正しい医療情報を一般に届ける。メディアと医療をつなぐ使命。

医師が医療情報を一般の方向けに発信するニュースサイトの運営や、医師がメディアに出演する時のサポートなどを行うさえきさん。遺伝について研究していた大学時代を経て新卒でテレビ局に入社。子育てのために一度は専業主婦に。そんなさえきさんが医療とメディアをつなぐ事業を始めるに至った背景とは。お話を伺いました。

さえき 文香

さえき ふみか|正しい医療情報を一般の人に届ける
DAA(一般社団法人アンチエイジング医師団支援機構)に立ち上げから参画。活動を続ける。

自分のやりたいことを見つけなければ


神奈川県横浜市出身です。5人兄弟の3番目で、一番上の兄とは8つ歳が離れています。祖父も父も医師でしたので、昔から「誰が医師になるのか」と周囲によく聞かれました。一番上の兄は医者にならなければいけないと考えたようで、中学からいわゆる超進学校に通い、熱心に勉強していたのが印象的でした。兄の部屋には、難しい数学の参考書がずらっと並んでいましたね。

そんな兄が高3の夏頃でしたか、父と話す中で「俺が医者になれと一度でも言ったか?やりたいことやりなさい」と言われたとか。その瞬間、兄は医者を目指すことをやめ、次の日に私が見たのは、紐で結ばれて山のように玄関に出された参考書でした。その後、兄は彫刻家を目指し始めました。

親から決められるわけではなく、自分で選んだ芸術の道に進む兄を見て「やばい、自分のやりたいことって、自分で見つけなければいけないんだ」と思いましたね。小学生の私は、その時から、「やりたいこと、できることを自分で決めなきゃいけない」と強く感じていました。

2番目の兄も医師の道ではなく、音大に進学しました。周りからはよく「あなたが医者になるの?」と言われましたが、私も医師という道は考えませんでした。父を見て大変な仕事だと思っていましたし、幼心に女性には大変そうだとも感じていたのです。

悩んだまま高校生になっても進路はなかなか決まりません。医師ではない、兄たちのように彫刻、音楽といった芸術の才能もない。母は専業主婦でしたから、仕事という意味で身近なロールモデルがいない、誰を参考にしていいか分かりませんでした。

それでも、自分の将来は自分で決めなければ。じゃあ、これまで一番面白いと感じたものをもっと学んでみようと思ったのが生物の遺伝学でした。私の兄弟は性格も見た目のバラバラなのに、周囲からはとても似ていると言われることが多く、遺伝に対して関心があったんです。

高校卒業後、都内の大学の理学部生物学科に進学しました。研究に打ち込んだり、テニスサークルに入ったり、大学生活は楽しかったですね。

遺伝研究から一転、テレビ局へ


将来もこのまま遺伝の研究を続けたいと思いました。ただ日本で研究者として生計を立てるのは大変だと聞き、アメリカへの留学も考えました。一方で更なる学費をどうするか、自分が研究者としてやっていけるのか不安もありました。研究自体は楽しいのですが、周りには私よりもずっと強い想いで研究者を志し、ひたすら研究だけに没頭する人も多く、このまま進んでいいのか悩みました。

大学3年の時、進路について相談するため、母校の高校の先生を訪ねました。研究を仕事にしていけるか不安に感じていると話すと、先生は突然「なんで君はテレビ局を受けないのかね」と言いました。同じ高校の先輩に2人ほどテレビ局のアナウンサーの方がいて、先生はその先輩たちをよく知った上で、私はテレビ業界に向いていると感じたそうです。

そんなこと言われたことがなかったので驚きました。私の家には、私が20歳になる頃までテレビがなかったので、テレビ業界のことは全く分かりません。「うちにテレビがないのをご存知ですよね?」と言っても、先生は、「それって関係あるのかな。向いていると思いますよ」と言うんです。あまり口数の多い先生ではなかったので、それだけしか言わなかったと思います。考えもしなかった道もあるもんだと、新鮮な感覚でしたね。

高校の先生に相談した直後、親御さんがマスコミ関係の仕事をしている同級生にも「君はテレビ業界に向いていると思うよ」と言われました。ほぼ同時期に、全然別のところで同じことを言われたんです。

私は単純なのか、同じことが重なったので、運命のようなものを感じてしまいました。「もしかしたらテレビの仕事が向いているのかな」と思い始め、直後からテレビ関係の方に会って次々と話を聞きました。1ヶ月半で70人くらい。話を聞いていくうちにテレビの仕事への関心は強くなっていきました。

「伝える」という仕事に強烈な重みを感じました。家族には彫刻や音楽、親戚には作家たちなど、表現を仕事にする人が親族に多かったことも影響していたのかもしれません。最終的に、テレビ局に就職しました。

仕事は楽しかったですね。ニュース番組のディレクターとしての活動は幅広く、貴重な経験をしました。特に、色々な世界の人に会って話を聞くことが面白かったんです。

ただ、仕事はとても忙しく、家庭との両立は大変でした。当時、子どもを産んでいる女性の先輩が、報道局の私の周りには1人しかいませんでした。報道の仕事を続けるなら、子どもを産んで育てるのは諦めなきゃいけない。そんな雰囲気がありました。

でも、私は、仕事をすることと子どもを産んで育てることは、どちらも人間として普通の営みで、両立しても互いに悪い影響を与えることはないと考えていました。子育てをしながら働くことを自然に感じ、両立できないのは変だと思ったのです。

まだ時代的にも、結婚して子どもを産むなら仕事を辞める女性が多かった中、私がそういう考え方になったのは、多様な価値観に囲まれて育ったからかもしれません。変な人が家の中にいっぱいいたんです(笑)。こういうのもアリ、ああいうのもアリと、幅広い価値観の家族を一旦肯定していかないと混乱するんですよ。あまりに多様すぎて、頭がめちゃくちゃになってしまう。芸術は爆発だと行っている人が家の中にいるようなものですから(笑)。その影響は大きいかもしれないですね。

結局、結婚、出産してからも仕事を続けました。子育ての経験が活きて、子ども関連の企画を担当する機会にも恵まれました。その後、2人目の子どもの出産と夫のアメリカ転勤が重なり、私もアメリカで暮らすことになって会社を退職しました。

医療とメディアの関係性への課題感


アメリカでの生活は毎日必死でした。初めて海外暮らし。初めての専業主婦。新しい環境に馴染むことに全力でした。ただ、アメリカの自由な雰囲気は刺激的でしたね。

3年ほど暮らした後、日本に戻りました。変わらず専業主婦を続けましたが、忙しく働いていた時期と比べて、自分のやりたいことという実感が持てなかったのも事実です。実は私が12年間通った小中高は、良妻賢母を理想とするような校風。その学生時代とは一転して、テレビ局では仕事と家庭を両立する強い女性の生き方も知りました。専業主婦になっても仕事と両立する自分のイメージは持ち続けていました。

仕事再開のきっかけは父の言葉でした。「医学・医療の情報が必ずしも正しく伝わっていない。『伝える』というメディアでの仕事経験を活かして役に立てることがあるのではないか」と。多くの医師からも医療情報の伝達に対しての課題感をたくさん聞きました。

例えば、医師が専門家としてテレビに出演した際に、発言の意図と異なる放送内容になってしまうことも多い。医療の話を聞きたいと言われて協力したのに、特定の医師や医療機関の宣伝に終始したケース、などなど。不快な思いをして「もう二度と出ない」と決めている医師も多くいました。情報伝達の力が強い媒体なのにこれはもったいない。

個人的にも、テレビ局にいた頃から、テレビなどの媒体と医療はもっと良い関係性を築けるはずなのに、と課題を感じていました。多くの人にとって、医療を受けるまで知らないことが多すぎるんです。

例えば、美容外科などは、見た目に関わる治療のため口コミをする人が少なく、本当の評判がわかりにくい状況です。広告を見て有名な病院だからと決めたのに、適切な治療を受けられず、希望と異なる結果や、ひどい場合は健康被害を引き起こすなど医療トラブルは多発しています。それでも、隠したい治療のためトラブルが表ざたになることは非常に少ない。

結果、患者さんは他の病院に駆け込むことになりますが、二度と元には戻らないケースが多いんです。せめて施術前の状態に戻してほしいと思っても戻らない。患者さんも気の毒ですが、それと同時に気の毒だと思ったのが駆けこまれた医師です。他の病院で起こしたトラブルなのに、なんとかしてあげたいと思いながらも元には戻せない。

最初に正しい情報が届いていないせいで助けてあげられないことをお医者さんの方も嘆いているのは衝撃でした。ちゃんとした情報がないままの状態で、自己責任という言葉のもとに、医療行為が進んでいることも多いんです。

医療とメディアで、適切なコミュニケーションができていない。とても違う世界だからこそ通訳のような仕事が必要なのではと思いました。医療と近い距離にいて、医療の情報に触れる機会があって、お医者さんの知見にはものすごく価値があると思うからこそ、世のために正しい医療情報を発信したいと考えるようになりました。

そんな時、父が交通事故で入院しました。車で衝突され2ヶ月間入院ベッド上安静状態に。患者の立場を経験し「やっぱり医療をメディアとつなげることをしてほしい」と言い出したんです。もうこれはやらざるを得ないなと思いましたね。医療とメディアをつなぐため、新しい事業を立ち上げることに決めました。

医療とメディアをつなぐ発信を


2012年、形成外科や皮膚科などの医師を中心とした7名が集まり活動を始め、翌年にDAA(一般社団法人アンチエイジング医師団支援機構)を立ち上げ、医師や専門家による医療・健康情報の発信を始めました。現在では50名近い専門家が活動に参加しています。

具体的には、マスメディアに医療情報が出る際の企画・出演・監修等のサポート、医師が講師を務める勉強会の企画運営などです。更に昨年からは医師が直接医療や健康の情報を発信するニュースサイト『Aging Style』(エイジングスタイル)をメディアプロバイダーのジェイ・キャストとともに開設しました。

これまで、医師向けの情報サイトなどはあったものの、一般の方向けに医師や専門家が医療・健康情報を発信するニュース媒体はありませんでした。『Aging Style』は医師が自らネタの選定や掲載の可否に関わり発信するサイトです。

最近、テレビでも雑誌でも医療・健康ネタを扱うことは格段に増えましたが、まだまだメディアの現場では、どんなテーマを取り上げ、どの医師に話を聞くのが適当か、忙しい医師にどのように協力してもらうかが分からず困っていることも多いです。医師免許を持っていれば皆医者なのですが、専門分野はそれぞれとても違いますし、責任をもって話せることも異なります。専門外なのに不確かな情報を発信したり、特定の医療機関や手法の広告宣伝に終始したりすることにならないよう、対象分野の確かな知見があり、分かりやすく発信できる方の出演や監修をサポートしています。

実際、思った以上に難しさも感じています。どのような目的で、どんな内容を発信するか、それまで医師とメディアで対話がされてこなかったことを、事前に摺り合わせることで、双方の立場がぶつかることもあります。

どんな情報を出していくか、バランスをとるのが難しい部分もありますが、最終的には、情報を得る人たちのことを一番に考えるようにしています。メディアやお医者さんそれぞれの事情もありますが、医療を受けるのは患者さんです。迷うときには、自分が患者として受けたいものか、家族や友達に紹介したいと思うかも、判断基準の一つです。誰でも自分や大切な人の体のことを、いい加減な情報で決めたりしませんから。

私たちの事業が根付いていけば、一般の人がより正しい医療の情報を受け取れるようになります。たまたまお医者さんの知り合いがいる人だけが適切な情報に触れられるなんて変じゃないですか。これからも、医療とメディアという、これまで隔たっていた二つのボーダーを越えて、多くの人にとって価値のある医療情報の発信を行っていきたいです。

2016.05.17

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