「プロセス」を通して世の中を自分ゴトに。 経験したから伝えたい、自分の頭で考える喜び。

まちづくりや福祉などのプロジェクトで、市民の意見を大切にした意思決定をサポートする「プロセスコンサルタント」の守本さん。「大事なのは自分の頭で考えられること」と話します。守本さんがそう考えるようになった原点とは?お話を伺いました。

守本 尚子

もりもと なおこ|プロセスコンサルタント
静岡県出身。大学卒業後、株式会社西武百貨店入社し店舗の営業企画を担当。その後、静岡政経研究会に入社、まちづくりコンサルタントとして勤務。1997年よりフリーランスとして主に住民参加型のまちづくりを担当。

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自分の意見のない子ども


静岡県静岡市に生まれました。父、母と2つ下の弟の4人家族です。父は昔ながらの家族観を大事にしていて、なんでも跡取りである長男を優先させました。自転車も弟のために買い、私はそれを借りて乗っていました。弟の方が大事なんだ、と感じて切なかったです。

不満を口にすることもありましたが、「弟が長男だから」と言われてしまえば反論することもできなくて。そういうもんなんだ、と考えるようになりました。

両親は、娘である私に対しても理想があり、将来は家の近くで学校の先生になることを望んでいました。小さい頃から「学校の先生になったら?」と勧められ、進路も親が決定。なんとなくモヤモヤした気持ちはありましたが、「言われたから」やるのが普通でした。
母の勧めで中高一貫校に入学すると、部活も家庭科部に入るよう勧められました。母は洋裁が得意で、私もよく母のミシンで遊んでいたんです。まあいいかと勧められるまま部活に入りました。でも、やってみると手応えがなくて。友達の入った放送部の方が面白そうだと感じました。

そこで初めて、親に意見したんです。放送部に入りたい、と。毎日活動があり帰りも遅くなるため、最初は渋られました。でも、「勉強するならいいよ」という条件で入部を許可してもらえました。結局、勉強はちっともしませんでしたが。

放送部では、番組制作を担当するチームに入りました。ディレクターとして、地域の人にインタビューするなどして番組づくりをしたんです。地域に出ていろいろな人の話を聞くと面白くて、漠然と社会について興味が湧いてきました。6年間の活動を経て、大学は社会学系に進みたいと考えるように。

両親には、家から通える大学で、英語の教育免許が取れる学部を勧められていました。でも私は東京に行きたかったんですよね。周囲がみんな東京志向だったので、特に理由はなく私も東京に行こうと思っていました。何校か東京の大学を受験しましたが、結果は失敗。二次募集でなんとか京都の大学に合格し、京都で一人暮らしして通学することになりました。

関西人への憧れと解放


京都の大学に入学しても、東京に行きたかった気持ちは消えず、落ち込んでいました。心が東京にあるので、関西の空気感に馴染めなくて。周囲と打ち解けられず、すごく辛い1カ月を過ごしました。

でもある日、突然閃いたんですよね。「関西人になってみよう」って。周囲の人の見よう見まねで関西弁を覚え始めました。海外留学しているみたいな感覚です。言葉を覚え始めると、話すのが楽しくなっちゃって。どんどん関西が好きになりました。関西人の自由闊達さに憧れ、私もそうなりたいと思ったんです。

加えて、生活でも変化がありました。一人暮らしをしたことで、当然生活に必要なことは全部自分でしなくてはなりませんでした。結果、今日食べるご飯も、着ていく服も、出かける場所も、全部自分で決められることに気づきました。そのことが喜びでした。どんどん自分が解放されていく気がしたんです。生まれて初めての感覚でした。自分でできることが一つ一つ増えていくにつれ、自分のことが好きになれました。

勉強も面白かったです。ゴミ問題や環境問題など生活のなかで起きている問題や、消費行動や流行などを通して、生活と社会の結びつきについて学べました。ゼミの発表を通して、積極的に自分の意見も伝えられるようになりましたね。これまであまり自分の意見を持たずにいましたが、自分の考えを話してもいいんだと知って、自分がどう思うか考え発信できるようになりました。勉強も生活も、とにかく楽しかったです。

生活者と生産者をつなぐ企画を


就職活動では、生活に密着し、消費者と直接つながる仕事をしたいと考えました。ちょうど男女雇用均等法が成立した年で、まだ世の中の給与には男女格差がありました。その中で、ある大手百貨店が男女同一賃金を導入していたんです。大きなインパクトがありましたし、そういう制度を採用するということは女性の働く環境にも配慮があるのかもしれないと思いました。

一方で、もっと勉強したいという気持ちも出てきて、就職か大学院への進学か進路に悩み、ゼミの先生に相談していました。ある時、研究室の助手の方に呼び出され、「自分自身のことを誰かに決めてもらいたいように見えるよ。あなたはどうしたいの?」と言われました。生まれて初めて投げかけられた言葉でした。その言葉がずしんと胸に響いたんです。さんざん悩み抜きましたが、消費者とつながる仕事がしたい、という思いを選び、その百貨店に入社を決めました。

関西での勤務を希望しましたが、叶わず、地元の静岡勤務に決定。関西に居たいという思いはありましたが、仕方なく静岡へ。最初は接客を担当しました。

男女平等を期待していましたが、実際はまだそんなこともなくて。あるとき、同期の男性だけを研修に行かせるというのを小耳に挟み、上司に直談判に行きました。「どうして彼だけなんですか?私も行かせてください」って。京都での経験で、自分の意見を主張できるようになっていたんです。

さらに、企画部署に行きたいと言い続けました。売り場で一つのことを追求するよりも、もっと生活全般に関わり、いろいろなものを組み合わせてお客様にご提案できる仕事に携わりたかったんです。店舗全体をオペレーションするダイナミックな規模感にも憧れていました。人事部に訴え続けた結果、1年半で企画の部署に異動になりました。

念願が叶って嬉しかったものの、企画の仕事はまるで未経験。企画の「き」の字も知らない状態だったので、かなり絞られました。やめたいと思う暇もないほど、忙しい日々が続きました。

上司はとても優秀な人で、どんな企画も背景をとことん追求してきました。どんなに面白くても、それをやる背景や根拠をきちんとプレゼンできなければ、OKしてもらえません。なぜこれをやるのか、ただ面白いのではなく、どんなプロセスの中で生み出されたものなのか。徹底的に情報を集め、自分でストーリーを組み立てる、自分の頭で考える癖がつきました。仕事の基礎を教えてもらったような感覚でしたね。

ハードながらも充実して働いていましたが、6年目で企画の部署から異動になりました。やっぱりどうしても、企画がやりたかったんですよ。そのほかの仕事にやりがいを持てず、転職を考えるように。そんな折、仕事で知り合ったシンクタンクの社長に「私も入れてよ」と直談判。百貨店とシンクタンクというと全く仕事内容が違うと思われそうですが、私は、百貨店が生活者と生産者をつなぐ仕事なら、シンクタンクは生活者と行政や地域をつなぐ仕事だと感じたんですよね。希望がかなって、入社できることになりました。

住民主体のまちづくり


新しい会社では、しばらくボスについてアシスタントとして仕事しました。そんな中、まちづくりのシンポジウムの企画をメインで担当することに。住民に、あるプロジェクトを啓発するための施策です。

シンポジウムというと、偉い先生が来て話して、それに対しての質疑応答で終わってしまいがちです。でも、私は住民の意見を聞く時間を多くとり、「みんなで考えましょう」という立て付けにしました。シンポジウムは無事成功、住民の意見を取り入れた立て付けを気に入っていただけたのか、それ以降私に指名で仕事が入るようになったんです。仕事を認めてもらえた感じがして、とても嬉しかったです。

だんだん自分で案件を持てるようになり、まちづくり計画などに携わる仕事にやりがいを感じました。しかしその一方で、担当するまちに縁もゆかりもない自分が、まちづくりの計画を立てることに違和感を覚え始めたんです。このまちに関係のない私が作るんじゃなくて、住んでいる人に話を聞いて、その人たちの目線で計画を作れないか?と考えるようになりました。客観的なだけの提言ではなく、もっとまちの人の想いを入れるべきではないか、と。

情報収集する中で、東京に住民参加を主体としたまちづくりの学校があることを知ったんです。静岡で仕事しながら、その学校に通いました。

最初は、住民へのヒアリングを手厚くして、住民の声が反映された計画をつくる方法を学びたいと思っていました。でも、学んでいくうちに、それだけではないとわかったんです。聞くだけじゃダメだと、住民が当事者になってプロジェクトを推進する、住民主体のまちづくりがあると。それを知って、「私も住民が主体となるまちづくりをしたい!」と手法を学んでいきました。

ただ、会社に戻ってそれを実践しようと思うと、うまく行かないこともありました。自分の想いとは違う仕事をしなければいけないこともあって。気持ちが良くなくて、住民主体のまちづくりだけをやりたい、という想いが募っていきました。そこで、退職し、フリーランスで「まちづくりコーディネーター」として仕事をするようになったんです。

自分の頭で考えるサポートをする


フリーになってからも、主に行政から仕事をいただき、まちづくりを中心にワークショップなどの設計や運用を担当しました。ちょうどその頃、子どもを授かることができたんです。

子育てをしてみて、子どもははじめから人間ではないというのが驚きでした。一つずつ社会のことを覚えて徐々に人間になっていくんですよね。その様子を観察するのがとても面白かったです。

よく「子どもをこういう風に育てたい」という話がありますが、私はそれは親目線の考え方のような気がしていて。子どもは、自分とは違う「他者」なんですよね。いくら幼くても子どもにも子どもの意思があるはずで、それをキャッチして尊重することが親の仕事なのではないかと考えました。そう考えると、子育ては、私の仕事と似ていました。

こちらが何かを押し付けるのではなく、相手が何をやりたいのか引き出す。あくまで相手を主体に、まず相手が自分の頭で考えられるようサポートする。子育てをしてみて改めて、それが自分のやりたいことだと気がつきました。

子育てしながらいろいろなプロジェクトに携らせていただきました。営業はしたことがなくて、関わった方からのご紹介で、少しずつ続けてくることができました。あるとき、道づくりのプロジェクトを担当することに。障害者や高齢者にも歩きやすい、バリアフリーな道づくりの先駆けとなるプロジェクトでした。

身体・視覚障害者、妊娠中の方、子どもに高齢者など、地域に住む様々な方を交えて議論しました。歩くときの条件が違うと、歩きやすさのものさしは全く変わるんですよね。例えば、視覚障害者の方は車道と歩道の間に段差がないのを嫌います。境目がわかりにくく、危ないからです。一方で、車椅子の方やベビーカーを押している方は、段差が無い方が動きやすい。ここをどう解消するかが問題でした。

そこで、実際にいろいろなタイプの縁石を作ってもらい、歩きやすさを試してもらいました。ひょんなきっかけから、普通は横に置いて使う縁石を、縦に置いてみることに。「この形ならどう?」と試してもらったら、視覚障害者の方も、車椅子やベビーカーの方も歩きやすかったんです。「これだ!」と思いました。ちょっとした発想の転換で、両者が折り合うところが見つかった。みんなのイメージが一致した瞬間、パズルがぴったりはまるような快感がありました。

このプロジェクトは実際に形になり、新しく作った縁石を使った道ができました。関わった地域のメンバーにとって、大きな達成感になりましたね。私自身も、住民参加型のまちづくりができたと感じられ、大きく印象に残る出来事になったんです。

そうやって仕事を続ける中で、私のワークショップに参加された方から「あなたの仕事はコンサルティングだよ」と言われました。それまでは「まちづくりコーディネーター」を名乗っていましたが、もう一度自分のやっていることを捉え直してみたんです。私がやっているのは、まちづくりだけではなく、参加者が自分で考えたことを出し合い、みんなでまとめ、物事を一つに決定するプロセスを作ることだと感じました。そこで、「プロセスコンサルタント」と名乗るようになったんです。

社会と自分とをつなぐプロセスを


今は、様々なプロジェクトのプロセスに寄り添う「プロセスコンサルタント」として活動しています。まちづくりを中心に、コミュニティや福祉などテーマは多岐に渡ります。

やっているのは、さまざまな人たちが集まって、一緒に物事を考える場のファシリテート。誰かがトップダウンで決めるのではなく、多様な人が集まって決める中でのプロセスこそ、大事にすべきだと考えています。

もちろん個人個人にいろいろな考え方がありますから、なかなか議論はまとまりません。絡まった毛玉をほぐしていく作業に近いですね。それでも、道づくりのプロジェクトで感じたように、ジグソーパズルのピースが上手くはまる瞬間に出会えると、すごくやりがいを感じます。行政にも生活者にも、それぞれ意見がありますが、見方やつなぎ方を変えてあげるとそれらがつながり、イメージが一致することがあるのです。

活動を通して目指しているのは、自分の頭で考えられる人を増やすことです。誰もが自分の目線で物事を考えることで、その価値観や物の見方の数だけ、可能性が広がるはずです。加えて、まず自分の頭で考えてやってみると、世の中がどんどん自分ごとになっていくんですよね。そんな体験を増やすことで、社会に関心がある人を増やし、社会全体がよりよく、みんなが生きやすくなったらいいと思います。

たとえば、自分の家の前にゴミが落ちていたら拾うじゃないですか。でも、家の近くの公園にゴミが落ちていたら、「町の仕事だろ」と感じて拾わない人、文句を言う人も多いはずです。公園が荒れているのは自分と関係がないから拾わないのかもしれない。でも実は、公園と自分の家はつながっているんですよね。公園が荒れていることは、自分の住む街の価値を下げてしまいます。ひいては自分自身の自己肯定感も下げてしまう。自分でそれに気づいて、公園で見つけた目の前のゴミを、拾える人、公園やまちを大切に思う人が増えるといいなと思います。

ただし、理屈で人は動きません。正論を振りかざすのではなく、自分の心の内側から気づいていく、そのプロセスこそが大切で、その機会をつくることが必要だと思うのです。だからこそ、社会を自分に近づけ、自分ごとに思えるような想いあるプロジェクトに寄り添い、より良いプロセスを生み出していきたいです。

2020.08.03

インタビュー・ライディング | 粟村千愛
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