自分の力でできることで、社会の役に立ちたい。国際貢献で活きる、規律と誠実さ。

地雷・不発弾処理の国際貢献を行なうNPOの理事長という大役を務めながら、「主役は現地にいる職員ですから」「自分はやれることをやるだけです」と、謙虚にお話しされる荒川さん。陸将・中部方面総監を務められた元陸上自衛官としてのキャリアと、地雷処理の国際貢献に携わる中での悩みについて、お伺いしました。

荒川 龍一郎

あらかわ りゅういちろう|地雷処理で国際貢献を行なう
認定特定非営利活動法人「 日本地雷処理を支援する会(JMAS)」理事長。第29代陸上自衛隊中部方面総監。

「兵隊をつくる」防衛大学校


愛知県名古屋市で生まれ、幼稚園の頃に東京に引っ越しました。高校は都立駒場高校です。剣道部、スキー部、新聞部に所属しており、生徒会活動もやっていました。いろんなことにちょこまかと手を出していましたね。勉強はしない、ダメな学生でした。

ちょうど第二次安保闘争の時代で、都内の大学がロックアウトされていました。高校2年生のころには新宿騒乱があり、街中で機動隊と学生がやり合っている様な状況でした。大学に行っても、学校の授業はありません。それで、普通の大学とは違う道があるんじゃないかと思い始めましたね。

色々調べてみて、学費が無料でお小遣いまでもらえるというのに惹かれて、防衛大学校を受験しました。陸上自衛官になろうという強い思いがあったのでもないですし、真面目に国防に燃えて、ということでもありません。

防衛大学校に入ってみて、「兵隊さんをつくる学校だったんだ」とびっくりしましたね。強制的に授業を受けさせられますし、訓練として生徒には鉄砲を渡されます。同じ様にびっくりしたのか、入学して1週間ぐらいで辞める人もいましたね。

各学年2人ずつの8人部屋での寮生活でした。1年生は奴隷、2年生は平民、3年生は貴族、4年生は王様と呼ばれます(笑)。防衛大では、運動部に必ず入らないといけません。同じ部屋の4年生がグライダー部のキャプテンだったので、言われるがままにグライダー部に入部しました。

大学生活はハードでしたね。工学系の授業科目に加えて、訓練の時間、週4時間の体育の授業、部活があって、夜は10時に消灯。試験は2科目4単位を落とすと留年、2年連続留年すると放校。単位が取れずに大学を辞めさせられる人も多かったですね。高校の頃より勉強していました。

4年生になっても、卒業研究で忙しかったですね。考える暇を与えられません。よほど嫌でなければ、自衛隊に入らないで外に出ようと考える人はいませんね。私も特に外部への就職は考えなかったですね。

卒業後、自衛官の幹部候補生学校に入学しました。幹部候補生学校にいる8ヶ月の間に、自分の適正を徹底的に調べられ、卒業後どの隊に入るかは適正によって決まっていきます。適正のみで決まり、希望はほとんど通らないという世界ですね。私は、主として戦車を扱う機甲科部隊に入ることになりました。

モチベーションが下がらない仕組み


自衛隊入隊後は、主に演習場で戦車の演習を行ない、数年に一度自然災害が起こると物資輸送や現地対応にあたるという生活でした。

普通の会社に入るのと違い、防衛大学校出身で自衛隊に入る場合は、最初から「親分」みたいなもので、部下がつきます。陸上自衛隊であれば、入隊時点で小隊長です。私は、戦車4台の小隊長で、部下が15名いる状況でした。

私は岩手県の部隊で小隊長になりましたが、田舎の素朴な環境で良かったですね。気のいい人ばかりの隊に入れてもらいました。

岩手の部隊には6年間所属しました。そのうち2年間は勤務を離れて英語や通信技術を学ぶ学校に通っていました。自衛隊は教育制度が充実していて、勉強が好きな人向けに、修士や博士に行ける制度もあります。小隊長を終えると、8ヶ月中隊長になるための学校に通います。さらにその先に、選抜式の教育期間が2年間あります。外国でいういわゆる陸軍大学、海軍大学にあたるものですね。

7、8年すると小隊長から中隊長に上がります。中隊長に上がったときは、80人の部下、戦車18台が自分の指揮下にありました。連隊長に上がった時は、戦車98台と兵站の輸送車両数百台、さらに階級が上がり、54歳で第7師団長になった時は、274台の戦車、ほかに数千台の車両がある部隊の指揮官でした。

隊務と勉強を繰り返しながら、階級を上げていくシステムです。色んなことに興味関心を持つ自分の性格と合っていました。

向き不向きがあると思いますが、自衛隊は一旦入ってしまうと面白い世界ですね。自分も入ってしばらくすると「これは面白いじゃないか」と思い、どっぷり浸かってしまったという感じです(笑)。

もちろん、一部モチベーションが下がって辞める人もいます。毎回の試験制度で全員が受かるわけでないので、上の階級に上がらず、専門分野を突き詰めていくことになる人もいます。

自分は、たまたま、毎回の試験制度をかいくぐって合格できたことで、モチベーションが下がることはなかったですね。モチベーションが下がる暇がなくて、どんどん上の階級にいってしまったという感じですね。自分の能力を超えているんじゃないかと思うぐらいでした。

階級が上がっても、責任感の重さで悩むということはありませんでした。責任感の重さで悩むよりも、やらなければいけないことが多くて、こなしていくだけで精一杯で、悩む暇がなかったですね。悩んでいたら、多くの人に迷惑をかける仕事でもありましたから。

転機となった9.11


45歳で陸上幕僚監部の運用課長をしていた頃に、9.11の同時多発テロが起こりました。

嫌な時代になるんだろうな、という認識でしたね。カンボジアでのPKOなど、当時も海外での活動はありましたが、違った形での活動が求められることになるだろうな、と感じていました。

テロ特別措置法の成立にともなって、部隊をイラクへ派遣せざるを得なくなり、私も実際に派遣業務に携わりました。PKOで活動する治安の安定した場所とは、全く違う世界です。非常に厳しい時代になるんだろうなと思いましたね。今までとは違う考え方で部隊の訓練をせざるを得ない、という認識がありました。

イラクでたまたま危険な目に遭う事案がなかったのは幸運でした。

隊員はみな宣誓して入隊しているのであって、危険な目に遭う可能性があるからといって、指揮官が判断を悩むことはありません。組織の中で判断する立場にある上の人間が感情を入れてはいけない、クールな社会です。

一方で、「戦争神経症」への対策は研究していました。危険地域にいた隊員を平和な環境に返す前にクールダウンさせる、一般社会に溶け込みやすいようにさせる。現代社会では、そういった対策が重要になります。幕僚監部で人事部長をしていた時に、対策を研究していました。

家族との関係に悩む隊員もいます。遠隔地に派遣されれば、部隊の中での生活の方が主で、留守宅に関心が向かないといった生活になってしまいます。しっかりと隊員の家族も含めた身上把握が必要ですね。80〜100人の中隊長であれば、隊員の奥さんや子どもの名前まで全て把握しています。一般の会社とは、違う組織だと思います。そのあたりは、私の妻は割り切って諦めているところもあったかもしれないですね。

社会のために役に立ちたい


階級があがり、第7師団長などを経験したのち、56歳で中部方面総監になりました。

中部方面総監を務めていた時に、東日本大震災が起こりました。東北地区に物資を送る仕事を遂行しました。私自身は直接現場に接する立場にありませんでしたが、実際に活動した隊員は非常に厳しい状況だったと思います。東北方面総監であった方は退職後間もなく亡くなられました。かなり強いストレスのかかる激務で、そこで命を燃やし尽くしたのかもしれません。

中部方面総監が最後の仕事となり、58歳で退官しました。

退官の少し前に、地雷処理で国際貢献をおこなうNPOの理事長から、次の理事長の打診を頂きました。自衛隊の先輩が立ち上げたNPOで、退職の10年ほど前から会員になっており、当時の理事長はよく知った方でした。

陸上自衛隊にいたことによって得られた色々なノウハウを、社会の役に立てたい。自分なりに何か役に立ちたい。そう思いましたね。NPOという組織を有効活用して、日本の平和に貢献できれば、そう思っていました。

理事会の承認を経て、NPOの理事長に就任しました。

元自衛官だからこそ取り組む国際貢献


現在は、地雷処理で国際貢献をおこなうNPO「日本地雷処理を支援する会」の理事長を務めています。

海外の地雷・不発弾汚染地域で、地雷・不発弾の処理についての技術指導を行なう団体です。地雷・不発弾処理のノウハウを活かして国際貢献をしたい、という元自衛官によって設立されました。

主なメンバーは、不発弾処理を行なう武器科や地雷処理を行なう施設科出身の、50代60代の元自衛隊員です。71歳までラオスで活動した職員もいます。

今まで、カンボジアやラオス、パラオ、アフガニスタン、パキスタン、アンゴラなどで活動してきました。地雷処理・不発弾処理のノウハウを伝えて、現地の方が処理をできるようにすることを目標に活動しています。

カンボジアは地雷除去のメドが立ってきました。ラオスやパラオでは、徐々に現地の方のトレーニングが進んでいます。

残念ながら、イラクやシリア、アフリカをはじめ、世界の地雷や不発弾の汚染地域は拡大しています。停戦が完全に履行されている状態でなければ、我々が活動することはできません。戦闘が継続している状態では、どちらかの軍事組織に肩入れすることになってしまうんです。

社会の役に立ちたいという自衛官OBは数多くいます。ただ、活動する地域が限られてきています。停戦状態や治安、処理能力に合致するかなど活動の原則を設けていますが、原則に合致する地域がなかなか見つかりません。

活動資金も大きな課題です。理事長になってから色々と勉強していますが、3年経過していても、資金集めの所はなかなか上手くいきませんね。元自衛官だけだと「武家の商法」になってしまうので、民間企業出身の方に理事として入っていただいて、資金集めの面では色々と助言を頂いています。色んな企業から寄付を頂いたり、地雷処理の機械を提供頂いたりもしていますが、少しでも一般の方に広く知って頂いて、多くの方から寄付を頂ければと思っています。

自立して生活できる習慣が身に付いているのが、元自衛官の強みですね。現地では、料理など身の回りのことを全て自分でやり、集団生活していかなければいけません。自衛隊での訓練が続いている様なものです。なかなか元自衛官以外には難しい部分も多いと思いますね。

また、危険な作業ですので、基本的なことを誠実にやる、ということが欠かせません。上から目線にならずに、現地の人とも誠実にコミュニケーションが取るということも必要です。そういう面でも、自衛隊の伝統・気風が活きていると思います。

活動の主役は、実際に現地で活動している地雷処理の専門家です。理事長になってから現地に足を運びましたが、現地の専門家達は非常に誠実に任務にあたっています。自分は、少しでも助けになれる様に、役に立てればと思っています。

2016.03.02

ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?