成功も失敗も学びに変える、生きる力を育む。 地域に開いた教育で、一歩踏み出すきっかけを。

藤沢市で湘南一ツ星高等学院で学院長補佐を務めるかたわら、地域の学習サークル『BE-GLOBAL』を主宰する新田さん。教師に憧れ教育の道に進みますが、その途中で知ったのは自分の無力さでした。上京、出産と転機が訪れる中で明確になった、新田さんが子どもたちに身につけてほしいと願うものとは。お話を伺いました。

新田 里奈

にった りな|湘南一ツ星高等学院学院長補佐
高校卒業資格取得と実践的な学びを支援するサポート校、湘南一ツ星高等学院で学院長補佐を務める。藤沢市を中心に活動する学習サークル『BE-GLOBAL』主宰。高知大学人文学部卒業後、県内の高校で英語教諭として勤務。その後退職して上京し、フリーターののち通信制高校の教員に。2020年、湘南一ツ星高等学院の立ち上げに参画。

家族をつなぐ自分でいたい


高知県高知市で生まれました。父母は共働きで、3歳下の弟と共に、祖父母のところに預けられることが多かったですね。両親は土日も仕事があるため、どこかに出かけることもほとんどありませんでした。

父の仕事の都合で、小学校に入ると3回の転校を経験。すぐに離れてしまうため、友達とも深くは付き合わなかったです。一人で遊ぶことが多かったですね。寂しい気持ちはありました。でも、両親の前では言いたいことが言えず、どこか作った自分で接していました。

土地柄もあるのか、両親や親族は集まるとかなり率直に、言いたいことを言い合っていました。小さい頃から、それを見てはハラハラしていて。ただ、空気が悪くなっても、私がふざけるとみんな笑って、とりあえず収まるんですよね。だから、家族が良い空気でいられるように、繋ぐのが自分の役割だと思っていました。

ただ、両親は一緒にいる時間がない代わりに、教育には熱心で。中学校は地元の公立ではなく、より環境の良い私立に行ってはどうかと勧められました。私も興味があったので、中高一貫の女子校に進学することにしました。

入学してすぐ、「入ってよかった」と思いましたね。みんな自由に過ごしていて、私も自分を偽る必要なく、ありのままでいられたんです。役を演じる必要がなくて、すごく楽でした。環境は選べるんだ、と感じました。

加えて、先生の存在にも救われました。勉強を頑張ったらその努力をわかってくれて、必要以上に口うるさく注意されることもなくて。どこかに両親に見ていてもらえない寂しさがあった私にとって、先生がちゃんと見守ってくれることは大きな支えでした。だんだんと、将来は教師になりたいと憧れるようになったんです。

学校で楽しかったのは、英語の勉強でした。家族で過ごす数少ない時間のなかで、みんなで映画を見ることが多くて。映画に興味を持つ中で、本場のハリウッドにも関心が出て、英語は積極的に勉強していたんです。海外に行きたいなとも思うようになりました。

学びは裏切らない


高校卒業後は、教員免許の取得と海外留学を視野に入れて、県内の国立大学に進学しました。家族や親族を繋がなければ、という気持ちは変わらずあり、県外に出るという選択肢はなかったですね。

2年から3年にかけて、オーストラリアに留学しました。世界は広いし、日本にも知らないことがたくさんある。そう感じて視野が広がりましたね。

1年間、楽しく過ごして帰国しました。家に帰ると、いなかった1年間の間に、両親が離婚するという話になっていたんです。もしかしたら、と思うことはありましたが、まさか今、本当にそうなるとは思っていなくて。びっくりしました。

衝撃で、すごく辛くて、毎日泣いて過ごしました。これまで、家族を繋ごうと頑張ってきたけれど、報われなかった。そのことがものすごく悲しくて。人の気持ちは変わるし、どうすることもできないんだという無力感に襲われ、自分に自信が持てなくなりました。

就職活動が始まってもまともにやる気が出ませんでしたし、大学の授業にすらかろうじて通うような状態。自暴自棄でした。でもとにかく、卒業資格と教員免許は取得しようと考えて、周りの励ましもあり、なんとかやりきることができました。

辛い中でも、勉強して何かを身につけられる感覚は救いでしたね。人間関係の中ではどんなに気を遣っても実らないことはあるけれど、学びは裏切らない。学びの大切さを実感しました。そんな思いもあって、徐々に回復して県内で英語科の高校教員として就職することにしました。

上京、価値のない自分と向き合う


教員として、日々教壇に立ち、生徒と向き合う毎日が始まりました。初めのうちは教えることに必死でしたが、だんだんとこれでいいのか疑問を感じるようになりました。

もちろん、担当の英語の教科を教えることはできるんです。でも、それって教師が伝えるべきことの本当に一部で。子どもたちに伝えなきゃいけないのって、どうやって生きていくかってことじゃないですか。英語であれ何の科目であれ、教員の役割は、子どもたちが授業で学んだことが「生きる力」となり、社会で生かせるようイメージして指導をすることだと思うんです。

でも、私は学校の中しか知らない。どうやって生きていくかを知らないんです。それで良いのか矛盾を感じるようになりました。

25歳のとき、仲の良い先生たちが辞めるタイミングが重なり、自分自身も転職を考えるようになりました。生きていくとはどういうことか知りたいから、教員ではなく民間企業の社員になりたいと思ったんです。留学した時のことを思い出し、海外にいくことも検討しましたが、勇気が出ず。まだ日本のこともよく知らないから、まずは日本の中心、東京に行ってみようと考えました。

上京して、仕事を探しました。しかし、時間が経っても全く決まらないんです。正社員はおろか、派遣の仕事も断られてしまいました。派遣の会社に「何がダメだったんですかね」と相談に行ったら、遠回しに「教員の方は扱いづらいみたいです」と言われて。地元で国立大を出ていたので、これまではずっと周りからチヤホヤされていたんですよね。そんな過去を全否定された気がしました。人生で初めての挫折でした。

すごく苦しかったですが、帰ろうとは思いませんでした。高知に戻ることは、以前の自分に戻ること。親の離婚を前に何もできなかった、無力だった自分に戻りたくないと思ったんです。ここで踏ん張りたいと思って、いただいた仕事はなんでもやりました。

おもちゃ屋のアルバイト、短期の派遣。フリーターとして1つひとつの仕事をやりながら、自分の価値をもう一度見つめ直しました。日本の社会を生きていくのは、こんなに大変なんだと実感しました。

そんな暮らしを2年間続けて見て、ようやく自分は教員以外の道でも生きていけると自信がつきました。そこで改めて、自分のやりたいことを考えたんです。すると、それはやっぱり教育でした。学校で、社会の中で、やり方は違えど学びは裏切らないと感じました。こんな私でも生きていけるから、学びの力があればみんな大丈夫だよと伝えたいと思ったんです。
折良く、友人から通信制高校が教員を募集していると話をいただきました。企業への就職はあんなに決まらなかったのに、教育現場での就職は1社目で決まりましたね。

子どもは鏡


高校教諭として仕事を始め、先輩や同僚に恵まれて鍛えていただきました。仕事そのものに、大きな可能性を感じましたね。やりかったのは、公立とは違う新しい教育です。教室に来なくても受けられるリモートでの授業もそうですし、自分の好きなこと、興味のあることに沿った学びをつくりたいと考えていました。

仕事が大好きでバリバリ働いていた2011年、東日本大震災が発生。それを機に、それまでの生き方を見直しました。翌年、初めての子どもを授かることができました。

フリーターになった時は、一人で生きていくのってこんなに大変なんだと思いましたが、それと同じくらいの強さで、子ども一人育てるってこんなに大変なんだ、と思いました。命を生んでみて、子どもは体の一部のような感覚で、死ぬまで心配なんだなと初めて知りました。

加えて、子どもと向き合うことは、自分とも向き合うことでもあるとわかったんです。幼い子どもにとっては、親が全て。親がやることを、子どもも真似するようになるんですよね。私は、子どもの頃から親の顔色を伺って自分に嘘をつく癖がありました。それでは子どもも、自分に嘘をつくようになってしまうかもしれない。そう思ったとき、私自身が自分の心に嘘をつくのはやめようと思いました。子どもに教えてもらいましたね。

また、自分が寂しいと感じることもあったので、子どもには寂しくない環境をつくりたいと考えました。家の中だけでなく、地域に人と繋がれる場があれば良いなと思ったんです。今まで他人事だった幼児虐待や親子の孤独も、自分にとってリアルなものになっていたので、孤独な親子が繋がれる場があれば良いなとも思いました。

開かれた学びを目指して


そんな想いを周囲に話していると、徐々に共感してくれる人が見つかりました。そこで、「BE-GLOBAL」というコミュニティを立ち上げたんです。テーマは、「学びで繋がる、世界が広がる」。関わる人が学びで世界を広げて、世界中どこででも、地球人として生きていけるようにしたいという思いで掲げました。子どもはもちろん、自分自身もそうなりたいと思ったんですね。

学びで繋がることを大事に活動していくと、子どもだけでなく地域で学び場を作りたいという大人も集まってくれるようになり、子どもも大人も、両方が使ってくれるコミュニティになりました。講師として参加いただいた方と生徒とでチームを作って、地域のお祭りやイベントで成果を発表する流れもできて。地域とつながりながら、活動が広がっていきました。

そんな折、勤務先の高校の上司から、新しい教育の場を作ろう、と提案がありました。私自身、学校はどうしても学校の中で閉じてしまいがちなので、もっと外の世界とつながった、開かれた学びを提供したいという思いがあって。それを実現するには、今までの学びのスタイルだと難しいと感じました。そこで、一緒に新しい学校づくりをすることにしたんです。

きっかけと見守りを大事に場づくりを


今は、神奈川県藤沢市にある湘南一つ星高等学院で、学院長補佐・英語教師として活動しています。この学校は、学びを支援する「サポート校」の位置付けですが、通信制高校と連携しており、高校卒業資格を取得できるようになっています。

一般の高校との違いは、学習のスタイル。全日制の高校よりも少ない時間で、資格取得に必要な単位を習得し、この学校ならではの活動に取り組むことができます。例えば、地域でのインターンシップやボランティア、英会話や畑仕事など、自分の学びたいことを多く学べるつくりにしています。その中で、私の役割は、どんな授業をしていくべきか企画し、実践していくこと。特に社会性を身に着けることに力を入れて、社会に開かれた学校を目指しています。加えて、BE-GLOBALでも学びの場づくりを続けていますね。日々の中で、私は本当に出会いに恵まれていると感じてます。

私の活動は全て、「学び」がテーマです。実際、何が「良い学び」かはやってみないとわからない部分が多いですよね。でも、基本的に人は、実際に経験しないと学べないと考えています。だから私がすべきことは、何事においても一歩踏み出す、やってみるきっかけを作ることだと思っています。

それから、私の中高時代の先生のように、見守っていてあげること。迷った時、誰かが見ていて背中を押してくれたら、飛び込めることもあると思うんです。学びの場をつくるとともに、側で見守ることのできる人になりたいですね。

子どもたちに身につけて欲しいのは、生きる力・つながる力です。まず何事もやってみて、それが失敗であれ成功であれ、学びとして自分のものにできる。どんな環境も力に変えて人とつながっていける、そんな人を育てていきたいです。

2020.07.13

インタビュー・ライティング | 粟村 千愛
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