食べることの楽しさを伝えたい!「嫁食堂」で一人一人に幸せな食卓を。

完全予約制でオーダーメイドの料理を提供する「嫁食堂」を始めた照沼さん。優柔不断で自分で決断することができず、そんな自分を否定してきたと言います。そんな照沼さんが、やりたいことを見つけたきっかけとは?お話を伺いました。

照沼 柊子

てるぬま とうこ|「嫁食堂」料理人
東京都渋谷区生まれ。小学4年生で拒食症を経験するものの、食への好奇心を取り戻し料理の道を志す。2019年11月から、一人一人にあった料理をオーダーメイドで提供する嫁食堂をオープン。

自分で決められない子ども


東京都渋谷区に生まれました。7歳上の兄と、2歳下の妹がいます。兄も妹も主張が強い性格で、自分のやりたいことがはっきりしていました。しかし、真ん中に挟まれた私は優柔不断で、誰かがやりたいと言ったことについていくような性格でした。自分でものを考え、決めるのが苦手でしたね。

例えば家族でレストランに行っても、何を頼むか決められないんです。よく「ママ、二番目に食べたいのはどれ?」と聞いて、母が答えた料理を頼んでいました。

そんな感じなので、妹の方が私より強かったです。友達と遊んでいて「どっちがお姉ちゃんに見える?」と聞くと、みんな妹の方を指さしました。しっかりしているし自分を持っている妹は、流されやすい自分とは全然違う。なんで自分はこうなんだろうという気持ちがありました。

一方で、手を動かしてものを作るのは好きでしたね。おままごとよりもブロック遊びやお絵描きが好きで、自分が作ったものが形になるのを見ると達成感がありました。

小学生になると、仕事の忙しい母に代わって料理をすることが多かった父を手伝って、料理を始めました。子供用の包丁を買ってもらって、具材を切っていましたね。料理が完成すると元々の材料とは全然違うものになるので、「あ、こんな風に変わるんだ」というのがすごく楽しかったです。

食への好奇心


小学4年生のとき、両親が離婚しました。2人が別れたことがショックだったのか、私はパニック障害になってしまい、さらに拒食気味になりました。とにかく食べたくなくて、食べることはただの作業でした。特に白米がいやで、ご飯を食べなくなりましたね。

そんな様子を見ていた母は「食べたいものだけ食べればいいよ」と言ってくれました。何か食べたいものはあるかと聞かれたので、私は「フグを食べたい」と言ったんです。みんなが美味しいというので、どんな味がするのか一度食べてみたかったんですよね。

家族でフグを食べに行くと、フグの刺身が出てきました。身がプリプリしていて、これが魚なんだ、という感じがしました。正直、なんでこれが高いんだろう、ポテチの方が好きだなと思いました(笑)。

だけど、自分が食べたいと思ったものを食べられたことが、なんだか嬉しかったんです。その後も、興味があった世界三大珍味を食べさせてもらって、美味しいかどうかはわからなかったけれど、味を知れたことに満足しました。好奇心が満たされると、他のものも食べてみたいという気持ちが湧いてきたんです。さらに食べるだけでなく、テレビの料理番組を見て、自分で作ってみるようになりました。

ある日、母が料理の本を買ってきてくれました。そこに、おせち料理が載っていたんです。普段食べている料理と違って、正方形の重箱に規則正しく詰まった料理はすごく綺麗に見えて。自分で作ってみたいという好奇心が働きました。

材料を買ってきて、一からおせちを作りました。どれも作ったことのないものばかりですから、なかなか完成形がわかりません。結局3日間かけて完成させました。できたおせちを振る舞うと、家族はみんな美味しいと言ってくれたんです。自分自身も満足できて、それから毎年おせちを作るようになりました。

初めての主張は受け入れられなかった


体調は快方に向かいましたが、心のモヤモヤっとした感じはなくなりませんでした。中学生になっても、物事を自分で決めるのが苦手な性格はそのままだったからです。兄や妹は主張がはっきりしていて、早々にやりたいことを見つけて打ち込んでいました。でも、私にはなかった。なんで自分はこうなんだろうと思っていました。

本当は、やりたいことはあったのかも知れません。でも、行動するより前に、いろいろなことを考えてしまうんです。一緒に暮らしている母は毎日忙しかったので、私が洗濯や片付け、料理などをやることも多くありました。家事をしなければいけないと思うと、何かに時間を使うのは無理だと思ってしまうんですよね。やってみたらできたのかもしれないけれど、いつも行動する前に諦めて、自己完結していました。

高校を選ぶ時になって、初めて美術の学校に行きたいという気持ちが芽生えました。子どもの頃から絵を描くのが好きだったからです。その気持ちを三者面談の時に話したところ、母に「美術を勉強したいの?柊子は違くない?」と言われました。初めて主張をしてみたけれど、ダメだった。自分のやりたいことを否定されて、傷つきました。でも母の言うことは絶対だと言う気持ちがあったので、美術の学校へ進むのは諦めたんです。普通高校には通う意味を感じていませんでしたが、勧められた都内の高校に進学しました。

「料理」というタグができて、もやが晴れた


高校では真面目に勉強し、法学部を目指しました。父母はテレビやラジオの仕事をしていて、兄妹もクリエイティブな業界で働きたいと話していたので、私は堅めの仕事に就きたいと思ったんです。でも、法学部に行けたとしても、4年大学に行った後2年間大学院に行って、さらに試験に受からなければ何年も収入のない中、勉強を続けなければいけなくなります。下には妹もいるのに、そんなに長く学生を続けていいのかとモヤモヤしていました。

そんなある日、家族で外食しました。母がお店のシェフと話して、「この子、おせち料理作るんですよ」と私が作ったおせちの写真を見せました。するとシェフが「すごい綺麗だ、才能あるよ」と言ってくれたんです。

初めて、自分がやり遂げたことを褒めてもらえました。しかも、親ではなくて全く知らない人に褒めてもらえたんです。それがすごく嬉しくて、「私がやりたいのは料理だ」と思いました。今まで、料理は趣味で仕事にはならないと思っていましたが、初めて仕事にできるかもしれないと思えたんです。

料理の道に進もう。そう思った瞬間、自分には料理というタグができた気がして、なんだかすごくスッキリしました。これまでずっと何をしたいのかわからなくてモヤモヤしていたけれど、それが見つかって解放された気がしたんです。スイッチが入った感覚でした。そうしたら自然と、現状に悩むのではなく、今をどうやって楽しむか、どうやって人を楽しませるかを考えられるようになりました。

食卓の楽しさを伝えたい


卒業後はすぐに飲食店で修行をしたいと思いましたが、シェフのアドバイスもあって料理の専門学校に進学しました。そこには同級生だけではなく、キャリアを重ねてから料理人を目指した人など、様々な世代の様々な価値観の人がいました。出会いから刺激をもらいましたね。

料理の道は料理人しかないと思っていましたが、お話をする中でいろいろな道があることを知りました。その中で、ある人が「19歳って可能性が無限大にあるから、いろんなことをして吸収した方がいい」と教えてくれたんです。

専門学校は1年で終わりでした。同級生の多くは、大学で4年間自由な時間を過ごします。だから母には、その4年間、自分の挑戦したいことをしてみる期間にしたらと言われました。もしダメでも勉強になると思い、4年間いろいろなことにチャレンジしようと決めたんです。

ではまず、何をするか。考えていたときふと、母が「嫁食堂はどう?」と言いました。我が家は、母が家にお客さんを連れてくるので、いろいろな人とご飯を食べる機会が多くありました。私はその人たちとコミュニケーションを取りながら、ご飯を作って振舞っていたんです。家でお嫁さんが料理を作ってくれるみたいに、そんな場を家の外でも提供できたら良いのではないか、というアイディアでした。

聞いた時、「それはすごくいいかもしれない」と思ったんです。小・中学生の頃は、自分一人や妹と二人でご飯を食べることがほとんどでした。でも、いろいろな人がきて賑やかに食べる食事は、すごく楽しかったんですよね。そんな家での楽しい食事を、家の外でも提供できたらいいなと思いました。そこから、「嫁食堂」の具体的な構想を練っていきました。

嫁食堂で食の楽しさを伝えたい


今は、スペースを借りて嫁食堂を開店し、完全予約制でお客さんに料理を振舞っています。作るのは、その人に合う料理。旬の食材を使って、体に優しい料理を作ります。ダイエットしている最中だったらカロリーを抑えたメニューにしますし、苦手な食べ物も美味しく食べてもらえるように工夫します。家でお嫁さんに作ってもらうような「家庭料理」がコンセプトですね。

ちゃんとした料亭やレストランで働いた経験があるわけではないので、料理自体はまだまだです。でも、お客さんと話しながら、コミュニケーションをとって楽しい食事の時間を提供できたらと思っています。家でご飯を食べているような感覚になってほしいですね。

私が拒食症だった頃は、食べることが作業みたいでした。今の社会には、食べられるならなんでもいいという人や、スーパーやコンビニのお惣菜で十分美味しいという人もたくさんいます。でも、「食べること」は生きていく中に必ずあることだからこそ、ただ食べるだけでなく、もっと元気に、幸せになれたらいいなと思うんです。

そんな想いを実現する、最初の一歩が嫁食堂だと思っています。嫁食堂は、私ひとりだけでできるものではありません。召し上がってくださるお客様はもちろん、家族や支えて応援してくださるみなさんと作り上げたいと思っています。体によく、旬で美味しい料理や、話しながら食事をする時間を通して、楽しい食卓を届けたいですね。未完成ですが、ここをスタートに食に携わる仕事をしていきたいです。

2019.12.05

インタビュー・編集 | 粟村 千愛
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