寒川町民の幸せに、本当の意味で役に立つ。つながりを大切にしたまちづくりを。

神奈川県高座郡寒川町の企画政策課長として、まちづくりに取り組む高橋さん。大切にしているのは、人と人との「つながり」だと言います。高橋さんが考える、より良いまちづくり、あるべき公務員の姿とは。お話を伺いました。

高橋 陽一

たかはし よういち|寒川町企画政策課長
神奈川県高座郡寒川町の企画政策課長を務める。大学卒業後入庁し、教育、税務、高齢者福祉を経て企画部門に。湘南広域都市行政協議会への派遣後、財政担当を経て企画政策課長に就任。現在は2021年から20年間の新たな総合計画の策定などを担当し、つながりを大切にしたまちづくりに取り組む。

みんなとゴールを目指す楽しさ


神奈川県茅ヶ崎市で生まれました。2000グラムの未熟児で生まれたためか、体が弱く、よく熱を出して幼稚園を休むことが多かったです。

そのまま小学校に上がり、2年生になった時、唐突にサッカーをやってみたいと思いました。学校にクラブがあることは知っていたので、自分で先生に話して入部を決めてしまいました。母に「サッカーやりたいんだけど、月謝がかかるって」と伝えるとびっくりしていましたね。体が弱いのにスポーツなんかできるのか、心配されました。

でもいざ始めると、すごく楽しくて。先輩後輩含め、大勢のチームメイトに囲まれて友達が一気に増えましたし、運動するようになって徐々に体が強くなった気がします。リーダータイプでもないし、突出してうまい訳でもなかったけれど、みんなと一つのボールでゴールを目指すことに夢中になりました。

この環境を手放すことは、全く考えられませんでした。中学も高校も、仲間と一緒に何かをすることが楽しくてサッカーを続けました。しかし、だからといってサッカー選手を目指している訳ではありませんでした。サッカーはサッカーであって、プロになりたいと考えたことはなかったですね。他に、なりたいものがあったんです。

母の実家が鹿児島県にあり、小さい頃から飛行機に乗って祖父母の元を訪ねていました。その頃から飛行機がすごく好きで、漠然とパイロットに憧れていたんです。航空関係に興味があって、よく雑誌を読んでいました。

高校生になったある時、雑誌を読んでいると、「パイロットになるには健康じゃダメだ」と書いてありました。どういうことかとさらに読むと、「健康じゃダメだ、超健康じゃなくちゃいけない」とあったんです。無理だ、と思いましたね。運動をしていても鼻炎持ちだったし、超健康とは言えないなという自覚がありました。お客さまの命を預かる仕事ですから、この状況の自分には務められないと思ったんです。自分にはなれない、と諦めて、別の仕事を考えるようになりました。

飛行機がダメなら何がしたいだろうと考え、「だったら人のためになることがしたい」と思いました。まず社会について知った方がいいと思い、法学や社会学を幅広く学べる東京の大学に進学しました。

4年間でパイロット以外の仕事を考え、パイロットになれなくても航空関係の仕事につけないかと就職活動をしました。しかし、結果は不合格。航空関係じゃなければ他に行きたい企業も見つからず、ビジネスのガツガツした感じも自分には合わないと思っていました。民間以外で人のためになる仕事、と考えたとき、公務員という選択肢が自然に浮かんだんです。

とはいえ就職活動も終盤、自治体も募集を終えようとしていました。ダメもとで、まだ募集をしていた地元付近の自治体の公務員試験を受けました。結果はなんと、合格。あっさりと地元の隣町の寒川町役場に入庁が決まり、縁を感じました。

できないことは頼ればいいんだ


入庁して最初の職場は、町の教育委員会でした。町職員だけでなく学校から先生も出向してきている職場で、先生と学校ではない場所で仕事の話をすることが、新鮮で面白かったです。

その後、固定資産税の課税業務なども担当しながら順調に仕事をし、10年ほどが経った時、高齢者福祉の担当課に異動になりました。福祉については全く知識がなく未経験だったため、右も左もわからない状況でした。しかし、窓口には毎日高齢の町民の方が、いろいろな相談などを持ってやってきます。

たとえば、「息子が暴れて食器を全部割ってしまう。何を言っても聞いてくれず、途方に暮れている」というおばあちゃん。窓口で話を聞いているうちに「とりあえず家に帰って様子を見てみる。困ったらまた来ます」と帰られましたが、もし「どうにかして欲しい」と頼まれていたら、自分に何かできただろうかと自問しました。帰してしまってからも、「あのおばあちゃん平気だったかな」と頭から離れないんです。対応しなければいけないのにわからないことだらけで、「本当にこれがベストの対応なのか」と悩む苦しい毎日が続きました。

そんな思いが顔に出ていたのか、ある日、同じ課の保健師さんが「どうかしたの」を声をかけてくれました。その時対応を迫られていたケースについて話すと、「そんなの早く言ってくれればいいのに」と言われたんです。医療機関とのやりとりや退院後に想定されることなどをアドバイスしてくれ、ダメなら私が対応するから大丈夫だよ、と。その人は当然のことながら適切な対応をちゃんと知っていたんです。安心したし、嬉しかったし、本当に助かりました。

そこで初めて、目が覚めたみたいな気持ちになりました。改めて周囲を見回すと、私の近くには、保健師さんはじめ専門知識を持った人が大勢働いていたんです。わからないなら、できる人に頼ればよかった。なんでこんなに当たり前のことに気づかなかったんだろうと思いました。そこからは、自分ができないことはできる人に頼ろう、と思えるようになりました。それ以来、職場が変わっても、部下に何かあったら相談してもらえるよう声をかけるようになりましたね。

人とのつながりで世界が広がる


その後、藤沢市、茅ヶ崎市との広域連携を目的に作られた、行政協議会の事務局に派遣されました。各市町から一人ずつ、その時は神奈川県からも一人ずつが派遣されてきていました。これまで町の中でしか仕事をしたことがなかったので、別の環境、別の文化を持つ人と一緒に働けて勉強になりました。

特に、自治体の規模が大きくなると、物事を決定するのが大変なんだと実感しましたね。私は割とせっかちなので、なるべくなら最短距離で成果を出したいと思う方です。その結果、物事の本質が何かを考える癖がつきました。物事の本質を捉えて根本的な課題がはっきりしさえすれば、取るべき解決策は組織の文化などが多少違っても揺るぎません。仕事を前に進める一つの方法を学びました。

加えて、その時に出会った人とのつながりができましたね。町の仕事は、町の中で完結しない場合もあります。そんな時に助け合える仲間ができました。

人脈を持って町に帰り、財政課を経験したのち、企画政策課の課長になりました。次期の総合計画づくりをするのが大きな仕事の1つです。寒川町では、『「高座」のこころ。』というスローガンでブランディングに取り組んでいます。ここには、品格や高い志、誇りを連想させる「高座」という地名と、いにしえから寒川の人々に受け継がれている穏やかさ、優しさ、あたたかさといった心のつながりを大切にしていこう、という想いが込められています。これを踏まえて、どんなまちづくりをすべきか考えました。

改めて基本に立ち返ろうと、参照したのは町の自治基本条例です。ここでは、まちづくりとは「町民が心豊かに暮らすための、町民と町の様々な活動」と定義されています。心豊かな暮らしというのは、すなわち幸せであると考え、町民の心豊かな暮らし、幸せにつながるまちづくりに取り組んでみたいと思ったんです。

そんなとき、上司からのすすめで、高知県のある町が総合計画を作った過程を記した本を読みました。その町は、多くの町民が町職員と一緒になって総合計画を作り、幸福学の考え方を取り入れてまちづくりをしていました。寒川町が目指すまちづくりと方向性が似ていて、自治基本条例の基本理念である「町民と町が協働するまちづくり」とも親和性があったことから、「これだ」と思ったんです。このまちづくりを自分の目と耳で確かめるべきだと考え、上司に話して部下たちと高知県へ視察に行かせてもらいました。

そこで確信を深め、幸せを統計学的に研究している先生にも直接連絡をとりました。住民一人ひとりの心豊かな暮らしを実現するまちづくりに協力いただきたい。そんな想いを伝えると、協力してくださることに。アドバイスを受けながらワークショップを開くなどして、心豊かな暮らしとは何か町民の方々と一緒に考えました。

話し合いの中で多く出てきたのは、「人とつながりたい」という声でした。核家族化が進む中で、あまり人との関わり合いを好まない人が多いのかなと考えていたので意外でした。つながりの中で町の課題を解決するような仕組みを、まちづくりに生かしていくことにしました。

またある時、県庁の知人に誘われて、全国の公務員が集まる会に参加しました。そこに参加している公務員は、民間ともどんどんつながって仕事をしていました。目から鱗でしたね。行政は特定の企業とつながるのがよくないと機械的に考えがちですが、必ずしもそうではない。同じ目的に向かって適切な形でつながるなら、行政と民間がお互いの強みを生かしながら事業を創っていけるんだと気がつきました。こんな働き方もあるんだと気がつきましたね。

5日間のためじゃなく、残りの360日のために


人とのつながりでいろいろな取り組みを始めていた最中、寒川町がストリートスポーツの世界大会の候補地に選ばれました。五輪種目にもなっているスケートボードに加え、自転車競技の一種・BMXのフラットランドや、ブレイクダンスの3つの競技が一体となった大会です。もともと、寒川町出身のBMXのレースで活躍する選手がいることから、町でBMXやスケートボードなどのホイールスポーツを楽しめるパンプトラックをその直前に開設していたんです。

世界大会の開催は、町ではもちろん初めて。やったことがない挑戦なので不安もありました。なんでストリートスポーツなんだ、と批判も受けました。しかし、開催が決まれば、町にさまざまな人が来てくれます。人口が減り、少子高齢化が進む中では、その土地ならではの特色を出し、住む場所として若い世代にも選ばれ続ける必要がある。地方創生のために必要なことだと判断し、誘致に踏み切りました。

開催のためには、候補地の中で選ばれる必要があります。主催者として大会のオーガナイザーなどが町を視察に来てくれた時は、町の良さを伝えて、とにかく来て欲しいという想いを伝えました。正直、気持ちしか伝えられるものがないというのが本音でしたね。でも、町のために本気でした。

それが届いたのか、「熱い想いで来て欲しいと言ってくれたのが寒川町だった。世界遺産の富士山が見えるのもよかった」と、寒川町での開催が決定したのです。そこからは、めまぐるしい毎日でした。町職員で地元企業を回って協力をお願いするなど、あまり経験のない仕事の連続でしたね。メディアに注目され失敗は許されないというプレッシャーの中、皆さんの協力で無事やりきることができました。結果的に、人口約48000人の町に、3日間で延べ約25000人を動員。メディアにも露出でき、寒川町を多くの方に知っていただけました。

2020年4月には、練習日を含めて5日間のスケートボードの世界大会の開催も決まりました。東京2020オリンピックに出場するためのポイントが獲得できる国内で唯一の大会のため、注目度はさらに上がります。でも、365日のうち、この5日間だけがよければいいということではない。大事なのは、残りの360日にどう取り組んでいくかだと思っています。

こうしたイベントをやるのは、そこでできたつながりが、その先の町をつくっていくからです。たとえば、有名なBMXの選手が町に住んでくれるようになりました。その方と練習したいと、遠く北海道や長野、新潟など、時には海外からも、BMXの競技者をはじめ多くの方がいらっしゃいます。町に住む人が心豊かに暮らすためのつながりを、町の価値としていきたいと思っています。

本当に、町民のためになるものを


いまは、寒川町の企画政策課長を務めています。力を入れて取り組んでいるのは、2021年から20年間の総合計画の策定です。町が目指すべきは、町民の心豊かな暮らしであり、幸せ。つながりによってまちづくりをしていきたいですね。環境や状況は変わっても、物事の本質をしっかり捉えていれば、変化に合わせて新しく変わっていける。つながりによって新たな価値を生み出していきたいと考えています。

最近感銘を受けたのは、新聞で読んだ昔の近江商人の言葉です。「無理にものを売るな。人が好むものも売るな。人のためになるものを売れ」。自分のやりたいことに近い考え方だと感じています。

私たち公務員はものは売りませんが、サービスを提供します。無理に提供しても意味がないし、人が求めていても本当にその人のためにならないもの、役に立たないものを提供してもいけません。本質を理解して、本当に人のためになるものを提供したいと考えています。

そしてその目的のためには、いろいろな人の助けが必要です。自分だけでできることではないし、公務員だけでできることでもない。時代は移り変わっていきますし、そのスピードも加速している。行政も民間も関係なく、町への想いを共有し、共感してくれる人たちとのつながりを大切にしながら、本当に町民のためになることをしていきたいですね。

2020.01.31

インタビュー・ライティング | 粟村 千愛
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