【2月8日開催】福田秀世 写真展・トークイベント“Vivi e lascia vivere.” -思うままに生きよ。自分は自分、人は人-
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代々続く家業の酒を継ぐ、女性蔵人。
蔵人、経営者、女性としての悩みと決意。

浅野 理可さん/蔵人

はてぶ

島根県大田市にある、明治29年創業の一宮酒造。代々続く酒蔵の跡を継ぐ女性蔵人、浅野さん。地元大好き、家族大好き。その想いを原動力に蔵人として酒造りをしています。歴史を受け継ぐことへのプレッシャーを背負い、女性としての生き方にも日々奮闘しながら、蔵人として歩き出した浅野さんにお話を伺いました。

私が継がないなら、誰が継ぐの?

島根県大田市で生まれました。三姉妹の次女で、自然の中で自由に育ちました。毎日、全身泥だらけ。山で遊んだり、ケガもよくしていました。姉妹一おてんばで、いつもバタバタ走り回っていましたね。

実家は、明治29年創業の日本酒の酒造メーカー。よく蔵に遊びに行き、敷地内にあった壊れかけていた酒造りに使う半切という桶に井戸水を入れ、プール代わりにして遊んでいるような子どもでした。

小さい頃は、自分が酒蔵の娘だという特別な意識はありませんでした。父親や杜氏のおじさんたちの働く姿を見て育ちましたが、それをあたりまえとしか思わないんです。ラベル貼りや瓶詰めの手伝いをしたり、酒蔵で遊んだりはしていましたけど、もちろんその頃は、お酒も口にしませんし。中学生ぐらいになって、同級生の男の子たちからお酒について聞かれるようになり、ようやく徐々に自覚してきたんです。「うちは酒蔵なんだ」って。

ただ、小さい頃から、何となく家を継ぐのは私だという空気がありました。姉も妹もやりたいことがあって跡を継ぐ気はなかったですし、私にはやりたいことはなかったので。

私は母から好きなように生きていいと言われて育ち、継げと言われたことは一度もないんです。だからこそでしょうか、逆に酒蔵が気になってしまって。明確に意識したのは、高校1年生の時に、文理選択をした時です。将来のことを考えて、「私が継がんなら、誰が継ぐの?私しかおらんじゃん」と思ったんです。

父や従業員の方たちの働く背中が、自分の中に強くあったのかもしれませんね。継ぐということがどういうことか、どれだけ大変なのか、イメージはできませんでしたが、とにかく、将来跡継ぎになることだけは決めました。

高校卒業後は、東京農業大学に進みました。学校推薦の枠をもらえたことに加えて、父の希望でもあったんです。私は地元や家族が大好きで、みんなと離れたくなくて、島根から出るつもりはありませんでした。父はそんな私に、東京に行って人脈を作って来いと言うんです。農大では酒造りが学べるだけでなく、実家が酒蔵の人も多いので、何か繋がりができるかもしれないと。要は、4年間修行をしてこい、ということでした。

そうだ!私が造ればいいんだ