愛知県名古屋市で生まれ、幼稚園の頃に東京に引っ越しました。高校は都立駒場高校です。剣道部、スキー部、新聞部に所属しており、生徒会活動もやっていました。いろんなことにちょこまかと手を出していましたね。勉強はしない、ダメな学生でした。

ちょうど第二次安保闘争の時代で、都内の大学がロックアウトされていました。高校2年生のころには新宿騒乱があり、街中で機動隊と学生がやり合っている様な状況でした。大学に行っても、学校の授業はありません。それで、普通の大学とは違う道があるんじゃないかと思い始めましたね。

色々調べてみて、学費が無料でお小遣いまでもらえるというのに惹かれて、防衛大学校を受験しました。陸上自衛官になろうという強い思いがあったのでもないですし、真面目に国防に燃えて、ということでもありません。

防衛大学校に入ってみて、「兵隊さんをつくる学校だったんだ」とびっくりしましたね。強制的に授業を受けさせられますし、訓練として生徒には鉄砲を渡されます。同じ様にびっくりしたのか、入学して1週間ぐらいで辞める人もいましたね。

各学年2人ずつの8人部屋での寮生活でした。1年生は奴隷、2年生は平民、3年生は貴族、4年生は王様と呼ばれます(笑)。防衛大では、運動部に必ず入らないといけません。同じ部屋の4年生がグライダー部のキャプテンだったので、言われるがままにグライダー部に入部しました。

大学生活はハードでしたね。工学系の授業科目に加えて、訓練の時間、週4時間の体育の授業、部活があって、夜は10時に消灯。試験は2科目4単位を落とすと留年、2年連続留年すると放校。単位が取れずに大学を辞めさせられる人も多かったですね。高校の頃より勉強していました。

4年生になっても、卒業研究で忙しかったですね。考える暇を与えられません。よほど嫌でなければ、自衛隊に入らないで外に出ようと考える人はいませんね。私も特に外部への就職は考えなかったですね。

卒業後、自衛官の幹部候補生学校に入学しました。幹部候補生学校にいる8ヶ月の間に、自分の適正を徹底的に調べられ、卒業後どの隊に入るかは適正によって決まっていきます。適正のみで決まり、希望はほとんど通らないという世界ですね。私は、主として戦車を扱う機甲科部隊に入ることになりました。