誰でもどこでも使える医療材料を。最先端医療と途上国を繋ぐ、想像力。
ティッシュペーパーのような素材を身体に貼るだけでがんを治療する「貼るがん治療」など、「誰でも、どこでも、いつでも使える」医療材料を研究する荏原さん。最先端医療に憧れていた荏原さんの考え方を180度変えた、アメリカでの転機とは。
荏原 充宏
えはら みつひろ|誰でも、どこでも、いつでも使える医療材料の研究
物質・材料研究機構で主任研究員として、インフラに左右されない医療材料を作る研究を行う。
想像して生み出すことへの憧れ
東京都中野区に生まれました。家族の都合で小学3年から中学2年まで岐阜に住み、その後はまた東京に戻りました。
小さい頃から、新しいものを生み出すことに興味がありました。例えば、飛行機で例えると、僕はパイロットになりたいんじゃなくて、飛行機を作りたいんです。既にあるものに関わるんじゃなくて、新しい何かを作ったほうがやりがいがあるんです。
ジュールヴェルヌというフランスの作家の本がすごく好きでした。彼は「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」という言葉を残しています。
ジュールヴェルヌが書いた本に『20世紀のパリ』って本があるんですね。すごくマイナーな本なんですが、小学生のころそれを読んだんです。その本では、普通のパリの街並が書いてあるんですよ。電車が通って、人々が電話で話をしている、みたいな。
最初読んだ時、すごいつまんないと思ったんですよ。普通の光景なので。でも、よくよく考えたらこの人が死んだのは、電車も電話もなかった100年くらい前なんです。完全に、人間が想像していることが実現されているんですよね。誰かが描かないと、それを実現することってできないのかなと思いましたね。他にも、『アフリカ横断旅行』っていうジュールヴェルヌの処女作は、気球でアフリカを横断するという話なんですが、その本が出た後に気球ができたんですね。
『20世紀のパリ』を知った衝撃から、何か今ないこと、できないことを実現するには、今ない技術を作らなければいけないんじゃないか。つまり、今ない技術を想像しなきゃいけないんじゃないかと考えるようになりました。
高校卒業後、医療研究に関わるため、早稲田大学の理工学部に進みました。そこから共同研究先の東京女子医科大学で研究をはじめました。ムツゴロウ王国に何度か行くほど生き物が好きで、生物や医療の分野で、新しいものを生み出したいと考えていました。
学部時代はすごく不真面目で、授業にあまり行きませんでした。研究室に入ってから、自分に向いているなと思って、真剣に研究するようになりましたね。臓器を作る、再生医療の分野の研究です。再生医療の研究では当時ないことをやるじゃないですか。自分がやっている実験は、世界で誰もやっていないんです。自分が出したデータが、良い悪いにかかわらず世界初で。そういうのに喜びを感じて、寝る間を惜しんで研究しましたね。
研究を始めた初期の段階で、これで給料がもらえたらいいんじゃないかと思いましたね。将来は研究者になりたい、できれば海外に行きたいと思い、大学院に進みました。
アメリカ留学での無力感
大学院時代は母親に支えられました。小さい頃から母子家庭で育つ中、私立大学で大学院まで行かせてもらい、苦労をかけたと思います。母が仕事でケガをした時、大学院をやめようかと考えたのですが、「全然平気だから」と言ってくれました。
博士課程修了後、海外で研究したいと思い、アメリカの大学に留学しました。どちらかというと、留学前は最先端の医療に憧れていました。やっぱり僕も学生だったし、夢見る最先端の設備がある綺麗な実験室で、近未来の研究をやりたいと思っていったんです。
留学していた研究室がシアトルのワシントン大学で、ビル・ゲイツがいるところなんですけど、ビル&メリンダ・ゲイツ財団からお金をもらって研究していたんですね。研究では、途上国の疾病に対して支援するというテーマがありました。
で、なんか研究をやってみろって言われた時に、僕らが今までやってきたことなんて、確固たる設備のある研究室じゃないと、何もできないわけですよ。「これ途上国でできる?」って言われたら、何一つできないんですよね。しかも、世界の人口分布でいったら大多数がそういうところにいるわけじゃないですか。先進国に住む僕らなんてマイノリティですよね。日本でも、ひょっとしたら過疎地にいる人は、一生大学病院に行かないかもしれないですよね。そういうのをまざまざと感じて。
例えば、こんな研究をやりたいと提案しても、「それ水と電気がなくてもできる?」となるんです。そんな状況では、絆創膏くらいしかできないじゃないですか。
アメリカって最先端の医療機器と最先端のビルディングで、最先端の治療をするみたいなイメージがあるじゃないですか。そう思って留学したんです。でも、そんなことを言われて、言葉の壁もありますし、色々落ち込む要素があって、しばらくはずっと悩んでましたね。せっかくここまで来たのに、自分は何しにきたんだろうって。力が発揮できない。自分の無力感ですね。
じゃあ何ができるかって考えた時に、「スマートポリマー」という素材を医療に活用する研究をしようって決めました。学生時代から再生医療の研究に使っていた、外からの刺激に応えて性質を変える特徴を持つ、優れた材料です。インフラの課題はアイデアとか性能で補うしかないんですよね。スマートポリマーはそういう意味ではスマートなプラスチックなので、これなら使えるんじゃないかと思って。
それから、アフリカでも簡単に使えるHIV検査薬の研究開発を始めました。
最先端医療の現場で抱いた確信
3年して日本に戻り、大阪大学医学部附属病院未来医療センターに勤めました。大学院時代に関わっていた再生医療がいよいよ人で実現されることになり、一緒に研究しないかと、誘ってもらったんです。
実際に最先端の再生医療の現場に戻ると、患者さんの細胞で作った組織を患者さんの心臓にもう一回移植して治すという治療法がうまくいってて、その第一号を目の当たりにして、最先端の再生医療ってやっぱりすごいなと思いました。ただ、この1人の患者さんを治すのにいくらかかったんだろうなと思うと、自分がこの医療を受けられる日は果たしてくるのだろうかと思いました。
テクノロジーの力で、今まで治らなかった人が治る。再生医療って、iPS細胞もそうですけど、今とてつもない期待をされているじゃないですか。僕はもう、絶対それを否定しているわけじゃなくて。あれと同じことが100円ショップで買えるプラスチックでできたら尚いいんじゃないかというイメージですよね。
途上国でも使える医療材料を研究していたのに、最先端の再生医療をしている大阪大学に行ったのは、テクノロジーが人の役に立っている現場を見たいというのがありましたね。誰でも、どんな環境でも使える医療技術を生み出したいという思いに、拍車がかかりました。
2年ほど経ち、NIMS(物質・材料研究機構)に移りました。日本で唯一のものづくりの国の研究機関で、「材料」の世界では群を抜いてレベルが高い環境です。ここならインフラを問わず提供できる医療技術を、実現できるんじゃないかと思いました。
誰でもどこでも使える医療材料を
現在、NMISの主任研究員として、インフラ設備の善し悪しに左右されない医療材料を作る研究をしています。複数の研究パートナーとプロジェクトを進めていて、その中でも「貼るがん治療」の研究に力を入れています。スマートポリマーを使ったティッシュペーパーのような医療素材を身体の内外に貼ることで、肺がんや皮膚がんを治すというものです。
がんは、抗がん剤や熱に弱く、2つを同時に行うと単独の時の10倍ほどの治療効果があります。これまでその2つを一緒に行う方法がありませんでしたが、貼るがん治療では、同時にできるんです。スマートポリマーは外部刺激に反応して性質を変えるので、例えば、貼った後に刺激を与えることで、素材自体を暖めたり、形を変えて内包した薬が出てくる仕組みを作ることができます。
スマートポリマー自体は他の分野の研究にも使われていますが、医療材料として活用することに新規性があります。他にも、水を使わないデバイスを利用した血液透析代替治療など、いくつかのプロジェクトがヒトへの臨床実験をする前の実験段階まで進んでいます。
全てのコンセプトとしては、例えばティッシュペーパーみたいなもので、誰でもどこでも使える医療材料を作りたいというのが今のテーマで、その武器として、スマートポリマーを使っています。「いつでもどこでも誰でも」というのが一番のキーワードです。
こういう、今までにないものを自分で思い描いて、それを具現化していきたいというのが一番自分の欲求を満たすことなので、これからも、ドラえもんの道具のように、どんどんそういうことをやって、どこかの企業の人がうちで実用化したいとなったら嬉しいですね。
今は、地元で研究について説明したり体験したりしてもらう、アウトリーチ活動「スマポレンジャー」にも力を入れています。例えば、想像することとか妄想することって、子どもでもお年寄りでも誰でもできちゃうじゃないですか。むしろ僕らよりできますよね。理系離れと言われていますが、想像するのって理系も文系も関係ない気がします。みんなが面白いことをどんどん妄想できるのってすごく素敵だと思うので、僕らはたまたまサイエンティストなんですけど、そういう立場から広げていきたいと思いますね。
2016.03.04