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度々起こした権力への造反。
それは「民間の力」を信じているからこそ。

平 将明さん/衆議院議員

はてぶ

衆議院議員として地方創生や国家戦略特区などを担当し、日本社会の問題に真っ向から取り組んできた平さん。そこには自分だからこそできること、自分にしかできないことがあるのだと語ります。その理由とはいったい何なのでしょう。お話を伺いました。

平将門公の名にあやかる

東京都内で生まれました。両親は神田明神に祀られている平将門公にあやかって、将明と名付けたようです。一時はそのまま将門と名付けられるところだったそうですが、母が「学校でいじめられる。」と反対したそうです。(笑)

親の心配とは裏腹に、小学校の時はガキ大将でした。ケンカもよくしました。中学受験の数週間前にもケンカをし、馬乗りになってパンチをしたら、相手によけられ床を思いっきり殴ってしまい、右手がパンパンに腫れて鉛筆が持てなくなってしまいました。運よく早実にパスしましたが、親にはえらく叱られました。

小さい頃から、将来何になりたいと、明確なものはありませんでしたが、何となく「政治家になるんだろうな」という予感を持っていました。いつもニュースを見て怒っているような子供でしたから。また、どこへ行ってもリーダーを務めることが多かったですね。家業は、祖父の代から野菜の仲卸業をやっていました。兄弟は私と兄がいて、どちらかが後を継がなくてはならない状況だったんですが、兄弟の間では何となく「出来の悪いほうが継ぐことになるのかな」という暗黙の了解がありました。

私は中学高校と早稲田実業へ通い、大学は早稲田の法学部へ進みました。一方、兄は、慶応大学へ進学し、その後、米国のコーネル大学の大学院へと進みました。

大学卒業後、私は不動産の会社でサラリーマンをしていたのですが、そんな時に父が癌を患い、誰かが後を継がなければという状況になりました。兄は米国に留学中で、私が継ぐことになりました。私は「これも巡り合わせだな」と思い、やるからには良い会社にしなくてはと心を新たにしました。

青果物の仲卸業は労働集約型であり、取引先(大手量販店とか)との関係でも弱い立場にあるので、利益率もあまり高くなく、業態としてはとても大変そうだと思っていました。しかしものは考えようですから、継いだ会社をちゃんと経営しながら、自分のやりたいことはまた別に新しい会社は作れば良いと思っていました。

夜勤と資金繰り