【2月8日開催】福田秀世 写真展・トークイベント“Vivi e lascia vivere.” -思うままに生きよ。自分は自分、人は人-
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人生は短いから、今できることをする。
続ける中で見つけた、自分の強み。

吉塚 康一さん/日中貿易商社の経営

はてぶ

日本と中国の貿易を行う商社を経営する吉塚さん。自身の能力に自信を持てない時期がある中で、「とにかく、今できること、目の前のことを地道にやる」という思いで動き続け、身につけた武器とは。お話を伺いました。

英語という武器を磨く

新潟県の西蒲原郡黒埼町(現:新潟市)で育ちました。小さい頃から、ひとりでいるのが好きでした。友達付き合いが嫌いなわけではないんですけど、漫画を読んだり、プラモデルを作ったり、絵を描いたり、ひとりで何かをしているのが好きだったんです。

小学高学年になると、洋楽の影響で、英語にのめり込みました。最初は、親が聞いていたビリー・ジョエルから入り、マイケル・ジャクソンやプリンスなど、アメリカのポップカルチャーにハマったんです。憧れの歌手が何を言ってるのか理解したくて、歌詞の意味を必死に調べましたね。当時やっていた通信教育では、先生への自由質問欄に、英語の歌詞の質問ばかりしていました。

高校3年生の時に、弟と一緒に初めてアメリカに行きました。ライという郊外の町に滞在して、毎日マンハッタンまで電車で移動したんですけど、車内で流れるアナウンスが印象的でした。日本だったら「本日はご利用いただき、ありがとうございます」といった感じで丁寧な言葉遣いと思うんですけど、NYの電車では、ぶっきらぼうに次の駅名を言うだけなんですよね。

当然、シンプルな英語なので理解できて、「なんだ、俺も英語が分かるじゃん」と自信になりました。難しい言葉を使ったり、流暢に話したりしなくても、「伝わればいい」というのは、自分の中で大きな気づきでしたね。

その後、大学に進学してからは、英語研究会(ESS)に入り、英語のスピーチを学びました。スピーチの世界は、ひたすら自分と向き合っていく世界。私の性に合っていたので、英語力を伸ばすことができました。

英語が評価されたことで、大学の交換留学プログラムに通過。1年ほどカナダで過ごし、大学を卒業してからは三井物産で働き始めました。元々、英語を使う仕事がしたいと考えていたところ、尊敬していた先輩が三井物産で働いていて、その姿に憧れたんです。地頭が良いわけでも、コミュニケーション能力が高いわけでもない私が三井物産に入社できたのは、有名な英語の弁論大会で優勝したおかげだと思います。「英語」というひとつの武器を磨き続けたことが良かったんだと感じましたね。

「中国語」という二つ目の武器