一人ひとりの心に響く風景を届けたい。自分の手で作り出す楽しさと応援される喜び。
小さい頃から、何もないところから自分で作る感覚がすごく好きだったと語る下村さん。大学時代に一度起業したあと、グローバルメーカーやコンサルティングファームを経て、下村さんが「風景を届ける」サービスを生み出そうと思い立った背景とは。お話をお伺いしました。
下村 一樹
しもむら かずき|「風景を連れてくる」LandSkipサービス運営
株式会社ランドスキップ代表取締役
※本チャンネルは、Life Space UX(Sony)の提供でお届けしました。
Life Space UX
Life Space UXは、今ある空間をそのままに、新しい体験を創出するコンセプト。
それぞれが心地よく過ごせる大切な場所、それが居住空間。私たちはその空間をもっと快適にするために、空間のあり方そのものを見つめ直し、「LED電球スピーカー」「グラスサウンドスピーカー」「ポータブル超短焦点プロジェクター」など、空間そのものを最大限に生かした製品を提案しています。
作ることが好き
北海道札幌市で生まれ育ちました。公園に囲まれていて、すぐ近くに森があるような自宅でした。
小さい頃は暗くておとなしい子供でしたね。運動も苦手で、唯一図工が好きでした。母親が木工デザイナーだったので、家に工房があって、切れ端の木材で剣みたいなのを作って遊んだりしていました。勉強も運動もできない自分に自信が持てなくて、人と付き合うのが怖いから、家にいる方が好きでしたね。
図工は、自分で何もないところから作る、何を作っても良いという感覚がすごく好きでした。図工の授業では、給食の時間までずっと食べないで作業をやって、先生に怒られるくらい。自分の好きなようにこだわり、作ることが楽しかったですね。
中学生の時に、自分に自信をつけたくて空手を始めて、打ち込みました。そこからだんだんと外向きになりましたね。
高校では特に何かに熱中せず、楽しく学生生活を過ごしていました。自分が何をやりたいか、みたいな目標はまだなかったですね。それもあって、大学受験では経済学部を選びました。ビジネスを学んでおけばどの世界でも通用するはずだ、と。母親も父親も、建築家であり経営者であり、デザイナーであり経営者であったので、昔からビジネスには興味がありました。
焦りと失敗、起業
大学でも武道をやろうと少林寺拳法部に入り、1年生の時は勉強と部活の毎日でした。でも、1年終わりぐらいから、このままでいいのかと焦り始めました。漠然と北海道のために何かをしたい、ビジネスで何かをしたいみたいな感覚があって。
そんな時に、ある起業セミナーに参加して、でもそこが学生を騙しているような会社だったんですね。最初3ヶ月位起業塾があって、その後「君、見込みあるから一緒にビジネスをやろうよ」って、主催者のビジネスを手伝ってたんです。気がつけば時間もお金もなくなっていました。
最終的には自分から手を切りましたが、利用されたことに気づいた時は、自分に対してすごく悔しかったですね。途中、親が心配して忠告してくれていたんですが「ほっといてくれよ!」みたいなことを僕は言ってしまっていて。自分の幼さがすごく悔しかった。
親からは「悔しいなら、勉強代と思って取り返してやれよ」と言われて、それで自分でやろうと学生時代に一度起業しました。
最初は学内向けの携帯サイトを作りました。掲示板に張り出される休講情報を携帯で見られるようにするものです。そこから講義の難易度や単位の取りやすさを掲載したりして、学生が毎日見るメディアとしてスポンサーを集めたりしていましたね。
起業自体は、楽しかったです。自分でゼロからコンセプトを作って、人に伝えるのがそもそも好きで。椅子に座って聞くだけでなく、その知識を実際に応用して、どんどん自分で営業していけるのが面白かった。
一方で、自分の力不足も強烈に感じました。北海道で学生向けの何かができる、ぐらいは強みがあるけれど、そもそも世の中のこととか全然わかってないし、圧倒的に事業のスケールもやっている内容も狭い。このままやっても大きなインパクトは残せない。そう思い、結局は後輩にビジネスに引き継ぎました。
まずは就職して、自分ひとりじゃ到底できないような規模でビジネスをやっているところで学ぼうと思いましたね。絶対自分が逆立ちしてもできないような規模のビジネスをやっている会社に行こうと。
就職活動でいろいろな会社を知っていく中であるグローバルメーカーに特に惹かれました。当時面白い製品をどんどん世に生み出していて。今までにないものを作っているし、プロダクト自体が純粋に美しい。すごいスケールと勢いで新しい物をやっていて、なおかつ綺麗なものをやっている。
グローバルでこんなにもかっこよく製品を広めるなんて、どうやってやってるんだろう。「ここで修行しよう」と思って入社しました。
東京生活の衝撃
就職して東京に来た時、最初に住んだマンションが衝撃的でした。
2、3年は死ぬ気で仕事を頑張って力をつけようという感覚だったので、「会社の近くに部屋を借りるもんだろう」と思って、会社から徒歩で3分くらいのワンルームマンションを、内見もせずに借りたんです。
入居時に、ドアを開けた瞬間、驚きました。
まず狭い。そして、何だこの風景。
6階くらいだったんですけど、窓を開けたら、高速道路の太いアスファルト。ビュンビュン道路がなってうるさいし、排気ガスもすごい。
「うわ、こんな中で住むのかよ」とショックでした。
森とか緑とか、自然や風景が好きだったんだなとそこで初めて気づきました。
気を紛らわすために、大きいTVを買って、風景のDVDを買い漁ったり旅番組を見たり。でも、DVDは一回見たら飽きるし、旅番組は風景が映っていると思ったら、3秒後にはタレントが何か食べてうまーいとか言ってる。ずっといろんな綺麗な風景を流してくれる、そういうのが欲しかったですね。
仕事の方は、新宿、横浜、九州などで商品の導入を担当しました。九州では博多に家を借りて、毎日新幹線に乗って熊本や北九州に行っていました。結構楽しくやっていましたね。
印象深いのは製品発表でデモに携わった時。大勢の人が来るんですが、みんな目が輝いているんですね。お目当てのその商品を値段見ずに指名買い、みたいなお客様ばかり。
ブランドってすごいなって感じましたね。スペックや値段なんか関係なくみんなが飛びつく。ブランドって曖昧だけど面白いなと。ブランドとは何かもっと深く研究したいなと思いました。
加えて、大きい組織は自分に合わないなとも思っていました。ゼロから自分で考えたり、自分の権限で何かできる規模の組織が良い。そう思っていました。
ブランドを研究できて、片手に収まるくらいの人数の会社で、自分の力をつけたい。
自分一人で何かを作れるようになるために、まずはとにかく腕を磨こうと思い、ベテランのコンサルタントが3人でやっている小さなブランドのコンサルファームを探し出して、そこに転職しました。
そこの働き方は新鮮で楽しかったですね。まず、仕事は与えられないんです。好きにやれ。基本的には自分で仕事を取ってきて自分でやる。結果さえ出していれば、ビジネスの案件も働き方も自由にできる。個人の責任、プロフェッショナリズムを徹底していた会社でした。
印象に残っているのは、ある教育系の会社の案件です。事業を一つ新たに立ち上げるという案件で、約1年半一緒にやって、マーケティングのリサーチからブランドのデザイン、ビジネスプランの計画作りまで、何から何まで全部二人三脚で作れるすごい刺激的な仕事でした。
ただ、その案件の最後の方でうずうずしてきました。自分でやりたいなと。
コンサルはあくまで、クライアントのお手伝いで主体にはなれません。でも、やっぱり僕は自分でやるのが大好きでした。自分の手で生み出したい。
コンサルで考えるところまでやるんじゃ我慢できない。考えて、作って、かつそれを動かしていく、全部やりたい。やっぱり自分で考えて、自分で何かを作ろう。そんなことを考えていました。
風景が流れている夢
そんなことを思っていたある日、夢を見ました。知らない部屋に自分がいて、なにやら仕事をしている、そしてその自分を外から見ている。仕事をしている僕の後ろには大きな窓が2つあって、そのふたつの窓に森の風景が映っている。
その夢を見た瞬間、バッと起きて「これだ!」みたいに感じました。「そうだ、これを映像でやればいいんだ!」と。
最初に住んだマンションの衝撃的な体験ともつながって、夜中の3時ぐらいにMacを開いて打ちまくって。一緒に暮らしてた奥さんに「いきなりどうしたの?」と驚かれるぐらい。「いや、今、今、ちょっとすごいことをひらめいたから!」みたいな感じでした。
今まで見つかっていなかった「自分が何をやるか」が見つかったことに、何より興奮しましたね。何か使命感のようなものを感じるくらいでした。
初めてこれをやるために生きよう、何としてもこれを実現したいと強く思ったんですね。これはもう、自分で絶対にやりたいと。これを作るにはどうしたらいいんだろう、プログラミングができないと難しいな。よし、プログラミングを学ぼう。
それで、当時ちょうど1期生を募集していたプログラミング学校に「僕、もう絶対これを作りたいです」って言って面接で言って入りました。仕事を続けながらでしたね。
結局、学校でプログラミングを学び切る前に起業しました。最初の方に学ぶhtml、CSSが終わったタイミングで、まだJavaScriptやPHPを学ぶ前だったんですが、もう法人化してしまおうと。
風景に関する日がないかなと思っていた時、ちょうど5月前半ぐらいだったんですが、6月1日の「景観の日」だと知ったんです。これは神様が「今やれ」と言っているんじゃないかと思い込んで、すぐに知り合いの税理士に電話して、6月1日に会社を作ろうと動き出しました。
コーポレイトサイトだけ作って、動画配信の仕組みもない。やり方もわからないタイミングで、風景を配信します!という宣伝をしてしまって、コンテンツを準備しつつ、カメラマンの方に連絡して風景の撮影協力とか営業活動みたいなのをやっていましたね。
起業を進めていくにあたり、東工大の武者先生の存在は大きかったですね。1/fゆらぎの権威である先生には会社を作る前から相談していたんですが、すごく良いアイディアだよと応援してくれて一緒にやっていただけることになったんです。何もない中で、大きな心の支えでしたね。
サービスを作っている間はとにかくハードでした。人生で一番働いた時期ですね。毎朝4〜5時に起きて、プログラミングをやって、コンサルをやって、仕事が終わったらまたプログラミングをやって、みたいな生活を6ヶ月ぐらいやっていました。
ただ、その間はもう楽しくてしょうがなかった。今までのフラストレーションが全部解消されていくんです。自分がやる。考えたのに作れないというのが一切ない。自分で考えて、好きなようにデザインできて、好きなように機能を組み込める。最高の時間でした。
一人一人に心地よい空間を
現在は、自分の立ち上げた株式会社ランドスキップで、LandSkipというサービスを提供しています。一言でいうと「風景がない場所に風景を連れてくる」サービスです。
風景の映像コンテンツ、動画配信サービス、サイネージャーIoTを組み合わせて、世界の風景を指先ひとつで連れてくる、というコンセプトを実現しようとしています。
このサービスを使うことで、テレビやプロジェクターを手軽に「窓」に変えることもできます。オフィスにいながら森の中で会議したり、外に出られない病気の方でも部屋にいながら天井に空を映して風景を楽しめたり。
風景があると、空間が快適になる。人の心も豊かになる。
病院もオフィスも飲食店も銀行の待合室も託児所も、街全体もそう。より良い時間・空間を過ごしたい、あるいはお客さんに過ごして欲しいという場所にはランドスキップの風景の価値を提供できると思っています。
LandSkipが目指すのは、「究極の脇役」。僕も風景が大好きですが、旅行に行った時、例えば軽井沢に行ったとしても、ずっと軽井沢の森をじっと見ているということはないですよね。森を感じながら、読書をしたり珈琲を飲む。そうすると、いつもの読書とコーヒーの時間がぐっと良くなる。そういうものです。
サービスを出してみて、ユーザーさんやお取引先から、「LandSkipってすごく良いよね」「応援してます!」と嬉しいお言葉をいただけています。それが僕にとって何よりも嬉しいです。
共感してくださる方の中で、LifeSpaceUXとの出会いも衝撃的でした。「空間をプロデュースする」ということをまさにソニーの技術力で実現しているぞと。LifeSpaceUXの、新しい空間・時間・体験を提供する、より心地よいものにする、というコンセプトに僕自身共感しましたね。意見交換をしながら、いろいろと連携を進めています。
今後は、一人一人の心に響く風景のコンテンツを取り揃えて行きたいと思っています。
風景はBGMに近いと、僕は思うんです。演歌が好きな人もいれば、ロックが好きな人もいれば、ジャズが好きな人もいる。一人ひとり、心に響く風景は違う。出身地の風景が響く人もいれば、旅行先が響く人もいれば、好きなアニメの背景が響く人もいる。あるいは、百年前の浮世絵が好きだとか。全ての人の心に響く風景を届けていく。そうありたいですね。
そして、LifeSpaceUXチームや他の方と一緒に、コンテンツとハードを組み合わせることでの可能性を広げ、いろんな空間を風景があふれる場所に変えていきたい。
僕自身、一番風景が身近にあふれる北海道に、将来的には自分の拠点を移していくつもりです。
2016.09.27