長野県で、3人きょうだいの長男として生まれ育ちました。両親は小学校の教員で、のびのびと教育してくれました。勉強しなさいと言われることは、ありませんでしたね。

父は、創造性やアウトドアを積極的に教育に取り入れている人で、僕が保育園の頃から、父のクラスの生徒と一緒に色んなことを体験させてくれました。一緒にキャンプに行ったり、工作したり、生徒さんがうちに遊びに来ることもありました。

特に、父が担任していた6年生のクラスが卒業記念に映画を撮っていたのは衝撃的でした。生徒たちが撮影、編集するのを横で見ていて「何かを創るのってかっこいいな」と、初めて感じたんです。

小学1年生のときに、サッカーを始めました。サッカーが盛んな地域で、他にスポーツチームがなかったので、自分の意思というよりも周りからの影響です。中学でも部活に入り、土日まで試合や練習で潰れるような日々を送っていました。

中学時代は、ちょうどビジュアル系やネオ・フォークが流行り始めた頃で、同級生の二枚目系の男子たちは、バンドばかりしていました。僕はそれを横目で見ながら、「ああいうカッコイイ系よりも、人を笑わせる方がイケてる」とツッパっていましたね。三枚目系を標榜する仲間と組んで、全校集会でコントを披露していました。

勉強はある程度できたので、学区の中で一番偏差値の高い進学校に入りました。ところが、入学後のテストで、学年320人中300位になってしまったんです。中学までは勉強で苦労することはなかったのですが、高校には優秀な人が集まっているので、抜きん出ることができなくて。それで、勉強へのモチベーションが保てなくなりました。

性格的に、勉強とかサッカーとか、何かひとつに全力投球するタイプではなかったですね。置かれてる環境の中でメンバーの特性を見た上で、どこだったら尖れるか、ある意味ずるくポジショニングするんです。おしゃれな奴とかちょっとワル風な奴とつるむけど、そこで上手くやりながらサッカー部もちゃんとやっちゃうっていうのが僕のアイデンティティになる、みたいな。中学ではリーダー的ポジションにいたのが、高校では中心人物の参謀みたいな立ち位置になりました。

プライドが無いのがプライドみたいな感覚です。勉強やサッカーでは負けず嫌いじゃないし、飄々としているんですが、自分のアイデンティティとか人間的な価値は絶対に譲りたくないんだと思います。