複業して気づいた、パラレルキャリアの可能性。 会社を越え、社会で輝ける女性を増やすために。

女性の活躍の場を広げるべく、パラレルキャリアを推進する美宝さん。元々は企業で管理職として働いていましたが、自らが複業を始めたことをきっかけに、現在の活動にシフトしたといいます。美宝さんが新しい働き方を推進する理由とは?お話を伺いました。

美宝 れいこ

みほ れいこ|エール株式会社代表取締役・パラレルキャリア専門家
エール株式会社代表取締役。 パラレルキャリア推進委員会代表。産能短期大学国際経営ビジネス学部を卒業後、大手旅行代理店に入社。その後、営業として数社を経験し、2000年に広告代理店に転職。女性初の事業部長に就任。自身で複業としてアロマサロンを開業したことをきっかけに、女性から複業の相談を受けるようになり、2016年にパラレルキャリアコンサルタントとして独立。個人や企業にパラレルキャリアという新しい働き方を推進する。

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生粋の負けず嫌い


千葉県市川市で生まれました。父母と、6つ上の姉の4人家族です。物心がついた頃には、姉妹でモデル事務所に所属していました。私が生まれたばかりで熱を出したとき、母が病院の待合室に座っていたところ、たまたま隣に座ったモデル事務所の人に声をかけられたそうです。よくわからないながら、幼い頃からCMなどのオーディションを受けていました。負けん気が強くて、オーディションに落ちると悔しくて大泣きしていました。しばらくその場を離れないくらい、負けず嫌いでしたね。

とはいえ、親は私を芸能界にいれたい訳ではなく、私自身も特に執着がある訳ではなくて。子役は6年間続けましたが、幼稚園を卒業するころにやめて、普通に小学校に通いました。好奇心が旺盛で、いつも一人で近くの公園に行って、知らない子と遊ぶのが好きでしたね。決まった友達といるよりも、新しいことが起きる方が楽しかったです。

小学校からバレエを習っていたので、中学に入ると新体操部への入部を希望しました。しかし、事前の入部テストを受けたら身体能力が足りず、全然できなくて。入部を諦めました。それでいろいろな部活を見ていたら、剣道がすごくかっこよくて。やってみたいと思って親に頼みましたが、猛反対されたんです。

いつも新しいことに興味のある子どもだったので、結局すぐ辞めるんじゃないかって親からはずっとOKが出ませんでした。剣道は始める時すごくお金がかかるので。でも、どうしてもやりたい。意地になって、絶対にやめないからと何日も泣いてお願いした結果、なんとか入部を叶えてもらえました。

入ってからは、剣道一色の毎日でしたね。剣道部には、男子剣道と女子剣道があり、月に1回それぞれのトップが戦って部内の1位を決める慣例がありました。1位になると、次の勝負まで1カ月間、金色の胴をつけることができるんです。私はすごく刺激を受けてやる気を掻き立てられ、男性にも勝ちたいと必死で取り組みました。その甲斐あって、上級生になると金の胴を手に入れることができました。3年生では部長になり、部をまとめて。男女関わらず、一番になりたい気持ちが強かったです。

勉強は好きというわけでもなかったので、高校は推薦で入れる都内の私立に進みました。高校生になって、家でいとこの子を預かる機会がありました。遊んでいると、私によく懐いてくれて、本当に可愛くて。子どもが好きだなと確信して、保育士になりたいと思うようになりました。

しかし、進学を前に家族に相談すると、反対を受けました。これから少子化になるし、もっと安定した仕事について欲しい、という願いがあったみたいです。父も母も自営業をしたりいろいろな職に就いたりしていて、姉もほとんど会社勤めせず20代から起業していたので、私には、堅実に勤めて結婚して家庭を持ってほしいと理想があったみたいです。

保育士への憧れはありましたが、正直、迷いもありました。そこで、保育の短大とビジネスの短大の2つを受験し、受かった方の道に進もうと賭けをしました。結果、保育の短大は落ち、ビジネスを学べる短大へ進学することになりました。

父の死と生き方への姿勢


大学に通い始めた頃、父の具合が悪くなりました。お医者様に「大きな病院で調べてください」と言われて検査すると、がんで余命3カ月だと突然宣告されたのです。すぐに緊急入院することになりました。

父に病名は告げず、母と私たち姉妹で治ると信じて看病することにしました。父はもともと丈夫な方ではなく、何度も入退院を繰り返していたので、私の中では「また、絶対治るでしょ」という気持ちがあり、楽観視していました。

体調が悪化し父が個室部屋に移動になった日、みんなで病室にいると、父に怪しまれるかもしれないということで、病室にはお父さん子だった私が泊まることになったんです。一泊した次の日、どうしても提出しなければならない課題があって、「1回大学に行ってすぐ戻ってくるね」と父に声をかけ部屋を出ました。入院している3カ月のあいだ、毎日看病で付き添い、早退もしていたので、単位が足りなくなっていて。課題まで落とすと留年してしまうので、その日はどうしても行かなければと思ったんです。

課題を提出して病院に戻ろうとしている時、姉から電話がありました。「お父さんが亡くなった」と。電話越しに言われて、大きなショックを受けその場で泣き崩れました。課題なんて、待ってもらえばよかった。もしずっと付き添っていたら、家族全員で看取れたのに。そう思うと本当に悔しくて悲しくて、大きな後悔が残りました。

母や姉はある程度覚悟していたようでしたが、私にとっては本当に突然のことでした。父はまだ50歳だったので、この先20年以上あっただろう人生が、いきなり無くなってしまった感じがしました。この先当たり前にあると思っている時間が、急になくなることがある。そのことを知って、自分のやりたいことをちゃんとやらなきゃいけないと思うようになりました。

通っている短大では、カリキュラムにアメリカへの短期留学が含まれていました。正直、海外にはあまり興味はなく、父も亡くなり母子家庭になったので経済的にも厳しいだろうと思い留学しないと決めたんですが、母と姉に「せっかくのチャンスなんだから、経験を積んだ方がいい」と説得されて、行くことになりました。

初めての海外、異文化に触れるうちに外国に興味は出てきました。そんな中で、留学先の大学で日本人男性と知り合って、付き合うことになったんです。帰国後も海外の楽しさを知り、彼ともまた会いたいと思って、就職ではなく留学を考えるようになりました。周囲が就職活動を始める頃になっても、留学のための情報収集や費用の調達などに時間を使っていました。

しかし、突然、相手が帰国することになったんです。そこで、私も急遽就職活動に切り替えました。周囲に出遅れていたので、なんとか入社できた大手旅行会社で、事務として働くようになったんです。その男性とはやがて結婚し、家族になりました。

やりがいと居場所を探して


旅行会社では、旅券発券やツアーの日程組みなどが主な仕事でした。残業が多く、旅行シーズンには終電ギリギリまでかかることもざらでした。高校時代からアルバイトなどで働くことは経験していましたが、「夜中まで残業するのにやりがいがない仕事はめちゃめちゃきついな」と改めて気がつきました。同僚とご飯を食べていても、みんなやりたいことがあるキラキラした感じではなく、生活のためだけにただ働いているんですよね。やりがいという点から、ここで長くずっと働くという選択肢はないな、と思いました。

一方で、周りの友達はカメラマンになったり保育士になったりと、「やりたいことを仕事に」している子が多かったです。それがとても羨ましく、周りと比べては、離れた世界にいる自分に焦りを感じました。

いつまでもやりがいのない仕事をしていても仕方ないと、旅行代理店は1年半で退社。やりたいことはすぐに見つからなかったので、お給料を基準に営業職につきました。はじめはITシステムを販売し、さらに転職して教育プログラムを販売しました。どちらの会社でも成果は残せて、新人賞をいただくこともありましたが、それが楽しいかと言われるとちょっと違っていて。一生ここで働いていくというストーリーが描けなかったんですよね。自分の居場所というか、自分に合ったやりがいのある仕事をいつも探していました。

4社目は、広告代理店に入りました。入社早々良いポジションを与えていただき、給与もよくて20代で事務職にもかかわらず年収は1000万近くになりました。男性中心の会社だったので、女性が前に出るのが難しい面もありました。でも、言っていることが正しければ意見を聞いてくれ、きちんと評価してくれる環境だったんです。成果を出せば評価してもらえる。的確にフィードバックもしてくれる。働いていて初めて「仕事が楽しい」と感じました。上司からも目をかけてもらって、昇進したい、役職に就きたいという目標が少しずつ湧いてきましたね。

入社して6年目に、600人いる社員の中で、女性で社内初の部長職をいただくことができました。年齢や性別に関係なく評価されたことがすごく嬉しく、大きな達成感を得るとともに、自信を持つことができました。

家庭と仕事とのはざまで


33歳のとき、母が病気になり入院しました。父が亡くなってから特に家族愛が強くなっていて、母も姉も私にとっては絶対的に大切なものでした。だから、母に少しでも長く付き添っていたいと思いました。会社に話をしたところ、毎日早退して看病に行ってもいいと許可をもらいました。しかし、役職についている以上、ずっとそれをやるわけにはいかないという葛藤や後ろめたさがあって。会社と家族とのはざまで揺れました。家族に何かあった時に寄り添えないなんて、会社員って不便だとジレンマがありましたね。

母の時間も限られているのかもしれないと思うと、会社をやめて看病することも考えました。しかし、決断する前に、母は亡くなってしまって。ショックが大きくて、しばらく廃人になって何もできなかったです。

会社のみんなは優しいので、「会社に来るだけでいいよ、仕事しなくても、座っていればいいよ」と言ってくれました。でも、行ったら行ったで、上に立っている以上、仕事はしなければなりません。出社しても、不意に涙が溢れてくるくらい情緒不安定になっていました。張り詰めていたものが切れて、働く意欲が湧かなくなってしまったんです。もうこれ以上働けないと感じ、会社に辞めたいと申し出ました。

退職が決まって、引き継ぎの準備をしている間、同僚や上司がギリギリまで引き止めてくれました。その中で、チームメンバーが「あなたがリーダーだから、今まで私たちはやってこれた」と言ってくれて。その言葉を聞いて、こんなに必要としてくれるのはありがたいなと心が揺れました。そこでもう1回頑張ってみようと思えたんです。退職せず、働き続けることを決めました。

複業を始める


家にいると母を思い出し辛いので、なるべく外に出る時間を増やしたいと思っていました。母は働き者で若い時から病気になるまでずっと仕事をしていたので、自分がやりたいことの無いまま亡くなってしまったのではないかと感じていました。そんなことを考えていると、父が亡くなった時の気持ちも思い出し、私もまだ、やりたいことをやっていないと思ったんです。いつ自分が亡くなってしまうかもわからないのだから、やりたいことを見つけたいな、と。

そんな折、電車に乗っているとき1枚の中吊り広告のキャッチコピーが目に止まったんです。そこには、「キミじゃなきゃダメなんだ。そう言われることが人生で何回あるだろう。」と書かれていました。

私が会社を辞めたとしても、会社は回っていくはずです。そう考えると、私はまだ、私の名前で、私じゃなきゃダメだと言われる仕事を見つけていないと思いました。それを見つけたいと思ったんです。

そのころは、好きなことで起業するのが流行っていて、インターネット上にはそのためのノウハウや自己啓発的な記事が溢れていました。好きなことで起業するのはいいなと安易に思い、興味のあったアロマサロンをやってみたいと考えるように。自分でアロマサロンにいくのも好きでしたし、姉がサロンをやっていたこともあって身近に感じて。

仕事終わり、午後8時ごろから学校に通い、アロマセラピストのほか、フェイシャルや整体などサロンのために必要な資格を取っていきました。ぼーっとしていると辛かったので、2年ほど一生懸命スクールに通いました。

その結果、自宅の近くで場所を借りて、複業でアロマサロンをオープン。平日の夜と土日に開店させて、運営していくようになりました。

女性に機会と自信を


ところが、店を運営しているうちに、セラピストとしての仕事が好きなわけではない、と気がつきました。知り合いのセラピストをみていると、本当にセラピストという仕事が好きなんだな、とわかるんです。それと比べると、私はそこまでの情熱がないなと思えてしまって。定年後もセラピストをやりたいかと問われると、わからないなと迷いが生じました。

そんなとき、集客のために始めたSNSに、フォロワーの女性たちから複業に関する問い合わせがくるようになりました。複業に関するカウンセリングをしていくうちに、そっちにやりがいを感じ始めたんです。相談してくる人の中には、やりたいことが見つからないと悩む人もいました。やりたいことが見つからない、自分を活かせない辛さは、私自身もよく知っています。悩む彼女たちの姿が、自分に重なりました。この悩みは私だけのものじゃなかったんだ、働く女性ならみんなが抱えているものなんだ、と感じたんです。

思えば、女性は能力やスキルがあっても、男性に比べて評価されにくい現状にあります。それによって、自己肯定感が上がりにくい。自分だけが周りに比べてできていないような気がして、劣等感が生まれ、生き方にモヤモヤしてしまうんです。

私も同じでしたが、複業を始めることで見える世界が変わり始めました。会社という井の中の蛙ではなく、その外に出ることで満たされることもあるかもしれない。会社じゃ評価されない女性は、社会に出て評価されればいい。そんな風に考えて、女性が会社の外で価値を発揮し評価される、パラレルキャリアを推進しようと思ったんです。人が新しい世界に踏み出すお手伝いができることに、すごくやりがいを感じました。

最初は小さな女性コミュニティを作りました。月20人で食事をするなどして、複業を始めるための情報交換や仲間づくりのきっかけを作ろうとしたのです。しかし、1年やってみて、実際に一歩踏み出し複業を軌道に乗せるには、これだけでは難しいと実感しました。複業をはじめて1年半後に退職して起業し、本腰を入れることにしました。

そこで、組織体制を変えて、みんなが動き出せる仕組みづくりにフォーカスしていったんです。まだ「パラレルキャリア」という言葉が浸透していなかったので、パラレルキャリアを専門とした雑誌をつくるなどして、知ってもらう活動をしました。その中で、活動に賛同してくれて、一緒にやりたいという方が増えてきて。気がつくと運営メンバーが国内外から多く集まってくれて、1200人ほどの組織に成長していきました。

コミュニティには、やりたいことが見つかる前の、何かに挑戦してみたい人も多くいるので、複業を体系的に学べるパラレルキャリアを実践するためのスクールをつくり、その中で複業家を創出していけるような環境も整えました、

セミナーやスクールを通して、それぞれの変化がありました。ある受講者の方は8年くらいずっと悩んでいたそうですが、スクールに入り、すぐに起業して法人化していったんです。ちょっときっかけを与えるだけで、こんなにスピーディーに変わるんだと実感しました。

様々な変化を見て、人が変わるには、「人」と「環境」の2つが大事だと思っています。パラレルキャリアを目指す人とのコミュニティ、後押ししてくれる環境。この2つがあることで、人は変われるのだと。もちろん、自分のやりたいこと、やれることを知っていくことは大事です。でも、それが一発で見つかることはすごく少ないと思っていて。実際にやってみるうちに、やりたいことはどんどん明確になっていきます。それを微調整しながら、徐々にピントを合わせていく必要があるのです。試行錯誤する中で、自分のやりたいことを見つけていける、そんなコミュニティを作っています。

パラレルキャリアを日本に根付かせる


今は、エール株式会社の代表として、女性の活躍の場を広げるためにパラレルキャリアを推進しています。

働き方改革で複業が解禁になって2年ほど経ちますが、実は企業の2、3割しか実際には複業を解禁していないんです。個人でも、8割ほどが複業に興味を持っていますが、実際に始めているのは3割ほどと言われています。制度としてあるものの、実情が伴っていない。そこを前向きに変えていくために、企業と個人、両方からアプローチしています。

企業向けには、人事などのイベントで講演したり、外部顧問として新規事業を立ち上げたりしています。個人向けには、「パラレルキャリア推進委員会」という女性活躍と複業推進をテーマにした女性のコミュニティやスクールを運営しています。日本全国と海外にも会員がおり、会社員、女性起業家、複業家と、異なる働き方をする女性が集まるコミュニティですね。

特に、これから複業を始めたいという人が、多数所属しています。すでに複業している先輩をロールモデルにしてモチベーションを高めたり、美容やデザインや講師など、自分の興味のあるカテゴリのチームに所属してもらい、お互いに情報交換したり相談し合ったり。企業からの複業依頼も募っていて、興味のある分野で実際に複業を始められるようにしています。

女性は特に、結婚や出産などでキャリアが分断されますし、会社内ではまだまだチャレンジの機会が少ないのが現状です。加えて、自分に自信がない人が多いんですね。世界に比べて日本の女性リーダーが少ないのは、自信のなさも大きく影響していると思います。だから、女性が自信をつけていくことがすごく大切かなと思っていて。そのためには、小さな成功体験を積み重ねていくしかないと思うんです。

私自身、男性と比べて女性に与えられる機会が少ないことは感じてきましたし、悔しい思いもしました。さらに、昇進を打診されても家族や時間のことを考えると、断らざるを得ない気持ちもわかります。だから、自由度が高い複業の活動の中で、成功体験を積んでいってほしいと思っています。男性と張り合うことはないと思うんです。男性が男性の力を活かせる場所があるのと同じように、女性は女性の能力を活かせるところをつくり、共存していくべきだと考えています。

今は、パラレルキャリアを推進するこの活動が、自分の使命だと感じています。複業を始めた時からわかっていたわけじゃなくて、チャレンジした先にやりたいことが見つかりました。挑戦するごとに、挑戦の内容も変わるし、出会う人も変わります。その中で気づきを得ながら、取捨選択していった結果、やりたいことは見つかると感じています。だから、大事なのは、まずやってみること。それができる環境や場づくりを続け、最終的に日本全体の女性活躍につなげていきたいです。

2020.08.12

インタビュー・ライディング | 粟村千愛
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