日本初、40代の総理大臣を目指す。人が本来持つ力を発揮できる社会に。

「いつでも話かけられる議員」として、ブログやSNSで盛んに情報を発信する、東京都議会議員のおときたさん。どこにでもいる普通の大学生が政治家を目指したきっかけは、「モテたい」という些細なことでした。おときたさんの半生を伺いました。

おときた 駿

おときた しゅん|マイノリティの可能性を引き出す政治家
東京都議会議員(北区選出)。ネットを中心に積極的な情報発信を行い、政界ナンバーワンブロガーとして活動中。

迷走していた中高生時代


東京都北区で生まれました。小さな頃から活発な性格で、うるさい子どもでした。学校の先生には「静かにしなさい」「席につきなさい」と言われましたが、反発してよく怒られましたね。規則に縛り付けられるのが嫌で、一時期学校に行かないこともありました。

小学校卒業後、私立の中高一貫校に進学しました。男子校だったこともあって、モテたくて必死でしたね。まずは、ギターを弾けたらモテると思ってバンドを始めました。でも、コピーしたのがヘヴィメタルバンドの「聖飢魔II」だったので、女子には全くウケませんでした(笑)。

学園祭で他校の女子生徒に声を掛けても、バイト先で仕事を頑張っても女子ウケは悪く、何をしてもから回りでした。迷走する、冴えない中高生活でしたね。頑張っても自分を認めてくれない社会に違和感を覚えて、何となく、社会を変えられないかなと感じるようになりました。

成績は良くなかったので、大学は行かなくていいかと思っていた時、早稲田大学を知りました。早稲田大学は、良くも悪くも普通ではない人が多い大学だと聞きました。早稲田の校風なら、迷走している自分でも浮かないかもしれないなと思い、早稲田大学に進学しました。

ところが、大学でも思うようにはいきませんでした。最初に入ったサークルはあまり波長が合わず、ほどなくして行かなくなりました。一方で運動が苦手なコンプレックスから強くなろうと思ってカンフーを始めたので、そちらは毎日稽古ばかりで、修行僧のような生活でした(笑)。

女性が活躍する社会のために


大学2年生になり、学祭実行委員会に入ってから、生活が一変しました。学祭実行委員のことを早稲田大学では「早稲田祭運営スタッフ」と言うのですが、運営スタッフには、入学前に思い描いていた早稲田のイメージそのままな、個性的な学生が集まっていました。

運営スタッフの中でチームを組み、学祭の準備を進めました。初めてチームでひとつのことに取り組んだのですが、ちょっとした仕事をするだけで、周りから褒めてもらえました。それまで、何かをして認められることなんてほとんどなかったので、「仕事は得意なのかもしれない」と、自信になりましたね。運営スタッフの中でも時にリーダー役として、様々な企画を担当しました。

大勢で学祭を作っていく中で、歯車の大切さを実感しました。私が携わっていた時は、学祭には2日間で16万人が来場しました。運営スタッフは400人もいて、ひとりで完結する仕事はほとんどありません。400人の中のひとり。大きな仕組みの中の、ひとつの歯車です。

ステージに立つわけでもないですし、「ゴミ箱をどこに置くか?」といった、地味な裏方仕事ばかり。でも、イベントを成功させるには、地味な仕事の積み重ねが大事なんですよね。実際、一つひとつの仕事は地味でしたが、学祭を自分たちで作り上げている実感がありました。歯車は、一個でも欠けたら全てが回らなくなってしまいます。歯車は偉大だと感じましたね。

勉強の方では、政治学科で、女性と政治の関わりについて研究しました。調べてみると、人類史上、女性が政権を取った時代がないことが分かりました。「原始、女性は実に太陽であった」という言葉がありますが、そんな時代はなかったんです。

人口の半分を女性が占めているのに、現状の社会の仕組みでは女性の活躍が制限されています。経済の仕組みや資本主義は男性が作ったもので、24時間働き続けることが前提とされ、出産をして休む時期がある女性には不利な仕組みです。

女性が政権を取ったことがない、女性が活躍しづらい社会だという事実を知った時、女性が活躍できる社会を作りたいと思いました。根底には、モテたいというよこしまな気持ちもありました。モテるためには、上辺をつくろうのではなく、「女性のための仕事をすること」が大事だと考えていたんですよね。女性のための仕組みを作ることが、女性のための一番の仕事です。

女性主導の社会の仕組みを作ろう。仕組みを変えるために、ルールメーカーになろう。この時、将来は政治家、総理大臣になって社会のルールを変えると決めました。

そのための第一歩目として、大学卒業後は就職することにしました。卒業時は22歳なので、被選挙権はありませんし、仕事の現場を知らないまま政治家になって、「女性が活躍する社会を実現する」と訴えても説得力がありません。

就職活動では女性が活躍している会社を見ていき、LVMHモエ・ヘネシー・ルイヴィトンに入社しました。社長も含めて、経営幹部の7割が女性の会社です。社員も女性が圧倒的に多く、まさに女性が活躍する環境でした。

いつかではなく、今やらねばならない


入社してからは、化粧品ブランドの営業を担当しました。外資系企業だったので、上司は外国人でした。違う価値観を持つ人と意識をすり合わせる方法など、多くのことを学ばせてもらいました。また、数字にコミットし、結果を出すことへの強い意識も身につきました。

政治家になるまでに何年働くかは決めていませんでしたが、何となく「29歳になったら政治に挑戦する」と公言していました。それまでに、会社で様々な経験を積みたいと考えていたので、入社して5年ほど営業の経験を積んだ後は、別の部署に異動するか、転職するかと考え始めました。

そんな時、東日本大震災が起きました。知り合いが立ち上げた復興支援組織に入り、50回ほど東北にボランティアに行きました。目の前の人を幸せにできない人間が、政治家として社会を変えられるはずがない。将来、国を支える人間になるのであれば、震災で大変な目に遭っている地域の現状を知らなければならない。そんな想いで復興支援に携わりました。

被災地は、想像以上に悲惨な状況でした。行政は機能不全を起こし、必要な支援物資が、必要な人に全く届いていませんでした。こんな悲惨な政治の状態では、何十年先まで国が持たないかもしれない。それまでは、「いつか政治家になろう」と思っていましたが、悠長なことは言っていられないと感じました。

震災では、同世代の方もたくさん亡くなりました。「息子も政治家を目指していたけど、亡くなってしまった」と話す人にも出会いました。

「いつか」では遅い。やりたいことがあるなら、今やらなければならない。自分の身にも、いつ何が起こるか分からない。先延ばしにするのは、亡くなった方にも失礼だ。そんな想いから、2年後の東京都議会議員選挙に出馬することにしました。

将来の目標は、総理大臣として国政を動かすことでしたが、いきなり国政選挙に出ても通用しないことは分かっていました。とはいえ、区議会議員では国政までの距離は遠すぎます。都議会議員であれば、現実的に国政進出を狙えますし、2年あれば選挙の準備も可能だと考えての出馬表明でした。

世論で政治を動かす


会社ではマーケティングの部署に異動して新しい仕事をしつつ、プライベートでは選挙のための準備を始めました。同窓会を開いたり、地域の集まりに出席したりして、選挙を共に戦ってくれる仲間を集めました。

また、政党からの公認を受けるための動きにも力をいれました。日本は政党政治の国なので、どの政党から選挙に出るかは非常に重要です。先輩たちに助言をもらい、政党から公認を受けるため、政治塾に入り、政党の事務局と繋がり、事務局でボランティアとして働きました。その結果、みんなの党から公認を受けることができました。

順調に準備を進めた2013年1月、7年勤めた会社を辞めて、東京都議会議員選挙に出馬しました。29歳でした。選挙期間中は、不思議と落選する気はしませんでした。特に、投票まで残り2日に迫った頃になると風向きが変わり、街頭に立っているだけで握手を求めてくれる人も出てきて、自信は確信に変わりました。それでも、当選が分かった瞬間は、椅子から転げ落ちそうになるくらい驚きましたね。

ただ、議員になっても、物事を動かすのは想像以上に難しく、何度も歯痒い思いをしました。都議会議員といっても、結局は120人のひとりでしかありません。やれることなんて限られています。

しかし、小さな存在でも、学祭と同じように、政治でも議員一人ひとりが偉大な歯車です。実際、小さな存在でも、「蜂の一刺し」をできると感じたことがあります。議会で女性議員が登壇中、「早く結婚した方がいいんじゃないか」と、信じられない「セクハラ野次」が飛んだことがありました。議会終了後、野次を飛ばした議員が所属する会派に抗議に行っても、門前払いになりました。

あまりにも腹がたったので、その出来事をブログに書き綴りました。すると、その記事に100万以上のアクセスがあり、テレビや新聞も取材に来て、世論を大きく騒がす事態となりました。

その結果、野次を飛ばした議員が謝罪し、会派からも一時的に除名されることになりました。世論の力を実感しましたし、政治も捨てたものではないと思えた瞬間でした。

政治家は有権者の話を聞かないと揶揄されますが、そんなことはないんです。むしろ、政治家は、選挙で票を集めるために世論を気にしています。世論が大きく動けば、手柄を自分のものにするために政策を変えることだってあるほどです。そんな政治力学を実感した瞬間でした。

いつでも話しかけられる政治家として


現在は、東京都議会議員として働いています。元々、政治の世界を目指すきっかけとなった、「女性主導の社会を作ること」は、今も政策の大きな柱のひとつです。ただ、議員になり、政策の実態を知るうちに、若者が活躍する社会を作ることも、政策の大きな柱となりました。

日本は、若者のための公共投資額が非常に小さく、先進国の中でほぼ最下位です。このままでは、若者が活躍できずに、「討ち死に」することは目に見えています。最悪、今財政が破綻するなら、若者も海外に行くなど選択肢はあります。しかし、30年後、今の若者が家族を持ち身動きが取れない状況で財政が破綻したら、それこそ討ち死にです。

この状況を打開するには、若者の政治参加率を上げるしかありません。若者によって世論を大きく動かせば、政治家はその声を聞かざるを得なくなります。若者への公共投資額を増やすように、若者が声を挙げる必要があるんです。

政治家が情報発信をするのに、今はブログやSNSも有効な手段となり、活動の場所は大きく広がりました。私は政策や政治家としての成果などを分かりやすく可視化して、若い人に伝えたいと考えています。若者が政治に興味を持つきっかけづくりです。

ブログやSNSは、炎上するリスクもあります。批判されることも、傷つくことも多々あります。それでも、ネット上に情報を置くことで、新たな繋がりが生まれたり、沢山の人との集合知で政治家自身成長させてもらえたりするので、メリットの方が大きいんです。これからも「いつでも話しかけられる政治家」として、ブログやSNSでの発信は続けますし、それを見た人からの連絡はいつでもお待ちしています。

若い人が政治に興味を持ち、政治家を目指す人が増えてくれたらいいですね。私自身、普通の冴えない学生生活を送る中で、ちょっとしたきっかけで政治家を志したように、政治を身近なものだと思ってもらいたいですね。

国の仕組みを変えていくために、40代で内閣総理大臣になることを目指しています。現状では、地方の選挙で連続当選することが国政に進出する条件のようになっていますが、その仕組みにも風穴を開けたいです。

若者も、女性も、現在「マイノリティ」となってしまっている人たちが、自身の可能性を引き出し、本来の力を発揮できるように、社会の仕組みを整えていきます。

2016.04.04

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