前提や常識の積み重ねを突きくずしていく。「体験」の作家としての挑戦。

長年、ソニーで商品企画を手掛けてきた斉藤さん。現在は、「Life Space UX」というコンセプトのもと、住空間の力を引き出す製品の開発をリードし、「LED電球スピーカー」「ポータブル超短焦点プロジェクター」「グラスサウンドスピーカー」といった商品を生み出しています。「自分のやっている仕事で誰か幸せになっているのかな」とやりがいに悩んだ若手時代から、「自分にとって最高の環境」と語る現在まで。お話を伺いました。

斉藤 博

さいとう ひろし|イントラプレナー(社内起業家)・ソニー株式会社TS事業準備室室長
ソニー株式会社TS事業準備室 室長

※本チャンネルは、Life Space UX(Sony)の提供でお届けしました。


Life Space UX
Life Space UXは、今ある空間をそのままに、新しい体験を創出するコンセプト。
それぞれが心地よく過ごせる大切な場所、それが居住空間。私たちはその空間をもっと快適にするために、空間のあり方そのものを見つめ直し、「LED電球スピーカー」「グラスサウンドスピーカー」「ポータブル超短焦点プロジェクター」など、空間そのものを最大限に生かした製品を提案しています。

広いところに出て行きたい


群馬県で生まれました。小学校の頃は、クラスで一番良くしゃべる子供。いつも友達に囲まれてずっと皆を笑わせている、そんな感じでしたね。

体を動かすのが好きで、小学生の頃は友人と放課後にサッカーや野球、中学・高校では部活動で柔道をしていました。柔道を始めたきっかけは、当時アントニオ猪木やタイガーマスクが人気で、プロレスに憧れを持っていたから。高校を卒業する頃には格闘家に対する熱は覚めていましたが。

私の育った群馬は田舎という側面もあり、広いところに出て行きたいという気持ちがずっとありました。本当の田舎だと美しい田園風景があると思うんですけど、当時私が育ったところは娯楽とかもあんまりない。やれることは、友達と遊んだりスポーツしたり、本を読んだり映画を観に行くぐらい。広い世界を見たいという感覚がずっとありました。

広いところに出て行きたい。一方で、冷たいイメージがあって東京は当時あまり好きではなかった。そう言った理由もあって、1年浪人した後に仙台の大学に進学しました。大学ではかなり怠惰な生活を送っていましたね。もともと経済学部を選んだのも、時間がありそう、楽しそうだったからという理由で。テニスとスキーをするサークルに入って、友達との時間を謳歌していましたね(笑)。

地元の英会話スクールにも入り浸っていましたね。「英語を話したいな」という気持ちがあって入りましたが、途中からレッスンは全く受けずに、スクール内の一角で外国人講師とポーカーをしたり、飲みに行ったり。おかげで、英語を話すことに慣れて、TOEICのスコアは伸びましたけど(笑)。

ほかにも、社会人のテニスサークルにも入り、仙台のタウン誌の編集部でバイトをしたりと交友関係は幅広く、世界が広がった感じはするけど、それでももっと色んな世界を知りたいという感覚でした。

任せてもらえる一方でやりがいに悩む


大学4年生当時はバブルの真っ只中で、就職活動の時もあまり苦労せずに就職先が決まりました。ただ、どうもしっくり来ませんでした。

特に決まっていた会社が嫌になったとかそういう訳ではなくて、踏ん切りがつかないというか、「このまま社会人になって何かできるのか」というもやもやした気持ちが湧いてきて。一度世界に出てみたい。海外の生活がどういう感覚なのかを味わってみたい。

内定していた会社に断りを入れて、シアトルに留学。英語に慣れていたせいか、コミュニケーションで苦労するということはなく逆に海外でやっていけそうだなという感覚でした。

この頃、広い世界に出ると自分のやりたい事が見つかるのでは、という思い込みがあったのだと思います。でも、留学でも「これだ」というものが見つかることははなく、そのまま就職に進みました。

留学のために日本の大学を留年していたので同級生と比べて卒業は2年遅れました。2年のうちにバブル経済が崩壊し、ストレートに行った人と比べて3年遅れの就職活動だったので、厳しい反応の企業もありました。それでも、数社内定をもらうことができ、そのうちの1社がソニーでした。

ソニーを志望した理由は、とりあえずグローバルに色々なことができそうだと思ったことが一番大きかったですね。人の生活に近いとか、自分の身近に感じるようなものだったり、というのが次にあって、オープンで明るい感じの社風だからソニー、という感じでした。

海外営業志望でしたが、配属されたのは商品企画。その中でもカメラを主に扱うチームでした。正直、最初はがっかりしましたが、海外出張が多く、世界各国の拠点の担当者とやりとりする機会が多い部署だったので、すんなり受け入れられました。

「何かしたい」という想いは強かったので、2年目ぐらいから小さいながらも1つの仕事を自分1人に任せてもらえて、結構嬉しかったですね。学生時代に想像していたよりは、大企業の割に任せてもらえるなと。

一方で、仕事のやりがいについては悩みました。

自分がやっていることって役に立ってるのかなと。若手のうちはカメラ本体ではなくて、アクセサリを任されることが多いのですが、自分が最初に任されたのは充電器。充電器の価格や外観、寸法を決めたり、ある程度は任せてもらえるんです。けど、これいつまでやるんだろうな。そんな感じでしたね。

前提や常識を疑う


やりがいに悩みながらも、段々お客さんからのフィードバックが見えてきたり、社内でも自分がやっていることに対する反応が出てきます。手応えが増すにつれて、少しずつ面白くなっていきました。

商品企画部門を経験するなかで「前提や常識を疑う」ことの大切さを知ったのが、私にとって大きな出来事でした。

もともと田舎で生まれ育ったせいか、色々なことを受け入れてしまうとか、我慢してしまうタイプでした。何かあっても「小さいことに文句を言うな」と言われて。普通の人だと不満を言うような場面でも「こんなものかな」と受け入れてしまう感じです。

それが、社会人になって東京に来て、いわゆる「要領の良い」人が周りにいっぱい出現するようになって、僕が多少不便があってもそのままにするのに、周りの連中は頭良く機転を利かせて状況を快適にしていく。そういう場面が増えたんです。

それでも、自分はそういう性格だから別に良いかなって思っていました。こういう風にできあがった性格だし、細かいことは気にせずにこのまま生きていくんだろうなと。

ただ、周りの連中が機転を利かせた結果、時に劇的に状況が変わる事が何度かあった。それで、前提を受け入れずに変えようとする事は大きな力を生む可能性があるのでは、と思いました。それに小さいことに文句を言うな、というのは逆に大きなことにこだわれという意味でもあり、全て我慢しろという事ではなかったんですよね。

自分の性格は変えられないので仕方ない。けれども、日常生活でふと感じる疑問や不満に対して、「何でそういうことが生じてるんだろう」「そこを変えると何が起こるんだろう」と逆になるべく意識するようにしよう。そう考えるようになりました。

仕事でも、与えられたことをそのまま受け入れるんじゃなくて、前提条件から変えると何が起きるのかという感覚を持って、意識的にどんどんそういうのをやるようになってきました。

そうしているうちに、上位にある常識を覆していくほど、面白いもの、バリューの大きいものが生まれやすい、というのに自分の中で気づいてきて。どんどん楽しくなっていったんですよね。

そんな風に変わっていく一方で、入社7年ほど経った頃に行った海外駐在も大きな経験でした。

会社のキャリアプランの一環で、商品企画部門から出て販売部門のスタッフとしてシンガポールに3年ほど駐在。当時シンガポールは、アジア・パシフィック全体をカバーする販売の地域拠点で、かなり大きな裁量を持たせてもらいました。

世の中に及ぼす力の範囲は商品企画の方が大きかったかもしれないですが、決められる範囲は販売にいた時の方がより広く、自分で考えたそのままに施策を打てました。自分で決める分、結果にも責任を持たないといけないんですけど。自分の意思で何かが動いているという感覚が決定的に大きかったですね。

当時、中国・香港・台湾・韓国の東アジアのエリアで競合他社に負けていました。それを全部No.1にするというプロジェクトを立ち上げて、月1,2回全てのエリアに出張に行って、現場に入り込んで、シンガポールにいる時もずっと現地の販社に電話してコミュニケーションをとって。あまりにも質問が多くて、販社の人からは「ミスタークエスチョン」と呼ばれていました(笑)。それぐらいやって現場を動かして、ある時に担当カテゴリでのシェアを全部No.1にすることができたんです。

そのときのやりがい、達成感は大きかったですね。

自分は「体験」の作家を目指す


シンガポールでの駐在を終えて商品企画に戻ってきたあとは、カメラの商品企画担当としてさまざまな仕事に関わらせてもらいました。

一眼カメラ、デジタルカメラ、デジタルビデオカメラなどですが、新規開発の案件を任されることが比較的多かったですね。テープからハードディスクへと記録媒体が変わるタイミングや、静止画と動画を完全に融合させたもの、一眼カメラに最初にソニーが参入した時など色々と新しい案件に関わりました。

一眼レフカメラに携わった頃ぐらいから、ものづくりに対する自分の意識が大きく変わりました。もともとは何かを「創る」という感覚がなかったんですが、「創る」ことをライフワークにしていこうと考えるようになりましたね。特にものを通した体験を創る事です。

群馬にいた頃から本はよく読んでいて、「本で力を与えられる」ということに憧れがありました。作家や映画監督に対して「こういうことができる人はすごいな」と。自分にはそんな才能は絶対にないと思いながら、そういう何かをクリエイトするという点で力を発揮できることが何かないだろうかってずっと思っていました。

でも、その頃に、自分の仕事も作家や映画監督に近い影響力を持つものを目指せるんじゃないか、と思ったんですね。

自分は「体験」の作家を目指す。

ある瞬間から、そう決めたんです。作っているのは、小説ではなくて家電から生み出す体験だけれども、同様に力を与えるようなものを目指していこうと。

そう思うようになったのには、二つのきっかけがありました。

一つは、技術部門の方のある言葉です。

ある時期、社内でカメラの商品戦略を議論する場で、画質を追い求めることに対する疑問の声が出てきたことがありました。もう相当高画質になってきたから充分なんじゃないの、もっと違う方面、楽しみ方とか使い方とかを良くしていく方向に力を注いだ方がいいんじゃないかと。

それを聞いて、技術部門のトップの方が「何言ってんだお前ら」と真っ向から否定したんです。

例えば、夕焼け時の公園で、お母さんと子どもが遊んでいる。何気ない一瞬なんだけど、それを見ている父親が「なんかすごい幸せだな」と感じる。そういうことがあったとして、その瞬間を俺たちの今のカメラで本当に捉えられるのか。「もう画質は十分」だとか言ってるけど、お前ら本当にそう思ってんのか。

その言葉を耳にした時に、自分たちが作っている商品と体験って、自分が考えているよりもっともっと力があるのでは。かなりの力があるのでは、と思ったんです。

もう一つは、飛行機の中で読んだ、ある作家の記事です。その作家は登場人物のキャラクターを詳細に渡って設定して小説を書いている、という話でした。登場人物の生い立ち、価値観、どういう悩みを抱えているか、どういう希望を持っているか、どういう性格か。

僕も何か商品を作る時に、ターゲットユーザー、つまり、こういう人のこういう体験を生み出すには、というのを詳細まで考えるんです。ユーザーがどういう感じの人だとか、自分の提供したい体験の前後がどうなっているのか、その体験の周りってどうなってんだろう、とか。

それで、その記事を見た時に、結構似ていることをやってんだなあと思ったんです。作家は、キャラクターを思い描いて、人を感動させる。私の場合は、ユーザーを思い描いて、体験を実現させる。やることは違うけど「なんかこれ似てるなあ」と。同時に、先ほどの技術部門の方の言葉を思い出して、作家とか映画を作るすごい人達と同じように、人に力を与える事を目指して良いのでは、自分で自分をリミットする必要はない、みたいな感覚になって。

何か、パーンと開けた感じがありましたね。

いろんなものの蓄積があってだと思いますけど、それに気づいた時はかなり嬉しかったですね。その発見をいろんな人に言って回った記憶があります。

それで仕事のやり方が変わるわけではないのですが、ついに自分のやりたい事が明確になって、より加速するというか、エナジェティックになった感覚がありました。

本を読んだり映画を見たりした時に、それまでよりも、より強く自分のエネルギーになる感覚があって、ガソリンを入れるような感じで意識的にそういうのをどんどん読んだり見たりするようになりましたね。

それで、その後に担当したミラーレス一眼という新しいコンセプトのカメラは周りのメンバーにも恵まれて、大きなヒットとする事ができました。

シンガポールでの駐在を3年間挟み、商品企画部門に延べ16年間在籍したのち、20年目で、新しく立ち上がった部署に異動となりました。

前提をくつがえすことが最高に楽しい


現在は社長直轄のTS事業準備室で、室長を務めています。組織が新設された2013年4月にジョインし、2015年1月室長に昇格しました。

組織のミッションは、従来の発想から脱却し、新しい体験を創出・提供していくこと。既存のカテゴリーにとらわれず、新しくチャレンジングなことであれば何をやってもいい、と言われています。直近は、住空間で新しい体験を提供する「Life Space UX」というコンセプトの商品群に軸足を置いて活動しています。

TS事業準備室では、リスクを取って新しいものを作っていこうというソニーのDNAは継承していますが、従来のソニーと表現を同じにするとか活動の足並みを揃えるとかというところはあまり考えていません。

私自身の仕事は、室長としてプロジェクト全体をマネジメントすること。どういうものを創るか、どんな人を集めてどう作っていくか、できあがったものをどうユーザーに届けていくかなど、体験の着想、製造からマーケティングまで全てに渡って責任を負っています。

かなり自由にやらせてもらっているので、自分のように、何か新しいこと、面白いことをやりたいというタイプにとっては、最高の環境ですね。

新しい事を生み出したり、育てたりする「やり方」に万能の解はないですよね。それがゆえに色んなやり方を知恵を絞って考えるわけですが、この部署ではその思いついたやり方をそのまま実行に移せてしまいます。そこが本当に最高なわけです。

やり方を考えるにあたっても、自分達の常識からいかに外に出るかを大事にしています。建築・インテリア関連から、教育・エンタメ・宇宙など、とにかくあらゆる業界の方、墓地デザイナー、茶道家、音楽フェスオーガナイザー、高校生など、多岐にわたる背景の方々と交流をもって、様々な視点に触れながら進めています。そうやって、ある程度新しい商品の案が出たら、部署にある小部屋に集まって、素早く方針を決めて実行に移していきます。

また、「前提を否定する」という点でいえば、Life Space UXはある種堂々と自己否定するところから始めています。家電メーカーでありながら「今の家電に対して違和感がある」というところからスタートして、空間に家電をどんどん足していくっていうのが本当に人の暮らしを快適にしているんだろうかとか、むしろ家電という概念自体をあまり考えない方が良いのではないかとか問いかけています。

これらはメンバー間で議論する中で生まれてきた考え方ですが、私自身も雑誌などに出てくる綺麗な住空間の写真に全く家電がない事を不思議に思いました。多くの家電の見た目がそういった空間になじまない事が理由かと最初は思いましたが、本当にそれだけかと考える内に、使い勝手などを含めた家電と人との関係性において、まだまだ自然な存在ではないと感じるようになりました。

こんな考えを進めて3年間で4つの商品を出す事ができました。出来上がった商品群は、今までの家電とは全く違うね、と言ってもらえる事が多いです。商品を体験する場もライフスタイル系のお店やホテルラウンジのような、商品よりも快適な過ごし方に意識が行くような場所を選んでいます。幸いな事に、この考え方と取組みが住空間に関心の高い方に受け入れられ、今は良い評価を頂けています。

こういう風に今までの前提を否定していく作業は、苦しいというよりも楽しいですね。本当に、最高に楽しい。

何らか今まで自分が常識だと思ってたものを排除しないと突破できないことが多いし、今までの経験が仇になることもある。なんとなく、これはこういうもの、これはできないからやれない、と思っているもの。そういう積み重ねを突き崩すのが楽しいですね。

「体験」の作家として、人に力を与えられるようになるのは、簡単なことじゃない。そのためには、何か大きい前提や常識を崩していく必要がある。

そんなチャンスがどこかに隠れているはずと思うとワクワクしますね。

2016.07.07

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