人の喜びこそが僕の喜び。 健康と熱狂をつくり、豊かな人生のサポートを。

プロサッカー選手を引退後、アスリートの腸内環境に注目したコンディショニングサポート事業を立ち上げた鈴木さん。すべての人が人間らしく生きるためのサポートをしたいと語ります。鈴木さんが目指す、新たな夢とは。お話しを伺いました。

鈴木啓太

すずきけいた|AuB株式会社代表取締役
2000年に東海大翔洋高校を卒業し、浦和レッズに入団。ベストイレブンに二度輝き、浦和の黄金時代を支えた。オシムジャパンでは、唯一全試合スタメン出場を果たした。2015年シーズンに現役引退。同年、AuB株式会社を立ち上げ、アスリートの腸内環境に注目したコンディショニングサポート事業を開始した。現在、アスリート700人、1400検体以上の解析をもとに、腸内環境を整えるサプリメント『AuB BASE』、プロテイン『AuB MAKE』を発売している。

プロサッカー選手を夢見て


静岡県清水市(現静岡市)で生まれました。清水はサッカーが盛んで、道路では近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんがサッカーボールを蹴って遊んでいるような地域です。その様子を見て、自然とサッカーがしたいと思うようになりました。背が低く女の子のような見た目で、犬に追いかけられて泣きじゃくっているような子だったので、母は「本当にスポーツできるの?」と半信半疑でしたね。

サッカーを始めると、負けず嫌いが顔を出しました。誰かが新しい技を習得したら、負けてたまるかと陰でこっそり練習。寝ても覚めても、サッカーボールを蹴っていましたね。幼稚園児の頃から、将来の夢はプロサッカー選手でした。

生まれ育った清水は、サッカーチームが全国大会で優勝するのが当たり前の地域で非常にレベルが高かったです。どれだけ練習を重ねても自分よりうまい選手がいることは、早くから理解しました。どれだけ頑張っても一番にはなれない。悔しいけれど、紛れもない事実に気づいた僕は、発想を転換しました。自分がどうやったら活躍できるかよりも、どうすれば優秀な仲間を活かすことができるかを考えるようにしたのです。

「鈴木とセットなら、あの選手はもっと高いパフォーマンスを発揮できる」。そう監督に感じてもらえれば、僕を試合に出さない手はありません。おこぼれを狙うコバンザメ作戦で、自分の出場機会を作っていきました。

中学最後の全国大会では、見事メンバーに選ばれました。しかし共にサッカーに打ち込んできた仲間の中には、ベンチに入れない子もいて。その仲間たちは、選手らの身の回りの世話をするために、マネージャーに自ら志願していました。

自分がピッチに立ちたかったはずなのに、「役に立ちたいから」という思いで、ポジションを奪い合った仲間のサポートをする。その行動に心を打たれました。僕だったらできないと思ったんです。僕自身、足にけがをしたときには、腫れないように夜中に何度も氷を変えてもらいました。本当に頭が上がりませんでしたね。その時、自分のためだけでなく、仲間のためにも、サッカーで活躍したいと思うようになりました。

プロとしての使命


高校卒業後、夢が叶いJリーガーになりました。ワールドカップに出場するという新たな夢を胸に、サッカーに打ち込む日々が始まりました。

しかし同時に、プロとしてのサッカーへの向き合い方に悩むようになりました。僕たちプロは、ファンやサポーターに支えられて、サッカーをしています。 サポーターが求めているのは、チームの勝利。たとえどんなに試合の内容が悪くても、たまたまセットプレーが決まって勝てば、サポーターは「よくやった!」と称賛します。逆に、どんなにハイレベルな試合をしても、負けたらブーイングされる。僕たち選手は成長の過程を歩んでいるのに、勝敗だけを見ているサポーターは分かっていないと感じました。

居ても立ってもいられなくなって、先輩たちに想いをぶつけました。「こんなの、おかしくないですか?」って。でも皆、口をそろえてこう言うんです。「それがプロだ」と。

僕は半分納得して、半分納得できなかった。プロとしてサッカーをするからには、自分の考えや気持ちよりも、誰かに喜んでもらうことが使命であることは理解しました。一方で、それだけを目指していたら、自分自身の成長はありません。ワールドカップに出場するという夢を叶えるためには、誰かのためだけでなく、自分のために努力をしなければならないのです。

モヤモヤを抱えつつも、そのギャップを埋めることこそが、プロの仕事なんだと解釈することにしました。それからは、チームの勝利に貪欲でありつつ、自分の成長も同時に目指していきました。

入団当時は、J2だった浦和レッズ。その年にJ1復帰を果たした後、めきめきと実力をつけていきました。2003年から2007年にかけては、Jリーグ制覇、アジアタイトル獲得など、黄金期を築きました。強い仲間がたくさんいる環境で自らもレギュラーとして戦えたことは、非常にありがたい経験でした。

2006年には、日本代表に選ばれ、オシムジャパンで全試合先発出場を果たすことができました。しかし、夢であったワールドカップ出場が叶うことはありませんでした。

2009年には、チームキャプテンに指名されました。強い浦和であり続けたいと使命感を燃やす中、危機が訪れました。2011年、J2への降格争いに名を連ねることになったのです。自分が入団した頃はJ2だったけれど、また落とすわけにはいかない。大きな重圧を感じました。絶対に勝つと、それまでのサッカー人生のすべてをかけて戦いました。無事踏みとどまることができて、本当にほっとしましたね。長い歴史の中でチームを築き上げてきた先輩たちやサポーターの想いの強さを改めて知りました。

熱狂のない試合で知った応援の力


2014年、ある試合でサポーターが差別的な発言をしたことが問題となり、無観客試合をすることになりました。観客が誰もいない試合。長いサッカー人生において、初めての経験でした。

点を入れても盛り上がらず、相手に点を入れられてもブーイングは一切起こらない。選手の声や審判のホイッスル、そしてサッカーボールを蹴る音だけがむなしく響きます。いつものスタジアムの熱狂は、そこにはありませんでした。

観客が居ても居なくても、勝利を目指すという目的は変わりません。勝ち点だって、1点の価値だって、何ら変わりません。それなのに、ファンやサポーターの喜びや悲しみといった感情の揺れ動きがない試合は、どこか味気無く感じました。

この時、人のために何かをすることは自分の力になることを確信しました。「サポーターの声援のおかげで走り続けられました」と選手はインタビューでよく言いますが、本当なんですよ。その声があるから、自分の限界を超えられる。応援してくれる人たちがいることのありがたみを実感した瞬間でした。

人生の土台は「健康」にあり


サポーターへの感謝の気持ちを強くするにつれて、あることが気にかかりました。Jリーグの観客動員数が減っていることです。所属していたチームでは、全盛期だった2006年では約4万5千人動員していたのに比べ、2014年には3万5千人へと減少していました。

サッカーがつまらなくなったからだろうか。いい試合をしていないからだろうか。いろんな仮説が頭を駆け巡る中で、あるサポーターが僕に言ったんです。

「Jリーグ創設から何年経ったと思っているんだ。当時40代だったサポーターは60代になっている。スタジアムに行って、応援する元気自体がないんだよ」。

衝撃が走りました。確かに同世代の両親も、年を取るにつれて旅行の回数が減っています。年を取り、健康に異常が生じれば、大好きだった趣味もままならなくなる。人が人間らしく生きるための土台は、「健康」にあるのだと強く認識しました。

自分に何かできることはないだろうか。そう考えたときに頭をよぎったのは、「コンディション」という言葉です。僕を含めアスリートは皆、さまざまな方法でコンディションを調整しています。とはいえ、ベストコンディションで試合に臨めるのは、年に2、3回あるかどうか。それでも、ベストコンディション時のプレーの感覚が忘れられず、再現を追い求め続けているのです。 中毒といっても過言ではないでしょう。

アスリートでない方でも、「今日は調子がいい」という感覚は身に覚えがあるはずです。朝起きて「気持ちいいな」、水を飲んで「美味しいな」、駅で誰かにぶつかられても「あの人急いでいるのかな」と感じられるような時は、いいコンディションですよね。できることならば毎日、コンディションが良い状態でありたいと思うはずです。

僕自身がコンディションを整えるために重視していたのは、「おなか」でした。調理師の母から、「人間は腸が大切。常に自分の腸の状態を見ておきなさい」と幼い頃から教えられてきたからです。便のチェックは欠かしませんでしたし、食生活も気を配っていました。

僕は考えました。もしコンディションについて日々努力を重ねているアスリートたちの腸内環境のデータを集めれば、アスリートのパフォーマンス向上はもちろんのこと、すべての人たちの健康に役立てることができるのでは、と。

もしすべての人が、ベストコンディションで生きることができれば、活力が湧いて、できなかったことができるようになり、人生は楽しく、豊かなものになる。精神的にも安定するから、争いごとなども減るでしょう。そんな理想の社会を思い描くようになりました。

できないことをできるようになりたい


プロとして年を重ねる中で、ベンチを温めることも多くなりました。2014年には心臓に病気が見つかり、100%の力でプレーできているのか、疑問を感じるように。本格的に引退を意識しました。そんな中で、自分は何者かを考えました。そこで気付いたのは、人に喜んでもらえることが僕の喜びだということです。

タイトルを取ったり、日本代表に選ばれたり、自分の給料が上がったりすることは確かに嬉しかった。でも、ファンやサポーターから、「お前たち本当によくやったな!」「この試合すっげー最高だった!本当にありがとう!」と喜びをぶつけられる方が、よっぽど嬉しかったんです。自分にとっての価値は、スタジアムにサポーターが来てくれていることだと感じました。

サッカー人生、僕はたくさんの人に支えられて、この上ない幸せを味わえた。第二の人生では、人に喜んでもらうことを第一にしていきたいと思いました。特に、支えてくれたサポーターたちの健康を、そしてアスリートの活躍を助ける仕事をしていきたいと思ったのです。

2015年、約16年間に渡るプロサッカー選手人生に終止符をうち、AuB株式会社を立ち上げました。

事業を始めてみると、想像以上に大変でした。資金が集まらない、研究が進まない、人間関係で対立が起こるなど、ベンチャー企業でよく起こる問題はすべて経験しましたね。

特に、研究者でもない僕がこんな事業に足を踏み入れていいのか、葛藤を感じました。僕自身は、誰かに喜んでもらうことがしたい、すべての人の健康に貢献したいと夢を持って始めたわけですが、人の人生を巻き込んでいるわけです。僕の夢が、周りを苦しめるわがままになっていないかと思い悩みました。

でもやっぱり、人生は一度きり。どんな道が正解かだなんて、誰にもわかりません。今生きているこの瞬間、できないことができるようになるために、挑戦していくのが大事だと思うんです。サッカーだって同じでした。自分がまだ習得できていない技術を見つけ、それをできるようになることが成長であり、できるようになる度に生きがいを感じていたんです。もっと言えば、「できないこと」を認識した時点で価値があるんです。自分が成長するために足りない要素を知ることができたわけですから。

そう考えると、挑戦してみる前に失敗を恐れる意味なんてないですよね。人々の健康のためになろうと決めて、今頑張れていること自体、僕にとっては価値があること、幸せなんですから。悩んでいてもしかたない。とにかく突き進め!と、自分を奮い立たせることにしました。目の前のことにひたむきに取り組むうちに、徐々に研究成果も出始め、製品開発も順調に進んでいきました。

「人間らしく生きる」をサポート


今は、AuB株式会社の代表取締役になって、6年目になりました。最近では、アスリートだけでなく一般の消費者に向けた製品の販売も開始しました。良好な腸内環境の土台を作るサプリメントと、腸内環境を整えるマルチ栄養プロテインを販売しています。28競技700人以上のトップアスリートから得られた1400検体以上のデータをもとに、何度もサンプルを作って改良し、こだわりぬいて作った製品です。すべての人が人間らしく生きるために必要な「健康」をサポートする製品を世に出すことができたと、自信を持っています。

先日も、サッカー時代のアスリート仲間にお渡ししたら、数日後に電話が。「今までいろんなサプリメント飲んできたけど、全然違うな。これはすごいぞ」と言ってもらいました。やっぱり人に喜んでもらえるのが、僕の一番の喜びであり、生きがいですね。

将来は、事業を通じて健康づくりをサポートするのと並行して、サッカークラブの経営も行いたいです。サッカーでゴールを決めたときのスタジアムの熱狂は、どれだけデジタル化が進んでも代替できない、生だからこそ味わえる、人間ならではの感覚です。健康づくりもスポーツによる熱狂づくりも、人が人間らしく生きることにつながると思います。人生を豊かにする取り組みを通じて、さらに多くの人々に喜んでもらいたいですね。

2021.02.01

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | 林 春花
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