好奇心の赴くまま、旅するように生きる。世界を変える「コンピュータの目」での挑戦。

世界で最先端の「コンピュータビジョン」の技術を開発・提供する会社にて、戦略立案やパートナー企業との事業開発を行う項さん。大手自動車会社、コンサルティングファームを経てベンチャー企業に飛び込むことを決めた背景にある「3つ軸」とは。お話を伺いました。

項 大雨

こう だいう|コンピュータビジョン技術を用いた事業の開発
コンピュータの目となるコンピュータビジョン技術の開発・提供を行うKudan株式会社でCOOを務める。

国に対する帰属意識への違和感


中国の上海で生まれました。小さい頃から絵を描くのが好きで、5歳の時には水彩画を描いていた記憶があります。あとは、水泳の飛び込み競技とか、勉強が好きでしたね。

小学2年生の時、日本に来ました。父と母が先に日本に来ていたので、自分もどこかのタイミングで行くんだろうなと思っていましたね。嫌だと思った記憶はないんですが、周りの人には「日本なんかに行くのかよ」と言われて、悲しかったです。

テレビでは反日ドラマが流れていて、上海で日本は悪い国だと言われていたんです。僕は両親が日本に来ていたのでそうは思わなかったんですけど、人が国に対して帰属意識を持つ反面、外国に敵対心みたいなものを持つことに違和感がありましたね。

日本に来てから、言葉に困ることもなく生活にすぐに馴染めたんですけど、自分がマイノリティだという感覚は常にありました。名前を見て日本人でないことは分かりますし、どこの国の人か聞かれた時、国籍は中国だったので「中国人」と答えます。

すると、人によっては態度を変える人もいて、普通とは違うという感覚がありました。いいのか悪いのかは分かりませんが、馴染めるところは馴染むけど、馴染めないところはそのままでいいんだと思うようになりましたね。

様々な国に住んでいる親戚とは、国境や言語を超えてコミュニケーションをするのが当たり前だったので、自分が生まれた場所や住んでいる国に対して、帰属意識を感じずに育ちました。国単位であれば日本のことが間違いなく一番好きなんですけど、オリンピックみたいに国で競うのは苦手です。

日本で中学、高校と進み、国立大学に進学しました。将来のことは考えていませんでした。仕事のことはよく分からなかったんですよ。分かることは、どの教科が面白いかくらい。理系の科目、数学や物理が好きだったので、工学部に進みました。

将来は応用物理の研究者にでもなるのかと思いましたね。研究者を目指して大学院に進学して、自分が志望していた流体力学の研究で一番有名な教授の研究室に入りました。

「日本のグローバル」感覚との不一致


研究室に入ってから、勉強はそんなに苦労しなかったんですが、上には上がいることを痛感しましたね。研究室の助手がすごかったんです。僕たちが日夜論文を読んで一生懸命研究している中で、助手の人がフラッと研究室に来た時「こうすればいいよ」「つまりこういうことなんじゃない?」って、すごいことをさらっと言ってくんですよ。それを見て、レベルが違うと思いました。

また、僕は飽きっぽいので、何十年もひとつのことを研究するのは合わないと思いましたね。研究の世界では、10年20年同じテーマに取り組むのが普通です。

次第に、就職に気持ちが向きました。研究への挫折感はありましたけど、会社ではいろんなことができて面白そうだと思ったので、わりとワクワクしていましたね。

就職先を選ぶ上で意識したのは、グローバルな会社に入ることでした。でも、自分の持っているグローバル感覚と、日本の会社が唱えるグローバリズムは一致しませんでした。「日本のものづくりを世界に」といった感じで、日本を基準としたグローバリズムには違和感があったんです。

それまでいた研究の世界では、どこにも「日本の技術」とか書いていません。純粋に理論や技術を進歩させるために日々研究をしているのに、会社に入ると突然「日本の」という文脈が出てくるのが理解できませんでしたね。

ただ、違和感を持ちつつも、最終的に就職したのは日本最大手の自動車メーカーでした。恩師である教授の言葉の影響が大きかったですね。彼は研究者としても一流なんですけど、人格的にも素晴らしく教育者としても一流の方で、口を酸っぱくしながらいつもこう言うんです。

「君たちは非常に恵まれている。気づかないかもしれないけど、凄く優秀な人たちが集まる環境にいて、いろんなことができる可能性を持っているんだ。だから、世の中にもっと貢献すると共に、まずは、ここに至るまで投資してくれたところに対する還元を考えてほしい。その先に、自己実現してほしい」と。

僕は中学から大学院まで国立に通っていたので、日本国の税金で勉強させてもらっていたわけですし、研究でも、ものすごい金額のお金を使っていました。「日本対グローバル」という構図はそんなに好きじゃないですけど、確かに、グローバルに対して影響力を持つ日本の会社に貢献するのは、道義として正しいんじゃないかと思ったわけですね。

それで、自分の研究分野もダイレクトに活かせそうな、自動車メーカーのエンジニアになることにしたんです。

30歳までに世界一周に出よう


就職してから、初めて一人暮らしをしました。それまでは、実家で暮らして、勉強して、研究してと、やることはある程度決まっていたんですが、社会人になって一人で暮らすようになると、自由の幅が広がりました。何をやってもいいんだと気づいて、2,3年経つ頃には、いろんなことに手を出すようになりました。

海外にもたくさん行きましたし、会社外の活動にも積極的でした。仕事自体はかなり面白いことをさせてもらい、つまらなかったわけではないんですが、将来のキャリアを考えると目の前の仕事だけしていいとは思えなかったんです。

技術や経験を積んでも、自動車業界は変わっていくでしょうし、当時担当していたエンジンだけを見てればいい時代ではなくなると考えていました。このままでいいんだっけ?もっと、世界を大きく変えるような仕事ができないのか。そんな思いから、会社外で、途上国で廉価な自動車を作ろうとしたり、電動二輪バイクを作るスタートアップ企業のお手伝いをしました。そこで初めてスタートアップの世界を見て、心が惹かれました。

また次第に、ハードはだけでは世の中の根本的な移動の課題は解決できないことが分かり、サービスを作ろうと思いました。それで、ライドシェア、自動車の乗合サービスを立ち上げました。友人と一緒にサイトを立ち上げて、車も買ってサービスを始めると、話題になり、地元の新聞から取材が来るようにもなりました。

そしたら、会社に止められました。法律的にはグレーゾーンでしたが、副業は禁止だと。何の収益も上がっていなかったので副業ではないと主張したんですけど、そういう問題じゃないと言われまして。いろいろあって、サービスは閉じることになりました。

次に目をつけたのは、新興市場としてのインドでした。世界の電動自動車のほとんどが中国の二輪で、次はインドからイノベーションが起きると思ったんです。現地法人の人を直接説得して、出向で2年間インドに行くことが決まりました。

ところが、行く直前、荷物もまとめた段階になって、中国国籍ではビザが降りないかもしれないと言われたんです。インド行きは白紙になりました。

その先どうしようかと思いましたが、会社に居続けるという選択肢は考えられませんでした。時代はハードではなくサービス。次は、技術ではなくビジネスの力をつけられる会社に行こうと考えました。

手伝っていたベンチャー企業には、自動車会社からコンサルティングファームに転職し、そこから社長の右腕になった人がいました。その人を見て、新しい事業に挑戦する時、コンサルタントの経験が活かせると思って、外資系のコンサルティングフォームに転職しました。

ちょうどその頃、日本国民への帰化が許可されました。転職先は、1年間入社を待ってくれるということだったので、入社を遅らせて世界一周することにしました。その頃29歳で、30歳になるまでに何か変なことをしたいと思ったんですよね。

キャリアとキャリアの間くらいしか、変なことってできなさそうじゃないですか。それに、世界一周をするなら、何となく30歳がラストチャンスのような気もしていて。思い切って旅することにしたんです。

キャリアを選択するための3つの軸


時間があまりなかったので、ギリギリ一周できるような忙しさでしたが、旅の面白さに気づきました。それまで旅行に行くときって、事前に情報を調べて、現地で柔軟に動くタイプだったんですけど、長期の旅になると、計画を立てられるのって最初の2週間くらいなんですよね。現地に入ってから色々考えようとすると、ガイドブックを読んだり情報を集めたりしているうちに、一日の半分くらい終わってしまいます。

せっかく旅に出ているのに、何してるんだろうと思うわけです。だったら、ノープランで自由に動くのが一番面白いんじゃないか。2週間もすると、そんなことに気づくんです。

それからは、調べるよりも、行って、見て、考えるようになりました。どんなに評判が良いスポットでも、つまらなかったらすぐ出ちゃえばいいんです。逆に、居心地がいい場所にはちょっと長くいてもいい。

最初は大きなバックパックを背負っていましたが、途中で22リットルのバックパックに収まるところまで荷物を減らしました。それからは、すごく快適になりましたし、自分らしく面白い意思決定ができるようになりましたね。たとえば、どこにでも足を伸ばして、泊まるところは、毎日その日の夕方に決められるんです。ビジネスの言葉で言えば、リーンになったというか。身軽になって即興性が磨かれ、細かいことを気にしなくても最終目的地には辿り着けると分かったんです。そしてこの経験によって、その後のキャリアの進め方でも同じ考え方をするようになりました。

5ヶ月の世界一周を終えて、コンサルティングファームでの仕事が始まりました。僕の仕事は経営コンサルティング。製造業やハイテク企業を中心に担当しました。2年ほど働く中で、戦略、オペレーション、コーポレート、組織開発、ITなど、ビジネスをする上で必要な領域のコンサルティングは一通り経験しました。

そろそろ次の挑戦をしようと考え始め、転職先を探し始めました。キャリア選択をする上での軸は3つありました。

一つ目は、グローバルな仕事をすること。グローバルといっても、日本から外に出ていくという意味ではなく、もっとフラットな視点で、最初からグローバルに市場を捉えている会社で働きたいと考えていました。

二つ目は、経営に近い仕事をすること。これは、ベンチャー企業であればチャンスがある思っていました。

三つ目は、先端技術の領域で仕事をすること。コンサルでのビジネス領域での経験による揺れ戻りで、やっぱり技術が恋しく思ったのと、世の中を変えるようなことをするなら、圧倒的に最先端のことをしないとだめだと思ったんですよね。そう考えるようになったのには、自動車配車アプリ「Uber」の影響が大きいです。

Uberは、僕がコンサルティングファームに入る前、自分でライドシェアサービスを始めた時にはほどんど存在しなかったのに、4年足らずで世界のスタンダードになっていました。そのスピード感を見て、これから新しいことを始めるのなら圧倒的に先のことをやらないと、世界を変えるような面白いことはできないと感じたんです。

一つ目と三つ目の条件に合う会社を日本で探すのは、困難だと思いました。国内では、私の感覚と合うグローバル企業はあまり見たことがありませんでしたし、テクノロジーを活用してサービスやプロダクトを作る会社はあっても、世界を見据えてゼロから技術を作る会社はあまりないと感じていたんです。もし日本で見つからないなら、海外で探そうと考えていました。

しかし、条件に合う企業は、思いの外すぐに見つかりました。スタートアップに特化した転職エージェントに紹介された会社でした。

その会社は、「コンピュータビジョン」の技術を開発していました。カメラが認識した画像データを瞬時に3Dのマップとして再現できるような技術です。イギリス発祥の会社で、最初から世界を見ていましたし、技術は間違いなく世界の最先端。十数名のベンチャー企業だったので、経営に近い環境で働けます。まさに理想としていた環境でした。

そんな会社が日本で見つかったのは、本当に運が良かった思います。出会った瞬間、入社することを即決しました。

好奇心に素直に従って生きる


現在は、コンピュータビジョン、いわゆる「コンピュータの目」の技術開発を行うKudan株式会社で働いています。Kudanは2011年にイギリスで生まれ、最初はAR(拡張現実)領域のアプリケーションを開発していました。次第に、コア技術であるARのエンジンづくりに注力を始めた会社です。

Kudanはコンピュータビジョンの中でも「SLAM」と呼ばれる技術を提供しています。KudanのSLAMは、スマホなど性能が低いデバイスでも使えることが特徴です。ARだけでなく、VR、自動運転、ロボティクス、汎用の画像認識や監視カメラなど、あらゆる領域で活用できます。とにかく、カメラがついているところであれば、何かしらの貢献ができます。

会社の中で、僕の役割は大きく二つ。一つは、戦略の立案。Kudanの技術をどのように位置付けて、どんなパートナーと組み、どんな市場に広げていくかを考えます。もう一つは、パートナーと対話を進めて具体的なビジネスに落とし込むこと。いわゆる事業開発です。

奇しくも、新卒の会社では自動車のエンジンを扱い、今はコンピュータビジョンのエンジンに関わる仕事をしていますが、僕は、どちらも同じものだと考えています。自動車のエンジンは自動車を走らせるために一番重要なものですが、コンピュータビジョンのエンジンも、それを語源としている通り、コンピュータが世の中を理解して新たな価値を生むために最も重要なパーツだと思うんです。そういう意味で、関連性を感じずにはいられませんよね。

この技術を使って、大きなインパクトのある事業を生み出していけることは、非常にエキサイティングです。知れば知る程、様々な技術を底支えする技術だと分かりました。この技術で、幅広い産業を変えるところまでを突き進みたいと思っています。

そうは言っても、どんなに最先端な技術でも、10年間同じものでビジネスをするのは基本的には無理だと思っています。今やっていることも数年のサイクル。今見えているビジョンはありつつも、3年後、5年後には、もう一度再構築して、新しいことに取り組んでいるのではないかと考えています。

これから、世界を大きく変えるのは最先端の技術だと感じていますし、今の仕事は想像していた以上に面白いです。面白すぎて、刺激中毒になりそうですね。面白いことをやり続けないと不安というか、この先どうなっちゃうんだろうという感覚があります。

これからも、心から面白いと思えることに取り組み続けたいですね。好奇心の赴くままに、旅するように生きられたらと思います。

2017.05.22

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