孤児院で見た光景が転機に。 子どもも大人も「よく生きる」社会を目指す。

途上国インターンでの衝撃から、大学時代は子どもの居場所づくりに奔走してきた高橋さん。ベンチャー企業に就職し、今はこれまでの経験とは真逆に見える介護事業を担当していますが、「テーマは一緒」だとか。大人も子どもも「よく生きる」社会を実現しようと尽力する高橋さんに、お話しを伺いました。

高橋 由衣

たかはし ゆい|介護ポータルサイト運営
gCストーリー株式会社にて、介護ポータルサイト「mamoria(マモリア)」を運営する

この子を救えますか?


生まれも育ちも埼玉県さいたま市です。幼稚園の頃は、目立ちもしないし、活発でもない、やんちゃな子に憧れる子どもでした。その反動で、小学校に入ると男子と敵対する女子を守るような役割を率先して引き受け、中学では学級委員もやりました。

ただ、高校になると根暗の一言。家でも両親が不仲で、家庭の会話もないような居心地の悪さがあったので、取り残された感じがありました。部活は茶道部に入っていましたが、あまりやる気がなく、帰って寝ることが多かったですね。

勉強はきっちりさせられていました。幼稚園から塾に通って、小学校も受験しました。いわゆる進学コースを歩んでいたから、100点を取るのが当たり前。親に勉強で褒められたことはありません。家に居場所がなかったので、学校の方が好きでしたね、風邪で熱が出て、先生に「今日は早退したら?」と言われても、「帰りたくないです」と言って無理やり授業を受けていました。

逃げ場所と言えば、家庭教師の先生とのおしゃべりと、読書でした。家庭教師と言っても、勉強じゃない雑談が楽しくてしょっちゅう話し込むんですよ。家庭環境も似ていて、先生に家族の話を聞いてもらうこともありました。本は『ハリーポッター』や、謎解きが好きだったので青い鳥文庫をたくさん読んでいました。

小学校5年生の頃、家庭教師の先生に社会の勉強を教えてもらっていたときに、資料集に載っていた一枚の写真を見ました。ケビン・カーターという写真家が撮った「ハゲワシと少女」という写真です。飢餓で亡くなりそうな少女をハゲワシが狙っている構図のものでした。見た瞬間、強烈な悲しみと同時に、怒りが湧いてきました。「どうして誰も助けてあげないんだろう」って。

今思えば、助けてもらえない状況が、家庭で孤立していた私と似ていたのかもしれません。先生にありのままの感情を伝えると、「由衣ちゃんは青年海外協力隊のような途上国の支援活動が向いているかもしれないよ」と言ってくれました。反射的に「そこに入ればこの子は救えますか」って聞いてましたね。このときから漠然と途上国支援に興味を頂くようになりました。青年海外協力隊や国連で働けたらいいなとも思っていました。

マレーシアの孤児院で無力感


大学受験は失敗して志望校以外の大学に入りました。でも、大学では授業も好きなものが取れたし、アルバイトも始められて、「やりたいことをやろう」というスイッチが入ったんですね。

バイトで経済的自立ができるようになると、それまでいいなりだった母親とも真正面から衝突するようになりました。早すぎる門限も、自分が徹底的に反対するようになったら自然と消えていました。しがらみから少しずつ解放されていき、高校時代から一転して人生が充実し始めた感じがします。

大学では、海外にインターンシップに行くサークルに入り、1年の終わりの春にマレーシアの孤児院に教育支援に行きました。そこには、両親のいない子だけでなく、家庭が貧しすぎて養育できない子が30人ほど預けられていました。約2か月間、英語や数学、マレー語を教えました。

そこでの体験は今も記憶に焼き付いています。子ども、特に女の子が施設オーナーから虐待を受けていたんです。守られるはずの子どもたちが守られていないことにショックを受け、スタッフに訴えましたが、「オーナーの言うことが絶対。仕方ない」と返ってくるだけ。

覚悟してオーナーにも直接言いましたが「これはしつけで、当然のことだ。君とは文化が違う」と言われ、何も改善されませんでした。オーナーはインド人だったのですが、インドでは男尊女卑の価値観が強く、体罰も容認される文化が根強かったんです。

結局、私は何もできないまま帰国しました。子どもたちは、辛い環境に置かれたままなのに、私は日本に帰れば私の暮らしがある。その矛盾に悩みましたし、無力感でいっぱいでした。でも、悔しいけど今の私では何も変えられない。絶望感に苛まれ、正直何事にもやる気を無くしてしまいました。

半年間くらい勉強にもサークル活動にも力が入らず、無気力の状態が続きました。それでも、サークルの先輩に話を聞いてもらう中で徐々に気持ちを取り戻していきました。このインターンを失敗で終わらせてしまったら、あの子たちに申し訳ない。どうにかして次に繋げられることはないかと、気持ちを整理していったんです。

自分なりに考えた結果、子どもの虐待に関する勉強を始めることにしました。どうして虐待が起こってしまうのか、虐待された子をどうしたら救えるのか、といったことを調べていったんです。

「よく生きる」を実践する


子どもの権利をテーマにしたゼミに参加したり、NPOで活動している方に会って話を聞きに行ったりするうちに、私の中で明文化されたテーマがあります。それが「よく生きる」でした。

虐待してしまう大人も、子どもがちゃんと育つかどうかの不安でいっぱいなんですよね。本当は子どもと向き合って楽しく生きたいけど、頑張って子育てをしていることを誰にも認めてもらえないことや、いろんな子育ての不安やストレスを抱え込んでしまうことが、逆に作用して虐待に走らせてしまうんです。また、日本の母親は、「○○のお母さん」「○○の奥さん」といった認識が強く、その人個人として認められにくい風潮があります。

その状態って、大の大人でもきついよなって。大人だって幸せに自分らしく生きたいはず。その「よく生きたい」という純粋な気持ちをプラスの方向に表出できるようにしてあげれば、虐待もなくなるだろうと思いました。

そのためのキーワードは、「承認」。社会に参加して、誰かのために貢献をすることで、人の役に立ったという実感を得ることが大事なんです。人は承認をされると、エネルギーを自分に留めておける。そうすれば、また能動的に周りの人に幸せを返して、貢献できる。結果、自分らしく、幸せを感じる生き方ができる。これが「よく生きている」状態です。

子どもも同じ。グレてしまっても、信頼できる大人と繋がって、認めてもらえさえすれば自分の素直な「よく生きたい」という気持ちを前向きに使えるようになって自分らしく生きることに一歩踏み出せるんですよね。虐待の勉強を経て、そう考えるようになりました。

それを実感させてくれる経験がありました。大学3年生のとき、1週間ほど生活保護受給世帯の子どもたちに勉強を教えるプログラムに参加したんです。特に大した話をしたわけでもないのに、子どもたちのことを信じて授業をしていたら、表情がみるみる変わっていくんです。

ある男の子なんですが、将来の夢を聞いても最初は「俺はまあ、別に高校なんて行かないで就職するかな」って冗談交じりに話していたのに、授業を受けていくうちに「先生、俺、高校に行って、本田圭佑みたいな選手になるよ」って本気の表情で言ってくれて。最後の授業で、その思いが書かれたメッセージカードを12枚ももらっちゃいました。今でもそのカードは私のお守りですね。相手を信じてあげれば、その子は自信をもって「よく生きる」ことを実践してくれるんだと感じました。

自分の選択で幸せになれる


就職活動をするにあたって、教師の資格を取ろうか検討したり、塾の求人も見たりしました。ただ、今の教育業界で主眼を置かれているのは学力向上で、私が実現したい「よく生きる」の理念とは少し違いました。NPOも考えましたが、収益基盤がないと事業継続が難しいということも知っていたので、持続可能性を持って社会にインパクトを与えていくために、やはり企業で働きたいと思いました。

起業も考えたんですが、根本的には自信がないので一人でやるのは現実的でなかったし、組織の一番上に立つのが自分の役割とは思えませんでした。それで、「想い」の強さで企業を選んでいくと、自然とベンチャーを見る数が増えました。

その中で、「貢献のために成長する」という企業理念を掲げていた会社と出会いました。私の「よく生きる」というテーマに似ていると感じました。また、面接ではマレーシアや教育支援で感じたこと、今後実現していきたい想い等を泣きながら話しました。そんな素の自分で選考を通過していきました。

それで、「この会社なら、私のやりたいことを実現できるかもしれない」と思ったんです。メイン事業は教育には関係ない「看板施工」事業でしたが、この会社を大きくしていけばやりたいことを実現できるという直感がありました。それで、入社を決めたんです。

周りの友人はいわゆる「良い会社」に入る人が多かったので、不安はなかったと言えば嘘になります。でも、今まで親の敷いたレールに乗ってきていたので、自分で人生を歩みたい、という気持ちがあったんです。大きな流れに乗りたい気持ちもあったんですけど、私がその選択をしたら、「マイノリティは幸せになれない」と認めてしまうのと同じ気がしたんです。そうじゃなくて、自分らしさを追求することで幸せになれるんだと体現したかったんです。

ただ、入社後半年くらいは「自分のやってきたこととつながらないな。やっぱり子どもの居場所をつくるような仕事にしなくてよかったのかな」と思い悩んでいました。

仕事に気持ちがしっかりと向くようになったのは、入社して半年ほどしてからです。うちの会社には「その人らしさ」を大事にする文化があって、この文化が広がれば、結果的に「よく生きる」人を増やすことに繋がると気づいたんですよね。それから、目の前の仕事や、会社を大きくしていくことにやりがいを感じるようになりました。

介護に直面する家族を支える


今は入社2年目です。これまでは、会社の主事業である看板施工事業の営業やマーケティングを担当していましたが、今年2月から介護の新規事業を担当することになりました。

最初は子どもの居場所づくりとは真逆だったので戸惑いましたが、介護と子どもの問題は構造が一緒なんだと気付きました。例えば「介護には問題が多い」といわれている割には、介護される側を「社会的弱者」として扱ってしまうので、実際に介護されている高齢者の声が届きにくい現状があります。それが問題を起こしている。本当は、介護されている高齢者も、「よく生きたい」「誰かに貢献したい」と思っている「主体」なわけで、社会に参加・貢献する役割を与えてあげれば、その人は貢献感を得られて、元気になるんですよね。

これは、子どもも高齢者も同じなんです。だから、今、介護に携わることが、将来的に子どもの領域にも繋がると思っています。

私が担当しているのは、介護に関わる家族に、ケアマネージャーやデイサービスの情報を提供する「mamoria(マモリア)」というサイトの運営です。介護に直面した家族は混乱や葛藤があると思いますが、その方たちを情報によって支えたいんです。

実は、私の祖父も認知症になりました。大学生のときにいつものように祖父の家に遊びに行ったら、ヘルパーさんがいたんです。そして祖父が私に向かって、「どちらさまですか」と。私は大泣きしながら家路についたのですが、そのときの衝撃は消化しきれず、その後は一度も祖父に会いに行けていません。

でも、介護事業に配属されて、認知症とは何か、介護とは何かが少しずつ分かってきました。サイトを通して、同じ問題に立ち向かう仲間が増えた気がします。今なら、祖父とも向き合える気がするんです。介護を受ける人とその家族が、お互いの気持ちを理解してこれからの話を前向きにできるよう、家族のコミュニケーションを円滑にしていけたらいいなと思います。

最終的には、高齢者も子どもも、誰もがよく生きられる社会を実現したいです。それは言い換えると、世の中の全ての人が自分らしく生きている状態。そんな志を胸に、日々の仕事に取り組んでいきます。

2016.08.03

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