子どもたちに自分の可能性を気づいてほしい。自分が好きなことを追求する生き方。

ヨルダンで暮らす映像クリエイターのオマールさん。大学卒業後、シリア難民キャンプ「ザータリ難民キャンプ」にて映像メディアの立ち上げに関わり、現在はフリーの映像クリエイターとして活躍しています。オマールさんが映像を通して伝えたいこととは。お話を伺いました。

Omar Braika

オマール ブライカ|映像クリエイター
ヨルダン生まれ。映像クリエイター。ザータリ難民キャンプ内で映像メディアの立ち上げに携わる。

人を助ける仕事がしたい


ヨルダンの首都、アンマンで生まれ育ちました。長男で、妹が2人、弟が1人います。元々はパレスチナに住んでいた家系ですが、祖父が若い頃にパレスチナ難民として、ヨルダンに移住。私たち家族は今でもパレスチナ難民として暮らしています。

小さい頃から、人を助ける仕事をしたいと思っていました。「自分が人を助けることができるなら、そうするべきだ」という感覚が昔から身についていたんです。長男ですし、兄弟が教えてくれたからそう考えるようになったというわけではないんですが、なぜかずっとそう思っていました。自分が誰かに優しくされたり、助けられたりした経験があるからだと思います。

また、「身近な人を助ける」というのはアラブ地域の人たちに共通する考え方です。まずは家族を大切にする。それから、友達、ご近所さんと、自分ができることの範囲によって、関わる人が広がっていくんです。それは、国に対しても、世界に対しても同じ。他人のことを考えていないと、自分勝手な人間になってしまうという教えです。

そんな考えがあったからか、将来は人を守る警察官になりたいと思っていました。その次に持った夢は、国を守る軍人になること。さらに、食べ物を作ることで人を助けることができるんじゃないかと思い、農家を目指したこともあります。成長するとともに、自分ができることはなんだろうかと考えていましたね。

自分がやりたいことをやる


7歳の時に、ビデオカメラと出会いました。携帯電話についていた簡易なカメラだったんですが、すぐに撮影の魅力に魅了されてしまいました。それからは、身の回りのありとあらゆるものを映像に収めようとしていましたね。朝日を撮りたいと思えば、夜が明けるまで一晩中寝ずに待ってから撮影する、といった具合です。

あまりにも映像が好きで、13歳の頃に、映像のワークショップに通おうとしたことがあります。しかし、あまりにも若すぎて、誰もワークショップに参加することを許してくれませんでした。何度もお願いし続けていると、ある日、映像ではなく、演技のワークショップならできると言われたことはあります。映画を撮りたいなら、演技も学びになるということで。ただ、僕は映像の撮影をしたかったので、演技のワークショップには参加しなかったんですけどね。映像をちゃんと勉強したいと思っても、その機会は得られなかったんです。

それでも、映像に関わりたいという夢は諦められませんでした。高校生の頃になると大学で何を学ぶのか考えた時、やっぱり映像に関わりたいと思ったんですよね。進路に悩んでいる時に「レクイエムフォードリーム」という映画を見た影響もあります。

複数人の主人公のストーリーを追っていき、それそれがつながっている映画なんですが、決してハッピーな映画ではないのですが、人間のリアリティを追いかけているところが好きで。僕自身も、人間のリアリティを通じて、人の心に訴えかけるような仕事がしたいと思ったんですね。

ヨルダンの一般的な家庭では、子どもにはエンジニアや医者など、給料が高い、いわゆる「いい仕事」についてほしいと考える親が多くいます。うちの親も同じだったので、映像関連の仕事をしたいと言った時は反対されました。

でも、僕はお金のためではなく、自分は何が好きなのか、自分は何をしたいかで将来を選びたかった。だから、大学ではメディアについて学ぶことに決めたんです。昔は「人を助けられるかどうか」で夢を決めていたんですけど、初めて「自分がやりたいこと」で仕事を選んだ瞬間でした。

アンマンを題材とした映画


大学に入ってからは、ずっと欲しかったちゃんとしたビデオカメラを買いました。アンマンには仕事がないので、アンマンから6時間ほど離れたアカバという町に住み、ホテルのベッドメイキングの仕事を続けてお金を貯めたんです。

そうやって手に入れたビデオカメラを使い、映像作品づくりを始めました。初めて作ったのは、「The heart of amman dying」という、アンマンを舞台にした映画です。僕はアンマンで生まれ育ちましたし、やっぱりアンマンが好きだったので、アンマンの再開発が進み、歴史が失われてしまっていることをテーマにしたんです。

アンマンのダウンタウンは元々小さな村が起源となっていて、古い町並みや歴史が残った場所がたくさんあるのですが、再開発が進み、ビルばかり立ち並ぶような場所が増えています。今では、再開発が進んだ町が「新しいダウンタウン」と呼ばれるようにすらなっています。でも、そこには歴史が残っていないので、僕には古い町並みをしっかりと残していきたいという気持ちがあるんです。

大学時代はメディアについて学んだり、映像作品を作ったりしているうちに、将来は映画監督になりたいんだと、はっきりと思うようになりましたね。映画のいいところは、音楽と映像のどちらも駆使することで、圧倒的に多くの情報を伝えられることです。また、文字を読めない人にも簡単に届けることができるのがいいですね。

映画を作り続けた結果、中東エリアの25の大学共同で行うコンテストで、大賞に選ばれることができました。僕が映像を作ることに反対していた親も、少しは認めてくれるようになりましたね。

大学を卒業した後、ヨルダン北部にあるシリア難民キャンプ「ザータリ難民キャンプ」の中で、映像メディアの立ち上げに関わりました。シリア難民の子どもたちが自分たちで撮りたいことを探して撮影をするので、僕はそのサポートをしたり、映像の編集をしました。僕は小さい頃、大好きな映像を学ぶチャンスがありませんでした。だからこそ、子どもたちに映像の撮影や編集を教えるようなことをしたいと考えていたので、まさにやりたかったことを実現できたんです。

映画の力で伝えたいこと


ザータリ難民キャンプでの仕事も終わり、現在はフリーの映像クリエイターとして働いています。映画監督になりたいという夢は今も変わっていません。人々を繋いで、一つにできるような映画を作りたいですね。中東には様々な問題があります。イスラエルの占領、イラク戦争、シリア騒乱。昔からいたるところで争いが起きていて、難民など、様々な状況下に置かれている人がいます。

同じような民族にもかかわらず、バラバラになってしまっている。僕は、映画の力を通して、中東の人たちがひとつになることができると思っています。また、パレスチナ出身とか、アラブ人というだけで、世界の人からは「テロリストなんじゃないか?」と思われてしまうこともあります。それは、僕達自身がオープンマインドでないことに原因もあるので、映画を通じてそういった考え方も変えていけたらと思います。

あとは、子どものための映画ですね。子どもたちには「どんなことだって実現できる」というメッセージを伝えたい。周りの人は誰も自分を止められない。自分が望んでいる夢があるなら、必ず実現できる。そういうことを伝えて、子どもたちが、お金のためではなく「自分が何をやりたいのか?」考えて将来を選ぶことができるようにしたいです。

人の感情を表現して、心を動かすことができる映画なら、それができると思うんです。

また、大人になっても、子どもの頃の純粋な気持ちを持ち続けてほしいですね。小さい頃に夢があっても、年を取るとその夢を忘れてしまう人がほとんどです。お金とか、権力とか、名誉に目がいってしまい、自分が好きなことややりたいことを押さえ込んでしまう。だけど、それが人を狂わせてしまい、争いを生む原因になると思うんです。だからこそ、僕自身子どものような純粋さを持ち続けていたいですし、大人が純粋さを取り戻せるような映画も作っていきたいです。

2016.08.11

ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?