声を上げれば、きっと変えられる。 若者の声が届き、響く社会へ。

フォロワー数5万人を超えるSNSアカウントを運営し、U-30世代に政治や社会の情報を発信する「NO YOUTH NO JAPAN」の代表を務める能條さん。環境の格差やジェンダー不平等など、社会に違和感を抱いてきたと話す能條さんが、たどり着いた解決の糸口とは。お話を伺いました。

能條 桃子

のうじょう ももこ|一般社団法人NO YOUTH NO JAPAN代表理事/慶應義塾大学経済学部4年
政治への関心をきっかけにデンマークに留学する。留学中の2019年、日本の参院選に向けてNO YOUTH NO JAPANを創設。Instagramで情報発信を行い、注目を集める。帰国後、2020年にNO YOUTH NO JAPANを一般社団法人化。現在、約60人のメンバーと共に、U-30の若者が政治参加する社会を目指して、活動中。

自分で考え、言葉にするのが好き


和歌山県新宮市で生まれ、3歳から神奈川県平塚市で育ちました。父、母、妹と私の4人家族です。近所に祖母や叔父家族が住んでいて、小さい頃から親戚とのつながりがあり、毎日のように祖母の家に遊びに行っていましたね。

早生まれだったので他の子に比べて成長は遅く、ずっと周りよりできないのが当たり前でした。小学校3年生くらいで、やっと周囲に追い付いた実感があったんです。それは、自分の考えを、ようやくきちんと言語化できるようになった感覚でした。もともと本を読むのが好きで、自分でいろいろ考えることが好き。言葉にできるようになったことで、私にとって自己表現の手段は、考えを文章や言葉にして発表することになりました。

学校の授業で特に好きだったのは、社会です。社会の授業では、新聞を読んでその感想を書いたり、気になったニュースを紹介したりする機会がありました。世の中の知らなかった出来事を知るのが面白かったし、社会を自分とつなげて考え、それに対する自分の意見を発表するのが、楽しかったですね。

小学校卒業後は、地元の公立中学校へ進学しました。中学1年生の夏に、市のプログラムを利用して、10日間アメリカへホームステイに行ったんです。参加者は中高生約20人で、私は最年少。英語が全く喋れなかったので、めちゃくちゃホームシックになりましたね。でもそこで初めて、学校の外でのつながりができました。

そこでつながった人達と地域のボランティア活動に参加したり、ホームステイプログラムのOB、OGの人達が集まるイベントで出店したりしました。学校外でいろいろな人と関係を築くことができて、自分の世界が広がる楽しさを知りました。

恵まれた環境の中で抱いた違和感


中学校を卒業後、都内の私立進学校へ行くことにしました。地元を離れて私立高校を受験すれば、まだ知らない景色が見られて面白そうだと思ったんです。中学校ではわりと成績が良い方でしたが、高校へ行くと、周りはもっとできる人ばかり。勉強ができることが自身のアイデンティティだったので、それがなくなり、自分の存在意義について考えるようになりました。

部活は、登山部に入部。週一回の活動でしたが、みんなでどういう部活にしていこうかと考えるのが楽しかったですね。登山は、みんなで一緒に頂上へたどり着くことが目標なので、「上手い」「下手」の差ができたり、試合や大会で順位を付けられたりすることがありません。他人を評価するのではなく、できないことをチームで補い合う価値観が、私には合っていました。

周囲には話が合う友人が多くいて、例えば政治のことを話しても、受け入れてもらえる環境でした。似たような家庭環境の子が多いと感じましたね。自分より裕福で、教育熱心な親に育てられた子もたくさんいました。ただ、ここに居られることを有り難いと思う一方で、ある違和感も抱いていたんです。

公立中学校にいた時は、さまざまな家庭環境の子がいました。私が勉強を得意でいられたのは、自分の力よりも、家庭環境によるものが大きいのではと、なんとなく感じていて。でも高校にいる人達は、与えられた環境を当たり前に思っていて、そのような日本の家庭環境の格差にはあまり問題意識がないように見えました。東大へ行くことが良しとされ、中学受験で入学した子が多くいる世界。そこで、地元の公立中学校との環境の違いを、ひしひしと感じたんです。

私が通う高校には、生活保護を受けている子や、大学へ進学しない子がほぼいませんでした。隔てられた環境で育つことで、違う立場にある人への想像力が生まれなくなるのではと思いましたね。今の社会の構造では、隔てられた環境で育った進学校の人達の方が、年収が高くなり、税金を多く払う傾向にあります。するとその人達は、社会のために税金を払うことに納得感が持てず、弱者の自己責任を問うようになるかもしれません。こういう構造が結局、立場の弱い人を追い詰める社会につながっているのではないかと考えました。

また、先生達が学歴に絶対的な価値観を持っていたので、勉強ばかりしていて、しなやかさが失われていくような感覚も味わっていました。中学生のときはボランティアや地域の活動に参加し、外に目を向ける余裕があったんです。なんとなく社会のために活動できていた実感がありました。ところが高校では、勉強に付いていくのに必死で、自分のことで精一杯になってしまいました。

私は何のために生きるのか


卒業後の進学先を決めるにあたり、ビジネスへの関心から、商学部か経済学部に行きたいと考えました。ビジネスを学ぶ女性が少ないと知って、それなら、自分がそこに挑まなくてはと思ったんです。

高校は女子校で、先生達からは「これからの社会は男女平等。でも今はまだまだだ」と言われていました。また、例えば高校を決める際に、女の子だから「近くで制服のかわいい学校に行けば?」と言われることや、学校で日常的に痴漢の話題が上がり、それを「そういうものなんだ」と受け入れてしまっていることに、違和感があって。そんな出来事の積み重ねから、ジェンダーの問題に関心を持っていました。

そして高校を卒業後、都内の大学の経済学部に入学。受験から解放されて、最初の数か月は遊んでばかりいました。大学1年生の夏休み、友達とフィリピンのセブ島へ行き、現地のNGOでボランティア活動をすることになったんです。スラム街で暮らす子ども達を教育支援する場へ、学生をアテンドするボランティアでした。

その現場を見たとき、生まれる環境によって人生が全く変わってしまうことを、改めて痛感しました。これまでも環境による差は感じていましたが、それは日本国内の話。世界にもその格差があって、その差がさらに大きいことに衝撃を受けましたね。私はなぜ大学生になったんだろう。何のために生きるんだろうと、考えるようになりました。

現地のNGOスタッフからも「どうして大学に入ったの?」「将来何をしたいの?」と聞かれて、全く答えられなかったんです。もっとちゃんと考えなきゃいけない。遊んでばかりじゃなく、大学生活をもっと意味のあるものにしなきゃと思いました。

帰国後、何か行動しようと、大学2年生の春にベンチャー企業のインターンシップに参加しました。Webマーケティングを手掛ける、社員数名の会社です。人の役に立てること、想いが形になることが嬉しくて、働くのって楽しいなと思いましたね。

でも同時に、何のために働くかがすごく大事だと考えるようにもなりました。ただただ働き続けるだけでは、目的が分からなくなると思ったんです。やっぱり私はどこかで、今の社会のモヤモヤを解決したいという想いを抱えていました。社会のためになることに、自分の重きを置くべきではないか。そう考え、ベンチャー企業でインターンシップを続けながらも、社会のためになるフィールドをずっと探し続けていました。

そんなある日、偶然ネットで、衆議院選挙の候補者がインターンの学生を募集しているのを見つけたんです。そこで、2年生の秋に一週間、衆議院選挙にインターン生として関わることにしました。

初めて政治の現場を間近で見たことで、政治との接点ができた感覚がありました。選挙は大人の文化祭みたいだと思いましたね。それまで私の一票なんて、たかが一票だと思っていたけど、その一票のために全力で頑張っている人達がいたんです。有権者の存在の重さや、一票の重みを実感しました。

同時に、他の候補者も含めて、周りに若い世代がほとんどいないことにも気づきました。候補者の話を近くで聞いていても、あまり若者にウケている感じがありません。それに、選挙インターンに参加していることを話すと、友達からは「意識高いね」と言われて。政治って本当はそういうものじゃないんじゃないかと、疑問を持ちましたね。

結局、政治、地方創生、国際貢献と、いろいろ興味があって関わってみたものの、就職活動の時期になっても、自分が本当に何をしたいかは見つけられませんでした。今の社会はおかしいと思うのに、何もできないし、何がしたいかも分からない。このまま社会のシステムに組み込まれていくことに、違和感がありました。それで、一旦大学を休学し、留学しようと決めたんです。

行き先に選んだのは、デンマーク。若い世代も政治に高い関心を持っていて、「幸せの国」と称される国でもありました。幸せとは何か。「幸せの国」とはどういうことなのか。それを自分の目で確かめたくて、デンマークへ発つことにしました。

自分が生きたいのは、こんな社会


デンマークで目の当たりにしたのは、まさに自分の思い描いていた状態が実現されている社会でした。ちょうど留学中に首相を決める選挙があり、デンマーク史上最年少となる、41歳の女性が首相として選ばれたんです。若い世代の投票率は80%を超えていて、誰もが政治について考え、積極的に参加していました。

政治活動をしている若い子達にインタビューしてみると、日本よりずっとオープンに、楽しそうに活動に参加していることが分かりました。政治だけでなく、生徒が学校のルール作りに主体的に参加していたり、働く人が職場での待遇について声を上げていたり。こういうアクションがあるから、みんな納得感を持って暮らせているんだと思いましたね。作られた仕組みの中で生きているか、自分が仕組みを作る側に関わっているかどうかで、納得感は全然違います。

それまで、日本の社会に対するモヤモヤはあっても、その解決策を私は見つけられていませんでした。でもデンマークに行って、やっぱり解決策の根本にあるのは政治だと確信を持てたんです。声を上げれば変えられると信じている人がたくさんいる状況を見て、「自分が生きたいのはこういう社会だ!」と思いました。しかし、デンマークに住みたいかと聞かれれば、そうではなかったんです。私は日本で、できることをやっていきたいと考えました。

そんな時、同時期にデンマークに留学していた、3人の日本人学生と出会いました。みんなで「なんでデンマークに来たのか?」という話をしていると、それぞれ考え方の違いはあれど、日本を良くするヒントを探していたという共通点があったんです。一人ではできなくても、4人いればできることがあります。3人との出会いは、自分達にできることを、少しずつやっていこうと動くきっかけになりました。

私達は、2019年7月に行われる日本の参議院選挙に向けて、何かやってみようとアイデアを出しました。ちょうど少し前にEUの議員選挙があり、Instagramで選挙を分かりやすく伝えるアカウントを発見していたんです。日本の選挙でもこんなことができたらいいなと、NO YOUTH NO JAPANという名で、Instagramのアカウントを立ち上げることにしました。選挙までの2週間限定のプロジェクトというイメージでした。

デザイナーと協力し、ポップで分かりやすいデザインを使って、選挙や投票についての情報を発信していきました。すると、なんと2週間でフォロワーの数が1万5000人に到達したんです。驚きましたね。みんな政治に興味がないと思っていたのに、こんなにニーズがあるんだって。

正直なところ、私達はデンマークにいたし、SNS上での活動なので、あまり反響に対する実感は湧かなかったんです。数字がどんどん上がっていったり、芸能人がシェアしてくれたりするのを見て「本当かな?」と半信半疑でした。

でも、これだけの反響があるなら、期間限定のプロジェクトではなく、ちゃんと継続していこうと、NO YOUTH NO JAPANを団体化することにしました。掲げたビジョンは「若者が声を届け、その声が響く社会へ」。政治や社会に参加するU-30の若い世代を増やす活動をしていこうと決めました。

2019年10月に帰国した際には、加入したいというメンバーと話をしながらも、私の中にはまだ迷いがありました。なかなか覚悟が決められなかったんです。それでも、このまま中途半端に続けていても仕方ない。やるなら、一度頑張ってやってみようと決意し、2020年7月に、NO YOUTH NO JAPANを一般社団法人化しました。

それぞれが生きやすい社会になれば


今は、大学に通いながら、NO YOUTH NO JAPANの代表理事を務めています。メンバーは60人程で、政治や社会の情報をInstagramで幅広く発信したり、毎週政治家をゲストに呼んで、ライブ配信したりしていますね。また、地方選挙の投票率を上げるために「VOTE FOR MY TOWN」というプロジェクトを立ち上げたり、若い世代と政治家が対話する機会をつくったりもしています。そのほかにも、私達が欲しいと思えるような政治の教科書をつくる出版プロジェクトやイベントの開催など、幅広く活動中です。

ほかには、the rootsというシェアハウスを運営しています。気候変動や社会問題に関心を持って活動するアクティビストが集まるシェアハウスで、リビングで自由にミーティングができるなど、住人の活動拠点になっています。

現在大学4年生なので、卒論も執筆しました。卒論のテーマは、以前から関心のあったジェンダー不平等の問題や、子育て政策について。子育てに関する将来の不安も、自分事というよりは、社会問題の一つとして捉えています。

さまざまな活動の根底に共通してあるのは、資本主義社会への違和感だと思います。全てを否定するわけではありませんが、資本主義が加速することで、私達は「市民」の側面が薄れ、「労働者」や「消費者」になってしまっている現状があります。お金を軸にしていると、政治参加へのモチベーションは起きづらいんです。でも本当は、みんなが幸せに生きるために、政治ってすごく大事なものなんですよね。それから気候変動問題も、経済を中心に動き過ぎた結果ではないかと思っています。だから、大量生産・大量消費の社会に生きることに抵抗があります。

経済を一気に変えることはできなくても、少しずつバランスを移していくことはできるのではないでしょうか。目先の経済成長を優先するのではなくて、地球環境や次世代への負担に考慮して、長い目で最適解を選べればいいなと思っています。そのために必要なのは、例えば気候変動対策のためにルールを設けたり、子育てしやすい社会にしていくなど、「制度」が変わっていくこと。そして、そのような制度を変えられるのが政治です。

私は、若い世代が声を届けることにこそ、意味があると思っています。私達の世代は、もはや経済成長が望めない、先行きの読めない社会に生きてきました。その中で、政治という公の機関にどれだけ期待できるかは、いかに自分達が参加して、納得感を持てるかにかかっています。若い世代にはお金も地位もありません。つまり、社会の中では弱い立場にいます。しかし、これからの社会を最も長く生きていくのは、私達若い世代なんです。

今、社会課題への意識を持つ若者は多いのに、それが政治への参加にはつながっていません。でも本来は、社会をつくる根本に政治があるから、政治が変わらなければ解決しない社会課題もあるんです。若者の社会への問題意識を広めつつ、それが政治につながっていることを示していきたいですね。

個々の生活で言えば、それぞれが生きやすい社会になればいいと思っています。私は自分が生きやすい社会にしたいから活動していて、他人に「もっとこうして欲しい」と思っている訳ではないんです。そういう意味では、活動の起点は全て自分ですね。自分が生きやすい社会にするために動いた結果、共感してくれる仲間が増えて、それが社会のための活動になっていくのかもしれません。

今後、若い世代と共に声を上げていくことは続けつつ、例えば選挙に立候補できる年齢を下げるなど、もっと制度面にもアプローチできたらと考えています。個人的には、子育て政策に関心を持っているので、もっと勉強して専門性を付けたいです。

専門性を付けたあとは、有権者側へのアプローチに興味がありますね。今、良い候補者が出ても選ばれないという問題があるので、一人政治家が誕生しても、社会を変えるのは難しいと思っているんです。やっぱり有権者が変わらないと、政治も変わらない。私達若い世代の発した声が、社会全体のムーブメントになり、それによって政治が変わっていく世界を実現したいです。

2021.02.04

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | 塩井 典子
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