心と身体に素直に生きる。ヘルスケアを軸に、夢を叶えるサポートを。

帝人株式会社で新規事業担当として、地域包括ケアを推進するサービスを考案する梶原さん。学生時代、世界一周旅行の最中で訪れたタイで、体と心の密接な結びつきを実感したといいます。梶原さんが大事にしてる生き方とは。お話を伺いました。

梶原 春花

かじわら はるか| 帝人株式会社
東京都生まれ。20歳の夏休みに沖縄のゲストハウスで自給自足生活を送ったのを機に大学を休学し、世界中を巡る旅に出る。タイでの10日間の瞑想修行をきっかけにヘルスケアに関心をもつ。株式会社東芝に入社後、帝人株式会社へ。現在は新規事業担当として、地域包括ケアを推進するサービスを考案する。

価値のない人間と思われるのが怖い


東京都に生まれました。公務員の両親と、3つ上の姉の4人家族です。幼少期は恥ずかしがり屋で人前に出たがらない性格でした。友達もあまりできませんでしたね。入学した小学校は学級崩壊するほど荒れていて、話が合う子はあまりいませんでした。

自分からも、友達と距離を置いていました。両親に可愛がられて育ち、姉を見ながら怒られないよう立ち振舞ってきたせいか、周りとの衝突に臆病になっていたんです。「これがやりたい! 」と言ったときに友達から否定されることが怖い。価値のない人間と思われるのが怖い。だからみんなの前に出たくない。そうやって心に防波堤を張って過ごしていました。

でも一方で、愛されたいという気持ちもあって。本当は仲良くなりたいのに、傷つかない距離でしか友達と接することができない。そんな自分へのジレンマもありました。斜に構えていて嫌な奴だなと、自分でも思っていました。自分と向き合うことを避けていましたね。

本との出会いが道しるべに


家の本棚には、母が揃えてくれた推薦図書が並んでいて、小学5年生のとき一冊の本を手に取り読みました。辛い生い立ちを経て教師になった作者が、子供の成長を描く物語です。心に残ったのは、彼や大人たちの、子どもに接する姿勢でした。子どもの感性や行動をありのままに肯定し、その子自身を活かそうとするんです。

理由なく押さえつけるのではなく、個人を肯定して寄り添ってあげる。それが私の中の「大人」の基準になりました。そんな大人になりたいと思いましたね。加えて、他人から理不尽に押さえつけられることが苦手だと感じるようになりました。

小学校卒業後は、中高一貫校へ進学。校則ではパーマ禁止だったのですが、私はパーマをあてて登校していました。もちろん先生には怒られます。それでもやめませんでした。先生のお説教の内容を聞いても、校則を見ても、怒られる理由が論理的ではない。反抗ではなく、なぜパーマがダメなのか、先生でさえ説明できない校則に従うのはおかしいのでは?と純粋に疑問だったんです。理不尽に怒られる理由はない。そう素直に主張すると、先生の方が納得してしまって。それからは黙認されるようになりました。

自分がこうしたいと思ったことは突き通したいんですよね。自分の心に嘘をついて、ルールや他人に合わせる方がよっぽど苦手で。当たり前にダメと言われていることが、なぜダメなのかを知りたい、考えたい欲求が強かったです。ちゃんと自分の心の声を聴くこと、それを言葉にして伝えることを大事にしていました。

中高時代は価値観が近い友達とも出会えて、楽しい日々を過ごしました。大学では一人暮らしがしてみたいと思い、母に相談すると「国公立大学に合格したらいいよ」と返ってきました。喜んだのも束の間、専攻が理系なこともあり、かなり勉強しないと合格できないレベルにあることに気がつきます。そこからは猛勉強でした。努力の末、国公立大学の合格を勝ち取り、念願だった一人暮らしを始めました。

ヘルスケアに惹かれたタイ座禅修行


大学入学後は、あまり勉強もせずアルバイトをして過ごしていました。そうして迎えた20歳の夏休み。本で読んでずっと憧れていた旅人が、沖縄につくった自給自足生活ができるゲストハウスに行ってみることにしました。

そこには全国からいろいろな人が集まっていて、日常生活では出会わない人と話す機会がたくさんありました。毎日、刺激的でしたね。会話のなかで、「きみのストーリーを聞かせてよ! 」と、人生について、自分自身について問いかけられました。戸惑いながらも「いつか世界一周をしてみたい」と口にすると「今やればいいじゃん! 」と言われたんです。ハッとしました。そうか、今やってもいいのか、と。その気持ちはゲストハウスから帰って日常に戻ってもなくならず、翌年、さっそく休学届を出し、世界中を巡る旅に出たんです。

まずは英語を学びにオーストラリアへ。語学学校に4カ月通いました。綺麗な発音に憧れがあったので、目標を立ててみっちり勉強しましたね。そのあとはタイに渡り、興味があったマッサージを学びました。

勉強しながら滞在していると、出会った人に寺院での瞑想修行に誘われました。面白そうと思いついていくと、10日間座禅を組み続ける日々が待っていたんです。持ち物は全て預かられ、話をするのも禁止。一緒に行った人がどうしているかすら確認できない状態でした。

座禅を組んでいると、考えごとが頭をよぎるんですね。過去のできごとや、空腹感、明日やること。頭に浮かぶ雑念を打ち消し、打ち消し。その繰り返しがしんどいと感じる日もありました。

でも次第に、自分の感情や感覚に敏感になっていくのがわかるんです。座禅を組む前の私は、違和感、怒り、悲しみ、などモヤモヤした感情に苦しみ、「なんでこんな行動をしてしまったんだろう?」と自己嫌悪を感じることが多くありました。でも座禅を続けることで、どんな感情や心の動きがあって行動したのか、自分で理解できるようになったんです。しかも、頭で考えるというよりも体に落ちてくるような感覚がありました。

「心がこういう動きをしたから、こういう言動をとってしまったんだな。それはしょうがないね」と自分に言い聞かせられるようになり、自己嫌悪に陥ることが少なくなったんです。自身の変化を通して「心と身体」の密接な結びつきを知りました。これを機に、ヘルスケアに興味を持つようになりました。

入社2カ月前。内定先の部署が無くなる


帰国後は、大学院へ進学します。仕事につながる学問をと、電気工学やプログラミングが学べる「素粒子学」を専攻しました。物理は学べば学ぶほど、本質を問う学問だと感じましたね。相対性理論などすでに世の中に広く知れ渡っている法則はあるものの、この世の中がどうなっているのかはほとんど解明されていません。こんなにも頭の良い人たちが日夜研究を重ねていても、まだこの世の中にわからないことは、ごまんとある。学べば学ぶほど自分の知らない世界が広がっていく面白さがありました。

とはいえ周囲の研究者ほど熱量を持って物理に打ち込めない自分もいました。就職活動に差し掛かると、学んできた物理よりも、人の生活に根ざした役立つ仕事がしたいと思うようになります。興味のあったヘルスケアに携わりたいとぼんやり考えましたが、正直、大きな夢やビジョンはありませんでしたね。

そんななか、大手電機メーカーのヘルスケアの部署から内定をもらいます。ここでなら自分のやりたいことができると思い、入社の意思を固めました。ところが、入社2カ月前、内定先の部署が無くなってしまったと、会社から連絡があったんです。仕方なくヘルスケアに携わることは諦め、原子力の研究や営業を行う部署で働きました。

1年ほど経ったとき、元上司が所属する会社に誘われ転職。新規事業部門でようやくヘルスケアに関わる仕事ができるようになりました。私の役割は、企業向けの睡眠改善プログラムの営業でした。でも営業しても、みなさん興味は持ってくれるんですが、全然売れなくて。なぜだろうと考えたとき、プロダクト自体に改善の必要があることがわかりました。売れないものを作っても仕方ない。そう思い、営業の傍らサービス企画にも携わるようになります。

以降、新しい部署ができて困りごとが発生すると呼ばれる、といった役回りが多くなっていきました。他人の得意分野、できることを私がやっても意味がない。みんなができずに困っていることを引き受けるから、自分の価値が見いだせるのだと感じました。環境の変化や役回りの複雑さに、周囲からは心配の声もありました。有難いことですが、自分の心が「やりたい」と言っているのなら、その声に従って行動したいという思いは変わりませんでしたね。

心と身体の声に素直に挑戦し続ける


現在は帝人株式会社で新規事業担当として、地域包括ケアを推進するサービスを企画しています。帝人株式会社は歴史ある大企業。最初に蒔いた種は小さくても、社会に大きなインパクトを与えられる可能性があるのが大企業の良いところです。その影響力を最大限に活かし社会に還元していくことが、わたしたちの役割だと考えています。

正直、私個人は大きなビジョンを掲げ、「よし、課題解決してやる 」と腕まくりして意気込むタイプではありません。誰もが「この仕事に人生懸けてます! 」って言える人ばかりではないですよね。明確な志を持っている人は、それを突き詰めたらいい。でも仲間が実現させたい夢を、一緒に叶える「サポート」がしたいという人も多くいると思うんです。私もそのひとり。会社で担う仕事には熱量を持ってやり切りますが、志ある人を「頑張れ」と応援する役回りでいたいと思っています。

今後も、自分の心と体に正直に生きたいです。周りには「甘い!」と言われることもありますが、自分ができないことはできない。それが大事なことだと思うんです。ただ一方で、弱くていいやとか、何もしなくてもいいとは思っていなくて。好奇心はあるし、面白い人と出会って、友達になれる自分でいたい。自分の好きな人たちと一緒にいるために、頑張り続けないといけないとは思っています。自分に程よいプレッシャーを与えながら、心と身体に正直に、面白く生きていきたいですね。そしていつか読んだ本に出てきた大人たちのように、子どもたちから「出会えてよかった」と言ってもらえる大人になりたいです。

2020.05.21

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | 貝津 美里
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