誰よりもイキイキ働く自分でありたい。 既存の枠を超え、素材から新しい価値を社会へ。

愛知製鋼で新規市場の開拓に取り組む林さん。大企業挑戦者支援プログラム「CHANGE by ONE JAPAN」では初代グランプリに輝きました。既存の枠組みの外で、新しいものを生み出す取り組みを続ける林さんの原点とは?お話を伺いました。

林 太郎

はやし たろう|愛知製鋼スマートカンパニー
愛知県新城市生まれ。2014年、愛知製鋼株式会社に入社。人事部に配属になり、福利厚生や採用を担当。2020年より現職。大企業の若手中堅有志団体の実践コミュニテ ィ「ONE JAPAN」主催の大企業挑戦者支援プログラム「CHANGE by ONE JAPAN」では、「水だけで食べられるカップラーメン」を提案し、グランプリを受賞。

立ち向かわなかった後悔


愛知県新城市で生まれました。自然豊かな地域で、小さい頃は川で泳いだり虫や魚をとったりと、活発に遊んでいましたね。

小学校に入ると、学級委員長になるなど人前に立つことが多かったです。面白いことを思いついたら、みんなを巻き込んでやるのが好きで。中学校に進学してもそれは変わらず、クラスのリーダー的なポジションでした。

文化祭を開催するときには、自主的に「ドラマを作ろう」と提案。当日だけだと盛り上がりに欠けるので、文化祭前の1週間、給食の時間にドラマを作って流すことにしたんです。ドラマの中には簡単なダンスも入れて、当日までにみんなが踊れるようにしました。学校が一つになり、みんなで盛り上がっていく感じがすごく楽しかったです。

部活では、野球をやっていました。市内の大会で優勝するようなチームで、自分自身も活躍できて楽しかったです。でも、全国に行くような強豪校と試合をしたとき、レベルの差を見せつけられて。こんなレベルの人たちがいるのか、全然敵わないと感じました。

県立高校に進学が決まると、周囲からは野球部に誘われました。でも、強豪校の選手のことが頭をよぎり、漠然と不安を感じたんです。大学受験もある中で、野球と両立できるだろうか。強豪校の選手と戦えるだろうか。悩んだ末、野球は辞めることにしました。

別のスポーツ部に入りましたが、「自分は逃げたんだ」という気持ちが拭えなくて。どこかで後ろめたさがありました。自分が普通に生活している間も、野球部は朝晩のハードな練習をこなしている。すごく大変そうだけど、それをわかっている分、みんなが彼らを応援していました。野球部を見るたびに、自分にもこんな道があったかもしれないと感じて、後悔が残ったんです。次は、大変なことがあったとしても逃げない自分でありたい、と思いました。

前例のない学園祭をつくる


小中高と地元で過ごし、自転車で帰る途中に蛍を見るなど、四季の移り変わりを感じられるところがすごく好きでした。でも、人口減少で地域が衰退していくのは目に見えていたので、なんとかしたいと思うように。将来はいろいろな企画をして地元を盛り上げ、町おこしをしたいと考えました。

今後に活かせそうな経営を学ぼうと、名古屋の大学へ進学。何かを一から作って形にする経験をしたいと、学園祭の実行委員に入りました。大学生のうちしかできないことだから、より良いと思ったんですよね。

3年になると実行委員長に立候補し、選ばれました。その年は、キャンパスが移転して初めての年。これまでの学園祭は前年を踏襲していましたが、場所が変わったことで例年通りには行かなくなりました。

大変ではありますが、僕はそれがむちゃくちゃ面白くて。自分たちで一から作れるチャンスだと、事業部単位に企画書を募り、そこからああでもないこうでもないと議論をしながら、1から学園祭を作ってきました。

特に大きく変わったのは、キャンパスが都市部に移動したことで、大学の敷地が狭くなったことです。今までは広い敷地で模擬店を出していましたが、ビル型のキャンパスになったことで、それができない状況でした。しかし、僕は今までの常識にとらわれない学園祭にしたいと、学園祭を学内の閉じたイベントにするのではなく、地域に開いたイベントにしたいと考えました。そこで大学のOBや地域を巻き込んで後ろ盾になってもらい、大学付近の道路を封鎖して歩行者天国を作ったんです。周りを巻き込むことで、敷地の問題を解決しました。

新しいことばかりの上、関係者も多かったため、準備はかなり大変。大学に泊まり込む日が続きました。眠い中ギリギリで迎えた学園祭当日。学園祭が始まると、大勢の人が来てくれたんです。例年の来場者が8000人ほどだったのに対し、2万人以上を呼び込むことができました。

自分が一から作ったものに興味を持って来てくれて、「楽しかったよ」と言って帰ってくれる。めちゃくちゃ大変だっただろう150人の実行委員のメンバーも「本当にやってよかった」と言ってくれました。学園祭の工程全てが終わったとき、感動して号泣していましたね。こんなに泣いたことはないというほど泣きました。本当に嬉しかったし、心からやってよかったと思えたんです。

会社の魅力をCMに


やがて就職活動の時期になり、改めて進路を考え始めました。町おこしをしたい気持ちは変わらずありましたが、学園祭の実行委員をやったことで世界が広がり、自治体や地域のコンサルなどに入らなくても、民間企業で地域と連携していくこともできるとわかっていました。そこで、ある程度若手のうちから裁量を持ってやらせてもらえるような民間企業に絞って就職活動をしたんです。

その結果、地域の産業を、根底から支える愛知製鋼に入社を決めました。鉄鋼などの素材は、ものを作るとき最初に必要なもの。「素材が変われば世界が変わる」という言葉もある通り、新しくより良いものをつくったら、社会に大きなインパクトを与えられるという点で、面白いと思いました。

最初は半年間の現場研修です。鉄を作る現場は本当に熱いし重労働で、入社時から5キロ痩せました。正直辛かったですね。でも、こんな風に働いている人たちがいるから鉄ができて、世の中にいろいろなものが生まれているんだと直に感じられて、貴重な経験になりました。

その後は、人事部へ配属。最初は福利厚生の担当で、給与計算など細かい作業をすることに。苦手分野でしたが、苦手なところを最初に経験できて良かったです。運用だけでなく、若手の目線から制度の方にも積極的に関わっていきました。一方で、従業員のための運動会を開くなどの仕事もあり、司会進行を務めるなど大学時代の経験も生かせたのでイキイキと働けました。

ただ、人事部にいるうちに、だんだんと採用を担当したいという思いが募っていきました。これからの会社をつくっていくのは、30年、40年とこの会社で働いていく若い人たちですよね。だから、僕らが一緒に会社を面白くしていけると思える仲間を集めたい。そのほうが、会社を面白くできるという気持ちがありました。

希望が叶って3年目、採用を担当できることになったんです。しかし、入ってすぐの採用で、大きな失敗をしてしまいました。業務がわからない中、前任者を踏襲して進めたのですが、売り手市場の加速に対応できず、辞退者が続出。何年ぶりかの二次募集を出さなければならなくなってしまいました。

それがすごく、悔しくて。来年も同じように頑張ります、ではなく、採用活動自体を大きく改革しようと決意しました。そこでまず実際にうちの会社を辞退した人に、ヒアリングを実施しました。グサグサくる生の声に向き合いながら問題点を洗い出し、リクルーター制度をつくったり、面接官の教育をしたりと行動。加えて、会社の認知度を高めるためにCMを作ろうと提案しました。

CMなんて、本来は広報の仕事かもしれません。でも、人事がつくっちゃいけないというルールもない。採用のためには、学生やその親を含めて、会社の認知度を上げる必要があると考えていました。だから、CMだったんです。当時の副社長が「失敗してもいいからやってみろ」と言ってくれて、CMづくりを進めることになりました。

製作を手伝ってくれる10人近くの代理店の人と、入社3年目の僕が一人で向き合わなければなりません。どんな質問をされても答えられるように、死ぬほど勉強する毎日でした。前年の失敗が悔しかったこともありましたし、もっとうちって面白い会社のはずなのに、それが伝わらないことにもどかしさもあったんですよね。

一人でもうちに入りたいと思える人が増えるよう、うちのビジョンを届けたい。学生も命をかけて就活をしているので、妥協はしたくないと強く思っていました。その想いに代理店の方が応えてくれて、なんとか予算内でのCM製作が進んでいったんです。

内容を考える中では、役員との意見の衝突もありました。普通は若手が折れるものかもしれませんが、僕にも確信があったので譲らず。結局新入社員に意見を聞いて、票が多かった僕の案を採用してもらいました。役員には厳しいフィードバックを受けることもありましたが、社会人としてのベースを築いてもらいましたね。鍛えてくれる、熱意ある上司に恵まれました。

最終的に、CMに起用したのは、一輪車の世界チャンピオンの女性アスリート。一輪車を使って、モデルさんのような見た目からは想像できないような、難しい動きをするんです。一方で、僕らのつくっている鉄も、一見ただの鉄に見えて、さまざまな技術が詰まっている。そこをリンクさせて、「見た目からは想像できない技術力」というイメージを打ち出していきました。国際空港の倉庫を貸し切り、50人近いスタッフとともに、撮影は深夜まで及びました。

初めてCMが流れたのを見たときは泣きましたね。CMは話題になり、翌年の採用は応募者が三倍に。採用市場においても、会社の見え方が変わったという空気を感じることができました。僕自身、社内では社長賞を受賞でき、大きな成功体験になりました。

会社の外のwillで動く


その後も、特設サイトを作ったり、YouTubeを活用したり、毎年着実にレベルアップさせた結果、採用は軌道に乗りました。「林さんがいたから入った」と言ってくれる子も増えてきて、責任を感じましたね。

一方で、属人化してしまうとよくないとも感じて。後輩が入ったこともあり、ノウハウをマニュアル化していきました。そうして安定してくると、CMをつくってから数年経ったのに、いまだに社内で「CMを作った林さん」と言われることに焦りを覚え始めました。いつまでもそこから変わっていないみたいで、悔しかったんです。

そんなとき、グループ会社のイベントに参加する機会がありました。そこに、大企業の若手中堅有志団体の実践コミュニティ「ONE JAPAN」の幹事を務める、同世代の方が登壇したんです。これまでも外部の人の話を聞くことはありましたが、レジェンドが昔の体験を話している感じがして、どこか他人事でした。同世代でいろいろやっている人の話を聞いて、大きな衝撃を受けました。

特に印象に残ったのは、「自主活動だからこそできる」という話です。その人は、有志を集めた自主活動から、会社の上層部まで巻き込んで、やりたいことを形にしていました。「そんなことやっていいんだ」と目から鱗でしたね。また、単なる集まって終わる団体でなく、若手・中堅層が課題意識と当事者意識を持って取り組んでいて、さらにそれを会社での業務にして収益に繋げているお話は、本当に痺れました。

社内だと、企画をつくってアポイントをとって社長にプレゼンしてと、段階を踏んでやらないといけないけれど、自主活動はその必要もありません。加えて、自分のやりたいこと、willを起点に仕事ができる。私も自分の思いを持って仕事をしていたつもりでしたが、結局与えられた仕事の中で、ちょっと枠を出て働いていただけにすぎないのかもしれないと思わされました。

うちの会社はこういう素材をつくった製品を作らないといけないとか、うちの部署はこの範囲の仕事をしなきゃいけないとか思ってしまいがちですが、それは実は固定概念かもしれない。固定概念を壊して、willで働けるようになりたいと思いました。

加えて、そのイベントではエリートだなと感じる人たちがかなりの課題感を持っていて。自社での感覚と比べて、これは何十年後かにはすごい差になると感じました。参加者から「外に出たら、会う人に『林さんは何ができますか?』と聞かれますよ」と言われて、今まで社内では少しだけ目立つ仕事をしてきましたが、結局自分はまだ何もできないなと改めて思いましたね。

いつまでも「林さんはいつもイキイキ仕事してるね」と言われたい。会社をもっと面白くするために、自分が率先して一歩踏み出したい。そう思っていたとき、市場開拓をミッションとする新しい部署ができることが決まり、異動になりました。本当にラッキーでした。

新規事業プログラムで想いを形に


ちょうどその頃、ONE JAPANが主催する、新規事業創出を応援するCHANGEプログラムを知りました。外とのつながりを作り、マーケットインのものづくりについて学ぼうと、参加を決めたんです。

どんな事業をつくろうかと考えていたところ、テレビで災害のニュースが多いことに気がつきました。新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、洪水があっても支援に行けない現状などもあって。愛知では数十年間、東海大地震が起きると言われ続けているので、災害の恐怖は感じていました。でも、実際に避難した時のことをリアルに想像できていないなと気づいたのです。身近なのに頭から抜け落ちていた、避難所の問題に着目してはどうかと思いました。

ヒアリングしていくと、避難所の状況は過酷だということがわかりました。避難所に行けばなんとかなると思っているけれど、全てが備えてあるわけじゃないんですよね。避難しても、車で寝てくださいと言われる場合もある。トイレの設置や、プライベートの確保、女性の安全など、解決すべき問題は山積みでした。

その中で、「寒いのに、冷たいご飯しか食べられなくて辛かった」という話を聞きました。温かい食事って、体はもちろん、心も満たすですよ。そう感じて、何とか温かい食事を提供できないか?と考えていったんです。

聞くと、法律の関係でカセットコンロはあるけれどガス缶はないとか、発電機はあっても燃料になるガソリンはないとかいう状態になっていて、火を起こすのが難しく、お湯も沸かせないということがわかりました。そこで、うちで扱っている石灰を使えないかと閃いたんです。石灰は、水をかけると温かくなる性質があります。これを使って、お湯を使わなくても温かいカップラーメンを作れないかと企画しました。社内でも石灰を使った、開発案件があったので調度良かったです。

会社には、新規事業を提案するスキームはありませんでした。でも、せっかくプログラムに参加しているのだからと、事業計画書をつくり、役員や社長に説明したのです。プログラムに背中を押されましたね。すると、社長が「おもろいやないか、やってみろ」と。OKが出て、事業として推進できることになったんです。研究開発部門も含めて、動いてくれることになりました。

さらに、様々なメンターの方にフィードバックを受けながら、ONE JAPANのカンファレンスで発表。グランプリを獲得することができました。チームや被災者の方々に話を聞きながら、想いを持ってやってきたことを、外部の人が肯定してくれた感じがしました。すごく嬉しかったと同時に、しっかり形にしようという想いが強くなりましたね。

枠を破り、イキイキと働く


今は、愛知製鋼のスマートカンパニー部門で、新市場開拓を担当しています。医療や農業、自動運転など、新たな分野でどんな価値を出せるのか、会社の資産を使った新しい取り組みを模索しています。事業の一環として、CHANGEプログラムの取り組み「水だけで食べられる温かいカップラーメン」の商品化にも取り組んでいます。

今の会社には、私が採用担当として、「面白いことを一緒にやろう」と言って採用した社員たちがいます。彼らや彼女たちのためにも、イキイキと働ける会社でなければいけないと思っています。そして自分自身が、率先して誰よりもイキイキと働き続けたいんです。

ONE JAPANとの出会いを受けて、最近では「鉄火巻き」という社内有志団体も立ち上げました。私が衝撃を受けたように、未来を担う若い人たちが楽しくイキイキ働ける活力になりたいと思っています。

これからは、もっといろいろな企業や行政と協業し、新たなイノベーションを起こしていきたいです。社内だけでは解決できない課題はたくさんあります。世の中の課題に対して声をあげ、既存の枠にとらわれず一歩踏み出し、世のため・人のためになるものを生み出す仕事は、すごく面白いしやりがいを感じます。社内でも社外でも、「林さんはいつもイキイキ仕事しているね」と言われる自分で在りたいです。

2020.11.26

インタビュー・ライティング | 粟村 千愛
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