大阪府大阪市で生まれました。両親とも仲が良かったんですが、小さい頃からおばあちゃん子で、祖父母によく面倒を見てもらっていた記憶があります。

兄と妹のに挟まれた真ん中の子で、親からは自由にさせてもらっていました。一番上の子は最初の子育てなので目をかけて育てますよね、末っ子は何をしても心配されるじゃないですか。でも真ん中だと「あんたは大丈夫やろ」みたいにゆるい感じになんですよね。かといって放置されていたわけではありませんし、それで傷ついたってこともないんですが、祖父母と一緒にいることが多かったような気がしますね。

私の家庭はお小遣い制度がなく、その代わり、お年玉をたくさんもらっていたので、その中から1年分のお金をやりくりするような方針でした。一般的には、小学生に上がると自転車を買ってもらったりすると思いますが、私は自転車も自分で買いました(笑)。そうやって幼いながらも、お金を自分で管理していましたし、お金を自分で稼ぐイメージもできていましたので、早く働きたいと思っていましたね。高校進学の時には、将来どんな仕事をするか考え始めていました。

仕事をするといっても、OLになって毎日パソコンと向かい合うような姿はイメージできませんでした。それよりも、みんなで賑やかに仕事をしている方が私の性に合っている気がしたんです。それなら人と接する仕事だなと考え、最初に頭に浮かんだのは看護師でした。

しかし、看護師は専門職なので、一度その道に入り勉強を始めると、後でやっぱり合わないなと気づいても抜け出しづらいものです。ですから、いきなり看護の専門学校に入るのではなく、看護学校への進学コースがある私立高校に進学を決めました。

高校では、初歩的な看護知識を学びました。血圧測定をしたり、赤ちゃんの沐浴をさせてもらったり。楽しかったですね。数回ですが、病院へ実習にも行きました。

病院の現場を初めて見た時の印象は「こんなに激務なんだ」ということでした。患者さんの容態が急変したり、救急の患者さんが運ばれて来たりと、めまぐるしく常に緊張感がありました。ナースステーションから走って出て行く看護師さんもいました。

そんな中、ふと気づくと看護師さんとは違う服を来た人がいたので「何の仕事をする人だろう?」と近づいてみると、それは介護師さんでした。ベッドメイキングをしたり、患者さんと話しながらご飯を食べさせたりと、仕事に追われてはいるんですが、私にはとても楽しそうに見えました。看護師さんのほうは楽しそうというよりも、厳しさの中に誇りを持って仕事をしている様子が、かっこいいなという印象でした。

その両方の仕事を間近で見て、自分がやるなら楽しいほうがいいな、と思ったんです。医療面は看護師さんが面倒を見て、患者さんとの信頼関係は厚いんですが、介護師さんによる生活面のサポートも必要です。生活に寄り添い楽しく過ごせる介護師のほうが私には合っていると思い、看護ではなく介護の道に進むことに決めました。