ポーランドのグルドノという人口50名程度の山村で生まれ育ちました。冷戦真っ只中で、ポーランドは共産主義国家でした。共産主義体制下での暮らしは、不自然だと思いましたね。例えば、テレビのチャンネルは一つしかなく、国が伝えたいニュースが一方的に流れています。もちろん、コマーシャルは流れません。また、全員が平等なはずなのに、実際は警察や軍隊など支配者層はより良い条件で働いていて、一般の人は不満ばかりもらしていました。誰も国のことを信じていない、不自然な環境でした。

14歳の頃、体制が変わり、民主主義国家になりました。すると、それまで「良い」とされていたことが、ガラリと変わってしまいました。例えば、歴史の教科書に書かれていた1939年のポーランド侵攻。以前は、ドイツに侵略された後「ソ連が助けにきた」と書かれていましたが、新しい教科書では「ソ連も攻撃した」と、真逆の内容に変わっていたんです。

「これ何の話?前の教科書と違うんだよ」と両親に尋ねると、「これが真実だよ」と言われました。「なんで教えてくれなかったの?」と聞くと、「言っちゃダメだったから」と。また、私の祖父は戦争で足を撃たれて負傷していたのですが、祖父を撃ったのはドイツではなくソ連の人だと、その時初めて知りました。

世の中には、両親さえ教えてくれない事実がある。社会を無条件に信じることは危険だと学びました。

それは、共産主義に限ったことではありませんでした。体制変更後、ポーランドは資本主義化が急激に進み、公営だった地域の会社には外国の資本が入り、効率化の名のもとに人員削減や事業撤退が続きました。

田舎町で一つの会社がなくなることは、そこで暮らす人にとって、とても大きな影響があります。私のふたりの兄も、職を失いました。

資本家は自分たちの利益を最大化するために、本当のことだけを言ってるわけではない。資本主義だからといって必ずしも人が幸せになるわけではない。共産主義から資本主義への変化を体験して、世界は「白黒」とはっきりと割り切れるものではないと気づきました。

共産主義も資本主義も、どちらも完璧ではない。体制が人を幸せにできるわけではないし、どちらかを盲目的に信じることは危ない。誰かが良いことをしようとしていても、その裏に、隠そうとしている事実や、当人すら気づかない間違いや固定観念があるかもしれない。何が正しくて、何が嘘なのか、自分で考え建設的に疑う大切さを学びました。

共産主義も資本主義も信じられなくて、社会と戦うという気持ちが強かったですね。高校生の頃にはパンクロックにのめり込み、アナーキストになりました。ただ、攻撃的で非建設的な行動をしても意味がないことは分かっていました。

社会全体を見て自分の力でどこを変えられるか見極め、ある意味でゲリラのように、そこにしっかり集中していくという考え方が身につきましたね。