大好きな漁師たちのために、私にできることは?目標「漁業以外」から真反対の道へ進んだ理由。

JF全漁連の広報として、漁師の魅力を水産業界の内外へ発信する金田さん。漁師の娘として生まれながら、将来は「漁業以外」の仕事をしようと考えていた金田さんが、「漁師のために何かしたい」と水産の道へ踏み出した理由とは。お話を伺いました。

金田 奈都子

かねた なつこ|全国漁業協同組合連合会 広報
2013年、全国漁業協同組合連合会(JF全漁連)へ入会。資源管理や漁業人材育成の仕事に従事した後、2019年7月から広報を担当。会員である漁連・漁協、漁師だけでなく、消費者にも漁師の魅力を伝えることで、漁師にとって有益な変化が起こせることを目標に活動している。

漁師への尊敬と葛藤


福島県いわき市の漁師の家で生まれました。母方の祖父が漁師で、父も婿養子に入り脱サラし、同じく漁師になりました。家族みんなで手伝う作業が多かったので、幼い頃からしょっちゅう港へ連れて行かれ、仕事の様子を傍で見ていました。祖父は腕の良い漁師で、チラシの裏にバーッと網の設計図などを描いては、何でも1人で作ってしまうんです。そんな姿を見て、すごいな、かっこいいなと思っていました。

小学校にあがってからも、祖父や父のことは相変わらずかっこいいと思っていましたね。しかし、授業や友達との会話を通して、世の中には漁業以外にもいろいろな仕事があって一般的なのはサラリーマンなんだと気付き、学校のお迎えに軽トラック・長靴で来られることを恥ずかしいと感じるようになりました。漁師に対して少しネガティブな感情を抱くようになったんです。

更に小学4年生の頃、祖父から父に代替わりをしたことで、経験が少なく苦戦したり、ちょうど燃油が値上がりしたりと、大変なことが重なって家計はいつもギリギリの印象でした。「漁師だけの収入じゃ、年を越せない」と、漁が終わってから近所の加工場へ働きに行く両親の姿を見て、「漁業はダメだな」と感じるようになりました。

「将来の夢は、漁業以外」。看護師や警察官、作家など、手に職で稼げる仕事に就きたいと言っていましたね。

水産を知りたい


中高では陸上部に所属。部活が忙しかったこともあって、港からは足が遠のいていきました。

高校は文系に進み、将来の選択肢が広そうな経済学部を目指そうと思っていました。両親は何をしろとは一切言ってこないタイプで、私が漁業以外の仕事に就きたいと話しても何も言いません。進路も将来のことも何も聞かれなくて、親に対し「無関心すぎる」と怒ることもありました。

そんな高校2年生の春、祖父が亡くなりました。祖父は私が生まれた頃には自宅の近くで沿岸漁業をしていましたが、もっと昔は大きな船で遠くの海まで魚を獲りにいき、「漁労長」という漁場を取り仕切る仕事をしていたそうです。いつも、その頃の話を私に聞かせたいと言っていました。でも、話を聞く前に亡くなってしまったんです。

「えーっ」となりましたね。聞かなかった自分の不甲斐なさと、聞けなかった悔しさとで頭がいっぱいになりました。そしてもうひとつ沸き上がったのが、「祖父のやっていたことをめちゃくちゃ知りたい」という感情。それまでは将来の夢を「漁業以外」と考えていたので、浜から遠ざかり、水産の情報にも興味がありませんでした。それが一気に「水産を知りたい」という欲が沸き出し、さらに「将来は漁業関係の仕事に就きたい」とまで考えるようになったんです。

悩んだ末、まずは担任のところへ行き、水産の勉強をするために理転したいとお願いしました。しかし、すでに3年生のクラス編制も決定していたため、今さら無理だと一度は断られました。それでも「ここにいてもやりたいことがない」と食い下がると、ついに先生が折れてくれたんです。「本当に理転するなら、すぐに行きたい大学を決めろ」と言われたので、すぐに分厚い大学一覧の載った本をめくり、片っ端から水産学部のある大学に付箋を付けていきました。

そうして無理やり3年生から理系に転科したのですが、理系と文系では数学も化学も勉強する範囲が全く違うので、最初のテストはどちらの点数もまさかの一桁。これはやばい!と焦りましたが、もう引き返せないと必死に勉強しましたね。結局1年浪人はしましたが、無事に東京にある海洋専門の大学に入ることができました。

3.11で気付いた、自分の進む道


そんな熱い想いで進んだ大学ですが、入学してからはバイト、遊び、たまに勉強という日々を送っていました。それというのも、今まで祖父や父の仕事しか見てこなかった私に、水産の世界はあまりに大きすぎたんです。

大学には環境、土木、食をはじめ様々な分野があり、いろいろな人もいました。自分が水産業界のごく一部しか知らなかったことを痛感して、将来、水産のどの部分に携わったらいいのか、どこに行けば私の知りたかったことが知れるのか、自分が満足できるのかが全くわからなくなってしまったんです。

そんな風にふわふわしてしまっていた大学2年生の3月、東日本大震災が起こりました。

私の家族や顔見知りの漁師たちに亡くなった方はいませんでしたが、父をはじめ、多くの漁師が船を流されるなどの被害にあい、途方に暮れていました。これまでも自然の過酷さは十分わかっていたはずですが、あまりの異常事態に、今回は乗り越えられないかもしれないと、みんな本当に不安がっていたんです。「父に寄り添わないといけない」。強くそう思いました。

そこで、まずはじめたのが親の仕事にきちんと向き合うこと。正直、私は父の仕事が水産業のどの部分なのかさえ理解できていませんでしたし、実は父が青壮年部の活動などを、すごく頑張っていたことも知りませんでした。密漁の対策や資源管理など、崇高な取り組みをたくさんしていることも知らず、「ちゃんと勉強もしないで経営者になったから、儲らないしダメなんだよ。私が変えてやる」なんて斜め上から見ていた自分が、恥ずかしくなりました。何も知らずに進んでいたら、大変な間違いを犯していたと思います。

父の他に、昔から顔見知りだった漁師のおっちゃんたちとも、ちゃんと話をしました。そこでどんな人間関係を築いて、どんな立場で、どんな風にみんなと活動しているのか。漁だけでなく、地域や自然にしっかりと向き合う漁師たちの姿勢に魅せられ、「水産業界にはいろいろな仕事があるけれど、私が関わりたいのは漁師なんだ」と、完全に道が絞れましたね。

その後は「漁師に関われる仕事」という視点で就職活動をしつつ、福島の大学の学生さんたちと連携して、漁業ツアーの企画をしました。彼らは原発事故の風評被害で困っている福島の産業を何とかしたいと、いろいろなスタディツアーを行っていました。たまたまメンバーの1人と話す機会があって、地元や漁業の状況を伝えたら、一緒にやりましょうとなったんです。

そのときに、企画者である自分がもっと現状を知らなければと、地元に何度も帰って、ツアーで何をしたら地域や漁業者のためになるかを聞き、知識を深めていきました。そこで更に、地元の漁師たちが昔からいろいろな活動をしてきたことを知り、すごいな、かっこいいなと想いが深まっていきましたね。

点から面へ広がった、福島との繋がり


就職活動の結果、就職先はJF全漁連に決まりました。JF全漁連は、出資者もサービスの対象者も漁師という協同組合の全国組織。プロジェクトや新たな事業をするにあたって、常に「漁師のためになるのか」という視点に立ち返る、まさに漁師のための組織です。

こう言うと、学生時代に思い描いた「漁師に寄り添う仕事」ができるように思われるかもしれませんが、実際は違いました。

そもそも私が寄り添いたかったのは「地元の漁師」だったんです。でもJF全漁連の仕事は、その名の通り全国の漁師が対象。しかも、物理的にも組織的にも浜からすごく遠い位置で仕事をしなければいけませんでした。JF全漁連がやりとりするのは、各県にある県漁連。県漁連の会員として漁協があって、その漁協が漁師さんとやり取りをするんです。つまりJF全漁連にいても漁師と直接仕事ができないし、今まで近くにいた地元の漁師たちさえ精神的にも離れてしまった感じがして、ここにいていいのかと、正直ぶれぶれになってしまいました。

だから、3年ぐらいで地元へ帰ろうと思っていたんです。吸収できるだけのことを吸収して、それを父や顔の浮かぶ地元の漁師たちのために還元しようと。

そのため、地元との交流は絶やさないようにしていました。地元に帰るときは、できる限り浜で漁師たちと話をし、福島の漁業に関心がある人をアテンドしたりもしました。東京では、地元の海産物を使った料理教室を企画したり、地元の漁業関係者がイベントをやる際には、手伝いに行ったりしていました。「片足は福島にいなくちゃいけない」。そんな、変な使命感がありましたね。

しかし、そうしているうちに地元の漁師や漁連の方たちから「なっちゃんが東京にいるから、自分たちがハードルを感じずに東京で活動できる」と言われるようになってきたんです。その言葉を聞くうちに、もしかしたら私がここにいることに価値があるのかもと思うようになり、3年を越えても変わらず働き続けました。

JF全漁連にいたから全国の様々な方とも繋がりが生まれましたし、福島だけをとっても、漁師だけでなく、漁連や漁協、県・市の職員など、幅広い地元の関係者の方々と活動ができるようになりました。福島との関わりが点と点から面に広がってきたと感じられるようになりましたね。

漁師が好きだ


入会から6年間は漁政部という部署で、資源管理や人材育成などを担当しました。そのなかで、徐々に漁師たちに会える仕事が増えていったんです。日本中の漁師に会った結果、自信を持って言えるようになったのが「漁師が好き」ということでした。漁師たちは、みんな、すごい。みんな、かっこいい。想いもあって、経営力もあって、昔の私が「漁業はダメだ」と感じた漁師の姿と、実際に会って知った漁師の姿は、真逆だったと思い知りましたね。

漁師たちはとても不安定な環境のなかで、経営を維持しています。今、世界的に流れが来ている自然や環境の問題にも、ずっと昔から向き合い、その恩恵を受けながらも維持し続けているんです。

さらに、先を読む力もすごい。たとえば船に乗っていると、急に「そこにいるな!」と言われたりします。なんでだろう?と思いながら移動して少しすると、さっきいた場所に大波がブワーッときたりする。彼らは常に先を予測し、行動しているんです。その姿勢は他の業界の経営者も学ぶところがあると思います。いろいろ知ってる風なインテリっぽい人が漁業にアドバイスしてくることがありますが、「いやいや、お前らこそ漁師から学べよ」と思ってしまうくらいです。

かくいう私も、6年間この職場で学ばなかったら、表面上の知識だけで本質からずれた発信をしてしまった可能性があると思います。日本中の漁師に会って、本当に漁師を好きになったから、彼らの不利益になることだけは、絶対にしたくない。とにかく漁師の気持ちになって、漁師のためになることをきちんと伝えていきたいと思えるようになりました。

知ってもらうことが、漁師のためになる


現在は、JF全漁連で広報の仕事をしています。大好きな漁師たちの魅力を発信し、サポートしたいと考えています。

本当にかっこいい漁師たちですが、やはり漁業の世界は大変です。今は国の補助や保険制度も整ってきましたが、それでも収入に上下はあるし、どうしても避けられない自然災害にどう向き合いうかなどの課題もあります。

わたしの故郷の漁師たちは、原発事故によって、先が見えない、得体のしれない不安を抱えているかもしれません。また、震災で一度失った販路を取り戻すために、獲る以外に、売ることやPRなど、これまでにない仕事を求められる漁師も増えてきたように思います。その中で、どう誇りとモチベーションを維持すればいいのか、漁師の悩みは多いです。

ただ、漁連や漁協をはじめ、たくさんの人たちが漁師たちの力になろうと、イベントを開くなど定期的に活動しています。いち漁師の娘としてそんな関係者の皆さんに感謝すると同時に、私もこうしたニュースをポジティブに発信していきたいと思いますね。

JF全漁連はこれまで、向き合うのは「会員である漁連・漁協、漁師」という趣が強かったのですが、漁師のためになるならと「消費者に漁業の情報を提供する」ことにも力を入れ出しました。実は私が広報チームに異動してきたのも、これがきっかけなんです。漁業以外の方との繋がりを積極的に作るため、リアルイベントだけでなく、消費者向けのwebメディア「Sakanadia(サカナディア)」もスタートさせました。

私自身が漁師を深く知ることでイメージが180度変わったように、一般の人を巻き込み、理解してもらう。その結果、魚を食べてくれる人が増えたり、魚価が上がったりと、漁師にとって有益な変化が起こせたらうれしいですね。

実は私は、明確な目標って今までもこれからもないんです。東日本大震災のとき経験したように、何があるかわからない人生で明確な目標を立てても、実現できないとなったときに路頭に迷う気がするからです。

それであれば、人生のなかで少しずつ固めてきた自分のポリシーを軸に、チャンスがあればやるし、壁にぶつかったら乗り越えようとがんばってみる。それでいいんじゃないかと思っています。

私で言うと、ポリシーは「漁師が好き」「漁師のために何かしたい」という想い。この想いを絶やさずに、これからも、そのときに直面したことに全力を尽くしていきたいです。

2020.01.13

インタビュー・ライディング | 中川 めぐみ
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