人と人をつなぎ、化学反応を起こす。 市民を支える、最強の黒子になりたい。

大阪府富田林市で、地域の魅力を深め、発信する納さん。市民を主役にしたインターネットテレビの配信や、地方公務員ブロガーとしての発信など、新しい領域に積極的に関わってきました。常に行動することを大切にしているという納さんの、原動力とは。お話を伺いました。

納 翔一郎

なや しょういちろう|大阪府富田林市職員
高校卒業後、20歳で富田林市役所に入庁。課税課市民税係に配属。その後、大阪府総務部市町村課への出向を経て、富田林市市長公室都市魅力課へ。2017年、FC大阪と協定を結び、全国でも先駆け事例となるインターネットテレビ「富田林テレビ」を開設。現在もレギュラーナビゲーターを務めるほか、全国2例目となる「自治体公式note」をスタート。市役所での活動だけでなく、地域や公務員同士をつなげる活動も多数行っている。

どんな遊びにも、興味津々


大阪府富田林市で育ちました。父が好奇心旺盛なタイプで、小さい頃から全国いろいろな所へ旅行に連れて行ってもらいましたね。その影響で、新しいものに触れるのが大好き。どんな遊びにも、自分から加わって楽しんでいました。

小学校と中学校はサッカーと野球を掛け持ちし、外部の硬式野球チームにも入りました。球技全般が得意だったので、どれも楽しかったですね。クラスでは、どのグループにも馴染めるタイプでした。女子だけのグループや、ちょっと不良っぽいグループ、大人しい子達のグループにも入っていました。面白いと思うことには全部食いついていったので、話題に困ることがなかったです。

中学を卒業すると、近所の進学校へ。勉強は苦手ではなかったものの、好きではなかったので、進学するにあたり、近所でできるだけ倍率が低い高校を選びました。

高校生になって始めたのが、ファーストフードチェーン店のアルバイトです。その店では、年に数回、イベントを開催していました。ショッピングモールにキャラクターを呼んでショーを開くんです。

私はイベントの手伝いをしながら、観客の様子を見ていました。すると、笑顔いっぱいの子ども達、そんな子どもの様子を見守るお父さん、お母さんの姿が目に入ったんです。その時ふと、「自分が育ってきた地域が、ずっとこうであって欲しいな」という想いが頭に浮かびました。

同じ頃に、どれくらいの人がいるんだろうと、富田林市の人口を調べてみたことがありました。ところが、人口の数値は下がり始めていたんです。もしこのまま人口が減っていったらどうなるんだろう。漠然とした不安が心の中に残りました。

一年で大学を中退、公務員の道へ


高校に入ってからも勉強は大嫌いでした。ファーストフード店のアルバイトがすごく楽しくて、勉強するより早く社会に出て働きたいなと、ずっと思っていましたね。ただ、進学校だったこともあり、周りは大学へ進学するのが当たり前。自分も友達と同じ流れに乗って、とりあえず大学へ行くことを決めました。

大学では、1年目で取れる単位は全部取り、友達もできて、わりと楽しい毎日を過ごしました。でも心のどこかで「このままあと3年大学に通い続けても、アルバイトしながら遊び続けるだけだろうな」という気持ちがあったんです。

ずっと続けてきたアルバイトでは、地域の人達とどんどん顔見知りになっていきました。常連さんなら、顔を見ただけでオーダーする内容が分かります。地域の人達の顔が見えてくると、「この市のこと全然知らなかったな」と思うようになりました。

一方で一人旅にもハマっていて、全国の色々な町を訪れていました。観光目的で行くのに、気付けば富田林市との違いに目が行くようになっていましたね。他の町を知るたびに、やっぱり自分は富田林市が好きだという想いが強くなっていったんです。もっと自分の住む市のことをちゃんと知りたい。そして、お店に来てくれるような地域の人達を笑顔にするために、できることは何だろうかと考え始めました。

そしてある日、「そうだ、公務員になろう!」と思い立ったんです。勢いも手伝って、決めてからの行動は早かったですよ。すぐに大学を辞める準備をし、公務員の資格を取る専門学校への入学手続きもしました。親に告げたのは、一連の手続きが全て終わってから。「学校変えるから。公務員になるから」と報告したら、普通に怒られましたね(笑)。

でも、思い切って動いた方が、自分は満足してやり切れるという自信があったんです。だからその決断を、大事にしようと思いました。そして19歳で大学を中退。晴れて、富田林市役所の職員になったのです。

若いから話を聞いてもらえないんだ



市役所に入ってまず担当したのは、課税課での窓口業務です。職員になる前から知っている、イメージしていた通りの業務でした。

入庁後の飲み会で、高卒で20歳の私に課長補佐が言ったのが「仕事を覚えるのもいいけど、まず色んな人とつながってみるといいよ」ということ。「人とのつながりを通じて、自分の中にふつふつと沸いてくるものがある。それをさらに色んな人とシェアしていけば、その人達もふつふつし出して、きっと地域が元気になるよ」と。この言葉を聞いて、人とのつながりを大事にしたいという想いが、自分の中に生まれました。

そんなある日、窓口にいると、一人の男性がいきなり怒鳴り込んできました。税金のことでかなり怒っている様子。私が喋り出す前に「お前みたいな若造と話す気はない。上を出せ!」と。何とか納得してもらおうと粘って話したのですが、「ぺーぺーの若者と喋っても納得できる気がせえへん。もういいから代わってくれ」とはねつけられました。

すごく悔しかったです。「自分は若いから話を聞いてもらえないんだ」と思って。若者だから市民に話を聞いてもらえないのはなぜなのか。考えた結果、もっと自分に価値を付ければいいんじゃないかと思いついたんです。「若者だから」と断られるのではなく、「頑張ってるやつがいるからちょっと聞いてやろう」と言ってもらえるように。

まずは市民に「納」という名前を記憶に留めてもらおうと思いました。そのためには実績をつくりたい。どうすればいいか。考えても仕方ないので、とにかく動くことにしました。地域イベントには片っ端から顔を出して、できるだけ市民の方々と話す機会をつくろうと動き回ったんです。

そのうち、特に何かしたわけでもないのに「最近いろいろ頑張ってる若い子がいるよ」と言われるようになりました。SNSで市民とのつながりができて、名前もどんどん覚えてもらえるように。地域のキーマンと言われる人達との人脈もできました。

そこで今度は、市役所内でも存在感を高めていこうと、自主研究グループを立ち上げました。まず庁内を盛り上げようと思ったんです。しかし、地域での認知度が上がる一方で、市役所内での活動は一筋縄ではいきませんでした。

例えば窓口業務でも、私は市民と深くつながりたいという想いを持って、一人一人丁寧に応対し、名前を覚えてもらおうとしていました。でも「この部署は、住民に税金について納得してもらうことがミッションだから」と言われたことがあって。部署のミッションを超えたことはしちゃいけないんだと、自分の想いとのギャップを強く感じましたね。市役所内で行き詰まりを感じていたそのとき、大阪府庁への出向が決まったんです。

人のつながりが財産に


大阪府庁へ行くと、若手を集めた府庁内の交流会がありました。100人規模のチームで、各市町村から来た出向生や、出向生OBが参加するものです。まさに、大阪府内の市町村と大阪府庁を横につなぐネットワークでした。

驚いたのは、交流会を取りまとめていたのが、50代の管理職職員だったこと。その会に、副知事クラスの人達を連れて来てくれたこともありました。私達の年代では普通出会えない人と、つながる機会を与えてくれたんです。本当に上の立場の人でしたが、その存在は大きくて、自分もいつかこうやって人をつなげられるようになりたいと思うようになりました。

市役所にいた頃は、頑張っても大阪の中でのつながりしかつくれませんでした。でも府庁では、他の都道府県の職員や、国家公務員の方とも話す機会に恵まれたんです。それで、自分は今まですごく狭い世界で実績を出そうとしていたんだなと気付かされましたね。窓口で怒鳴られたことなんて、本当にちっちゃい出来事だったなって。

その他、異業種交流会にも、初めて参加しました。全国を舞台に活躍する民間企業の人達と話して、そこでもやっぱり、公務員の世界の狭さを実感しました。でも同時に、公務員の世界は、民間企業のような「競争」社会ではなく「共創」社会だから、私たちはみんな仲間なんだと気付いたんです。もっと公務員同士が仲間意識を持って、辛いときに助け合うことができたらと思いました。

これまで漠然と意識してきた「つながり」が、府庁での出会いを通じて、より価値あるものに変わりました。人をつなぐ役割を、自分なりにやっていきたいという目標が生まれたんです。

人の魅力を発信したい


大阪府庁に2年出向した後、市役所に戻って都市魅力課に配属されました。仕事で困ったとき、府庁で培った、人とのネットワークに助けられましたね。ほぼ全市町村に友達ができたので、今まで各自治体の担当部署に問い合わせていた案件についても、LINE一本で聞けるようになったんです。人のつながりがリアルな業務にも活きてきて、自分にとって大きな財産になりました。

都市魅力課は、地域のプロモーションや広報を本業とする課で、地域の人達と積極的に関わってネットワークをつくっていくことがミッション。まさに、やりたかったことが仕事になりました。

地域の人と関わる中で気付いたのは、富田林市の人は良い意味でお節介だということ。面倒見がよくて、でも駄目なことははっきり駄目と言ってくれる、人情味に溢れた人が多いんです。富田林市の本当の強みは「人」だと感じ、市民に光を当てたプロモーションをしようと考えました。

プロモーションの手法として思い付いたのが、動画で人の魅力を発信することです。何とか実現できないかと考えていたとき、大阪を拠点に活動するプロサッカークラブの会長とお話しする機会がありました。動画配信のアイデアを話すと、クラブがノウハウを持っているので、機材もスタッフも協力できるし、ライブ配信の技術もあると。いっそのこと、インターネットテレビをやろうかという提案をいただきました。

とんとん拍子に話が進んだものの、市役所内では、まだSNSすらまともに運営したことがない状態。そこを飛び越えて、いきなりインターネットテレビを提案したので「そんな目に見えないことはやめてくれ」という雰囲気でしたね。生放送に市民が出演して、どういうリスクがあるか分からない、とも。

それでも直属の上司は「新しいことにチャレンジするなら応援する。とりあえずやってみい」と言ってくれたんです。その後押しもあって、サッカークラブと協定を結び、インターネットでの「富田林テレビ」配信が実現しました。

「富田林テレビ」の企画は、敢えて面識のない市民3組程をゲストに呼び、出演したゲスト同士にも、その場でつながってもらうというもの。放送すると、すごく反響がありました。出演者の親族や友人など近しい人が見てくれるので、出演者の方に非常に満足いただけましたし、情報発信したいけれどその場がない、発信の仕方がわからないという市民の方々の課題も解決することにつながりました。全国に先駆けたプロモーション事例をつくることができたんです。

一方私生活では、結婚という大きなライフイベントを迎えました。妻がWebマーケティングに携わっていたので、結婚を機に、Webライティングについて教えてもらうように。「書く力」を付けて、公務員の魅力をもっと世の中に発信できたらと思いましたね。

ちょうどその頃、地方公務員と、中央省庁で働く官僚をつなげる交流会「よんなな会」や、地方公務員が集まる「地方公務員オンラインサロン」にも参加しました。全国で活躍する公務員の話を聞いて、人とつながることの重要性を再認識したんです。せっかくなら、インプットしたものをアウトプットし、他の現役公務員にも共有しようと、ブログも始めました。

こうして全国とつながりができて、自分の中の情報量が圧倒的に増えました。実生活で特に役立ったのは、成功事例を共有できたこと。公務員の仕事は前例を重視されるので、成功事例があることで、一瞬で課題解決できたケースもありました。それから、各分野のスペシャリストに自分の意見をぶつけてみて、方向性の確認もできましたね。決断が後押しされ、一人で悩む時間が一気に短縮された分、いろいろなことに挑戦する時間も生まれたんです。

市民を支える最強のツールに


今は、富田林市役所の都市魅力課で、市のプロモーションや官民連携の取り組み、ふるさと納税、SDGsに関わっています。目指しているのは、市民の方々の地域愛を高めることと、外の人に富田林市を知ってもらうことですね。

市役所の外では、「よんなな会」や「オンライン市役所」をはじめとする全国規模の公務員コミュニティに参加し、運営スタッフも務めています。2019年には、大阪府の南河内エリアで、公務員コミュニティ「MIRAI-HUB」を立ち上げました。この地域の公務員が集まり、地域を盛り上げていこうとするコミュニティです。

公務員としての活動以外に、地域活動にもたくさん関わっています。市内の写真を撮り歩いて色んな団体に提供したり、コロナ禍の飲食店を応援するために、Facebook上で「#テイクアウト富田林」というコミュニティをつくったり、地域の映画祭の実行委員会に入っていたり。それから趣味として、大阪府の野球部やフットサルチームにも所属しています。

いろいろと行動していますが、ずっと根底にあるのは「つながりが新たなつながりになり、熱量が生まれる。公務員に熱量が生まれることで、地域が元気になる」という考えです。つながりがないと、自分の手が届く狭い世界でしか生きられない。でも誰かとつながれば、つながった人の世界まで見えて、自分の世界が広がるんです。

公務員同士だけでなく、公務員と市民、市民同士のつながりもつくりたいですね。公務員コミュニティや富田林テレビの活動を通じて、自身がそのハブになれたらと思っています。そして、違う価値観と価値観がぶつかったとき、初めて新しいものが生まれます。人の価値観が混ざり合うことで、富田林市のあちこちで化学反応を起こしたいと考えています。

例えば、農家の方が住宅地に住む方とつながって、マルシェを開くかもしれない。その場に流通に詳しいビジネスマンがいて、農家の方が抱えている悩みを解決するかもしれない。人と人がつながって、可能性が生まれる瞬間に立ち会えるのが、私の喜びですね。可能性を一つ一つ追求して、つながりをつくっていきたいです。

そのためにはまず、ハブ役としての自分の価値をもっと高めたいですね。そうすれば、「納に紹介してもらった」ということに説得力が増して、私がつながった全国の人達を、富田林市の人に紹介することもできます。キャリアアップして、一人の公務員としての価値を高めていきたいです。

今は、全国とのつながりを作るためにブログやSNSで積極的に発信したり、「この市には頑張ってる公務員がいるな」というところをきっかけに市のことを知ってもらおうと、敢えて自分を前に出すこともやっています。

でも、私の最終的な目標は、全てを富田林市民に還元すること。地域では、自分は黒子でいいと思っています。なぜなら、地域の主役は公務員じゃなく、市民だから。私は、市民を支える「最強のツール」になりたいです。

2020.12.03

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | 塩井 典子
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