身体の痛みで困っている人を治してあげたい。理学療法士として歩む、身体探求の路。

「マイオセラピー」という独自の治療法を用いてリハビリテーションを行う、理学療法士の辻井さん。自ら新しい治療法を生み出すに至った背景とは。リハビリテーションの世界に入って50年間の歩みに迫りました。

辻井 洋一郎

つじい よういちろう|理学療法士・マイオセラピスト
マイオセラピー研究所長、マイオセラピーセンター六本木センター長を務める。日本理学療法士協会、カナダ理学療法士協会、日本柔道整復接骨医学会、日本疼痛学会、国際疼痛学会、などに所属し、日本疼痛学会では評議員を務めた。現在、さらなるマイオセラピーの学術的研鑽に努める。

周りに溶け込めない子供


三重県松阪市で生まれました。父は、太平洋戦争の無謀な作戦で有名なインパール作戦の生き残りで、僕の名前、洋一郎の「洋」は、太平洋の「洋」から取ったものだそうです。


小さい頃から、周りの人に溶け込めないのが悩みでした。今でも覚えているのは、小学校の音楽の授業での出来事です。先生が『野ばら』という曲を、二つのパターンで弾いてくれました。ひとつはシューベルト編曲のアップテンポな曲調で、もうひとつはヴェルナーのゆったりとした重たい雰囲気の曲調でした。


「みんなはどっちが好きかな」と聞かれた時、みんなはゆったりとしたテンポの方に手を挙げていたんですが、僕はアップテンポな曲調の方に手を挙げました。そしたら、シューベルトの方に挙手したのは僕だけで、挙句の果てに、音楽教師から「シューベルトなんかダメだよね」と言われてしまったんです。完全否定。この時、自分はおかしいんだなって、強烈に思いました。


それ以外のシーンでも、ありとあらゆることで周りと感じ方や考え方が違う。いくら努力してもみんなと同じようにはできない。集団行動も苦手。なんでダメなのか、理由は全く分かりません。中学生時代には社会のせいだと考え、家を飛び出すようなこともありましたが、基本的には「自分の努力が足りないからだ」と思っていましたね。自分の努力次第で周りと馴染めるようになるのではないかと思っていました。そうして何にでも愚直に取り組むようになった性格は、今も変わりません。


最近分かったのですが、僕はどうやら自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)らしいです。アスペルガー症候群は学習障がいのひとつで、コミュニケーション能力や社会性、想像力が乏しく、対人関係がうまくいきづらい障がいです。明確な原因は現在も分かっていないのですが、脳の機能障がいと考えられています。


それを知って、だいぶ楽になりましたね。他人の気持ちに共感できなかったり、人に合わせることが苦手だった理由は、脳の機能障がいなんですから。努力の問題じゃなかったんです。長年苛まされた、人の気持がとっさには分かりづらいのは、「自分の努力が足りないからだ」という悩みなどから、やっと解放されたように思います。と同時に、脳の機能障がいを自覚し、それについての新たな悩みがでてきたことも事実です。

僕が没頭してきたもの


アスペルガー症候群の人は、他人の気持ちが分かりづらいため、人との関係性を保つための駆け引きにあまり時間を費やしません。人のことは気にせず、自分のために時間を費やすんです。僕もその特徴があって、自分が好きなことに没頭すると、他のことには目もくれずに徹底的にやりきりましたね。だから、苦手なことやできないことが多い一方で、やり込んだことではそれなりの結果を出せるんです。


水泳では、中学生の時に県大会で優勝し、高校で二度国体に出場しました。好きだったから頑張れたんですけど、それだけじゃなくて、せめて自分の得意なことでよい結果を出して、親を喜ばせたいという気持ちも強かったですね。


その後、高校卒業から現在まで、人生を懸けて打ち込んでいるのが「リハビリテーション(リハビリ)」です。高校生の頃、親からリハビリの養成校が東京にできると聞いたのが始まりでした。当時、リハビリは、欧米で脚光を浴び始めていました。新しいものが大好きだった僕は、すぐに東京まで行き、学校を見学しました。学校には、英語の教材が並んでいましたし、専門科目の先生は外国人ばかり。欧米への憧れを強く持っていた僕の好奇心がくすぐられましたね。その場でこの学校に入ると決めました。


学校では「理学療法」と「作業療法」の勉強をしました。簡単にいうと、理学療法は、座る、立つなどの基本動作のために身体機能の回復をサポートするもの。作業療法は、指を動かす、食事をする、入浴をする、など日常生活を送る上で必要な機能の回復をサポートするものです。僕は、最初少しだけ作業療法を学んだ後は、理学療法に移りました。

海外武者修行


学生時代は、新しいことを学ぶ度に、新しい世界が開いていくような感じがして、毎日楽しかったです。教科書を破り、トイレや部屋の壁などいたるところに貼りつけ、常に勉強していました。そうしていくうちに、リハビリに対する自分なりの考え方もでき上がりました。リハビリとは、不自由な身体の運動機能を元の状態に戻すこと。つまり、そのために「関節の可動性を制限している因子を見つけて対処する」というのが、理学療法士としての私の研究テーマになりました。


また、勉強を続けていると、いつかはアメリカやヨーロッパで勉強しなきゃいけないと思うようになりました。理学療法の専門書はほとんど英語でしたし、その当時の最先端の研究は外国で行われていたんです。一流の理学療法士になるために、本場に行く必要があると思いましたね。


試しに、アメリカの理学療法協会に手紙を書いてみると、海外に行きたいという願いはすぐに叶いました。交換留学プログラムの選考に通ったのです。突然手紙を送るなんて、躊躇する人もいるのかもしれませんが、僕にはそれが必要だと思っていたので、何の迷いもありませんでした。必要だと思えばすぐにやっちゃう性格なんです。


その当時、理学療法の中でも「中枢神経系」の分野に注目するようになっていました。骨折などの筋骨格系疾患に対して処置するのではなく、脳性麻痺や脳卒中といった、大脳や小脳、脊髄の病気に対して処置する分野です。当時、理学療法の最先端の研究は、筋骨格系疾患への処置方法ではなく、中枢神経系疾患に対するものでした。新しいものを勉強したい、という気持ちが強かったんです。


僕は、中枢神経系の色々な治療法の中でも、イギリスの「ボバース法」に関心を寄せていました。ボバース法は、具体的な身体の動かし方を指南するのではなく「患者ごとに対応方法を変えていきましょう」といった、概念に近い方法論です。本場で研究したいと思ってイギリスに手紙を送ると、「7年後だったら研修に来ていいですよ」と返答がありました。世界中から注目されていた分野だったので、それほど先まで、研修生の受け入れが埋まってしまっていたんですね。


その後、学校を卒業してイギリスに渡るまでは、東京の虎の門病院に始まり、アメリカ、カナダの病院で数年ごとに働きました。そして、カナダで働いている時にとうとうイギリスに留学して2ヶ月間ボバース法を学び、再びカナダに戻りました。

マニュアル・セラピストへ転身し、日本へ戻る


学生時代から長年、中枢神経系の研究に没頭していましたが、次第に違和感も覚えるようになっていました。というのも、いくら治療しても、効果が見えづらいんです。もっと成果に繋がるような研究はないのだろうか。そんな疑問が頭に浮かび始めた頃、「ディープ・フリクション・マッサージ」という、関節の痛みを取り除くテクニックを知りました。患部の辺りを、キュッキュッと深くこするだけで、痛みを取り除いてあげられるというものでした。友人のセラピストが、テニス肘の患者さんに対して治療しているのを見たんですが、初めて目にした時は、本当に衝撃でした。テニス肘の痛みが治るなんて思っていなかったのに、患者さんは痛みが引いたと言うんですから。


同時に「自分がやるべきはこれだ!」と思いました。中枢神経系疾患に対する治療と比べて、効果が一目瞭然だったので。それからは、関節に処する徒手療法「マニュアル・セラピー」に没頭しました。


その少し後に、名古屋に理学療法士の学校ができるので、日本に帰って教師として働かないかと声がかかりました。日本は自分に合わないと思っていたので、最初はあまり気が乗りませんでしたが、学校の設置を計画してた国立病院の院長が熱心に依頼をしてくるんです。そこで、「本当に学校を作りたいなら、カナダに視察に来たら?」と話したら、彼は本当にカナダまで来たんですよね。国家公務員の公務ですから、自分勝手に海外出張はできません。名古屋から成田への途中に厚生省に寄って、公用パスポートを受け取って来たんです。その心意気に賛同して、日本に戻ることを決めました。


それまで学んだ技術と知識を持ち帰り、日本に恩返しをしたい気持ちもありました。学生時代、国費で勉強させてもらっていたので、何か貢献したかったんですね。

関節ではなく筋肉をこする


日本に戻ってからは、学校で教えながら、病院での臨床も続けました。生徒には、具体的な治療に関してというよりも、患者さんとの接し方や、物事をどう考えるか、といったことを中心に教えていました。臨床現場での治療は科学的であるべきですが、その論理を伝えるだけでは患者さんには理解してもらえません。きちんと伝えるにはアート、つまり感情的な働きかけが必要です。ですから、「現場ではサイエンスとアートをどちらも使いこなしなさい」と生徒たちに指導していました。僕自身、人との接し方で困っていたから、意識していたんでしょうね。


また、技術を向上していくために同志を募って「日本整形徒手療法研究会」という勉強会を作ったり、定期的にセミナーを開催したりして、関節が原因で起こっている痛みなどへの治療法を勉強していました。すると、後日分かったことなんですが、ある日のセミナーに、柔道の神様と言われている三船久蔵十段のお孫さんがお見えになったんです。その柔道整復師の先生は凄腕の持ち主で、人の身体を触っただけで、どこが悪いのか、どこまで治療すればいいのかが分かってしまいます。それに感動した僕は、すぐに弟子入りし、栃木のある病院などで臨床体験をさせてもらいました。


また、その先生には、日本整形徒手療法研究会の勉強会にも講師として来てもらいました。その中で、治療の実習をしていると、「そこ、もっとこすらんとダメだよ」と言われました。僕は最初「え?」と思いました。関節をどうやってこするのかと。しかし、すぐにピンときました。先生は関節ではなく、筋肉をこすっているのだと。こすると、筋肉が緩んで、血液が循環するようになる。血行がよくなると、痛みが和らぎ、関節が動くようになるんです。


このひらめきから、関節ではなく筋肉に対して治療をするようになり、この療法を「筋の治療法」という意味で「マイオセラピー」と呼ぶようになりました。ところが、手での治療は、表面の筋肉はほぐせても、身体の奥にあるコリまでは届きません。そこで僕は、奥にある堅い部分を緩めるため、「ゴールドフィンガー」という金属でできた治療器具を作り、それを手に持って筋肉を緩めるスタイルの治療を始めました。


深部の筋肉を緩めるために、その後も色々と試行錯誤していくと、ある時、「バイブレーターの振動を利用して筋肉をほぐす」というアイデアに出会いました。名古屋大学の生理学の教授が「私の肩こりは、携帯の振動を当てるだけで十分です」と話していたのを聞いて、ピンときたんです。筋肉をこする原理は、波と同じような振幅運動です。手を動かすよりも、当然、電動式のバイブレーターを使った方が長時間、大きな振動を起こせます。それで次には、ゴールドフィンガーを先端につけた振動装置を開発することにしました。いきなり機械を開発するなんて、普通じゃあまり考えられないことかもしれませんが、僕はそれが必要だと考えていたので。作ることにはやはり何の迷いもありませんでした。

筋肉の問題ではなく、神経の問題だった


振動装置「MyoVib(マイオバイブ)」の試作品は、2001年にアメリカで開かれた国際筋痛学会の第5回学術大会で、初めて世に出ました。僕はこの会の座長を務めつつ、C.C. Gunn先生(顔先生)という方と、共同でワークショップを担当しました。僕の理論は、関節が動かなくなる原因は筋肉の硬結で、筋肉を緩めて血流を良くすることが関節の可動領域を広める、というものでしたが、顔先生は違って、筋肉ではなく末梢神経に問題がある、という理論を展開していました。


提唱する理論は違っていたのですが、1週間ほどカナダのバンクーバーで顔先生と一緒に過ごしていると、「この人は信頼してもいい人だ」と思うようになっていました。学者といえども、論文に嘘を書く人もいます。新しい学説は本当か嘘かの検証がしづらいので、バレなければいいと思っている学者もいるんですね。研究内容には人間性が反映される。だから、誠実でない人が提唱している理論は、信用に値しないことが多いと考えています。ですが、顔先生と接していて分かったのは、彼は決して人を騙すようなタイプではないということ。僕は彼の言う神経根障がい説をしっかりと考えてみることにしました。


そして、顔先生が唱えるように「身体の不調は神経の障がい」だという観点で考え始めると、普段の臨床で見てきた現象が、より明確に説明できるようになりました。様々な身体の不調は、神経の血流不全による酸素不足などによってもたらされている。特に、背中には、運動神経、感覚神経、自律神経の神経根があるので、背中の筋肉が硬くなって、神経が酸素不足になると、体中に影響が出る。とにかくこの神経根の血流を良くすることが大切だということが分かってきました。


その後も様々な臨床例を経て、結局、半年ほどして筋肉よりも神経に対して働きかけた方が治療効果が高いし、理に適っていることが分かりました。それからは、神経根の血流不足を解消するためにマイオセラピーを用いることにしました。MyoVibを使って神経根の周りにある深層筋などを緩めることで、神経の血流を改善する。するとそれが痛みや機能障がいの解決になるんです。


神経に働きかけると決めた時、これまでやっていた筋肉を緩めることを目的にした治療は、すっぱりとやめました。僕が主催していた勉強会や研究会のメンバーの中には、突然の方向転換が受け入れられず、僕の前から去っていく人がほとんどでした。患者さんも同じです。それまで、筋肉をほぐすという理論で説明されてきたのに、突然、「これからは神経の血流を改善します」と言われて、不審に思ったんでしょうか。


患者さんが減れば、その分、収入だって大きく下がります。それでも僕は、自分が信じる一番いいものをお客さんに提供したい。治療法を変えた結果は、患者さんの身体が教えてくれます。それまでの治療法よりも明らかに数段いい結果が出ていましたから、治療法を変えることに躊躇はなかったんです。

食事のアドバイスも


日本では名古屋・三重を拠点にしていたんですが、約10年前に、長男が高校へ上がる時に「東京で暮らしたい」と言ったものですから、活動の中心を東京に移すことにしました。その時に開いたのが現在のマイオセラピーセンター六本木です。


ちょうどその頃から、マイオセラピーなど、外側から身体に刺激を与える治療だけではなく、食事改善など、身体を内側から整えることにも力を入れ始めました。これは、少食療法である西式甲田療法を提唱していた甲田光雄医師の書いた『甲田流超健康術』という本を読んだのが始まりでした。患者さんの身体を食事との連動性から診てみると、食事によって筋肉の硬さが変わってくることが分かったんですよね。簡単にいえば、食生活の乱れによって内臓が疲れると、その影響として背中の筋肉が反射的に硬くなるということです。


こちらが治療によっていくら背中の筋を緩めようとしても、普段の食によって筋を固くしてしまっていたら、治療は進まず、いつまで経ってもイタチごっこになってしまいます。ですから治療の際には、患者さんへ食事のアドバイスもするようになりました。小麦粉や白砂糖をなるべく摂らないとか、食べ過ぎないとか、そういうアドバイスですね。

これからのマイオセラピー


現在、マイオセラピーは、体性神経に40%、内臓神経に40%、心因性に20%の割合で行われる治療法ということにしています。体性神経とは、深層筋とその結合組織を緩めること、内臓神経とは、消化器系臓器を正すための、いわゆる食事指導、心因性とは、心的ストレスによる筋緊張が起きないようにするという、心理的なアプローチです。


治療では、MyoVibを2時間ほど背中と首にあて続けます。これは患者さんにとっては痛いこともありますし、治療をする側も体力を使うので、何か他の方法がないかは、今でも常に探しています。ただ、神経、特に神経根の血流不全を解消するという治療原理は、今後も変わらないと思います。


血液のないところには細胞も生きてはいけません。血液があってこそ、新しい細胞と入れ替わったり、修復されたりして、生命体が維持されています。ところが、心臓のポンプだけでは全身のすべての細胞に血液は届きにくいのです。そこで、筋肉もポンプの役割をして、血流が全身にくまなく送られるように働いているわけです。


健康のみなもとは、各組織・細胞への十分な血流の確保です。そのためには、血流が全身の隅々まで行き渡る日常の動作や運動を日々続けることが大切な生活習慣となってきます。血流の不十分なところには「痛み」という身体の訴えが起こります。痛いところや、その痛みを伝えている神経に血液を十分送ってやれば、痛みは即刻無くなります。「いかに血流を十分にするか」が、治療の原理でしょうし、日常生活習慣の要でしょう。


治療する側、治療される側を問わず、正しい「血」があって、はじめて正しい「身体」があるということを思考や行動の原点としてほしいです。

これが自分の使命だと思う


できれば、みなさんには、身体のどこかに不調が出た後でなく、予防のためにマイオセラピーを受けてもらいたいと考えています。背中が固くなってからほぐすのは大変ですし、治療には痛みも伴います。症状が重たくなる前に、定期的に治療を受けて、普段から背中をほぐしておいてもらいたいものです。


僕がリハビリテーションの世界に入ってから、50年近く経ちます。これまで常に新しい療法を追い求めてきたのは、単純に「身体の痛みで困っている人を治してあげたい」という思いからです。僕は、病気は必ず治るものだと信じています。野生動物は、基本的には病気にならないんですから。人間だけが、自分たちの生活によって病気を生み出しているんです。だったら、治す方法も必ずあるはず。それを見つけたいという一心で、僕はこれまでやってきました。誰かがマイオセラピーに替わるもっと効果的な治療法を見つけてくれたなら、僕は失業してもいい。とにかく人が本来のように健康な状態で暮らせるようになれば、それが一番です。


ここ20年くらいは、会う人も、ぶつかる課題も、元々そうなることが決まっていたかのような感じがしますね。「どうしてあのタイミングであの人に会ったんだろう?」とか「どうしてバイブレーターを使う方向に行ったんだろう」と考えると、その全てが、今のマイオセラピーを行うために導かれてきたような気がします。ですから、これが自分へ与えられた使命だと思って、命が続く限りずっと、僕ができることを全うしていきたいと思っています。

2016.11.25

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