体育の先生から日本酒造りの杜氏に。 イギリスを拠点に、日本酒の魅力を世界へ。

学生時代は体育教師を目指していた溝畑さん。しかし大学を卒業して数年後、酒造所で働くことを決意します。全く畑の違う酒づくりの世界に飛び込んだきっかけとは?お話を伺いました。

溝畑 利行

みぞはた としゆき|Dojima Sake Brewery UK&Co.
三重県の酒蔵で25年務めた後、フリーに。2018年に、イギリスでSakeの醸造をスタートしたDojima Sake Brewery UK&Co.で酒造りを行う。

体育の先生に憧れる


鹿児島県の徳之島に生まれました。2歳の時、父の仕事の関係で、家族で大阪に引っ越しました。3歳上の兄にくっついて、いつも外で遊んでいましたね。スポーツが好きで、小学生の頃から野球を始めました。

中学入学前に、クラブチームから誘いを受けたんです。土日の試合に出られなくなる可能性があるため、監督からは「うちに入るんだったら、学校の運動部には入らないでほしい」と言われました。しかし、スポーツが好きだからやっぱり運動部に入りたいと思いました。そこで、担任の先生に相談したら、先生が顧問を務めていた陸上部に入部できることになったんです。メインは野球でも、行けるときは部活の練習に休まず参加することが条件でした。

土日は野球がメインでしたが、陸上の練習にも真剣に取り組みました。仲間と一緒に汗を流すのは単純に楽しかったです。でも、通っていたのは1学年500人いるようなマンモス校だったので、人数が多くてなかなか自分の希望の種目で大会に出場できるような環境ではありませんでした。そんな中、ある時先生に「溝畑、砲丸やってみろ」って言われて。

実際にやってみると一筋縄ではいかないし、大会に出場しても体格のいい選手がごろごろいて、自分の実力だと全く歯が立たなかったです。でもそこで「負けたくない」とやる気に火がつきました。次第にメインでやっていた野球よりも陸上のほうが楽しくなってきて、2年生になって先輩が引退したのを機に、野球をやめて陸上一本で打ち込むようになりました。

その中で、スポーツを通じていろいろな人と関わっていく仕事につきたいと思うようになりました。顧問の先生の影響もあって、将来は体育の先生になりたいと思ったんです。夢を持ったまま高校では槍投げにコンバートして陸上を続け、体育大学に進学しました。

古き良き伝統文化に惹かれ、酒造の世界へ


大学では無事教員免許を取得しましたが、教員採用試験を突破することができませんでした。大阪の体育教師の採用は、200人中1、2人しか受かりません。倍率が高くて非常に狭き門だったんです。そこで、中学の保健体育の講師の仕事につきました。体育教師になることしか考えていなかったので、就活は全くしていませんでしたね。

ただ、三度目の教員試験を受けてだめだった時に、「別の道も考えてみよう」と思い、はじめて就活情報誌を手に取りました。25歳のことです。

デスクの前にずっと座ってパソコン作業をするような仕事よりは、何か身体を動かすような仕事がいいと思いました。何千何百とある仕事のうち、ふと、三重県の酒造の求人募集に目が止まったんです。見開きのページに、酒を造る杜氏の方の笑顔の写真と「わしはうまい酒の作り方を知っとる、それを次の世代に伝えたい」と語る文言。それを見て、ふと大学時代にテレビで見たニュースを思い出しました。

杜氏の仕事を紹介する中で、「酒造りの現場もどんどん高齢化が進んで、日本の技や伝統文化を守る人がいない」と問題提起する内容でした。私は、体育会系のノリで飲み会で無理に飲まされることもあって酒自体は好きではありませんでしたが、杜氏たちの文化や技術を大切に受け継ぎ、誇りをもって働く姿は印象に残っていました。ああ、古き良き歴史や想いを継ぐ人がいないってもったいないな、と強く感じていたんです。

その時は、テレビの向こうの出来事だと傍観しているだけでしたが、自分がそれに関われるかもしれない。興味が湧いて、履歴書を送ってみました。するとすぐ連絡が来て、面接に行き採用が決まったんです。地方だし応募が少なかったのかなと思っていましたが、入社してから「200通くらい応募があった」と聞いて驚きました。蓋を開けると教員と同じくらいの倍率でしたが、なぜか杜氏は通ってしまって(笑)。まさしくゼロからのスタートで、酒づくりの世界に飛び込みました。

杜氏としての地力を磨く


酒造期は、杜氏はじめ他の蔵人と寝食を共にする修行の日々が始まりました。最初は道具の名前も知らなくて、本当に右も左もわからない状態でした。先輩も懇切丁寧に教えてくれるというよりは、見て盗め、身体を動かしながら覚えろといった感じだったので、毎日いっぱいいっぱいです。

でも、ただ指示に従うだけだったら誰でもできるので、雑用でも一つ一つの意味と「自分にできることは何か?」を考えて動くようにしていました。

杜氏は各蔵に一人しかいない、酒造の統括責任者。みんながなれるわけではなく、いわば三角ピラミッドの頂点なんです。ある時、杜氏の方に「何年くらいで杜氏ってなれるんですか?」と聞いたら「10年くらいすればできるんじゃないか」と言われて。それを聞いて「よし、俺は5年でなってやろう」と決意しました。修行の日々の中で自分を追い込んで頑張る一つの指標が定まった気がして、毎日必死に一つでも多く先輩の技を盗もう、吸収しようと動きました。

でも、やっぱりそんなに甘い世界ではなくて。杜氏の方も実力がある有名な方だったので、なかなかポジションが空かなかったんです。杜氏になれたのは、入社して11年目のことでした。念願の杜氏になれて、感動もひとしおでしたね。

しかし、自分が杜氏になって最初の年に、酒づくりが急にうまくいかなくなったんです。何故か糖化のタイミングが早まって、発酵が十分でなく甘い酒になってしまって。酒づくりの指導をしてくれている専門の先生にみてもらっても原因がわからなくて、途方に暮れました。

「先代の手法と変わらず造ってるのに、何で俺の代から急に問題が発生するんだ?」と泣きたくなりましたね。毎夜、夢の中でも酒がうまくできなくてうなされてました。経験は十分に積んできたつもりでしたが、問題に対処していくための自分の引き出しのなさを痛感しました。

そこで、なんとか最初の1年を乗り切ったあと、一から勉強をし直しました。専門機関の先生に話を聞きにいったり、同じ杜氏仲間と情報を交換したりしました。特に杜氏仲間の失敗談は、教科書にはのっていない生きた知識なので、やっぱりすごく参考になりましたね。問題が起こった時の対処法や、判断する基準など学びが多かったです。

そうやって地道に自分の中に引き出しを増やしていくことで、杜氏としての地力が身についてきて、何か問題が起きても解決に向けた行動、対応ができるようになっていきました。

イギリスで自分の力を役立てたい


その後、しばらくは順調に杜氏として働いていたんですが、常に成長、そして最高の酒造りを求める自分がいました。何軒かの蔵元から誘われもしました。本当に迷い、悩みましたが、結果として永年お世話になった蔵を去る決断をし、フリーの状態になりました。

これからどうしようかと考えていた時、杜氏仲間との飲み会で、日本酒の卸先として有名な大阪の割烹料理屋に行く機会があったんです。自分が酒造業界に入った当初から知っているような有名なお店でした。大将とも面識はあったんですが、しばらくお会いする機会がなくて。久々の再会で、近況を聞かれて今フリーだと話すと、大将に突然「イギリスに行かへんか」と聞かれたんです。

はじめはイギリスと酒づくりが結びつかなかったのですが、詳しく話を聞くと「今イギリスで酒蔵を建てていて、酒づくりをする予定の会社があるから、そこの社長と会ってみないか」ということでした。

フリーの状態でしたし、杜氏は冬の間出稼ぎ的に家から遠い場所で働くのも普通のことでした。働く場所が日本でもイギリスでも変わらないだろうと思ったし、またとない機会です。「私の培ったノウハウを活かせるのであれば、そして、私という人間を必要だと言うのなら、行きます!」と前のめりに返事をしました。

それから1カ月くらいして、社長とお会いする機会がありました。日本酒を通じて日本の伝統文化を世界に広めたい、と社長が熱く語るのを聞いて「自分も一員として経験を役立てたい」と思ったんです。イギリス行きが正式に決まりました。

日本酒の魅力を世界に広めたい


現在は、Dojima Sake Brewery UK&Co.の杜氏として、イギリスでSakeづくりをしています。日本酒は日本国内で造る酒のことを指し、国外で作る酒は「Sake」と呼ばれていますね。日本で培ってきた自分の知識と経験を、イギリスのスタッフに伝承しています。

今酒造を行なっている蔵は、東京ドーム7個分もある広大な土地にあるんです。樹齢何百年の木があって、目には見えない何か心地よい神聖な力が満ちているような場所ですね。氷河期の地層に守られている井戸から水をくみ上げているので、造るSakeの味も変わってきます。造ったSakeをはじめて飲んだ時は、本当に感動しました。透明感があって味わい深い。日本ではできなかったような、世界中の料理に合うようなSakeに仕上がっていますね。

以前はSakeが世界にも広がりつつある、くらいの認識でしたが、今は、Sakeを飲んだことがない人にどうやったら飲んでもらえるのか?といった積極的なアプローチの方法を日々試行錯誤しています。高い品質のSakeを造るのはもちろん、Sakeを楽しんでもらえる場所も提供していきたいと考えています。

Sakeを入り口に、もっと日本の文化を世界に広く伝えていけたらと思っています。Sakeは非常に繊細で複雑な工程を経て造られます。造る前に香りや味わいの方向性は決めますが、絞って、ボトルに詰めて商品になるまで、どんな風味になるか完全にはわかりません。Sakeの奥深い、面白いところですね。もっと美味しいSakeを造りたい。それを原動力に、生涯勉強し続けていきたいです。

今後は、世界各国のSake造りを学びたい人たちに向けて、アカデミーを開校する予定です。日本国外では、Sakeの醸造に興味・関心を持つ人々が増加しています。一方で、醸造に関する正しい知識・技術を習得する環境はまだまだ整っていません。ここDojima Sake Brewery UK&Co.では、その環境を提供できるんです。ここで学んだ人々が各地でCraft Sakeを開設し、世界にSakeを発信してほしいと思っています。教師として培った教える力を生かしながらSake造りを伝え、世界中に教え子ができたらうれしいですね。

2020.03.23

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | 山田 えり佳
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