大企業を出て、第二創業ベンチャーで挑戦を。 想いへ「着火」する、変革の仕掛けを作る。

尊敬する母のように、自分の死後もみんなを笑顔にしたいという遠藤さん。大企業に入社するものの、忙殺されその想いを忘れかけていたと言います。遠藤さんの想いに、再び火を点けたものとは?そして遠藤さんが目指す未来とは。お話を伺いました。

遠藤 正幸

えんどう まさゆき|株式会社ファーストグループ プロデューサー
東京都出身。新卒でNTT東日本に入社後、アライアンス営業、本社勤務を経て新規事業のアクセラレーションを担当。現在は、第二創業ベンチャー・株式会社ファーストグループで経営企画および新規事業推進を担う。

母の教え「いつも笑顔であれ」


東京都大田区に生まれました。我が家はお祭り一家で、夏になったら地元の祭りで神輿を担いで、秋には参詣者が30万人以上集まるお祭りで練り歩いてと、積極的に参加していました。そのため幼稚園の頃から、様々な年代の人たちと分け隔てなく触れ合っていましたね。年下もいれば、上は60、70のおじさんまで。いろいろな人と話して笑うことが、楽しくて好きでした。

専業主婦の母は、人とのコミュニケーションを大事にする人でした。いわゆる「コミュ力おばけ」です。偶然エレベーターで一緒になった女の子に声をかけて、なぜか一緒に家族旅行に出かけることもありました。そんな母の口癖は「とにかく笑顔でいろ」です。そうすることで自分もハッピーになるし、周りの人もハッピーになれる。本当に辛い時は泣いてもいいけれど、その時以外はずっと笑顔でいなさいと教えられました。

幼稚園、小学校、中学校は、私立の付属校に通っていました。中学生になると、その狭い人間関係の中でいじめが起きます。僕はいじめられている子にも気にせず話しかけていたために八方美人と言われ、今度は自分がいじめのターゲットになってしまいました。自分の周りに誰もいなくなってしまい、正直すごく辛かったです。でも自分が間違ったことをしているとは思わなかったので、謝りもせず、へり下ることもせず、ただ時が解決するのを待ちました。気がつくと、いじめは無くなっていましたね。

通っていた付属校が中学までだったので、別の付属校へ進学。やりたいと思っていたバレーボール部へ入部し、バレー三昧の日々を過ごしました。

高校3年生の6月に部活を引退してからは、洋服に興味をもち、意識するようになりました。それまではTシャツに短パンといった服装でしたが、自分で洋服を買いに行くようになって。すると周囲の視線が変わり、見える景色も変わってきたんです。「洋服って、これだけ自分の見せ方を変えてくれるんだ」と感じました。自分の周りには洋服に興味を持っている人が少なかったので、もっといろいろな人に興味を持って欲しい、洋服の魅力を伝えたいと感じるように。世界中からファッションデザイナーを目指す人が集まると言われる、イギリスの芸術大学に憧れるようになりました。

ただ、家族の勧めもあって、海外ではなく、日本の大学へ進学することに。しかし、洋服への情熱は尽きることがありません。イギリスの大学に実際に通っている学生と触れ合いたいと、短期での渡英を決意しました。行く時期は大学2年の後半と決め、1年目はまず友達を作ってお金を貯めようと、アパレルでアルバイトを始めました。

涙と笑顔の告別式


大学2年の12月、それまで元気だった母が突然体調を崩しました。翌月には僕が成人式を迎えるので、両親が成人パーティーを企画していました。母はそれが楽しかったのか回復し、知人を100人くらい呼んで、「遠藤正幸生誕祭」と大々的に銘打ったパーティーを開催してくれたんです。

しかし、3月に入ると立てないくらい具合が悪くなってしまいました。少し意識も朦朧としていたので病院へ行ってみると、入院して検査しましょうと言われたんです。

2、3週間検査して、医者に宣告されたのは「余命5日」。ほんの少し前まで元気だったのに、と目の前が真っ暗になりました。そのまま4月の1週目、家族としても、ひとりの大人としても、尊敬していた人を失いました。

母が亡くなった直後は、本当に自分の芯が無くなったみたいでした。留学しようという気持ちはなくなり、それどころか何に対するモチベーションも湧かなくて。

でも、お通夜の時、祭りや町内会で母と交流のあった人たちが何百人も来てくれたんです。たくさんの人たちが「お前の母ちゃんこうだったよな」「あの時、こうしてくれたから助かった」と、母との思い出を泣きながら笑いながら話してくれて。お通夜にもかかわらず、賑やかな場になりました。

そのとき、自分が亡くなった後も、人を笑顔にできるってすごく素敵なことだなって気がついたんです。自分も母のように、家族や自分が関わってきた人たちに笑顔を遺したい。そのことに人生を費やそうと決めました。

忘れかけた想いに火がついた


就職活動では、様々なものが通信で繋がれば、たくさんの人たちを笑顔にできるのではと考え大手通信会社を選びました。ファッションは変わらず好きでしたが、その道に進もうという思いは無くなっていましたね。

とはいえ自分一人でできることは少ないので、いろいろな人と連携しよう、ビジネスパートナーを作ろうとアライアンス営業を志望します。希望の部署に配属されると、順調に成果をあげて会社からも評価されました。数年後には、新規収入の根幹を担う本社の部署へ異動になります。

ところが異動先の部署は、かなりの忙しさでした。一人ひとりが数十億単位の売上を上げなければならず、成果を出さなければという責任感が重くのしかかっていました。いつの間にか、この事業を成功させることが、自分のミッションになっていました。様々な人を笑顔にできるようなサービスやシステムをつくりたいと入社したはずなのに、そんな想いはすっかり忘れていたんです。

2017年、会社の組織変更に伴い2度目の部署異動がありました。そのとき、社外でよく顔を合わせていた先輩から、ベンチャーと連携したアクセラレータープログラムを一緒にやらないかと誘われたんです。

前の部署では忙殺されていたけれど、自分にもできることがあるかもしれない。ベンチャーと一緒に、尖ったサービスにかかわれるかもしれない。誘いを受けたことで、忙しい毎日の中で二の次になっていた、たくさんの人たちを笑顔にしたいという想いが蘇りました。

有志5人で、社内副業のような形でアクセラレータープログラムをスタート。みんな本業は別にあるので、頑張っても自分の評価にはつながりません。それでも会社のミッションのためではなく、自分の時間を使って、本当にやりたいことに向かって走り出しました。一歩踏み出したことで、自分の中の熱い想いに再び火が点き、燃え始めたような気がしたんです。

灯火は広がる


自分たちがイノベーションの中心になり、いろいろな社会課題を解決していきたい。そんな想いで、周りの社員や取締役、ベンチャー企業を巻き込んでいきました。すると、僕たちが掲げているミッションに賛同して、やりたいと手をあげてくれる人がどんどん増えていったんです。

僕は、世の中には5つのタイプの人間がいると思っています。まずは人に着火させることができる着火型。周りに火をつけて、熱意を引っ張り上げられる人です。次に、可燃型。可燃型には2タイプあって、すでに火がついているタイプと、まだ火がついていなかったり、一時的に消えてしまっているタイプがいます。その他に、何をやっても燃えない不燃型と、他人の火を消しにかかる消化型がいます。

僕は忙殺されて火が消えかかっていましたが、先輩が着火してくれたことで再び火が点きました。大企業だと、自分の本当にやりたいことと、会社に課せられたミッションが異なる人は多いんですよね。会社にミッションを与えられて火が点く人は多いですが、本当に自分のやりたいことに対して着火している人はまだまだ少ないと感じていました。そんな中で、アクセラレータープログラムに集まってきたのは、会社のミッションではなく、本当にやりたいことに火が点いて行動してくれた人たちだったんです。

僕たちの活動が、彼らの想いに火を点けることができた。そう感じて、やっぱり自分たちがやってきたことって間違ってないな、想いを持っている人たちに火を点けることってすごく重要だなと感じたんです。想いある人が、人生軸でやりたいことができるよう、着火できる人になりたいと思うようになりました。

アクセラレータープログラムは初年度から実績を出すことができました。しかし、大企業のルールに縛られる部分も多く存在しました。

ある教育系のベンチャー企業と、オンライン学習プログラムの販売を進めていた時のこと。僕は会社のリソースを使って家電量販店と連携した販売促進を進めていました。しかし、自社や家電量販店のルール・制度に翻弄され、企画が難航してしまいました。

その時、教育ベンチャーの方からお叱りを受けたんです。「ルールはわかった。ただ、僕らが教育業界を変えるんだ。社会課題を解決していこうとしているのに、NTTの既存のルールでできないというのはおかしくないか。ルールを守るのと、この企画を進めるのと、どっちが幸せなんだ」。

確かに、大企業のルールでできないことはありますが、多くの人が幸せになるのはこの企画を進めることだなと思いました。本当に熱い想い、使命を持っている人の言葉に生で触れ、自分の中の意識も変わっていきました。大企業が恐れているのはリスクだけだから、成功したらいい。既存のルールのせいで動けないなら、ルールを変える、ないしは既成事実を作って突き進もうと考えるようになったんです。同時に、この課題を解決すれば誰かが笑顔になると、明確なビジョンを持って事業をつくることの素晴らしさを実感しましたね。

ただ、スタートアップに伴走して一緒に推進していくものの、やっぱりサポーティブであり、外部リソースを前提とした事業開発でした。だんだんと、自分の手で人を笑顔にできるようなサービスを作りたいと感じ始めました。

そんな折、妻の病気が発覚。闘病する妻に寄り添う傍ら、自分の人生についても改めて考えるようになりました。自分の人生、このまま今の会社に勤めていていいんだろうか。今のままで、自分の死後もいろいろな人を笑顔にできるようなサービスやシステムをつくれるのだろうかと。

幸い、妻の手術は無事終わり、リハビリを通して普段通りの生活ができるようになってきました。相談をする中で、妻もいいよと背中を押してくれたため、転職することに。転職先は、異業種を巻き込んで変化を起こせる、自動車整備業界の第二創業ベンチャーに決めました。

着火できる仕組みをつくる


今は、株式会社ファーストグループで経営企画を担当しており、自動車整備業界の活性化を目指しています。自動車整備会社は現在約7万社ありますが、ディーラーや大規模事業者の攻勢により、中小規模の整備会社は今後、厳しくなっていくと言われています。アナログな勘と経験に頼っている経営全体のデジタル化や、異業種とのビジネス開拓による新規顧客流入などで、中小整備会社を含めた業界全体の活性化を目指していきます。

今までいた大企業とは異なるので困惑する面もありますが、その都度「本当に自動車業界の人やエンドユーザーがハッピーになれるのか?」という目線を大事にしています。困っている人のニーズ、課題を本当に解決できるかどうかは、前職からずっと意識しているポイントです。解決できた瞬間に立ち会えるのは、めちゃくちゃ嬉しいことですね。

また、自動車整備業界は「車の売買、整備、板金、保険」といった業種で完結してしまっているので、外の業界に触れる機会が少なく、良くも悪くも今の状況で良いと思ってしまっている人が多くいます。自動整備業界だけでなく、多くの業界でそうなのかもしれません。ですので、自動整備業界を変革し、変化を作っていくことで、多くの人の想いに火をつけられると考えています。

僕自身もそうだったように、社会課題を解決したいとか、困っている人を助けたいと思っているものの、今を生きるのに必死でその想いが弱まっている人が、社会には多くいます。もちろん仕方のない面もありますが、そういう人の想いにもう一度着火させることが、これからの日本のパワーに繋がっていくと信じています。何より、自分の本当にやりたいという想いに火が点いたら、人生が楽しくなるじゃないですか。

今後は、火を点けるだけではなく、その火が単発で終わらない仕掛けづくりもしていきたいと考えています。まだ具体的な施策はイメージできていませんが、そういった仕掛けをつくれたら、元々目指していた「自分の死後もみんなが笑顔になる世界」が実現できるのではないかと信じています。

2020.09.28

インタビュアー | 粟村 千愛ライター | 本射 嘉那子
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