生涯をかけて信じる道をいく。「ギブ」で感謝が循環する世界を創るために

コミュニティ内で好きなことや得意なことを贈り合うサービス「giv」を立ち上げ、感謝が循環する社会づくりを目指す西山さん。givの世界観はどのようにして生まれたのでしょうか。そして、西山さんの見据える今後とは?お話を伺いました。

西山 直隆

にしやま なおたか|一般社団法人giv代表理事
一般社団法人giv代表理事、株式会社SUKILLS代表取締役CEO。大学在学中、19歳で起業。事業売却の後、新卒でサントリーホールディングス株式会社へ。その後、デロイトトーマツグループへ転職、2016年にシンガポールへ拠点を移し、アジアでの事業責任者に就任。退職後、目指す世界観を実現するため、一般社団法人giv、株式会社SUKILLSを立ち上げる。

19歳で起業 固定観念はなかった


兵庫県神戸市で、3人兄弟の末っ子として生まれました。兄と姉が怒られる様子を見て、立ち振舞いを学習。いざ自分が怒られても笑って誤魔化すような、要領と愛嬌が良い子どもでしたね。

中学生くらいから、家族が進学や転勤で家を不在にすることが多く、ほとんど一人暮らしのような生活を送っていました。料理や洗濯も、自分のことは自分でやるのが当たり前。特に苦ではなく、ひとりの時間が長い分、自由にやらせてもらっていましたね。

通っていたのは、中高大が一貫の私立校でした。周りは裕福な家庭の子ばかりで、車で送迎してもらうクラスメイトもいて。私は山道を1時間半かけて登下校しており、周囲と比べて何か違うなとは感じていました。金銭面でのコンプレックスもあったのかもしれませんね。

とはいえ、面白いことが好きなひょうきんな性格だったので、友達は多かったです。みんなで集まってワイワイするのが好きでしたね。高校生になると、イベントを企画し、運営するようになります。自分たちで企画を立て、スポンサーを集め、チケットを売る。お小遣い稼ぎにはなりましたが、もっと世の中に貢献できるような事業をやりたい、そんな思いが頭をよぎることもありました。

自分でビジネスをやる面白さを覚えたことで、大学に進学すると起業を考え始めます。興味のあった不動産の資格を取得し、経験を積むため不動産会社で働くことにしました。そこで不動産業界の仕事の進め方に違和感を持ったんです。不動産会社と物件を持っている家主との情報のやりとりは、FAXや電話などアナログな方法ばかり。もっとスムーズにやりとりできるのに、と感じました。それなら、リアルタイムに情報をやりとりできるシステムを作ろうと思ったんです。目の前の課題を解決したい。0→1で何かを立ち上げたい。そんな思いがモチベーションになってこれを事業にしようと決意しました。

まずは資金調達のため、投資家を探そうと思いました。でもどんな方法で行えばいいのかわかりません。ちょうどITバブルで、六本木ヒルズ周辺が盛り上がっている時期。ここに行けば投資してくれる人に会えると思い、夜行バスに乗って東京へ。六本木ヒルズで会う人会う人に企画書を見せて回りました。全く相手にされませんでしたが、めげませんでしたね。地下駐車場でVIPを待っている高級車のドライバーさんにまで「渡してください」と企画書を配って歩きました。

「普通やらないでしょう?」と言われることでも、知識や経験がないので先入観なくチャレンジしていました。自分の中では「こうでなければならない」という発想がなく、思いついたことはすぐ行動に移していましたね。結局、投資してくれる人は見つからず。誰も見向きもしてくれませんでした。でも、投資が受けられないからやらないものでもありません。それはそれでいいと、今できる範囲で起業をすることにします。

「やり切る」ことで道を切り拓く


19歳、大学在学中での起業でした。実際に事業を立ち上げると、自分の本気を認めてくれて、投資をしてくれる人も現れました。自分で稼げるってかっこいい、そんな思いで事業をスタートさせます。しかし実際はうまくいきませんでしたね。会社に泊まり込む日々が続き、ご飯を食べる暇もありませんでした。周りからは「あいつおかしくなったんじゃないか? 」と心配する声も聞こえてきました。会社が潰れそうになり、持ち上がった譲渡の話に応じることに。心は折れ、心身ともにボロボロでしたね。

とはいえ、全てを注ぎ込み全力で挑んだ挑戦に後悔はありませんでした。この経験をどう活かすかが大事だと考えていましたね。なぜ会社経営がうまくいかなかったか紐解くうち、もっとお金や組織の回り方や仕組みを勉強したいと思うようになりました。それなら一度会社に入って経験を積んだ方がいいと思い、大手飲料メーカーの財務関係の部署へ、新卒で就職しました。

入社後は苦しかったです。数字や細かい作業が苦手だったため、苦戦の連続。仕事のできなさゆえだとは思うのですが、上司から厳しく指導されてばかりいました。そんな職場環境の中で、毎日始発で会社に行き、終電まで仕事をする日々。でも、自分で入社を決めたので、逃げるようなやめ方はしたくありませんでした。

5年半ほど勤務し、目指していたアメリカの会計士の資格も取得でき、携わっていた株式公開のプロジェクトが一段落したため退職。再び起業したい気持ちはあったものの、何のために起業をするのか、自分を突き動かす目指したい世界観が見えていませんでした。そこで転職を考えます。

経験を積むなら、ベンチャー企業や起業家を支援する会社で働きたいと思いました。さっそく志望する会社の代表電話に採用の問い合わせをします。しかし採用活動をしておらず取り次いでもらえませんでした。それならと、社長宛に「親展」と書いた手紙を送りました。学生時代にどんな想いで起業にチャレンジしたのかなど、熱い思いをしたためましたね。それが社長の目に留まり、入社できることが決まったんです。

入社後は、東京のベンチャー企業の成長支援を担当しました。起業経験からのブランクもあったため、知識や経験が追いつかず最初は苦戦しましたね。自分よりも経験豊富な経営者を相手に、限られた時間で少しでもバリューを出さなければなりません。自分も起業家としての経験はあるので、資源が足りない起業家にとって、いかに時間が大切かを理解していました。一社一社、相手の時間を無駄にしないように臨みましたね。価値を感じてもらえなければ「こいつは使えない」と一瞬で見切られてしまうため、こちらも常に真剣勝負です。

結果を出すため、ベンチャー企業の経営者を日本で一番訪問しているのは自分だと自負できるくらい行動しました。やり切ることで自信が生まれ、自分の言葉に魂が込められるんです。相手が社長であっても堂々と意見できるようになりました。そんな折、海外組織の立ち上げに携わることになります。シンガポール・東南アジア・インドエリアの事業責任者を任され、家族とシンガポールへ拠点を移しました。

「好きなこと」をやり続けられる世の中にしたい


発展しているシンガポールと、途上国のインドを仕事で行き来するうち「本当の豊かさとは何だろう?」と問いを持つようになります。正解は見つからないながらも、自分はどんな世界をつくりたいだろうと常に考えるようになりました。

そんなとき、子どもが入学するインターナショナルスクールのオープンキャンパスに行く機会があったんです。教室には中国人・アメリカ人・インド人と、国籍や肌の色、話す言葉もバラバラな子どもたちが集まっていました。

その日は、自分の好きなことや得意なことを披露する授業でした。子どもたちは目を輝かせながら、思い思いに「サヤエンドウをひたすら切る」「花瓶に花をさす」「絵を描く」など特技を披露。教室には、好きなことや得意なことを披露する楽しさと喜びが、満ち溢れていました。胸を打たれましたね。大人になると「好きなことでは食べていけない」と言われるけれど、子どもたちの姿を目の当たりにして、好きなことや得意なことをやっていくことこそが、本当の豊かさではないかと思ったのです。

帰り道、「自分は何を披露しようかな?」とワクワクしている我が子を見て、この子には好きなことをし続ける人生を歩んでほしい、という気持ちが芽生えました。ただ「好きなことをやり続けろ」と口だけで言うのは無責任です。それなら誰もが好きなことをし続けることができる仕組みをつくればいい、と熱い思いがこみ上げてきました。他者からフィードバックや感謝をもらいながら好きなことをもっと上達させて、人の役に立てるようになる。そんな仕組みを作ろうと。

それは、自分の目指す世界観が見つかった瞬間でもありました。これが自分がやりたい事業だと、以前から模索し続けていた起業の目的が定まったのです。

感謝が循環する輪ができた


想いはあるものの、最初は何から始めたらいいかわかりません。手探りながら、まずは、好きなことを仕事にしている人を集めた、一泊二日の体感型ワークショップを企画してみました。農家さんから農業体験をさせてもらったり、ヨガのインストラクターさんからヨガを習ったり。それぞれが持つ好きなことやスキルを提供し合う場をつくったんです。

他にもいろいろな方法にトライしましたが、最初のワークショップのように、自分の得意なことを他者に提供し合うコミュニティを作ったところ、「またやりたい」と反響があったんです。完璧なシステムを作るには時間がかかるので、まずはSNSのグループ機能を活用し、お金を介さず、お互いの好きなことや得意なことを贈り合えるコミュニティをつくりました。

最初は、実生活であまり馴染みのない仕組みに、半信半疑なメンバーの方もいました。自分が何かを提供することよりも、お金をかけずに誰かの好きなこと・得意なことをしてもらえることにモチベーションがありましたね。美容師さんだったら、「農家さんにお米もらえるなら、髪を切ってあげてもいいかな」という感じです。

しかし、実際に誰かに好きなこと・得意なことを提供すると、「誰かにサービスを提供してもらう」ことよりも、「自分が相手に提供する」ことの方が大事になっていったんです。美容師さんは、このシステムを使ってカットした方から「非常にいい感じだったので、料金を支払うからカラーやパーマもお願いしたい」と申し出があった際、「全部無料でやります、ペイフォワードでやりたいんです」と言ってくれて。同じようなことが、好きなこと・得意なことを提供し合ったさまざまなペアで起こりました。自分から、もっとギブさせて欲しいという人が続出したんです。

お金を介さないシステムにしたことで、誰かに何かを提供してもらった時、「ここまでしてもらっていいんですか?」というような一種の気持ち悪さが生じることがわかりました。みんなそれを解消するために、積極的に価値提供しようとするんです。加えて、サービスを提供してくれた人に感謝を伝える、サンクスカードというシステムによって、自分が提供したことが、誰にどのように役に立ったのか見えるんです。そこに喜びや楽しさを感じてくれるようでした。

好きなことや得意なことの提供を通じて、人から感謝される。また、他の人からその人が好きなことや得意なことを提供してもらい、相手に感謝を伝える。自分の好きなことをしながら相手の力に感謝し、尊重しながら繋がっていく。目指す世界観につながる循環ができたんです。

形ができてきた一方で、仕事の合間を縫っての活動だったため、どうしても片手間になってしまう自分がいました。参加者の方には堂々と理想の世界観を語っているけれど、実際の自分は中途半端。葛藤が生まれました。

自分の人生をかけて取り組みたいと思い、ついに会社を退職することを決意しました。駐在員として何不自由ない生活を送らせてもらっていましたし、会社の看板があったからこそできたこともたくさんありました。子どももまだ小さいため、生活への不安はゼロではありませんでしたし、周囲から理解を得られないことも多くありました。それでもとにかく、自分の手と足を動かしてやってみなければわからないという思いが強かったです。

一般社団法人givという屋号で独立。SNSのグループ内でやっていたことを拡大し、好きなことや得意なことの「ギブ」の循環を通して人と人が感謝で繋がっていく、ペイフォワードのプラットフォームをつくりました。

独立後は、一歩一歩前に進みながらも、先の見えないトンネルの中にいるような不安がありました。会員を増やし、グループ内コミュニティの活性化を促し続ける日々に、出口はあるのだろうかと悶々とする毎日。目指す世界観の大きさと、自分にできることの限界にギャップを感じていました。

それでも、givを利用したメンバーの表情や感謝し合う姿を見ると、エネルギーをもらえるんですよね。好きなことをやって価値を生み出せるメンバーを尊敬しますし、善意のギブが回っている世界が心地良いんです。事業を続けてきて良かったと、心が満たされるんですよ。その充足感から、自分の目指す世界を信じて走り続けられました。

一番ギブをもらっているのは自分


現在は、好きなこと、得意なことを提供し合うことで感謝と尊重が循環する環境をつくるため活動しています。一般社団法人givでは、変わらず、お金を介さず、好きなことや得意なことのギブでつながる会員制のプラットフォームを運営をしています。今は、美容師、スポーツトレーナー、ヨガインストラクター、農家、漁師など、スキルがわかりやすい方々に参加していただいています。今後は職種・国籍に関わらず、誰でも参加できるプラットフォームを目指していきます。

加えて、好きなことをベースに自分のスキルを磨き繋がっていくことを目指す、株式会社SUKILLSの代表も務めています。事業としては、日本企業がグローバルなリソースをより活用できる仕組みとして「Tech Japan」を運営しています。Tech Japanでは、前職でのベンチャー企業の経営者・成長支援に関わってきた経験を生かし、日本のテクノロジーに関心を持つ海外の優秀なエンジニアと日本企業をつなぎ、社会課題解決を目指しています。まずは一つ成功事例を作るため、インドでの事業に注力しています。

これらの活動を通して仕組みを作り、自分が持つ好きなことや得意なことを磨き、人とつながる世界を実現させたいと考えています。

一生かけてもやり遂げられるかわからない大きな世界観だと思います。しかし、それでもやり遂げたいと思える志を見つけました。givの現場にいて、感謝が循環しメンバーのうれしそうな姿を見られる、今この瞬間がとんでもなく幸せなんですよね。僕が一番ギブをもらっているかもしれません。一生をかけてやり遂げたいことを追い続けられる幸せと使命感を胸に、これからも走り続けます。

2020.05.28

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | 貝津 美里
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