「やる気」こそが、世界を動かす価値になる。 協力のプロセスに、テクノロジーで革命を。

富士通研究所で、人のつながりをつくるサービス「Buddyup!」を開発、推進する角岡さん。人の役に立つ父の背中を見て育ち、自分も多くの人の役に立つものをつくろうと想い続けてきたと言います。角岡さんがつくりたい、新しい社会インフラとは?お話を伺いました。

角岡 幹篤

すみおか もとし|株式会社富士通研究所研究員 Buddyup!チームリーダー
1981年生まれ。2003年に京都大学理学部を卒業、2005年同大学大学院情報学研究科修士課程修了。同年、株式会社富士通研究所に入社。人がやりたいことを形にするまでのプロセスを研究し、テクノロジーを用いて人とのスムーズな協力関係の構築をサポートする。社内外でのハッカソンを主催、人とのつながりをつくるサービス「Buddyup!」の開発者でもある。大企業の若手中堅有志団体の実践コミュニティ「ONE JAPAN」にも参画。同活動の資産管理などを行う一般社団法人「ONE JAPAN Resource Management」の理事も務める。

人の役に立つ父の背中


兵庫県加古川市で生まれました。小さい頃から勉強が得意で、成績がよかったです。周囲の大人から期待されているのを感じていました。

放課後は家に帰って、父との時間を過ごすのが好きでした。父は鉄工所で働く傍ら農業を営んでいて、本当になんでも作ることのできる人。水道やトイレ、風呂のほか、僕の通う小学校の体育館の倉庫をつくったり、通学路にある貯め池のフェンスをつくったり。

家族を大事にする人でもあったので、毎日5時には家に帰ってきて、一緒に遊んでくれました。あるときは、電磁石を利用して永遠に回り続けるコマをつくってくれたことも。すごく不思議で、魔法みたいに思えました。

父が作るものは、いつもみんなの役に立っていました。そんな父がかっこよくて、尊敬していましたね。自分のやることが役に立って、みんなが喜んでいる。いつか僕もそんな仕事をしたいと思うようになりました。

しかし一方で、父は「自分は頭がよくないから、もとしはもっと立派になれ」とよく言っていました。十二分に父はすごいと感じているのに、「これ以上立派になるってどういうことだろう?」と考えるようになりました。

一人で成功することには意味はない


父を見ている中で仕事観が生まれると同時に、周りから期待されるので、成長するにつれ将来は自分も何かをしなければ、という気持ちが強くなりました。

僕の住む地域では、お坊さんが月に一度説経にくるんです。話を聞く中で、「一切衆生救済」と言う言葉が心に残りました。阿弥陀様のように全員を救えるサービスをつくったら、父以上に人の役に立てたと言えるのではないかと思ったんです。中学校の文集には、「将来なりたいもの」の欄に「世界中の人の生活を底上げする」と書きました。

その後、大学進学を目指して地元の進学校へ。勉強に部活にと精力的に活動していると、ある先生から「角岡、みんなで成功するのと一人で成功するのと、どっちが嬉しいんや」と問われました。先生には、僕が周囲に協力的ではないように映ったのかもしれません。僕は、「みんなで成功することに決まってるじゃないですか」と答えました。

その問いを受けたことで、「一人で成功することには意味はない」とはっきりわかりました。みんなで何かやる方が楽しいし、自分含め、誰か一人が成功するようなものをつくっても幸せじゃないなと。みんなで成功して、みんなが幸せになれるような仕組みを作りたいと考えるようになったんです。

進路を決める時期になると、医者かエンジニアか、2つの選択肢で迷いました。悩んだ末、インターネットという新しいインフラに乗せて世界中の人を幸せにしたいと思いエンジニアになることに決め、関西の名門大学に進学したんです。

やる気に価値を見出す


ところが、入ってすぐの履修申請でミスをして、学びたかったIT系の授業を受けられないことになってしまいました。仕方なく、数学や物理や生物など興味のある分野を学ぶことに。

とはいえ、ITを使って多くの人の役に立つサービスを作りたい、という気持ちは変わりません。授業を受ける傍ら、独学でSNSを開発して広めることに。クラスの人に使ってもらいましたが、思ったようには普及しませんでした。

子どもの頃から大抵のことはできていたので、自分には何でもできると信じていました。初めてうまくいかないこともあると知り、挫折を味わいましたね。ただ、完全に折れた訳ではなく、やっぱり自分にはできるはずだ、という思いは消えませんでした。

大学院に進学し、興味を持った認知情報学を学びました。さらに研究を続けて世の中の役に立つものを生み出したいという思いがあり、情報系の研究を続けられるという理由で富士通研究所に就職を決めました。

これまで以上にクリエイティブなことができるのではないかとワクワクしながら入所。地元、兵庫の研究所で働き始めました。担当することになった仕事は、電話システムに関する研究でした。

いろいろ調べていくうち、既存の電話システムよりも、別の形でインターネットを活用した方が、もっと世の中の役に立つサービスを作れるんじゃないかと思ったんです。例えば、次世代の人々の情報インフラとなるような、スケジュール管理サービスを提案しました。

でも、具体的には何も進めることができなかったんです。既存の事業と違った提案なので、進め方がわかりません。コンセプト資料やプロトタイプを作ったりするものの、やりたいことがうまく周囲に伝えられませんでした。5年くらい、鳴かず飛ばずの状態が続きました。

しかし僕はめげずに、世の中に本当に役に立つさらなる事業アイデアを、独自に考えていきました。どうやったらみんなが幸せになれるかと考え、何か自分の課題を抱えている人に片っ端から勝手に協力してみることに。親とうまくいっていない人、知的障害がわかり悩んでいる人、新興宗教にはまっている人など、いろいろな人に寄り添い、できることを手伝いながら、それぞれどんな課題をどう解決すれば幸せになるのか?を考えました。

その結果やっぱり、やりたいことをやって、きちんとお金が稼げることが大事だとわかったんです。そこで、自分のやりたいことを見つけて実際に「やる気」さえ持っていれば、すぐに協力者が集まって、効率的にやりたいことができるサービスを作ろうとひらめきました。

世の中はモノやコトに価値を見出しているけれど、そもそも人ってやる気がないと何も始まらないんですよね。でも、やる気さえあったら、全部が実現に向けてのパワーになる。この、人だけが持つ「やる気」こそが、価値だと考えました。例えば石油という資源が車を走らせたりストーブを動かしたりするように、やる気を基にしてさまざまな物事が動く世界を作れるんじゃないかと思ったのです。

やる気を価値にするというアイデア、それを基にしたサービスは、まだ誰も作っていません。実現できたら、世界に名の知れた著名な起業家になれるかもしれない、1000年後の教科書にも載るかもしれない。そんなワクワクが膨らみ、このテーマに人生をかけて取り組もうと決めたんです。

なんの役にも立っていない自分


やる気があればロケットスタートを切れるサービスをつくるために、協力者を見つけたり、プロジェクトの立ち上げを効率化できる仕組みを考えたりしていきました。

でも、実現にはほど遠くて。会う人会う人に働きかけるものの、周囲を巻き込むことができません。ひとり空回りして、成績は最低。社内では窓際族状態になっていました。

毎日、一生懸命仕事をしているんです。でも、何の役にも立っていない。その頃、結婚して子どもも生まれていましたが、仕事を何とかしなきゃと頑張っていると、子育ても任せっぱなしになって。妻を幸せにしたいと思うのに、それもできなくて、俺は本当に、何のために存在しているんだろうとわからなくなりました。

誰の役にも立っていない自分には、存在価値がない。そう感じて、毎日なんとか生きているだけの状態が続きました。

押した分だけ壁は動く


そんな中、所属している部署が、兵庫から神奈川の本社へ部署ごと異動することになったんです。僕も神奈川で働くことに。新しい勤務先は、研究所だけでも1000人、研究所以外も含めると1万人ほどの人たちが働いていました。これまで200人くらいの組織で働いていたので、世界が広がった感じがしました。

しかも、本社なので、たくさんの決裁者がすぐ近くにいるんです。これまでは1週間後の本社会議を待たないと決められなかったことが、すぐに決定できる環境になりました。これまでとやっていることは同じでも、書面ではなく話してみると、反応が全く違いました。僕の持っている熱量が伝わったんだと思います。環境が変わり、物事が進み始めた感覚がありました。

ある日、後輩が「シリコンバレーでやっているハッカソンというのが、面白いらしいですよ」と教えてくれました。面白そうだったのでやってみようと、社内の研究者を集めて、事前ヒアリングののちにチームを作り、1日でプロダクトを作り切るハッカソンを企画しました。

やろうと言ってみたものの、不安でした。優秀な研究者に集まってもらって、つまらないイベントになってしまったら、何も生まれなかったらどうしようと。しかし、1日が終わってみると、いくつもアプリケーションが完成していたんです。アイデアが形になることに衝撃を受けました。

加えて、技術者同士がコラボしてものを生み出す過程に、やりたいことを実現するためのノウハウが詰まっていると感じたんです。知らない人同士がつながり、協力し、ものを生み出す。このプロセスをデジタルで効率化していくことができたら、やる気を元にロケットスタートを切れるようになるかもしれない。求めていたイノベーションの手がかりを見つけた感じがしました。

そこで、このハッカソンをブラッシュアップし、実施を重ねていったところ、活動が一気に広がり、さまざまな会社の人材開発の担当者から声が掛かるようになりました。さらに社内でも、僕らがやっていることが認められ、本社表彰をいただくことができたんです。ハッカソンは、全社イベントになりました。

人と人とが絡まり始め、やる気を価値にした新しいサービスを作りたい、という僕の想いに協力してくれる人が増えてきました。さらに、「一緒にやろう」と言ってくれる幹部の方にも出会えたんです。

これまで、自分は天才だろうと思って一人、全力で頑張ってきました。でも、ダメだった。人を巻き込むのに必要なメンタリティややり方を徐々に身につけて、人と協力して行った結果、今まで押し続けていた壁が、ようやく動いたような感じがしました。

さらに、知人の紹介で、大企業の若手中堅有志団体の実践コミュニティ「ONE JAPAN」にも参加するように。ONE JAPANは、日本の大企業を構造化してくれているように感じました。自分には手の届く範囲しか押せないけれど、押し続けて会社が動いたように、ONE JAPANを押せたら日本を動かせるかもしれない、と感じたんです。僕にとっては希望でしたね。ONE JAPANでもハッカソンを主宰させてもらうなど、活動が広がってゆきました。

新たな社会インフラを


今は、富士通研究所の研究員として、やる気に価値をおき、やる気さえあればロケットスタートを切れる仕組みをつくろうと研究しています。まずその第一歩として、人とのつながりを作るサービス「Buddyup!」をつくっています。

Buddyup!は、同一コミュニティの中で、コミュニティの構成員にとって役立つ、つながりや協力を生み出すサービスです。具体的には、構成員にプロフィールを入れてもらうと、自動的にキーワードが生成されます。このキーワードを元に、共通点のある人や関心領域に詳しい人を、簡単に見つけ出せる仕組みです。やりたいことを始める時の第一段階、出会いの部分を効率化しているイメージですね。今は5000人ほどの方に使っていただいていますが、価値を増やして世界中の人に使ってもらえるサービスにしたいと考えています。

ここからさらに、知らない人同士が出会って、コミュニティをつくり、コラボレーションして事業にするまでの一連の流れを、効率化していきたいと考えています。僕は10年をかけて、この流れを独自に18段階に分解しました。それぞれの段階ごとの解決策を、デジタルを活用してサービス化していくつもりです。

考えてきたことを形にすると同時に、ONE JAPANでハッカソンを開いたり、企業で講演をしたりと、人のやりたいことを支援する活動もしています。その中で仮説検証を回し、サービスに生かしたいと考えています。

今の時代は、やりたいことや想いを発信したら、SNSで他者から「いいね」をもらえます。でも、いくら「いいね」が集まっても、直接的に事業にはつながらない。やりたいことを応援されるだけじゃなく、本当に実現できるようにするために、このサービスをつくりたいと考えています。それができたら、きちんと社会の役に立つものを発明できたと言えると思うのです。

同じことを考えている方は、いっぱいいるのではないかと思います。このサービスを実現するには、当面の完成まででも、きっと3000個くらいの課題を解決する必要があると想像しています。現状、僕らのチームで1000個くらいこなせたと思っています。残りの2000個を一緒にやれる仲間を見つけながら、みんなが幸せになれる仕組みを実現させていきたいです。

2020.09.08

インタビュー・ライディング | 粟村千愛
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