介護業界の「コミュニケーション」を推進し、
関わるすべての人が、幸せになる介護を。

【株式会社ティスメ提供:介護のしごとCH】フリーの介護福祉士として働きながら、「介護教育」の領域で活動を志す上地さん。自分が何をやりたいのか分からなかったところから、介護の業界へ足を踏み入れたきかっけは、姉の勧め。そこには様々な苦労もありましたが、それらを跳ね返して余りある、たくさんの喜びと笑顔がありました。

上地 智枝

うえち ともえ|フリーの介護福祉士
社会福祉法人ウエル清光会宝塚清光苑勤務。フリーの介護福祉士として働くかたわら、研修講師や講演活動を行う。

※本チャンネルは、株式会社ティスメの提供でお届けしました。

環境問題に興味を持つ


兵庫県宝塚市で生まれ、ずっとこの街に住んでいます。きょうだいは姉が2人います。

子供の頃は「内弁慶」な性格でしたね。家にいる時は、姉とワーッと喋って遊んだりするんですけど、学校行くと至って大人しいという。女の子同士のグループ内でもリーダー格の子にずっと従っている目立たないタイプ。親と姉たちの前でしか、自分を出せない子でしたね。(笑)

親のしつけや教育が、厳しいと感じたことはなかったです。両親ともほとんどの時間、外へ働きに出ていましたから。私は小学校の授業が終わると学童保育の施設にお世話になってしました。家ではお腹が空いたら自分でおにぎりを作って食べていましたし、そういった意味では、すごく自立した子供でしたね。両親はいつも忙しくしていたので、10個離れている一番上の姉に、いろいろ連れて行ってもらっていた記憶があります。

中学生くらいの頃から、環境汚染に興味を持ち始めました。テレビで、座礁したタンカーから重油が漏れたせいで、真っ黒になってる鳥の映像を観て「何じゃこりゃあ」と思ったんですね。それは私にとってすごくショックな映像でした。それに父が沖縄の人で、私自身も本籍が沖縄なんです。沖縄の珊瑚が死んでいくみたいな話題があるじゃないですか。ああいうのを耳にすると、子供ながらに「何とかししなきゃけないな」と思って、それから環境汚染全般に興味を持つようになったんです。

高校2年生になって、進路のことを考え出すと、環境を守るような仕事に携わってみたいなと思うようになりました。数学は嫌いでしたが、化学の成績だけはよかったんです。進路相談の時に先生に「化学が好きで、環境汚染に興味があって」と話すと、化学の専門学校があることを教えてもらいました。私は高校卒業後、その専門学校へ行くことに決めました。

専門学校卒業後、職場を渡り歩く


化学の専門学校に関しては、私は正直、入った瞬間から「ちょっと違うかな」と思いました。でも親から高い学費を負担してもらって通っている学校なので、何とか卒業だけはしようと思いました。さぼることも多々あり、とりあえず友達に会いに行く、といった感じで通っていましたね。

就職に関しては、大阪のほうに出てみたいかなという気持ちがありましたし、せっかく化学の専門学校に通ったのだからそこを生かそうとも思い、その2つの条件を満たせる仕事を探しました。「どうしてもこの仕事をしたい」といった強い希望は、この時には無くなっていました。

そうして専門学校卒業後、私は、大阪にある医薬品の卸会社へ就職しました。薬品を大学や企業の研究室に卸しに行くと同時に、余った薬品を回収し、処理施設へ持って行く、という仕事でした。やり始めてすぐに「ちょっと違うかな」と感じたので、結局、この仕事は1年も持たなかったですね。

環境汚染に興味があったことは、いつの間にか忘れていました。本格的にそれをやるなら、やはり、大学へ行ってその後大学院へ行って、というような道順を踏まなければ、到底無理だと諦めてしまいました。

そこから仕事をいろいろ転々としました。一応、化学の専門学校を出ているので、それに関連した仕事は何かないかということで仕事を探し研究補助員や普通の営業職もやりましたしが、やりがいも無く、3ヶ月おきに転職をしていたような時期もあります。

次々といろんな仕事をやっていき、「何か違う」と感じるたびに辞め、また次を探して、そんな流れをずっと繰り返していましたね。2、3年はそのような感じで夢も無く過ごしていたと思います。今となっては、この時期に自分が何をしていたのかもはっきり思い出せません。

でもいよいよこの先どうしようかな、と考え始めた時、看護師をしている姉から、「ホームヘルパー2級という資格があるから、取るだけ取ってみたら」と勧められたんです。福祉の仕事に関しては、高校の時ボランティアで少しだけ関わったこともあったので、幸い、抵抗は全くありませんでした。ですから本当に軽いノリで、「じゃあやってみるか。他にやることないし」と思い、勉強を始めました。

半年後、無事資格を取得すると「資格もせっかく取ったことだし」と思い、福祉関係の仕事を探すことになりました。するとすぐに伊丹市にある社会福祉法人が見つかり、私は福祉の世界に足を踏み入れることになりました。

福祉の仕事の奥深さを知る


入職すると私は、特別養護老人ホームに配属されました。最初はやっぱり、仕事を覚えるのに必死でしたが、その頃私が感じていたのは、「オムツ交換などスピードが早い人が仕事がデキる人なんだな」ということでした。もっと早くできるようにならなきゃと、そういうことばかり考えていましたね。現場を早く回すためにどうするか、最初はそのことだけをやりがいにしていたような気がします。

でも、そうした考えもだんだんと変わっていきました。その一つのきっかけは、初めて人を看取った時に「これでいいんだろうか」と思ったことでした。その人が亡くなった時に私が感じたのは、「もっと自分がしてあげられたことがあったはず」ということ。本人が何をしたいとか、何かを食べたいと言っても、ただ「できない」で済ますのではなくて、難しいかも知れないけど、何かやってあげられたことが無かったのか考えられたはずだ、と思ったんです。

この経験から、介護の仕事は、何十年と歩んできたその方の人生の最期に寄り添う仕事なのではと思いました。あの時の私にもっと知識と技術があれば、もっと考えて、その人の希望を何らかの形で叶えられたかも知れない。私は、利用者の気持ちにもっと寄り添える介護ができるようになりたい、と思うようになっていきました。

ある時、職場の仲間から「おむつフィッター」という資格があることを聞きました。日頃から私は、利用者さんがおむつをしている時の尿意への対応について疑問に感じていたこともあったので、すぐにその講習会に参加してみました。するとそこで衝撃を受けました。

おむつ交換の基礎に当たる部分をそこで改めて学び直すと、びっくりするほどたくさんの気付きが得られたんです。そして「ああ、あの人が皮膚を損傷していたのは、もしかしたら私のせいだったのかも知れない」「私は今までひどいことをしてたのかも知れないな」と、反省しました。

それから私は、興味のある研修に出掛け、介護技術はもちろんですが、尊厳や倫理的なことも学びました。研修内容に食事の要素が出てくると、今度は食事についても学びたくなってきますし、興味は次々と繋がっていき、向学心は深まる一方でした。

介護の現場ってどうしても、排泄、食事など一つひとつの要素を「点」で見てしまいがちです。でもそれらを全部繋がった「線」で捉え、それをサービスに生かすことができたら、素晴らしい介護になるなと思いました。同時に、介護の楽しさ、奥深さを改めて再認識しました。この時には、研修で学んだことを現場に導入するのがやりがいで自分にも自信が湧いてきていました。

新施設での挑戦と2度の挫折


勤めていた法人が新しく、地域密着型の「小規模多機能施設」を作るとなった際、そこの施設長候補に、私は自ら手を挙げました。結果、施設長には選ばれませんでしたが、施設の立ち上げにメインスタッフとして加わることになり張り切っていました。

現場に入ってみると、思ってもみない苦労の連続でした。それまではユニット単位で動いていて、職員も5、6人、利用者さんも12、13人でしたし、スタッフも古くからやっていた馴染みの人ばかりだったのですが、そこは新規のスタッフ方がほとんどですからスタッフ同士のコミュニケーションや信頼関係も、一から構築していかなくてはなりません。

当たり前ですが利用者も、全員が新しく入ってきた人です。仕事においても、職場の人間関係においても、コミュニケーションの壁にぶつかってしまい、それまであった自分の自信はガラガラと崩れ落ちてしまいました。

思わぬ挫折をし、職場へ行くのも怖くなっていたところ、姉が、サービス付き高齢者向け住宅を立ち上げたいので、介護部門として私に誘いの声をかけてくれました。「あなたがやりたいことを、もう一度イチからやってみない?」と。私にとってこの時の姉は、本当に救いの神でした。逃げるような思いでしたが、また新しいところでやり直そう、そう私は決心しました。

そこの施設では、私は役員も務める一方、訪問介護事業所の管理者兼、サービス提供責任者でもありました。次のサービス提供責任者も自分の手で育てたいとの思い入れを強く持って、毎日仕事に取り組んでいました。ですが、ここでもやはり、人間関係の構築が難しくて、退くことになりました。

私は、今回は失敗してはいけないという思いから部下の思いを知ろうとせずに、あれもこれもしたいとなり、トップダウンばかりしてしまい、部下を振り回し、結果信頼を失っていました。また、組織内での多職種連携もうまく行かなくなり、組織全体が空回りして行き、組織改革が余儀なくされた時、私が退くことにより、よい風がとおるならと退くことを選びました。今思えば、この時も逃げ道を選んでしまったと思います。

それから「自分が本当にやりたいことってなんだろう?」と、今までの失敗を基に真剣に考え抜きました。介護はやりたい。介護の何をやりたいかといったら、私が現場や様々な研修を経てたどり着いたようなことで、それはやっぱり、利用者の生活面を点で見るのではなく、トータルな線で捉え、利用者が人生の最期を迎えるときに「自分の人生は楽しかったな」と思ってもらえること。

それを実現するには、利用者に関わる人たち一人ひとりがしっかり意思疎通できなくてはいけません。必要なのは、自分の意見を主張するだけでなく、そもそも自分を知ることや、相手の気持ちを引き出すことも含めた、本当のコミュニケーション能力。コーチングの技術や伝える力。

そう考えていくと、今何をすべきか、自ずと答えは出てきました。それは、今まで失敗し続けた「一方的な教育方法」ではなく、「相手の可能性を引き出すコミュニケーション」でした。

中国進出を視野に日本でセミナー活動


これまで介護の世界で、現場はもちろん、管理者も経験し、部下への教育にも携わってきました。そこで分かったのは、介護業界にも教育の制度自体はありますが、自ら学びたいと思う介護職員が少ないことです。私は、介護に関わる人たちに、新しい介護技術や知識はもちろんのこと、スタッフ同士のコミュニケーション術に至るまで、学びたいと思ってもらえるように、研修やセミナーを受けることの大切さを伝えていきたいと思っています。

その背景には、介護に関わる方々に、仕事を楽しんで欲しいと、という気持ちがあります。研修などで色々な視点を得ることが、介護を点ではなく線で見れるようになるのに役立つんですよね。介護に携わっている方々に、「介護ってこんなに楽しい仕事だったんだ」と、仕事の魅力をあらためて感じてほしいんです。

現在、私は、フリーの立場で、介護にまつわる技術や知識、連携を円滑に行うコミュニケーション技術を広めるためのセミナー・講演活動をしていくための、自身のブランドづくりをしています。

それと合わせ、日本の進んだ介護技術を中国に広めるプロジェクトも少しずつ進めています。中国出身の友人としていた何気ない会話がきっかけで中国の介護福祉事業に目を向けてみたのですが、明らかに、需要が高まっていくと分かったんです。

周囲からは、中国進出に関して疑問視や反対もされましたが、自分の目で確かめたいと思い、実際中国へ足を運んで、中国の高齢者福祉の状況を見てきました。やはり、友人の言った通り、介護教育が不足していました。また中国も、日本の高い技術を学びたいと考えている人が多かったんですね。

日本の介護を中国に伝えるのは、道義的にもビジネス的にも面白そうだなと感じたと同時に、不思議と私はこの地で成功すると思ったんです。そこで、すぐに中国語を勉強することにしました。英語もあまりできないのですが、それよりもまずは中国語だろうって思ったんです。

今後、日本でのセミナー・講演活動を行いながら自身のブランドを広め、その先には中国進出も視野に入れ、ワクワクしているところです。だから今、行動力がすごいんです、私。(笑)

今、私の目の前に広がる可能性は、まさに無限大です。これまで組織の中に入って、組織のためにとの強い責任感から突っ走り、部下を犠牲にしてしまったこともあります。そうした中で、自分が本当に楽しんで仕事ができていなかったことや、自分が幸せでなければ、相手を幸せにはできないと気づきました。今はフリーになり、完全に自分の「足」で動いてます。自分の可能性をどこまで広げられるのか、関わった人たちにどれだけの幸せを渡せるのか自分自身が一番楽しみにしています。

今後、私がセミナー等で広めていく内容は、相手を考えることができる技術と知識。自分や相手の可能性を引き出す探求心。それをしっかりと連携して伝えるコミュニケーション術。そして何より、「想い」の大切さです。家族、専門職、地域など、利用者に関わる人々の想いをを繋げるのがコミュニケーションなので、まずは自分自身が想いを持つこと、そして、周りの想いに耳を傾ける大切さを感じてほしいんです。これを少しずつでもしっかりと伝えていき、共感してくださった方々がそれを自分のところに持ち帰り、そこから枝葉のように広がっていってくれるとうれしいですね。

介護の究極の目的は、様々な道を歩んでこられた方の、人生の最終章に寄り添えること。喪失感を味わいながらも、それらを受け入れ年を重ね、生活に障害が出てくる中でも、やりたいことへ挑戦し、「自分自身で生きているな」という実感が持てるよう、支援していきたいと思います。

寝たきりの方がトイレに行けるようになった時の感動っていったら、やっぱりすごいんです。本人も「ウォシュレットできたわあ」と本当に嬉しそうにするんです。その方のトイレ支援に関わった、家族、介護、看護職員、介護支援専門員など全員が幸せになります。

介護って、関わる全ての人が、幸せになれます。最後はお互いが笑えるんです。そんな仕事ってきっと介護しかありせん。だから私は介護が大好きだし、これからもずっと、この仕事を離れることはできないんです。

2016.08.01

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