「将来、空っぽな人間になるのが不安でした」中途半端な自分を変えるため、介護の道へ。
【株式会社ティスメ提供:介護のしごとCH】群馬県前橋市にてデイハウスを経営し、自らも介護福祉士として働く砂賀さん。華やかな世界に身を置く中で抱いた葛藤。「なんでも中途半端だった」人生を変えようと、21歳で介護の世界に飛び込んだ背景とは。
砂賀 真奈美
すなが まなみ|介護福祉士・モデル
株式会社Preciousの取締役として「デイハウスみかんの花」の運営を行う傍ら、イメージモデルとしても活動。
※本チャンネルは、株式会社ティスメの提供でお届けしました。
何も達成感がない毎日
群馬県前橋市に生まれました。小さい頃からピアノ、バレエ、書道、英語と色々な習い事をしました。小学生なのに毎日忙しかったですね。親を喜ばせたいと思い、両親に勧められたことは全てやっていました。 中学では授業が終わって部活をして、帰って夕食を食べて、勉強して、日付が変わるまでピアノの練習をして、朝早くに起きて英語のラジオ聴いて、休日には6時間ぶっ通しで書道をするような生活でした。
父がマラソン好きで、私も小学校のマラソン大会ではいつも一位だったので、部活は陸上部に入り、高校も陸上の強豪校に進みました。 喜んでくれる親のことをいつも考えていましたね。
それが、高校に入って、1年で陸上をやめてしまいました。
昔から怪我が多くて、体が強い方ではなかったんですが、高校に入ってから全く走れなくなってしまったんです。そこで諦めて、陸上をやめちゃったんですね。自分が怪我をして走れない時期に、みんなどんどん成長していく。それに耐えるのがキツくなってやめてしまいました。悔しさや上を目指したいという気持ちよりも、早くやめたいというのが一番大きかったですね。
陸上をやめてから、何事にも悲観的になって、何もやりたくないという感じでした。何に対しても頑張らなくなりましたね。何も達成感がない毎日でした。部活がなくなって暇になってからは、遊んだり、家でダラダラしたり、本当にグータラな生活。勉強もろくにしない。
受験の時期になると、周りの友達はみんなは志望校があって、東京の良い大学に行きたいと必死で勉強していました。私は、勉強する意欲もわかない。とりあえず進学しておけばいいやという考えでした。将来のことは全く考えていませんでしたね。
卒業後は先生に勧められて、地元の大学に進学しました。
東京での挫折と現実逃避
高校3年の時、芸能事務所のオーディションに合格し、大学からモデルの仕事を始めました。華やかな世界への憧れと、遊びの延長という感覚でした。ブライダルや着物、スチールやポスターのモデルをさせてもらい、大企業キャンペーンCMのオーディションにも合格しました。
ですが、モデル活動は長く続きませんでした。 ダイエットのストレスで過食症になりました。食べちゃいけないんだと思うほど、何かを口にすると止まらなくなって。 食べることの罪悪感を過度に感じて人前であまり食事が出来なくなりました。
そのストレスで1人になるとひたすら食べ続けました。食べ物が美味しいという感覚がないんです。とにかく何かを口にしていないと落ち着かない。涙を流しながら食べ続けたこともありました。過食症で10キロ以上は太りました。そんな自分が醜く、マネージャーの電話に出ずに仕事をバックレてしまったり。通っていたモデルのウォーキングやポージングのレッスンも途中から行かなくなりました。周りの信頼をなくしてしまって、事務所で幽霊部員のような感じになりました。
大学も入学して半年で中退してしまいました。 なにもかもが嫌になり、遊びに夢中になりました。遊びにいくために、イベントコンパニオンや接客業など、バイトを3つ掛け持ちして働きました。
フリーター生活は毎日すごい楽しかったですね。「とりあえず」の現実逃避です。でも、バイトや遊びの場が楽しくても、家に帰って1人でいる時に、「自分は何をやっているんだろう?」って孤独感に襲われるんです。たぶんこれは本当の楽しみじゃないなっていうのを、薄々気づいていました。
でもやっぱり将来が見えない現実から逃げたい、苦しいことから逃げたい。そう思っていました。周りの人の前ではそういう悩んでいる顔を出さないから、誰かといる時は、「まなみんはほんと悩みなさそうだよね」と言われていました。いつも明るく、平気な風に装っていましたね。
21歳の危機感、介護の道へ
2年ほどフリーター生活をして21歳になった頃に、焦りを感じるようになりました。
仕事は楽しいんですよ。コンパニオンをしていると若いからチヤホヤされますし。それにどっぷりハマっていたかもしれないです。でも、一人になった時に色々考えました。今はチヤホヤされるけど、自分が年をとったら何が残るだろうって。今は若さだけでやっていけるけど、将来すごい空っぽな人間になりそうだって思ったんです。
そこから、「心美人」じゃないですけど、中身を濃くしていきたいっていうか、綺麗にしていきたいと考え始めました。そのために、自分がやりたくないキツい仕事をして、自分の精神をもう一回改め直そうって思ったんです。ほんとゼロから始めようって感じでしたね。
自分は、元々どちらかというと真面目なタイプで、何かをやるんだったら全力でやりたい、中途半端は嫌い、という性格なんですよ。だからこそ、当時の自分がもどかしかったんです。本当に自分に合う仕事って何だろう、自分は何をしたいんだろうって考え続けました。そんな時、求人誌でたまたま介護の仕事を見つけました。
たまたまと言いつつ、今の自分を変える仕事として、元々介護を意識していたんだと思います。人と接することは好き、だけど人の間で生まれる偽りとか嘘とか大嫌い。じゃあ、自分が満足して相手の期待に応えられる仕事ってなんだろうと考えてみたら、給料は安いけど介護かなって思ったんですよね。
介護の仕事はキツいと思うけど、介護さえできれば自分に自信がもてる。自分の中身に自信が持てるだろうなって思いました。
介護の派遣に応募して、働き始めました。ホームヘルパー2級の資格を働きながらとれる職場でした。
中途半端な人生を変える選択
実際に介護の仕事をしてみて、思っていたよりもすごく楽しいことに驚きました。
介護の仕事を始める前は、最悪のケースを考えていたんです。「辛いだろうな、汚いだろうな、臭いだろうな」って。本当に、お寺に修業に行くような気持ちで構えていました。
それが、仕事を始めてみたら、すごい、楽しいんだって思いましたね。みんな、笑顔で話すと、笑顔で返してくれます。
最初は中々自分から話してくれない人でも、何回か会って、この人と話したいんだという気持ちを持って全力で接していたら、いつかそれを分かってくれる。一回や二回じゃ分からないかもしれないけど、諦めないで自分の気持ちを伝え続けると、いつかは自分の気持ちを認めてくれる。介護の仕事をする中で、そういう感覚がありました。
それまで私がしてきた接客業と違って、介護では、相手が求めていることに全力で返せるんです。お客さんと自分との間に、嘘や偽りがないんです。
8ヶ月間派遣社員として介護施設で働き、ホームヘルパー2級を取りました。派遣期間が終了したタイミングで、同じ介護施設で働いていた上司から、新しく立ち上げる介護施設のスタッフに誘われ、それが後押しになって、介護を続けることに決めました。
せっかくヘルパー2級を取れたんだから、 介護福祉士の資格をとって、ケアマネージャーも取りたい。これまで、すごい中途半端に色々なことをやめ続けてきた人生だったからこそ、介護についてはスペシャリストになりたいなって思ったんです。
独立と同じ時期に結婚し、子どもにも恵まれました。誘ってもらった上司と結婚し、夫婦で新しい介護施設を運営していくためスタートを切りました。
人と人が綺麗な気持ちで接する仕事
現在、夫と一緒に立ち上げた株式会社Preciousで、「デイハウスみかんの花」を運営し、私自身も介護福祉士として働いています。また、オファーがある時にはモデルとしても仕事をしています。
「デイハウスみかんの花」では、毎日朝9時から夕方4時まで利用者の方にお越しいただき、食事・入浴・レクリエーションを提供しています。利用者のみなさんには、滞在中はできる限り好きなことをしていただくようにしたり、何よりも、「ここに来てよかった!」と全員が幸せな気持ちでお家に戻れるように努めています。
派遣時代は全て教わる立場で責任もありませんでしたが、独立してからは考え方が大きく変わりました。独立するまでは人に頼ってばかりでしたが、今では自分のことよりも、働いてくれているスタッフさんや、お客様である利用者さん、そのご家族をいかに幸せにできるか、きれいごとではなく、本当毎日そればかり考えていますね。
介護は、私の中では、介助するという意味での「介護」というよりは、ただ一人一人の人生に歩み寄っているという感覚に近い仕事です。相手から求められているものに応えたいという気持ちが強いですね。嘘偽りなく、人と人が綺麗な気持ちで接しているのが、介護の良い所だなって思います。それまでの仕事では、人から求められていることに応えたいと思って、自分がやりたくないこともやってしまったり無理をしていました。
でも、今は違うんですよね。相手が求めることに真っ直ぐに向き合えて、自分がやりたいと思ったことをやって、誰かの役に立つことができる。 お年寄りの方は、終戦直後の日本が貧しかった時期も含めて、生きるか死ぬかの本当に瀬戸際を生きてきた人たちです。だから、そういう昔の苦しかった頃の話を利用者の方から聞いていると、実は今自分たちが毎日生きていることが当たり前じゃないって分かるんです。今のこの生活は本当に特別なものだ、という幸せに気づかされるんです。介護の仕事を通じて、たくさんの幸せを感じられてる自分が得だなと思います。
お金をいただきながら、自分も勉強できるし、誰かの役にも立てる。最高ですね。お互いが満足できる、win-winな関係、そんな仕事はなかなかないと思います。誰かが得をして誰かが馬鹿を見る、騙される、そんなことがない社会です。お互いが満足して、お互いが笑顔でいられる仕事なんです。
今後は、施設の規模を大きくしていき、私は、介護福祉士としてではなく、介護のコーディネートを行う立場のケアマネージャーとして、より多くの人に幸せになってもらえる介護を提供したいです。
これまで生きてきた中で、今が一番自分の「素」を出せています。一番近くにいてくれる尊敬できる社長であり、いつも笑わせてくれる夫の存在が凄く大きいですね。
歳をとるのがあんなに不安だった自分。 今では、勉強してきたもの、耐えてきたものに自信があるから、自分の外見じゃなく、中身に自信が持てるようになったのかもしれません。 これから、もっともっと歳を重ねていくことが楽しみです。
2016.04.20