏み出しました。しかし入社してみると、思い描いていた生活とは違う日々が待っていました。土日は休みとされていましたが、土曜日は8割方、日曜日も半分は出社。たまに土日が休みになっても、緊張が緩み、体調を崩していました。デザインコンペがあれば、会社に3日間泊まり込み。毎日、大地震で仕事がなくなればいいのにと思うほど、会社へ行くのが嫌でした。

それでも、レストランなどのデザインをすると、お店にいらしたお客さんから「すごいね」「きれい」と声が上がるのです。自分がデザインした場所でそんな声を聞くと、やっぱり嬉しくて。今度はもっと良いお店を作ってやるぞと思いましたね。

「ハンバーガーの店舗を出したい」と依頼があれば、お店について知るため、自主的にハンバーガーを食べにいくこともありましたし、出店予定場所の情報を知ったときは、前もってその周辺を徹底的に調査していました。

凝り性のため、とことん突き詰めてやっていましたね。かなり忙しくて苦しかったですが、仕事にやりがいを持っていたので、やむを得ないと毎日を過ごしていました。業界トップを目指したい、デザイナーとして花開きたい。そう思いながら毎晩、各業界で活躍する人を取り上げるテレビ番組のテーマ曲を聴きながら、出演できることを夢見て遅くまで働いていました。

仕事を取るのか、子育てを取るのか


就職して3年目に、大学の同級生だった妻と結婚。妻も忙しい会社で働いていて、夫婦そろって深夜に帰宅することも当たり前でした。お互いに忙しかったですが、生活を楽しんでいました。

数年後、子どもが生まれました。妻は子育てに専念するため、育児休暇をとることに。自分も協力したいと努力していたのですが、想像以上に子育てが大変で。仕事と子育ての両方を100%の力でするのは難しくて、どっちもちゃんとやりたいのに、どちらもちゃんとできない。生活や精神のバランスが、少しずつ崩れていきました。

仕事を休んだ日曜日のある朝、現場から電話がかかってきて対応しました。そのあと朝ごはんを食べていたら、涙が出てきたんです。はじめ自分では気が付かず、なんで涙が出ているのかもわかりませんでした。どうしようと思っていた時、昔の友達と話をする機会がありました。

これまでは、有名なデザイナーの本などを見ながら勉強して、デザイナーとして花を咲かせたいと考えていました。しかし、憧れの建築家の名前を出して、こんな風になりたいと思っているんだよね、と話しても、業界の違う友達はみんなその名前を知りませんでした。

たとえ、業界の超一流になったとしても、業界を知らない人には伝わらない。こういうことなんだと気づかされました。デザイナーとして名前を残すよりも、いい父親だなと思われて死んだほうが良いんじゃないかという気持ちになり、転職を決意したのです。就職してから8年目のことでした。

デザインの仕事から脱落し、逃げ出すような気持ちで、なるべく安定した日常が過ごせる職場に移ろうと考えました。デザイナーのキャリアは捨てて、全く違う仕事をしようと。

転職活動をしていると、あるところから野村ビルマネジメント株式会社を紹介されました。ビルの管理会社です。面接で「どういう理由で転職なのか?」と問われて、「土日は休んで普通に働きたいんです」と答えました。自分でもびっくりしましたが、採用が決まりました。

日常をより良くするデザインの在り方


管理会社なので管理業務を任されるものと思っていたら、配属は建築事業本部。管理ではなく工事をする部署で、オフィスの設計やデザインを任されることになりました。一度は諦めかけていたデザインに、再び携わることができたんです。デザインがまたできるんだ、と純粋に嬉しく思いました。

オフィスデザインは初めてだったので、最初は手探りでした。しかし、転職先はデザイン事務所ではなく管理会社なので、正直デザインを目的にご依頼いただくお客さんはいないんです。せっかくいい提案ができる会社なのだから、もっと必要とされる存在になれればいいのにと感じるようになりました。

家では、よく本を読んでいました。転職をする少し前から、小説を読み始めていたんです。最初は頭の中をリフレッシュするために読んでいたのですが、数を読んでいくと、今まで考えもしなかったことや思いもしなかった価値観を教えてもらえることに気がつきました。読んだ本が200冊を超える頃には、多くの価値観を学ぶことができましたね。

即効性ばかりが求められがちですが、小さなことでも継続することで見えるものがあるんだと知りました。すぐに答えを出そうとするとうまくいかないことが多いけれど、持続して何かをしていると、後から意味に気がつくこともあるんだなって。読書を通して、価値観が大きく変わっていきました。

そんな中、新型コロナウイルス感染症が広がりました。世の中が変わっていく中で、自分のやっている仕事に対する考え方も変わりました。

それまでは、デザインを提案する上で管理会社であることが不利であると感じていたのですが、管理の仕事ってすごいなと感じるようになったんです。状況が変わる中で「いつも通り」であることって、大変じゃないですか。日常通りに過ごすためには、実は大変な苦労があることに気が付いたんです。管理の仕事は見えないけれど、いつも通りを必死でやっている仕事だったんだ、と。

それに気づいた時、デザインで付加価値を生み出せることにやりがいを感じました。いつも通りの中に僕らデザイン部隊がいることで、プラスアルファで心地良い日常をつくることができる。仕事に大きなやりがいを感じました。会社としても、管理会社ながらデザインをはじめとした提案の幅を増やす方向へシフトする流れがあり、自分のこれまでの経験を生かしながら日常をより良くするデザインの仕事に関われることに、感謝しながら働いています。

持続可能な情熱を灯して


現在は、野村ビルマネジメントから社名が変わり、野村不動産パートナーズ株式会社でデザインの仕事をしています。主に、野村不動産株式会社が展開するサテライト型シェアオフィスH¹T(エイチワンティー)の設計や空間デザインを手がけています。会議室の位置や机の配置などの平面プランニングと、床材や壁紙などの内装、椅子やテーブル、ソファといったインテリアの選定や提案を主な業務としています。

前職で行なっていた商業施設の店舗デザインでは、主に世の中の流行を取り入れることが大事でしたが、オフィスデザインはそれ以上に使いやすさや人に寄り添ったデザインが必要になります。会社さんごとに文化が違うので、価値観をしっかり読み取ることを心がけています。オープンなオフィスが良いということもあれば、作業に没頭できる区切られた空間が良いという会社さんもあります。

今手がけているH¹Tは、「ヒューマンファーストタイム」の略。ユーザーの利便性や働きやすさを一番大切にするという考え方が根底にあります。今は50店舗以上展開していますが、同じやり方をずっと続けるのではなく、毎週協議しながら、様々な可能性を探り続けています。例えば、コロナでウェブ会議が増えているので、オープンスペースよりも個室を増やしたり。面白いですし、日々進化しているなと実感しています。

自分の提案やデザイン、表現で、お客様や施設利用者の方の笑顔を作り出すことが、私にとっての仕事のやりがいです。そのためにも、まずはお客さまの要望をしっかりヒアリングし、要望にあった提案を一生懸命考えることを大事にしていますね。

今は昔ほど、仕事で絶対に何かを成し遂げなければという気持ちはなくなりました。何か一つの目標を決めて、何を犠牲にしてでも突き進む、そんな働き方を情熱と呼ぶのかもしれません。でも、そんなやり方では息切れしてしまうし、持続できないんですよね。今は、もっと持続可能で、未来に続く別の形の情熱があるのではないかと思っています。

具体的にどうしたらいいかはまだわかりませんが、仕事かどうかに関わらず、みんながもっと働きやすく、人にやさしく寛容になって、一人ひとりが楽しく生活できる社会になればいいと思っています。小さいことでも、みんなが笑顔で楽しく生活できる方法を考えながら、自分の手の届く範囲でコツコツやり続けたいですね。すぐに芽が出なくとも、10年後、20年後になったときに、意味のあることをしていきたいです。

2021.02.08

インタビュー | 粟村 千愛
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