頑張る人が報われる世の中をつくりたい。学校・企業・地域の枠を超え、実践する大学教員。

大手銀行員としてのキャリアから一転、地元名古屋へのUターンを機に、大学生のキャリア支援に携わるようになった今永さん。学校・企業・地域の枠を超え、実践的な活動を通じてより良い次世代の未来をつくりたいと語ります。その想いの原点とは?お話を伺いました。

今永 典秀

いまなが のりひで|名古屋産業大学現代ビジネス学部准教授
名古屋大学経済学部経済学科を卒業後、住友信託銀行へ入社。地元名古屋へUターンするのを機に東和不動産(トヨタグループ)へ転職。その傍ら、グロービス経営大学院大学入学、NAGOYA×FOREVERを設立し代表を務める。その後、卒業後は岐阜大学地域協学センター特任助教に就任し、次世代地域リーダー育成プログラム産業リーダーコースで大学生と地域企業と連携した実践教育・キャリア教育を行う。2019年から現職。

プロフィールを見る

父の姿と起業への興味


愛知県名古屋市に生まれました。父は内装業を営んでいて、母は専業主婦。弟と妹がいる家庭で育ちます。小学校の頃は、勉強とゲームが好きな子どもでした。学校で先生の授業を聞くのは嫌いで、自宅学習教材を一人で黙々とやるのが好きでした。

中学に入ると、卓球を始めます。強豪校だったことに加え、私自身にも上昇志向があり、メキメキと上達しました。東海選手権では個人戦でベスト16まで登りつめました。高校でも卓球部に入り、自分が楽しめるペースで続けていました。数学が得意だったので、理系を選び工学部への進学を目指しました。でも受験直前になり、違和感を覚えたんですよね。

なんのために大学へ行くのか。大学へ行って何がしたいのか。自分の中で明確な答えが浮かんできませんでした。工学部で学べる内容が好きなのか?と聞かれても、そうでもない。唯一、大学生活は自分の時間を自由に使いたいという思いがあり、研究やゼミ活動で忙しいイメージのある理系に進んで本当に良いのか、迷いが生まれました。このままでいいのか?少し立ち止まって自分の人生を考えたとき、文系の学部の方が良いのではないかと思い直します。1年浪人をして、地元の大学の経済学部へ進学しました。

大学入学後も、卓球部に入り、1年生から出場機会に恵まれて、縁があって団体戦ではインカレに出場することもできました。でも、その先の目標を見つけられず、人間関係もあまり良くなくて、大学2年生で退部することに。大学3年生になると、授業も週に一度くらいしかなく、自由な時間がたくさんありました。バイトをしてお金を稼ぎ、遊びに行く。その繰り返しの毎日を送っていました。

アルバイトを複数掛け持ちする中で、縁があった企業の人から、インターンシップのような形で実際に社員のサポートをしたり、大学生や高校生向けの教育イベントの時にお手伝いしたりさせていただき、社会で働く姿を身近で見る機会がありました。

とはいえ、自分が何をやりたいかはわからず。就職活動ではとりあえず面白そうと思った企業を手当たり次第受けました。その中で、尊敬する大学の先輩がいる銀行に惹かれました。将来、ビジネスの世界で活躍するためには、何か武器を持っていた方が良いと思い、金融を学んでおいて損はないと、就職を決めました。

就職先が春先に決まると、大学4年生は、ゼミに通う程度でさらに自由な時間がありました。大学3年生の時に、自由な時間を存分に使った感じがあったので、青春を感じられる意義ある活動がしたいと思うようになります。とはいえ今更、テニスサークルなどに入るにも気が引けて。4年生からでも、改めて新しい仲間と一緒にできる活動として、就職支援サークルを仲間と作り、後輩のキャリア支援を始めることにしました。メンバーで議論を重ねイベントを企画したり、プロジェクトを動かしたり。仲間と一緒に試行錯誤しながらチャレンジする過程が楽しかったですね。その後、自分で団体をいくつか立ち上げるなど積極的に活動に励んでいました。みんなで一つのものを作り上げるやりがいや達成感、苦労を含め、自分一人では得られない体験でした。

本当の幸せはここにない


卒業後、内定をもらっていた東京の大手銀行に就職します。高度な専門性を求められ、業務量も多くハードな環境でした。業界や商品に対する知見を常にアップデートする必要があったので、多くの時間を勉強に費やしましたね。厳しい日々ではあったものの、早く仕事を覚えたい一心で前向きに取り組んでいました。

3年ほど経つと地元・名古屋に転勤になり、知り合いから良くしていただけて成果も出てきました。その後、再び東京へ戻ることになり、家族と離れて単身赴任することに。東京でも大きな案件を任され、仕事へのやりがいや、充実感がありましたね。一人前になれたかな、という感触もありました。

6年目が過ぎ、仕事にも慣れ余裕が出てきました。バリバリ働いてきたモチベーションも落ち着き、これからの生き方や将来について考えるようになります。

そのとき、自分が求める幸せはこの銀行にはないのかもしれない、と感じたんですよね。給与や待遇に不満はありませんでした。ただ、今後のキャリアを考えた時、同僚や先輩の中にロールモデルを見つけることができなかったんです。

少し、自分の時間ができ、冷静に考えてみた結果、自分にとっての幸せはお金じゃないと思ったんです。家族と一緒に地元で暮らし、自由な時間を持ちながら暮らすことの方が、求めている幸せなのだと気がつきました。

そこで、名古屋で働けることを条件に転職活動を始めます。無事、地元の大手自動車グループの不動産会社に就職が決まりました。安定している会社で、名古屋を中心に展開する企業だったので、良い選択をしたと思っていました。

実践で世界が変わった


転職先では、新しい仕事ではあったので、多少の苦労はありましたが、今までとは雰囲気や時間の流れが違い、物足りなさを感じることが多かったです。周りの人たちも、今までのような向上心が高く、仕事に熱意を向けて切磋琢磨する感じはあまり感じられませんでしたね。 

転職して名古屋で働くことがゴールだったので、その先に実現したいことがあまりありませんでした。自由な時間も生まれるのですが、すぐに飽きてきてしまい暇を持て余す生活になり、それがストレスに感じました。ようやく30歳を過ぎたところで、まだまだのんびり過ごすには早すぎると思いました。

仕事の開始前や、終わった後に、職場のそばの喫茶店で自分がやりたいことは何かを再度考え、転職活動のときにもしなかった自己分析をして、自分には何ができるのかノートに書き出していました。

そんな中で、たまたま大学時代にキャリア支援に関わっていた仲間と一緒に飲む機会がありました。その人は継続して、仕事以外にボランティアで学生の支援を続けてました。これなら何かできるかもと考え、私もサポートをすることにしました。

学生と社会人が出会える場を企画したり、イベントを開催したり。活動を始めるとやりがいがあり、仕事での苦悩が解消されていくようでした。充実感で自分を満たすことができ、会社に行ってぼーっとしているよりも意義を感じられる時間だったんです。どんどん活動にのめり込んでいきました。

最初は、年1回のイベント企画・運営に携わっていたのですが、次第に自分でもイベントを主催するように。ゆるく続けていたら徐々に人が集まってくれ、学生と社会人が共に学び成長する市民活動団体を設立しました。毎日に張り合いが出てきましたね。

並行して、今までの経験をしっかりと体系化して、よりビジネスの世界で使いこなせるようになりたいと考え、経営大学院へも入学。これまで出会ったことのない様々な業界の人に出会い、狭い世界で生きていたんだなと実感しました。企業の大小を問わず、面白い働き方をしている人がたくさんいて刺激的でしたね。僕は特に強い意志や目標があって入学したわけではありませんでしたが、一緒に学ぶ仲間たちは皆、明確なビジョンを持っていました。「あなたは何者で、何がしたいの」と問われているプレッシャーを感じました。自分だけ軸が見つからないまま卒業するのも嫌だなという気持ちが強くなります。

2年間学んでいく間に、一緒に学ぶ仲間たちは、どんどん次のステップへ向け決断していきました。事業再生についての卒業論文を一緒に進めていた仲間は、「これからも事業再生の世界でやっていく」と夢を語り、実際にその後キャリアチェンジをして活躍していきました。そのとき「今永さんは何がしたいの?」と聞かれ、携わっているキャリア支援について話すと、「その活動をとことんやればいいじゃん!」と力強く応援してくれたんです。切磋琢磨できる仲間たちに囲まれ、だんだんと自分の軸がクリアになり、定まってきました。頑張っている人が報われる社会をつくりたい。名古屋の活性化に寄与したい。そんなふうに考えるようになりました。

興味の赴くまま、好きなことを続けていたら少しずつやりたいことやビジョンが見えてきた感覚でしたね。会社内でも、自分の実績やスキルが認められるようになり、少しずつ重要な仕事を任せてもらえるように。良い循環が生まれ、仕事も楽しくなっていきました。

ゼロイチを生み出す学生を増やす


経営大学院を卒業した後は、プライベートでも社外の人と交流する機会を設けることができ、いろんな人と出会い、楽しく過ごしてました。

ある日、仲間の転職のお祝いに参加してました。そこで「岐阜の大学が実践的なキャリア教育を行う教員を募集してるよ」と仲間が教えてくれました。話を聞くと、銀行員時代のスキルやキャリア支援団体での活動経験が活かせそうな内容で、私にぴったりの内容でした。

別の人が推薦されていたんですが、どう考えても自分のほうが適任だ!と盛り上がり(笑)。応募すると、ドンピシャだったようで。今まで全く考えていなかった大学教員の道へ進むことになりました。

転職後は、地域企業と連携したインターンシッププログラムの立ち上げや、キャリア教育の授業を新設して実践しました。それらの業務で結果を出すことはもちろん、もっとこうしたほうがいいのでは?と思うことは、今までの経験を生かしながら、得意な点を中心にどんどん形にしていきました。今まで接点があった大学生と一緒に東海の学生向けのイベントを実施したり、これから大学でサークルを作りたい学生を支援したり。この地域を若者の教育を通じて盛り上げられると体感し、モチベーションが上がりました。

この名古屋や岐阜の地域は、保守的でなかなかチャレンジする文化が育たないと言われており、私自身もそんな印象を持ってました。少しでも打破したい、チャレンジする学生を生み出したいと考え、自ら提案し、「自分の好きなことや新たなアイデアを、ビジネスプランとして形にする」ことを目指した講義も実施しました。試行錯誤しながらチャレンジをして、実際にこの地域で具体的な成果を出していく学生を見ていると、とても嬉しく感じました。サラリーマンの時とは異なる自分の存在意義、自分が目の前の人のために一生懸命取り組むことの喜び、充実感を感じました。

ただ、一方で、仕組みを作っても参加する学生はほんの一部。私の実施していたのも、一部の科目を受講するだけの選択制のプログラムでした。もっと体系的に学生に教育プログラムを提供して、実践者、挑戦者を増やしたいと思うようになってきました。そんな中、縁あって専門職大学の設立を目指す名古屋の大学で働くことになったんです。

大学教授だからこそ、教室外の実践を


現在は、名古屋産業大学で現代ビジネス学部准教授として勤務して、経営学やインターンシップなどの講義を実施する傍ら、経営を専門とする専門職大学の設立を目指して活動しています。専門職大学とは、2017年に学校教育法の改正によって設けられた職業大学。大学と専門学校の良さを融合し、仕事に役立つ知識と技術を身につけることを目的とした学校です。

今は、2021年4月に、経営専門職学科の設立を目指して取り組んでいます。特徴は、600時間のインターンシップと、その前後にビジネスの世界で実践的に必要な「事業」「業務」、マーケティング・リサーチ、財務会計・ファイナンス、情報分析などを融合した知識・理論を学べること。両方を融合することで、社会で活躍できる力を身につけられるカリキュラムです。私のような実務経験を有する教員が一定数いて、実践的に学べることが特徴です。これからの新しい時代の中で、ビジネスの世界で活躍し続けるために必要な「スキル」を実践的に身に付けることができます。

このような人材が社会に多く出ていくことで、「頑張る人が報われる社会をつくる」、「この地域を盛り上げる」、この2つを実現したいと考えています。

これからの時代を考えると、学生には、大学の教室からどんどん飛び出して、地域や企業に混ざり実践の機会をとにかく積んで欲しいと思います。私もそうでしたが、やりたいこと、将来の目標がはっきりしている学生は多くない。それであれば、とにかく実践して、社会と接点を持ち、その中で、全力で自分の限界を超えるような経験をすると良いと思っています。

ただ、一方で、誰もがそんな機会に恵まれる訳ではありません。だからこそ、大学生がチャレンジする環境づくりを地域や企業が受け入れてくれるように、お互いにメリットがあるような形を作り出し、長続きさせる仕組みが必要だと思っています。私が企業と大学の両方で勤務してきた経験を生かし、学生を主語にしながらも、地域や企業の方々にも喜んでもらえるような仕組みを整えてたいですね。そうして、学生・企業・地域の枠を超え、協働することで、この地域から面白いイノベーションが生まれ続けるようにしたいです。

これに加えて、自分自身もプロボノ・ボランティアとして、今までのように大学生との座談会・キャリア支援を、自分の仕事以外にも今までの仲間と実施しています。好きでやっていたことですが、その中で一生懸命、一定期間続けていると、いいことがあると思うようになりました。最近では、NPO法人や企業の外部アドバイザーの依頼や、ラジオ出演、講演、執筆の機会もいただくようになりました。ありがたい限りです。

まだまだ30代、人生これからだと思っています。30代前半では将来の目標はぼんやりとしていましたが、今までの経験を踏まえて、「地域」のために役に立てるように努力し続け実践し続けたいですね。

最近は、頑張っているとダサい、「意識高い系」と呼ばれる、出る杭は打たれるという風潮や、少しでも自分の意見と違うと悪口を言う、結託してみんなで邪魔をするような世の中へ違和感を感じます。

自分自身、今この仕事ができているのは、これまでその都度仕事を通じて、一生懸命取り組み続けて頑張り続けたから。学生の時には、今の仕事に就くとは夢にも思いませんでしたが、学生や地域、企業の方々と同じ目線で試行錯誤しながら変化を生み出すことができるのは、この仕事ならではだと考えています。自分自身が実践によって変わったからこそ、世の中に目を向け、頑張る人が報われる社会をつくりたいと思っています。

教室の中にいるだけ、家の中にいるだけ、企業の中に閉じこもっているだけでは、自分も社会も世界も変わりません。実践者を増やすとともに、私自身も大学から外に出て、実践を続けていきます。

2020.07.09

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | 貝津 美里
ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?