中学からは、目立つのを避けるようになりました。「いつかこんなことやりたい」っていう想いも、自分の個性も、何もかも閉じ込めていましたね。多感な時期だし、自分を表現することも難しくて。だから一人で自分と向き合って、気持ちを整理していました。

そして徐々に、父を責める気持ちも出来てきました。責任が自分にないと感じると、気分は楽になります。そうやって、自分なりに乗り越えようとしていたんだと思います。他責だから自分には被害者意識があるので、遊んでばかりで、勉強は全くしませんでした(笑)。

それでも、大学には進学しました。きっかけは、「大学くらい行けば」という父の言葉です。そのため浪人して、東京の私大に進学しました。東京に行くことしか頭になかった。この環境から抜けて自立する。そして東京で何かが変わり、新しく開けると信じていました。漠然と「起業したい」という気持ちもある。チャンスは東京にしかないと思っていました。

大学に入ってからは、バイト漬けの生活でした。中でも、一番力を入れたのが営業のバイト。売る技術を身に付けたら、社会に出た時に役立つと思ったんです。売る技術があれば、会社を大きくしていけるし、どんな商品も売れると思い、必死に働いていました。新聞の広告枠や通信契約など、様々な営業を経験し、社会人もいる中で1位の営業成績を取っていました。

そうすると生意気にも、営業を極めたくなり、就職活動では不動産業界を志望しました。不動産は単価が高くて売るのが難しいからこそ、挑戦したいと思ったんです。実は、大学卒業したらすぐに起業しようと考えたこともあったのですが、「1回大企業に入るとブランドがつく」と父に言われ、半信半疑で就活を始めました。不動産会社に就職すると決めたのであれば、宅建を取ろうと思い勉強を始め、在学中に宅建を取得しました。そのため、受けた会社のほとんど全てから内定を頂きました。

ところが、就職する直前に「大阪で起業するから一緒にやらないか」と、先輩に誘われたんです。

起業を夢見ていた青年の目の前に、そんな提案があったらやっぱり嬉しいですよね。「行きます!」って即答しちゃいました。内定もお断りして、大阪で起業することに決めました。