面白がりで、そそのかしや。 共感を軸に、コミュニティを生み出す。

朝日新聞社のマーケティング本部で、SDGsをテーマにしたオウンドメディアを運営する鵜飼さん。朝日新聞デジタルや電子書籍配信事業会社の他、次世代のメディアのあり方を模索するメディアラボの立ち上げも担当しました。自らを「面白がりで、そそのかしや」だと話します。新聞社というオールドメディアの中で、革新的な事業を立ち上げに関わってきた鵜飼さんが、大切にしてきたものとは。お話を伺いました

鵜飼 誠

うかい まこと|朝日新聞社マーケティング本部 マーケティング部次長
大学卒業後、朝日新聞社に入社。財務部門や子会社への出向を経て、コンテンツ事業部へ。協力企業と連携した新メディアや電子書籍配信事業、朝日新聞デジタルの立ち上げに参画。2013年にメディアラボを立ち上げたメンバーのひとり。渋谷分室では、200以上のイベントを企画サポート。現在はSDGsに関するオウンドメディアを運営する傍ら、イベントの企画運営を通して様々な人の出会いを生み出している。

「面白がり」の原体験


愛知県一宮市で生まれて、2歳くらいで岐阜に移りました。芸術作品が好きな子どもでしたね。小学生の時、担任の先生で面白い人たちがいたんです。カルチャー雑誌を学校に持ってきて見せてくれる先生や、喫茶店に連れていってくれる国語の先生。その人たちの影響を受け、絵画や詩が好きになりました。それぞれの作品に込められた心情や、描かれた世界観に共感していました。

クラシック音楽も好きで、クリスマスには、サンタさんにベートーベンの交響曲のレコードをお願いしました。他にも同じ趣味を持つ友人が2、3人いて、一緒にクラシックの曲をアカペラでやってましたね。スキャットみたいに。いろいろなものに関心を持って、その中で見つけた面白いものを人と共有することに喜びを感じました。

中学校では生徒会長を務め、新聞局長として校内新聞の発行もしていました。高校は地元の進学校に進み、勉強に趣味にと楽しくやっていました。でも、東京の国立大学へ入ってからは迷いましたね。自分は何者かっていうことが定まらなくて。ただなんとなく、文化系の仕事がしたいと思っていました。

よく見に行っていた美術展や展覧会は、新聞社が主催したものが多くありました。他の業種も検討しましたが、新聞社なら文化的な発信の担い手になれると感じて、新聞社を志望しました。実際に社員に会ってみて、朝日新聞には面白い人が多いと感じ、朝日新聞を受けました。1回目はダメでしたが、1年間就職浪人して入社を決めました。

希望とは違う部署での経験


文化事業に関われる部署を希望していたんですが、最初に配属されたのは財務本部でした。倉庫にある段ボールから紙の伝票を出して、一枚一枚コピーして、税務調査の対応をしたり、延々と電卓で検算して決算説明書を作る。あまりやりがいを感じられない業務に一日中追われる日々で、「なんてところだ!」と思いました。もちろん仕事をする上で基礎となる重要な業務なのですが、嫌だという気持ちが先立ってしまいました。

会社をやめようかとも思いましたが、新聞社の中にはいろいろな職種があって、将来的に異動で関われる可能性があると分かってきてもいたので、やれるところまでやってみようと思いました。

その後管理部門に異動になって、4年間、福岡の子会社に出向しました。九州支店長として、保険業と人材派遣業を行う会社を任されました。

それまでは単に組織の中の1人でしたけど、自分で責任を持って一つの組織をマネジメントしていくのは、初めての経験でした。人間関係や職場環境は、思い通りにはいきませんでしたが、追い込まれると燃えるタイプで、やる気が出ました。裁量のある仕事ができて、楽しかったです。

「伝わらない」を実感


38歳の時、東京本社に戻りました。コンテンツ事業の部門に移り、パートナー企業と協力して、モバイル端末向けのニュース配信サービスの立ち上げを担当しました。パートナー企業と一緒に仕事をしてみて、衝撃を受けました。全く文化の違う会社同士が同じテーブルで議論するので、言葉が通じないんです。「メールで展開しといて」と言われても、「展開って何?」みたいな。メールの文面一つとっても、違うカルチャーがある。こんなにも違うのか、と思いました。加えて、それぞれ会社を背負って話す交渉の場なので、話す内容も、どうしてもポジショントークに終始してしまっていました。

ちょうど同じ頃、結婚したばかりの妻に「あなたはロジックで話しているのか、本心からの言葉で話しているのか、分からない そもそもあなたらしさってあるの?」と言われたんです。心にぽかんと穴があいたようで、落ち込みました。自分では日頃のコミュニケーションの中で自然と伝わっているだろうと思っていたので、一番身近な存在である妻からの一言にはかなり凹みましたね。

私はそれまで、どちらかというと無口な方で、自分の内面を話すような人間ではありませんでした。でもその時、自分はなぜ黙っているんだろうと考えたんです。その理由には、恥ずかしいという気持ちや、自分の立場を守ろうとする気持ちがあると気付きました。「分かってくれているだろう」と、相手の理解に甘えている部分があったんです。

そこで、凹んだ状態から脱して妻との関係を改善するためには、開き直るしかないと思いました。他者と分かり合うには、やっぱり人として信頼し合うしかないんですよね。本当のところどう思っているのか、良いも悪いも含めて言い合えないと。自分の気持ちを表に出して、思うことを率直に言うようになりました。

伝わらないと意味がない


パートナー企業との協議でも、本音ベースで伝えるようにしました。これを言ったらちょっと痛いなと思うことも、実際口に出してみたらそうでもなかったり。逆に大丈夫だろうと思って言ったことが、相手には受け入れられなかったり。情報って、表に出さないと価値が定まらないんだなと感じましたね。

その時もう一つ気をつけたのは、他の利を考えることです。自分たちの利もあるけれど、相手の利を考えて、相手の立場に立った時にどう聞こえるのかを意識して発信するようにしました。

そうして話し合うことで互いに理解を得られ、協業事業は軌道に乗りました。この時の経験から、提供するものが何であれ、それが伝わらないと意味がないと強く感じるようになりました。自分で伝えたつもりでいても、ほぼ伝わっていないのが現実。だから繰り返し噛んで含んで、伝わる確度を上げる努力が大事だと知りました。

面白がりで、そそのかしや


その後、電子書籍の配信事業会社の立ち上げや、新聞のデジタル版の立ち上げにも関わりました。いろいろと立ち上げをやる中、44歳の時に、次世代のメディアのあり方を模索する「メディアラボ」(以降、ラボ)を立ち上げることになって、準備チームに召集されたんです。呼ばれた時は、「これでやっと自由なことができる!」と思いました。

それまで一人のユーザーとして、外側から新聞やニュースを見て感じていたのは、やはり「伝わっていない」ということでした。これまで新聞は宅配制度に支えられてきたけれど、メディア環境が変化する中、販売部数も落ち込み、従来のあり方では伝わらなくなってきている。そのことを直視して、これからの時代のユーザーに、きちんと思いを届けられるメディアにならなければならないと感じました。

そこで、ラボのミッションステートメントとして、「超メディア」という言葉を掲げました。朝日新聞のDNAを断ち切るとか、メディアの当たり前を変えたいという思いが込められています。機能的にも新聞社から半歩出たところで、外部のプレイヤーの方々とつながっていく立場で、私自身ワクワクしながら取り組みました。

ラボを社内外のハブにしたいという思いもあり、外部の人が集まる場所として、翌年に渋谷分室を立ち上げました。場所もひとつのメディアだと思ったんです。イベントを開くことで人が集まり、参加した人同士の繋がりが生まれ、そこからまた新たなものが生み出されていく。ラボ自体はただの空間ですが、「創造的余白」と呼べるような場にしたいと思いました。

3年半の間に、渋谷分室で200回以上のイベントを開催しました。来場者はトータルで1万数千人にもなります。ロリータファッションの活動家の方々を集めて、イベントを開いたこともあります。ある時、ロリータファッションの活動家の方と知り合ったんです。その方から、海外の「同志」とも交流があると聞いて、「それならばイベントにしてみよう」と持ちかけました。面白いと思ったんですよね。オーストラリアのロリータファッションの同志と会場をビデオチャットで繋いでインタラクティブなイベントにしました。ロリータ服姿の人が30人くらい集って、大いに盛り上がりました。

面白がるって、つまり共感力なんだと思います。「面白いね、すごいね」と共感を示すことで、相手が喜ぶ。「じゃあこういうこともやってみようよ」と持ちかけて、本人の魅力を引き出す。その先に、共感を軸にした新しいコミュニティが生まれて、また他の誰かを喜ばせることができる。そのことにものすごく充実感を感じたんです。ラボでの経験を通して、自分のコンセプトを「面白がりで、そそのかしや」に決めました。

コミュニケーションの大切さを次世代に


現在はマーケティング部で、朝日新聞の「2030 SDGsで変える」というオウンドメディアの企画運営を担当しています。メディアだけだとどうしても手触り感に欠けるので、フェイスブックでコミュニティを作って、SDGsに関わるイベントも企画しています。コミュニティを軸にしながら、SDGsの活動を世に広めるのが、今の一番の仕事です。

SDGsの取り組みを発信したい企業からの相談も受けていて、関連する団体とつなぐコネクターとしての役割も担っています。面白がって人とつながった先に、求心力のあるものが生まれ、人を喜ばせることができる。それが私たちメディアが提供できる価値だと思っています。面白がりの鼻を効かせて、これからも面白そうな人やものをつなげていきたいですね。

今、娘は小学4年生で、20歳になるのがちょうど2030年なんです。SDGsのゴールも2030年なので、娘たちの世代に何を残せるかを意識しています。娘たちには、選択の自由がある社会を残したいです。環境問題など諸問題に苦しむことなく、人々が笑顔でいられるような社会。

そういう社会をつくるためには、今何をするべきかっていう大人同士のコミュニケーションがもっと必要だと思いますし、子どもたちにもその過程を見て、学んで欲しいです。伝えることの難しさや、どうすれば伝わるのかを体験してほしい。

今後は、自分が実感した「伝えることの大切さ」を踏まえ、初めて会う人と分かり合うための話し方や、チームの打ち解け方をテーマに、本を書いてみたいとも思っています。次の世代の人のためにも、コミュニケーションのあり方をファシリテートして、「伝わる」コミュニケーションができる人を増やしていきたいです。

2020.04.02

インタビュー | 粟村 千愛
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