新しい世界の文化を創るような商品を。責任と温かさを持つ組織で生み出す新たな挑戦。

始動 Next Innovator CH】パナソニックの家電部門で経営企画として働き、新規事業の創出などに取り組む鈴木さん。新卒で松下電器(現:パナソニック)に入社し、営業、経営企画という2つの部門で、自分自身の壁を乗り越え、新たな挑戦に込める思いとは。お話を伺いました。

鈴木 講介

すずき こうすけ|パナソニック家電事業の経営企画
パナソニック株式会社アプライアンス社カンパニー戦略本部勤務。
※本チャンネルは、経済産業省新規産業室の協力でお届けしました。

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始動Next Innovator

世界に役立てるメーカーの仕事


愛知県名古屋市に生まれました。小さい頃から自分が知らない世界に触れることが好きな性格でした。祖母が海外で育ったため外国に住む親戚が多く、海外の話を聞く中で知らない世界に興味を持ち始めました。地元の小学校を卒業した後、仲間内では珍しく中学受験をして、中高一貫校に通いました。

中学では先輩の誘いで『中学生日記』というTVドラマに出演しました。学校とは全く違う世界で、仕事というものを垣間見られて新鮮でしたね。普段学校では出会わないよう人と一緒に何かを作り上げることが、面白かったです。高校では愛知県下の複数の高校が参加する文化祭の運営にも携わりました。

高校卒業後、1年間の浪人を経て、都内の私大に進学しました。東京の華やかさに憧れていましたね。大学ではバイトに打ち込みました。父が自営業だったため、昔から商売というものに対して興味がありました。飲食店でのアルバイトでしたが、毎日忙しく働き店を切り盛りする店長に触発されて、僕も全力で働いていました。学業よりも力を入れていましたね。

大学3年の時、米国サンディエゴに留学しました。名古屋から東京に出てきたのと同じで、外の世界に興味がありました。現地で色々な人と接して、改めて日本を見つめ直す良い機会になりました。「日本って素晴らしいね」って言ってくれる人がたくさんいたんです。

例えば、「レクサスってすごい良いよな」って言われて、日本人の僕が「えっ、レクサスって何?」って聞き返してしまって。当時、日本でトヨタが展開しているのは「トヨタ」というブランドだけで、レクサスは海外でしか展開してなかったんですね。外国人の友人からトヨタのレクサスという車の良さについて教わる中で、車や家電といったいわゆるメーカーの仕事は、世界中で役に立っているんだなと強く実感しました。パナソニックのテレビであったり、ソニーのウォークマンであったり。メーカーというのは、日本人として世界に貢献できる領域なのかなと感じました。

就職活動で、日本人として世界に貢献できるような仕事がしたいと考えている時に、ゼミの先輩から誘われ、松下電器(現:パナソニック)のインターンシップに参加しました。2週間パナソニックの寮に泊まって働くプログラムでした。

言葉は悪いんですけど、ある意味すごく斜に構えた気持ちでインターンに参加しました。創業以来始めての赤字を出して世間で叩かれている松下電器が、一体どんな会社なのか見てやろう、みたいな気持ちでした。

実際に参加してみて、良い意味でギャップが大きかったですね。まず、人が温かかったんです。色々な人が時間を取って話を真剣に聞いてくれて。僕が会社の方針についてわーわー言っているのをじっくり聞いてくれましたね。

それに加えて、出会った人たちが、とにかくかっこよかったんです。何がカッコいいかというと、学生の自分にとって身近な20代の先輩達が、それなりの予算とか権限を持って、全国を走り回って営業しているんですよ。松下電器みたいな大きな会社は、偉い人がどしんと構えて働いてるのかなと思っていたら、全然逆で、一人一人が社長みたいな感じに見えました。そういう姿を見て、カッコいいなと思いましたし、営業って面白そうだなと思いましたね。

内定をもらい、そのまま松下電器に入社することに決めました。

営業で味わった悔しさ


入社後はカーナビ向けの電子部品の営業を担当しました。働き始めて、お客さんの対面に立つ自分が松下電器の看板を背負っている、という責任を感じました。商品知識も商売のやり方も分からないところからでしたが、お客さんに喜んでもらえることを探して、死に物狂いでしたね。

その後、入社から1年も経たない頃に、うちの会社と年間100億円程度の取引がある、重要顧客の担当を任されました。

自分が担当になったすぐ後に、色々な事情があって、100億円のうち10億円分の取引を失ってしまいました。10億円分の取引がなくなると、工場のラインや海外の物流拠点などを含めて、その商品に関わる社員を減らさなければいけないという話も出てきます。非常に悔しかったです。

「その取引がなくなったら、商品の流通拠点になっている海外の支店を閉めなければいかんで」と海外の責任者から言われるわけです。責任者が日本に飛んで戻ってきて、「お前どうなっているんだ、わしも行くから一回お客さんの所行くぞ」と急き立てられて。工場のメンバーも同じことを言うわけですよね。「この商品がなくなったらライン一本成立せえへんけど、ラインを閉じるのか」と。

工場や海外拠点も巻き込んで対応を検討するんですが、毎日お客さんと接している営業担当の自分には「悪い感じ」って分かるんです。お客さんの顔とか反応とか見ていると、品質や価格で他社に負けていることがなんとなく分かるんですよ。でも、会社の色々な部署の色々なものを背負っているので、途中で引いたらたら絶対にダメなんですね。営業が折れたらみんなついて来れない。苦しかったです。提案を続けながらも、お客さんが求めているものとか、他社ができていることを実現できない。そのことに対する悔しさというんですかね。お客さんから「ええもん持って来てくれたな。ありがとう」と言ってもらえない、悔しさです。

お客さんを取られまいと、手当たり次第に対策を打ちました。良いお客さんを任せてもらって、その中でも一番重要な商材を任せてもらっているのに、結果が出せない。「何やってんのかな」と思いましたね。

自分のせいだけではないにしても、僕が担当になってお客さんへの販売が落ちてきているなら、僕はいない方がいい、いる意味がない。そうなってしまいますから。

悔しさを噛み締める日々でした。

発想転換でのブレークスルー


10億円の取引を失ったあと、なんとか挽回しなければと、営業提案のアプローチの仕方を変えました。

それまでは、競合他社と同じような機能の製品での価格競争を繰り返していたのですが、そもそも搭載する機能を割り切ることで、圧倒的な低コストを実現する、というアプローチに変えました。

具体的には、それまでカーナビの標準機能だったCD・DVD・HDドライブをなくし、SDカードで代替するというものでした。パソコンやケータイに起こったことが早晩カーナビにも起こるだろう、と考えての提案でした。

いろいろと苦労はありましたが、今までの半分くらいの価格に下げることができ、受注することができました。取引先からは「そんな発想で持ってくるのは、あんたんとこしかいないね」と言ってもらえました。新しい技術なので、お客さんと密に話をしなければいけないという苦労はありましたが、競合との価格競争にはならなかったんです。それまでずっと血みどろの価格競争をしていたのに、全く競争がなかった。

何とかお客さんにお役立ちできないかと、視点を変えて考えることで、先の10億の損失を結果的に取り返すことができたんですね。お客さんもすごい喜んでくれましたし。新しいことを提案するとこれだけ違うもんかと、非常に驚きました。

なんとか挽回できて、本当に安心しましたね。自分が入って取引が減ってしまって、「何しとんのかな」って悔しく思っていたことを、数年かけて挽回できて、結果的には、収益性も良くなって人も増えて。本当に、よかったなと思いました。

それからは自信を持って働くことができました。6年ほど営業をして、社内の留学制度を使ってアメリカの経営大学院(MBA)に行きました。世界で自分がどこまで通用するのか試したいという思いでした。キャリアを寸断する不安もありましたが、先輩のアドバイスもあり一晩徹夜で悩んだ結果、最後は直感で決めました。

MBAでの世界のエリート達との議論は、日々刺激的でした。日本人の努力する力は世界でも通用する感覚を掴みましたね。世界との距離を肌感覚で持つことができ、変に萎縮することがなくなりました。

「もうちょっと素直になったら」


留学期間が終わり日本に戻ったあと、家電領域の経営企画に異動になりました。個人的には元々働いていた自動車関連の営業でまた働きたいと思っていたのですが、全く異なる分野に行くことになりました。

異動してから1年ぐらいは、正直「どん底」でした。自分が何の役にも立ってないような感じがするんですね。

営業でそこそこの成績を出して、社内で年に1人か2人しか行けない留学に行かせてもらって、ある程度自信を持って、自信過剰な面も含めて戻ってきたんですね。なのに、経営企画では何も仕事ができない。20代の若い社員に色々教えてもらってしか仕事ができず、上司から怒られまくる。

経営企画の業務はものすごく重たい仕事でもあります。例えば、投資家向けの説明資料の数字を一つ間違えるだけで、株価に影響を与え、ものすごい数の人の給料にも直結する。ものすごいプレッシャーを感じていました。

異動して1年ぐらいは、プレッシャーで「今日、生きて帰れるのかな」と思いながら会社に来ていましたね。プレッシャーを感じ過ぎて、自分がおかしくなるんじゃないか、クビを宣告されるんじゃないか、とさえ思っていました。こんな重圧を抱えさせられるならいっそのことクビにしてくれ、と考えるくらい思い詰めていました。

そんな時、先輩から「もうちょっと素直になったら」と言われたんです。君はプライドが高いのがにじみ出ているから、そういうものを全部脱いで、素直にやってみたら、と。南草津の居酒屋で飲みながら言ってもらって、それが転機でしたね。

それまで、「自分は価値を生み出していない」という焦りから、もっとこうしなきゃ、ああしなきゃと、頼まれたこと以上のことをやろうと思っていました。でも、先輩からアドバイスをもらってからは、まずは言われることをきっちりこなしてみようというか、まずはしっかり向き合ってみようと考えるようになりました。

苦戦しながら、怒られながら、ではあるものの、少しずつ仕事がしやすくなり、うまく仕事で価値を生み出せるようになったんです。

パナソニックは、根本的には「あったかさ」がある会社なんです。1年間たくさん怒られまくって、でも、年度終わりの3月には「とりあえず良く頑張ったな、お前がおらんかったら回らなかった」と言ってもらえる。最後にぽろっとそう言われて救われるんです。そういう温かさがあって修業の時期を乗り越えることができたのかなと、乗り越えてみて思います。

世界の文化を創る商品を


現在はパナソニックの中で、家電部門を横断的に見る経営企画の仕事をしています。特に、白物家電を中心とした家電部門の中で、中長期視点での成長を生み出すため、新規事業の立ち上げに力を入れています。創業100周年を2年後に控えた今取り組むチャレンジとして、色々なアイデア・しくみづくりを検討しています。

外の世界への興味は相変わらず強いですね。直近では経産省主催のイノベーター養成プログラムに参加しました。新しい事業を生み出すための知見が養われましたね。ベンチャーから大企業まで、高い熱量を持った仲間とつながることができ、社内での挑戦のモチベーションにもなっています。

正直なところ、パナソニックのような巨大戦艦みたいな会社で新しいことを始めるのには難しさもあります。でも、「パナソニックがここまでやるの、こんなことやっちゃうの」と思われるような事業を実現できたら、面白いと思ってもらえるはずです。だからこそ、大企業の中でも新しい事業に挑戦することにこだわりを持って、泥臭く仕組みづくりを進めています。

毎朝、会社の朝礼で経営理念を読み上げるんですが、「世界文化の進展に寄与せん」という一節が、個人的に非常に心に刺さっています。単に冷蔵庫や電子レンジを売るんじゃなくて、うちの会社で作った冷蔵庫や電子レンジのおかげで余暇が生まれて新しいことができる。そういう新たな生活文化を創るというのが、我々のミッションなのかなと思っています。

将来、日本人として、世界の人たちから「おお、すごいな」と言ってもらえるような製品だったりサービスだったりを作ってみたいというのが、自分の中での大きな目標です。そこは大学時代から根本的に変わらないですね。

パナソニックの商品の中で、『Technics(テクニクス)』というレコードのターンテーブルが、僕はすごく好きです。レコードが流行っていた時代、テクニクスは世界中のダンスシーンを席巻していたんです。世界のダンスシーンを支えていたと思います。

そんな風に、世界の人の文化を創りたいんです、大げさなものじゃなくてもいいんです。音楽でも料理でも、睡眠やお風呂でも。色々な生活シーンの断片でもかまわないんですけど、文化を創っていきたいなと思っています。

2016.04.28

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