一人ひとりに寄り添った介護を。分かり合っていく喜びをエネルギーに変えて。

【株式会社ティスメ提供:介護のしごとCH】大阪の老人保健福祉施設にて介護スタッフとして働く大幡さん。介護の仕事は、日々驚きと新たな気付きの連続だと言います。そんな毎日の中で大幡さんは何を感じ、何を喜びとして、仕事に取り組み続けるのでしょう。お話を伺いました。

大幡 亜湖

おおはた あこ|介護老人保健施設職員
大阪府大阪市にある介護老人保健施設 「エスペラル東淀川」にて働く。

※本チャンネルは、株式会社ティスメの提供でお届けしました。

早く仕事がしたい


大阪府大阪市で生まれました。両親とも仲が良かったんですが、小さい頃からおばあちゃん子で、祖父母によく面倒を見てもらっていた記憶があります。

兄と妹のに挟まれた真ん中の子で、親からは自由にさせてもらっていました。一番上の子は最初の子育てなので目をかけて育てますよね、末っ子は何をしても心配されるじゃないですか。でも真ん中だと「あんたは大丈夫やろ」みたいにゆるい感じになんですよね。かといって放置されていたわけではありませんし、それで傷ついたってこともないんですが、祖父母と一緒にいることが多かったような気がしますね。

私の家庭はお小遣い制度がなく、その代わり、お年玉をたくさんもらっていたので、その中から1年分のお金をやりくりするような方針でした。一般的には、小学生に上がると自転車を買ってもらったりすると思いますが、私は自転車も自分で買いました(笑)。そうやって幼いながらも、お金を自分で管理していましたし、お金を自分で稼ぐイメージもできていましたので、早く働きたいと思っていましたね。高校進学の時には、将来どんな仕事をするか考え始めていました。

仕事をするといっても、OLになって毎日パソコンと向かい合うような姿はイメージできませんでした。それよりも、みんなで賑やかに仕事をしている方が私の性に合っている気がしたんです。それなら人と接する仕事だなと考え、最初に頭に浮かんだのは看護師でした。

しかし、看護師は専門職なので、一度その道に入り勉強を始めると、後でやっぱり合わないなと気づいても抜け出しづらいものです。ですから、いきなり看護の専門学校に入るのではなく、看護学校への進学コースがある私立高校に進学を決めました。

高校では、初歩的な看護知識を学びました。血圧測定をしたり、赤ちゃんの沐浴をさせてもらったり。楽しかったですね。数回ですが、病院へ実習にも行きました。

病院の現場を初めて見た時の印象は「こんなに激務なんだ」ということでした。患者さんの容態が急変したり、救急の患者さんが運ばれて来たりと、めまぐるしく常に緊張感がありました。ナースステーションから走って出て行く看護師さんもいました。

そんな中、ふと気づくと看護師さんとは違う服を来た人がいたので「何の仕事をする人だろう?」と近づいてみると、それは介護師さんでした。ベッドメイキングをしたり、患者さんと話しながらご飯を食べさせたりと、仕事に追われてはいるんですが、私にはとても楽しそうに見えました。看護師さんのほうは楽しそうというよりも、厳しさの中に誇りを持って仕事をしている様子が、かっこいいなという印象でした。

その両方の仕事を間近で見て、自分がやるなら楽しいほうがいいな、と思ったんです。医療面は看護師さんが面倒を見て、患者さんとの信頼関係は厚いんですが、介護師さんによる生活面のサポートも必要です。生活に寄り添い楽しく過ごせる介護師のほうが私には合っていると思い、看護ではなく介護の道に進むことに決めました。

触れ合ってこそ分かること


高校卒業後、介護の専門学校に進みました。2年間の中で、現場研修には3回行きました。高校の時のように1日だけ見学するのではなく、毎回数日の実習があります。そこで様々な入居者さんや、スタッフの実際の対応を見て、教科書だけでは分からない「現場感」を知りました。

初めての実習では、できることは、入居者さんとコミュニケーションをするくらいでした。私は人と話すのが好きですが、入居者さんによってはそうではない人もいるんです。ですから、自分だけの価値観で接してはいけません。また認知症の方だと、ひたすら外を眺めているだけの方も多くて、近づいてお世話をしようにもどうしたらいいか分かりませんでした。入居者さんとの距離感を計るのが難しく、突っ込んだ対応をしすぎて怒られてしまったこともありましたね。

2回目の実習からは、おむつを取り替えたり、お風呂に入るサポートをしたり、直接体に触れる対応もさせてもらえるようになりました。実際に触れ合っている方が、相手の性格も分かってくるんですよね。例えば、服の脱ぎ方一つとっても、綺麗にたたむ人がいると思えば、ぽいっとこちらへ投げ渡してくる人もいます。そういう人には「ほらこい!」みたいな感じでこちらも服を待ち受けたりできるんです。こうしてちゃんと相手に寄り添ったのコミュニケーションができるといった意味では、介助をするようになってからのほうが楽しかったですね。

やっぱり、触れ合ってみないと、相手のことは分からないんですよね。いくら書類に「活発な性格」と書いてあっても、認知症になって性格ががらっと変わってしまう人もいます。こうしたことは介助する中でひとつずつ見つけていくしかないんです。コミュニケーションの中で、今何をするべきかを常に見つけていくことにとてもやりがいを感じました。

もちろん、大変なこともたくさんありました。暴れてしまう人や、排便を撒き散らしてしまう人もいます。そういう場面で、どうやってコミュニケーションを取るかはとても大事です。たとえば、怒るのではなくて「あたしが洗っとくから、あんたは手を洗っといで」みたいに言ったり。それでスムーズにいくこともありますし、逆に激しく暴れられてしまうこともあります。こうしたことを繰り返しながら、毎回「こういうやり方があるんや」と学んでいきました。言い方一つ、言葉一つで、こんなに人の気持ちって変わることがあんねんやと、毎日が驚きの連続でした。

自分に合う介護施設は?


学生時代の実習で、老健施設(介護老人保健施設)や特別養護老人ホーム、障害者施設など一通り行ったのですが、その中で老健施設が一番、色々な職種の人たちと働けると感じていました。ひとりの入居者さんでも、私たち介護師から見えるものと、理学療法士さんや看護師さんから見えるものは、違います。もっと様々な切り口から入居者さんの状況を知りたい。そんな考えから私は、専門学校を卒業すると、老健施設へ就職しました。他にもいくつか候補はあったんですが、最終的には設備や職場の雰囲気を見て、祖母の家の近くの施設に決めました。

仕事は楽しかったです。在学中の実習では現場の方から「こう習っているよね」と言って、教科書通りの介護を教えてもらったんですが、実際は全然違うんです。教科書通りのやり方だと腰を悪くしてしまう方もいて、みんなそれぞれの介護のやり方を独自に確立しているんです。それらを教わるたびに「こんなやり方もあったのか」と新たな気付きに出会えるのが楽しみでした。

利用者さんと接していても、一人ひとりに違った反応があって嬉しかったですね。あまり笑わない人をクスッと笑わせたり、実習の時よりも深く接してる感覚がありました。後輩ができてからはまた感覚が変わり、別の苦労もしましたが、毎日手探りでもがいていましたね。

6年ほどその施設で働いた後、次に、特別養護老人ホームに転職しました。ずっと老健施設にいたので、違う種類の施設を見てみたかったことや、職場の方針と私の介護への思いが、合わなくなってきたことがきっかけです。ただ、特別養護老人ホームが自分に合うかも分からなかったので、まずは1年だけ働いてみようと決めました。続けるかどうかはその後判断しようと思ったんです。

特別養護老人ホームの利用者さんは、老健施設に比べ、介護レベルはもっと進んでいます。ただ、排泄に関してはおむつでやることが多いので、トイレにいく度にベッドと車いすの移動を介助する老健施設よりは、身体的な負担は少ないんです。実は私この時、腰を痛めていてこともあって、1年間は身体を休めようという思いもあったんです。

私が働き始めた特別養護老人ホームは「ユニットケア」といって、自宅に近い施設に入居することで、家にいるのと近い環境で暮らしてもらうというコンセプトで運営を行っていました。入居者は20人程度の小規模施設でしたが、新しい施設だったこともあり、常にスタッフ不足で、とにかく忙しかったですね。しかも約10名ずつでフロアが2つに別れていたので、いつも「あっちは大丈夫かな?」と気が気じゃなかったです。

結局、そこは1年で辞めて、また元のように老健施設を探すことにしました。特別養護老人ホームは毎日同じ人と過ごすので、深い付き合いができます。名前も覚えてもらえて、楽しいんですが、なんだか刺激が足りないとも感じていました。老健施設や通所施設のように、短い期間の滞在で顔ぶれが変わるほうが私にはやっぱり合ってるのかなと思ったんです。

家から通いやすい距離の老健施設を探し、そこへ転職しました。初めてその施設に来た時「大きい施設だな」と感じました。開放感があって、ボールを使ったレクレーションなどやりやすそうだなと。

前にいた老健施設とは違う部分もあるので、やり方に戸惑うことはありましたが、それでも、帰って来たような感じでしたね。ああ、これが老健だ、と。

毎日、その日その日を楽しく


現在は、大阪府の老健施設で働いています。入浴、食事、排泄等、入居者さんの生活全般を介助します。認知症の方など、介護度は高めの方が多いです。

一人ひとりに寄り添った介護をしたいいうことは、常々意識しています。ただ、そこに達するまではとても時間がかかることなので、本当は「一人ひとりと話している時がやりがいです」と言いたいです。時には現実的にそうは言えない部分もありますけど。それでも、トイレに誘導する時とか、おむつを変える時にほんの少しでも話して、私の問いかけに反応があると嬉しいです。「あんた、ほんまの娘みたいやわ」と言ってもらえたりすると、ことさらに嬉しいですね。

初めお互いをまったく知らない状態から、いかに分かり合っていくかが大事です。ご飯を食べてもらったり、歯磨きをしたりする中で、どこかしら反応するポイントがあります。ここで反応してくれんねんや、という発見から少しずつこちらの対応を変えていって、相手の態度が変わっていくのが一番の喜びです。

できるだけ怒らないようにすることを心がけています。何かあっても、「そんなんやらんといて」と言うのではなくて「えー、ちょっと待って」みたいな、相手に不快にならない声掛けを意識しています。介護って、他人の排泄の処理など汚い面はありますが、だからといってこっちが真顔だったり、むすっとした顔をしていたら、介護される側からしたら不安じゃないですか。こっちがわいわい明るくやっていたら、相手も元気になってくるものです。そうしたコミュニケーションを通じて相手の不安をなくし、笑顔にすることができたら、と思います。

将来のことについては、そこまで明確なわけではありませんが、おそらくずっと現場にいると思います。現場を離れ理想の介護を考えていくのも一つの道でしょうけど、そう簡単に答えが出るものじゃないと思うんです。そう考えると、理想を現実にするまでにどれだけ大変か、どれだけつまづくかが容易に想像がつくので、私が経営者になるのは無理かな、と思います。

それよりも、毎日現場で、利用者さんと喋りながらお仕事をやっているほうが楽しいんです。嫌なことの中にも、やっぱり楽しみがなくては続きません。時には家を出る前に「今日は行きたくないな」と思ったりすることもあります。ですが、行くまでがめんどくさいだけで、仕事に行ったら行ったで、やっぱり楽しいんですよね。大変やけど、楽しい。だから、将来の目標みたいな、大げさなはありませんけど、毎日、その日その日を楽しく過ごせたら、というのはありますね。

これからも私は、現場で楽しみながら、介護の仕事を続けていきたいです。

2016.06.20

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