自分と関わる人を笑顔にし続けたい。人の縁で、一度は諦めたメディアの仕事へ。

人見知りにもかかわらず、現在連続76ヶ月延べ約200近くのイベントの開催記録を更新中の望月大作さん。人から「んっ?」と思われるイベントを企画したい。そう話す望月さんのイベントにかける思いとは?

望月 大作

もちづき たいさく|株式会社IPG PRマネージャー/NPO法人ツブヤ・ユニバーシティー代表/ツブヤ大学統括プロデューサー
株式会社IPGでPRマネージャーを務める傍ら、NPO法人ツブヤ・ユニバーシティー/ツブヤ大学統括プロデューサーとして、ツブヤ大学というイベントの企画運営を行う。

企画の楽しさに目覚めた学生時代


私は京都府八幡市で育ちました。子供の頃からテレビが好きでした。テレビ業界への強い憧れから、将来はマスコミ関係の職業に就きたいと、漠然とした夢がありました。その夢に一番近づける専攻のあった同志社大学へ進みました。

在学中は学生放送局のメンバーとして活動していました。そして、たまたまの成り行きで大学の自治会活動に参加することになり、大学3年生のとき、周りからの推薦で自治会長にもなりました。しかし自治会はほぼ休眠状態だったことで、予算を使って何か面白いことができないか。せっかく使えるお金があるのにもったいない。そう考え、活躍されている方で気になる方を招いて講演会を開いてみようと決めました。

とはいってもそんな企画をするのも初めての経験でした。ドキドキしながら、まずは手紙を書き、そして電話をかけ依頼しましたね。初めて依頼したフローラン・ダバディー氏は当時W杯でトルシエ監督の通訳を務めた方で、大学で講演をするなんて聞いたこともなかったですし、京都で講演依頼を引き受けてくれる確率は低いとも思っていました。だから実際に来てくれた時は「自分も、人を呼べるんだ」ということを実感し、自信になりましたね。

講演会当日は本当にたくさんの人が集まりました。正直驚きましたが、参加してくれた人が笑顔になってくれたのがすごく嬉しかったですね。自分自身も本当に楽しかったです。それからは毎月講師を招いて講演会を開いたこともありました。だから自分が会いたいと思った方にはどんどん電話をかけて呼んでいました。リリーフランキー氏や井筒監督など、今でも活躍されている方にも依頼しました。大学で講演をするなんて今までなかったような方もいましたので、本当に話題になりました。

企画することはとても楽しかったです。もちろん思ったほどの集客ができなかったときもありました。それでも企画するときはどんな人を呼ぼうか、どんな人ならたくさんの人を楽しませられるだろうか、と考えていました。

twitterとの出会い


大学も終盤になり昔から憧れていたマスコミ関係を目指して就活をしました。結果は全敗でした。自分としても予想外の内定0という状況でした。どうしよう、そんな思いでしたね。最終的に親から大学院を勧められて、大学院へ進みました。大学院時代も変わらずマスコミ関係を目指していました。また、その一方で創作にも興味を持ち始めました。シナリオを勉強したい、と大学院時代にはシナリオライターのスクールにも通っていました。

しかし、結局2度目の就職活動でもマスコミ関係は全敗。就職活動に行き詰まりを感じました。そこで、マスコミ関係は一旦諦め、急激に成長できる環境へ行こうと方向転換しました。最終的に、社長さんの人柄に惹かれた東京のIT関係の会社に行くことにしました。入社後は営業職の配属になりました。初めは名刺の渡し方すら分からないほど何もできませんでした。しかし会社の人に恵まれ、少しづつ様々なことを学んでいきました。名刺の渡し方も含め、話し方など働く上で必要なスキルやWeb関係の知識を身につけました。

ちょうどその頃、FacebookやtwitterなどのSNSツールが流行し始めました。最初のころは使い方がわからず、四苦八苦しながらも自分なりに学び、どんどん新しい交友関係も広がっていきましたね。

そんな拡がりから「ツブヤ大学」という企画を立ち上げることになりました。何か面白いことがしたいと人を集め、初めはUSTREAMのトーク番組として開始しました。ツブヤ大学では登壇者を含め参加者全員に楽しんでもらうことを重要視していて、あえて話し手の本業と異なるテーマでもお呼びしていました。実際に来てくれた人が笑顔になることが楽しかったですし、自分自身もすごく楽しかったです。

初めはSNSがきっかけだった人も、ツブヤ大学やイベントきっかけで実際にお会いしてさらに仲良くなり、交友関係はどんどん広がっていきました。また私だけでなく、人と人とがその場をきっかけにつながっていくのは嬉しかったですね。周りの方達に喜んで頂けることがモチベーションとなり、定期的に開催する中でツブヤ大学は私のライフワークになっていきました。

しかし、一方で日々の仕事では様々な経験をしました。2007年に新卒で入社した会社は約2年半で辞めました。それからも、人間関係は良好だったものの転職を繰り返していました。ブラック企業のようなところから個人事業まで、本当に様々な仕事を体験しましたよ。そんな中で、一時期私の仕事選びの基準は、何をするかよりも目先の生活へと変わったこともありました。ツブヤ大学の活動とは対照的でした。むしろその時はイベントを開催するために稼いでいるような感じもありました。

NPO法人ツブヤ・ユニバーシティーの設立


イベントは毎月開催していました。やはりみんなが楽しんでくれることが自分も楽しく、みんなを集めていました。イベントを開催するにあたっては、何よりも、当たり前のイベントにならないようにということを一番重視していましたね。私のイベントではみんなに笑顔になってもらいたい。という思いが常にありました。

ゲストを呼んでも、いつもそのゲストが話しているような内容を当たり前のように話してもらうのではつまらない。参加者の中には同じ内容を別の場所で聞いたことがある人がいるかもしれないですし、ゲストだってつまらないだろうな、という思いからでした。「んっ?」って思われるような面白い企画、参加者だけではなく、登壇者も楽しめる、そんな企画にするように心がけています。

定期的に開催するようになり2010年にツブヤ大学という団体を設立し、翌年からNPO法人ツブヤ・ユニバーシティーとして活動し始めました。毎月開催もずっと続けていて、76ヶ月連続、述べ200近くのイベントの記録も更新しました。現在も更新中です。

イベントというのは、実際は当日までかなり地味な作業の繰り返しです。企画を実際にするための場所を探したり、参加者を集めたり。もともと地味な作業は嫌いではないので苦には感じません。ですがやはり当日みんなが笑顔になるのが1番のモチベーションです。それから今は記録がどこまで更新されるのか、というのもひとつの原動力ですね。

2015年6月、ツブヤ大学がきっかけで広がっていった人との繋がりからのご縁で、テレビ局系のデジタルコンテンツを扱う株式会社デジアサという会社で働くことになりました。紹介から実際に決定までの期間がわずか1週間というスピード感には自分でもすごく驚きました。

デジアサでは、テレビ局のweb部門担当として、TVドラマのニコ生配信のサポートをしたり、twitter更新をしたりと元々のミーハーな性格もあり、非常に仕事は楽しかったです。一旦諦めたメディア業界に、このような形で入社できるとは思ってもいませんでした。

みんなを笑顔にし続ける


現在は株式会社IPGというGガイドなどTV番組表サービスを提供する会社で、PRマネージャーとして、サービスや会社のPR戦略などを担当しています。

私はこれまで様々な業種を体験してきましたので、そこでの経験やプライベートで広げた人脈が今の仕事にも大いに役立っていますね。その業界以外も見てきたからこそ、広い視野から見た意見が言えることもあります。また仕事で関わった人がプライベートでも関わるようになることも、プライベートで出会った人や出会っていた人たちがきっかけで仕事につながることもあるんですよ。

その化学反応に似た体験が面白いです。今は本業もプライベートもある種の互換関係があって、とても充実しています。

これからはツブヤ大学でのイベントはせめて100ヶ月連続までは続けたいです。また、もうひとつの夢である創作活動も何か形に出来ればと思っています。

たくさんのきっかけがあって、今の自分があります。私は自分と関わった方々に本当に感謝しています。今までは与えてもらってばかりでしたので、これからは仕事とイベント。両方を通じて周りの方達に還元できればという想いは常に持っています。みんなを笑顔にし続ける。この軸は変わらずにこれからもずっと活動していくつもりです。

インタビュー:桑原 葵

2016.04.01

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