人生を「身体」から豊かにすることが使命。 逃げずに見つけた、自分にしかできない仕事。

パーソナルジムを運営し、自身もパーソナルトレーナー、セラピストとして活動する助川さん。身体の根本改善や、病気の予防を推奨する活動を通じ、「全ての人のライフパフォーマンスを上げる」ことを使命と掲げています。助川さんが現在の活動をするに至った背景とは。お話を伺いました。

助川 幸太

すけかわ こうた|primal bodycare代表
プライベートスタジオprimal bodycare代表。大学卒業後、一般企業に就職したのち、専門学校に通い直し柔道整復師の国家資格を取得。通学する傍ら、創業期のRIZAPグループ株式会社のトレーナーとして働き、多くの顧客のトレーニングをサポート。その後独立し、現在のジムの代表となる。

居場所がなかった学生時代


生まれも育ちも、東京都世田谷区です。母は音大出身でオーケストラの構成員をしており、家ではピアノ教室を開いていました。父はバンド活動でレコードデビューした実績を持ち、レコーディングスタジオを経営。そんな音楽一家で育ったせいか、幼少期はピアノを弾いて遊ぶことが多かったですね。歌や演劇も好きでした。兄弟がいなかったので、読書など、ひとり遊びが基本でした。同級生と比べると身体は大きかったのですが、性格は引っ込み思案。演劇会では主役を任されることが多かったですが、積極的にやりたいとは思えずどちらかといえば消極的な小学生でした。

中学校入学後は、野球部に入り、ピッチャーをやっていました。身体が大きく太っていたため、クラスメイトから「ジャイアン」と呼ばれ、いじられることもしばしば。相手は冗談のつもりだったと思うのですが、体型にコンプレックスを抱くようになってしまいました。加えて、目立つと同級生から「生意気だ」と言われたり。人付き合いに苦手意識を持っていましたね。

それでも野球で甲子園に行きたいと目標を掲げ、受験勉強にも励み、高校は強豪校へ進学。ところが、入学式前の春休みのこと、野球部の練習を見学に行ってすぐに「ここでプレーをし続けるのは絶対無理だ」と戦意喪失してしまいました。1年生で140キロもスピードを出すピッチャーや華麗な動きでボールをさばく野手、飛距離のあるバッティングをする生徒たち。そんな並外れた才能と自分の差を痛感し、好きだけでは通用しない世界があることを知りました。正直自分のレベルが恥ずかしくて、戦える気がしなかったですね。野球部入部を諦めました。

学校が始まると、クラスにも馴染めず辛かったです。蓋を開けてみたら、最難関の大学を狙っているようなクラスメイトばかりで。休み時間も勉強について話している友達についていけず、苦痛で仕方ありませんでした。受験での成績が良くて進学科のクラスに入学したのですが、流されて決めてしまったので後悔しましたね。こんなはずじゃなかったと頭を抱える日々。野球部のこともあり、学校になかなか居場所を見いだせず、入学早々に学校をやめたくなってしまって。高校生活は暗雲の幕開けでした。

身体の仕組みに興味を持つ


しかしそんな中、同じクラスだった友達にラグビー部に誘われたんです。いざ入部してみると、これが面白くて。普通科の子が多く話が合って楽しい、コンプレックスだった体型もガッチリしていると褒められ、ラグビーがどんどん好きになりました。その一方で、とにかく怪我が多かった。でもそれがきっかけで、身体について考え、学び始めるようになったんです。どうしたら怪我をしにくい、疲れにくい身体づくりができるのか?適切な身体の動かし方は何か?自分からすすんで学びました。

ところが高校1年生の終わり。全国大会を前にして、肩の腱を切る大怪我をしてしまいます。将来の有望選手だと期待してもらってたらしいですが、ボロボロな身体ではハイレベルな戦いを続けるのは辛い。だんだんと部活に行くのも辛くなり、顔を出せなくなってしまいました。もともと学校にも馴染めずにいたので親に転校したいと相談しましたが、それも却下され、2年生はほとんど登校拒否でしたね。登校すると見せかけて、学校に行かず河原でサボる。そんな日々を送っていました。

逃げる自分を変えたい


高校3年生になり、進学も考えなければと登校するようになりました。と同時に、「自分を変えたい」という思いもあったんです。うまくいかないことがあると「逃げる」選択ばかりをとってきた自分に嫌悪感を抱いていました。だから何かひとつ、成功体験を掴みたかったんです。進学クラスに入学したのに、成績も学年で下のほうで、部活でも結果が出せなくて。親にも申し訳なくなり、受験を頑張ろうと一念発起しました。

進学先を検討しているとき、身体の仕組みについてもっと学んでみたいと体育学やスポーツ科学に興味が湧きました。父に相談すると、「将来、体育教師になるのか?誰でもできるんじゃないのか?」と返事が返ってきました。その答えに、父はあまり快く思っていないと感じ、「自分が選ぼうとしている道は、世間から見てあまり価値がないものなんだ」と勝手に思ってしまい進路変更。難関と言われる大学、学部に行くことが正義だと思うようになりました。そして、猛勉強の末に東京の難関私大に合格したのです。

見直した自分の生き方


しかし、大学に入学すると、高校と同じようにレベルの高さに絶望しました。授業は難しすぎるし、周りも意識が高くて馴染めません。どうして高校と同じことを繰り返してしまったんだろうと考えたとき、周りから「偏差値高くて、すごいね」と言われたから学校を選んできたことに気づいたんです。偏差値という一つの尺度でしか価値を測れず、自分がやりたいことは何か?という視点が抜け落ちていました。

それに気づいた頃、二人の友達に出会いました。一人は、医学部に進学したくて2年浪人したにもかかわらず、結局入学したのは法学部というおかしな友達。もう一人は、別の大学を卒業後、父が歯医者だったことからやはり自分も歯医者になりたいと、歯学部に編入した友達。彼らの進路選択には驚かされました。世間一般で言われている「4年制大卒業後は就職」というレールから外れても、自分のやりたいように、自由に生きていいんだと。少し周囲と変わった生き方をする彼らに、刺激をもらいました。良い意味で、自分の常識を覆してくれたんです。そこでもう一度、自分が本当にやりたいことは何かを見つめ直しました。

するとやはり、身体の仕組みやそれに伴う医療を学びたいという答えがでました。専門の学部への進学を諦めた後も、自主的に本を読んだりと勉強は続けていたんです。知識が増えると、周囲から身体の動かし方についてアドバイスを求められるようにもなり、「あいつは身体ケアやトレーニングについて詳しい」と認知されるようになっていました。本格的に学び直したい気持ちが強くなり、専門学校に通う資金を貯めるため、卒業後は一般企業に就職しました。

資金調達のためとはいえ、就職先での仕事は、正直つまらないと感じることがほとんどでしたね。自分でなくてもいい、誰にでもできる仕事には、やりがいを感じることができませんでした。それでも自分のやりたいことのためだ、と割り切って3年勤めました。もし自分のやりたい仕事に就けたら、「あなただから任せたい! 」とお客さんに言ってもらえる、唯一無二の存在になるんだと誓ったんです。

トレーナーとして生きていこう


資金をため、柔道整復師の国家資格が取得できる専門学校に入学しました。柔道整復師は、骨折や捻挫などのケガを治すことのできる資格。医療の観点も踏まえて体系的に体について学びたかったため、この資格が取れる学校を選びました。昼は急成長中だったジムのトレーナーとして働くことにして、学校は夜間に通いました。

朝4半に起き、6時に出勤。17時まで勤務したら学校に行き、授業が終わると22時半に帰宅してまた勉強。睡眠時間が3時間という日が続きました。正直きつかったですね。でも、夜間に学校で学んだことを、昼間トレーナーとして実践できたり、トレーナーの現場での疑問を学校の授業で解消できたりと、学びの循環がうまく回ってすごく楽しかったです。生徒の中でも、もっとも意欲的な方だったと思います。

昼にトレーナーとして勤務していた会社でも実績が良く、入社半年で顧客一人当たりの支払額が全社NO.1になりました。実力を認められ、マネージャーへの昇格を打診されました。ありがたい話だと思いつつも、自分がやりたいのは現場だと何度も断りを入れました。でもあまりに何度もオファーが来るので一旦、やってみようと引き受けたんです。

でも案の定、自分には向いていませんでした。マネージャー就任3カ月でノイローゼに。お客さんと向き合えず、ひたすらパソコン作業だけの毎日に、何のために人生を変えたかわからない、とやるせない気持ちに押しつぶされてしまったんです。でもこの経験で、自分の生き方は経営者じゃなくトレーナーだと定まり、逆に迷いがなくなりました。そこで会社には、現場に戻れないなら退職させてもらいたいと掛け合い、なんとか現場復帰を果たしました。その後、夜間の専門学校を卒業し、国家資格取得後も働き続けました。

借金と経営の責任を背負う


創業期だったこともあり、ジムではがむしゃらに働いていました。5年後、転職した元同僚から、彼が働いている会社でパーソナルジムの新規事業を一緒に立ち上げてくれないかと誘われたんです。しかし、いざ準備を進めていくと、備品や設備が整っておらず、とてもじゃないけどオープンはできない状態。仕方なくその会社を辞め、同僚が主体となって別のジムを立ち上げることにしました。その中で、彼に「オープンまでを急ぎたいので、実績がある助川さんが代表をやって、融資を受けてもらえないか」と告げられました。融資や物件の審査などを通過させるため、私が一旦代表となり、後に交代する条件で会社を設立しました。

ところが、設立後、その同僚の信用情報に問題があることが判明。個人的に貸したお金もあったのですが、そのまま失踪し音信不通になってしまったんです。騙されたショックと、会社とジムと自分だけが残され、どうしようもない状況でした。一瞬で自分の肩にものすごいプレッシャーが乗り、生きた心地がしませんでしたね。個人のキャッシュを経営に使わないと回らないときもあって、実質自分の報酬は0で1年近く現場に立ち続けました。こんな状況になってしまったことに悔しさ、やるせなさが込み上げてきて。そんな中でも、お客さんはいるし、社員に給与も支払わなきゃいけない。貯金を切り崩し、食事も切り詰め、本当に先の見えない地獄のような日々でした。

でも、逃げることもできず、やるしかないんです。精神的・肉体的にギリギリな状態でしたが、「こういう経験にもきっと意味がある。自分にとって必要な試練を与えられているはず。逃げずに乗り越えろ、という神様からのギフトに違いない 」と考え、向き合う覚悟を決めました。

すると、少しずつ状況が安定し始めました。家族や友達、先輩や後輩、今まで出会ってきた人達が助けてくれたんです。人を信じられなくなった私に、もう一度信じることや感謝することを思い出させてくれた。本当に涙が出るほど嬉しかったですね。まだまだ大変な状況に変わりないですが、多くの方の支えがあってなんとか運営できています。感謝を忘れず、支えてくれる人達へ恩返しをすることが、モチベーションになっています。

自分にしかできないことで人の役に立つ


現在も、パーソナルトレーニングジムの運営をしています。ご利用いただいているお客さまは幅広く、主婦、会社員、経営者、士業、芸能関係者、アスリートの方など。「こうなりたい」という目的と身体の状態に応じて、一人ひとりに合わせたトレーニングを組んでいきます。

トレーニングはしているけれど、なかなか体型に変化が表れないとお悩みの方もいらっしゃいます。私たちはいきなりトレーニングを行うことはしません。身体の原理原則に則った「骨格の評価」を最も重要視しており、その評価に基づいて一人ずつメニューを作成する独自のプログラムなので、効果は歴然です。そこが強みだと自負しています。

というのも私自身、骨格や運動器の怪我への対処やリハビリ、整骨を行う柔道整復師の国家資格を所持しているため、身体の土台である骨格の歪みへのアプローチをベースにしています。ただ筋力を鍛えるトレーニングでは、お客様の要望に十分応えられないこともありますから、満足していただける効果を提供するには医療の知識は必要不可欠だと考えています。スタッフも、医療に基づいた資格取得に励んでいる人材です。

自分の見られる範囲には限りがありますから、自分と同じ質のサービスを提供できるパーソナルトレーナーを育て、増やしていく必要性も感じています。より多くのお客さんに、良いサービスを提供できるようにしたいですね。

成り行きで至った、パーソナルジムの運営ですが、変わらず大事にしているポリシーは、「お客様一人ひとりの役に立つこと」です。「自分にしかできない仕事がしたい」という思いが原動力となり、サービスを磨き続けています。

日本は保険制度が充実しているせいか、自分で自分の身体をメンテナンスする意識は弱いように感じます。何かあればすぐ病院に駆け込めばいいと思ってしまいがちなのです。けれど、病院に行く前に自分でケアをすれば、健康でい続けやすくなりますよね。限られた人生を通院やリハビリに費やすより、好きなことに打ち込んだり、家族や大切な人と過ごせる方が楽しいはず。身体の根本改善や、予防を推奨する活動を通じ、「全ての人のライフパフォーマンスを上げる」ことが私の使命です。

2020.03.26

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | 貝津 美里
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